聖書の預言

★旧約と新約の預言書
★旧約の預言
★イエスの預言
★ヨハネの黙示録
  

★旧約と新約の預言書

  聖書でいう「預言」とは「ノストラダムスの大予言」のような、未来の出来事を言い当てる「予言」ではありません。「予言」とは「あらかじめ言う」、つまりこれから起こることを前もって言ってしまうの意味です。それに対して「聖書」の「預言」は「あずかって言う」の「預言」です。すなわち、神様から御神示を受けて「神の言葉」を預かり それを人類に伝える人を「預言者(ナービー)」といい、その御神示の内容を「預言」というのです 従って、「預言」の中には「予言」の要素も含まれます 

★旧約の預言

  「旧約聖書」には17(カトリックでは19)の「預言書」がありますが、その中でも特に「予言」の要素の強いものは「エゼキエルの書」や「ダニエルの書」などです。

  「エゼキエルの書」第38章(現代訳)−バビロン捕囚時代

  また、主は次のように、私に仰せられた.「メシェクとトバルの王である、マゴグの地のゴグの方に顔を向け、彼に預言して言いなさい。主である神はこう仰せられる。わたしは、メシェクとトバルの王であるゴグに敵対する。わたしは、あなたとその全軍勢を(バルバロ訳…あなたのあごにかぎをかけ)出陣させる。彼らは、武装し、大盾や小盾を持っている大軍団だ。ペルシャやエチオピアやプテの軍隊も彼らと行動を共にしている。ゴメルやベテ・トガルマ、その他の軍隊も同様である。  ゴグはそこに集結している全軍団に十分準備をさせ、その指揮をしなさい。それからかなりたって、あなたは一つの国に侵入する。その国は長い間、荒廃していたが、立派に再建され、外国の地から人々が帰って来て、そこに住んでいるイスラエルの地である。あなたは、その国に疾風のように攻め込み、あなたと同盟国の全軍は雲霞のようにその国を覆う。
  (中略)
  わたしの民イスラエルが安住している時、そのことについて何の気遣いもしないのか。あなたは、北にある自分の国から多くの国の軍勢を率いて来る。(バルバロ訳…私の民イスラエルが、安らかに住んでいるとき、そのとき、あなたは立ちあがって、おぴただしい民をともにひきつれて、自分の住まいである北の果てから攻めよせる)。
(中略)
  わたしはゴグにわたしの地を攻撃させる。そのことによって、全世界にわたしの聖さを示し彼らがわたしを知るためである。
(中略)
  主である神は仰せられる。ゴグがイスラエルの地を攻撃する時、わたしはイスラエルに対して怒りを燃え上がらせる。わたしは激しい怒りの火を吹き付けて言う。その日には必ずイスラエルの地に大地震が起こる。(中略)今度は、ゴグに敵対する軍隊を起こして、ゴグを攻撃させる。そして、彼らは互いに戦い合う。わたしは、伝染病や流血によって彼らを裁く。そして彼の軍隊と彼の民の上に雨と雹と火と硫黄を降り注ぐ。わたしが偉大なことと、聖いことを、世界中の人々の前で示す時、彼らはわたしが主であることを知るようになる」(『現代訳聖書』)

○カトリック教会の解釈

  これはなぐさめの本であって、そこにあるまぼろしは、いまの苦しみを忘れさせる未来の明るさを示している。この文章は、終末論的な展望をひろげ、来世をあらわし、神の勝利をつげるものである。「終りの日」とは旧約時代のおわりをさすらしい。この時代に、神の民に対して異教徒からの攻撃がある。
    メシェク…コルキデスの民。トバル…黒海の南東に住む民。
    ゴグ…神の力に対する悪の力の象徴。

○新説

  「メシェク」と「トバル」、「ゴグ」とは。
    ……メシェク→モスクワ    トバル→トボルスク    ゴグ→ロシア
  「ゴメル」、「トガルマ」とは……ドイツ、トルコ
  「イスラエルが安住している時」とは……1948年のイスラエル共和国建国
  (以前は、祖国を失って世界中に離散したユダヤ人が、その故地に戻って自分たちの国を再建するなど、いくら聖書にそう予言されているとはいえ絶対に不可能といわれていました。ところが20世紀にそれが実現してしまい、「聖書の予言が成就した」と大騒ぎになったものです)
   「終りの日」とは……20世紀の終わりから21聖(世)紀の初頭にかけて。
  この預言は第三次世界大戦の預言ではないかという人がいる。これによると、ロシアがイスラエルを攻めるという筋書きになる。かつてはソ連がイスラエルとその同盟国のアメリカに宣戦布告して第三次大戦が始まると考えた人もいたが、その後でソ連は崩壊し、その筋書きはあり得なくなった。現在では中東のアラブとイスラエルの相克が注目されるが、今後は今からは予想だにできない事態に転がる可能性はある。

  「ダニエルの書」第9章25〜27

エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシアなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって建て直されるでしょう。(中略)また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるでしょう。(日本聖書協会『口語訳 旧約聖書』  ダニエル書9章25節〜27節)

○カトリック教会の解釈

  ギリシャ人アンティオコ・エビフアネが、イスラエル人を迫害することの予言である(BC170年頃に実現)

○新説

  エルサレムの再建は1948年で、それから69年後は2017年となります。
  ここでいうメシアについてですが、ユダヤでは「東方、ミズラホの国より白馬に乗ったメシアが現れる」という伝説があります。その時、エルサレム入城に当たって入る門は、今でも開かずの門となっている「黄金の門」で、昔はその門を「スザの門」といいました(「主座の門」)。その門の上には、今でも十六弁菊花紋があります。

★イエスの預言

  「マタイ第24章」

  イエスは言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起こらねばならないが、まだ終りではない.民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちらこちらにききんが起こり、また地震があるであろう。しかし、これらはすべて産みの苦しみである。
  (中略)また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶものは救われる。そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。(ルカ……エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば)預言者ダニエルによって言われた荒す憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば、そのときユダヤにいる人々は山へ逃げよ。屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下へおりるな。畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。その日には、身重の女と乳飲み子を持つ女とは、不幸である。あなたが逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。その時には、世の初めから現在に到るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起こるからである。もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。
  (中略)しかし、その後に起こる患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。(中略)いちじくの木からこのたとえを学びなさい。(マルコ第14章、ルカ第21章にも並行記事あり)(日本聖書協会『口語訳 新約聖書』  マタイによる福音書24章4節〜32節)

○カトリック教会の解釈

  西暦70年の、ローマによるイスラエル滅亡の予言である。

○新解釈

  20世紀末から21世紀初頭?
  「いちじくの木」とは?……イエスのの日常語のアラム語や聖書の原語のギリシャ語では、この言葉の謎は解けません。日本語で「いちじく」と言って、はじめて言霊からその意味が分かるのです。イエスは若いころに日本に来ているとすれば、日本語はよく知っていたはずです。つまり、「いちじく」は「位置・地軸」で、現在地球の地軸はコマが倒れる寸前のようにグラグラしていると言われています。このままでは、極ジャンプが起こり、ある日突然インド洋あたりが北極になって、両極は赤道直下になる可能性も否定できません。そうなると両極の氷が一瞬に解けて、全世界規模の大洪水が起こるはずです。

★ヨハネの黙示録

  『聖書』の巻末を飾る「ヨハネの黙示録」は、使徒ヨハネが晩年(ローマによるキリスト教迫害時代)に受けた啓示です。そのころ年老いたヨハネは、パトモス島に流刑になっていました。

七つの教会へのメッセージ

七つの教会→七つの燭台(燈台)

  ヨハネがこの啓示を受けた頃は、イスラエルの民は故国を追われてローマ帝国内に離散していました。消え椅子と今日と戸とて例外ではなく、ローマ帝国領内各地に教会を建てていましたが、ヨハネがこの啓示で最初に聞かされたのは特に小アジア(今のトルコ共和国あたり)にあった七つの教会に対する、キリストのメッセージでした。

エペソ

教えの原点を見失っている

スミルナ

貧を嘆かず、陰徳を積んでいる

ペルガモ

邪霊が跋扈している

テアテラ

物質欲をあおる一人の女に注意

サルデス

信仰は名目のみで、波調が合っていない

フィラデルフィア

教えに忠実である

ラオデキア

信仰心があるが、熱意が足りない

  これらは当時の七つの教会へのメッセージであると同時に、それ以降の七つの時代の預言でもあったといいます。現代はすでに、ラオデキアの時代に入っているということです。

天の御座

  ここでヨハネは神霊界にまで引き上げられ、天の御父の神の御神霊に拝謁を許されます。

第4章

  見よ、御座が天に設けられており、その御座にいますかたがあった。その座にいますかたは、碧玉や赤めのうのように見え、また、御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現れていた。 また、御座のまわりには二十四の座があって、二十四人の長老が白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶって、それらの座についていた。御座からは、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが、発していた。また七つのともし火が、御座の前で燃えていた。これらは、神の七つの霊である。御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座のそば近くそのまわりには、四つの生き物がいたが、その前にも後ろにも、一面に目がついていた。第一の生き物はししのようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人のような顔をしており、第四の生き物は飛ぶわしのようであった。この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。(日本聖書協会『口語訳 新約聖書』  ヨハネの黙示録4章2節〜8節)

○カトリック教会の解釈

  四つの生き物とはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音史家である。

○新説

  四つの生き物とは風火水雷の祓戸はらひどの大神たちかと考えられます。

幸魂さきみたま

速佐須良姫はやさすらひめ

のごとき自由

荒魂あらみたま

瀬織津姫せおりつひめ

のごとき力

和魂にぎみたま

速秋津姫はやあきつひめ

人の面のごとき智

奇魂くしみたま

気吹戸主いぶきどぬし

獅子のごとき俊敏

  また、二十四の御座とありますが これはヨハネの側から見ているので正面半分しか見えておらず、それで24なのではないでしょうか 本当は、向こう側にももう24座あったとすれば、合計で48座になり 大仏の台座の蓮の花弁の数と一致します。するとそれは天地創造の折の四十八よとやの神のことであるとも考えられます 
  ちなみにヨハネという名前は、言霊からは「ヨハネ=四八音ヨハネ」となります 

右の手の巻物  第5章

  次に、巻物の封印が解かれることにより、ヨハネは未来の出来事を映像で見せられます。それは単なる未来の予言ではなく、大いなる神経綸の一部を示されたということにもなります。

  わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。また、ひとりの強い御使いが、大声で、「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は、誰か」と呼ばわっているのを見た。しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることができる者は、ひとりもいなかった。

  @ 第一の封印  白い馬の勝利
    平和の象徴。超太古の神政時代の惟神かんながらの生活から一転して日神岩戸隠れによる自在の世の招来。
  A 第二の封印  赤い馬と戦闘
    人々に物欲 競争欲、支配欲、名誉欲などが与えられ、物質開発の世が始まる。月神統治時代。
  B 第三の封印  黒い馬とはかり
     物質文明と貨幣経済が発達するが その一方で悪の華咲く暴虐充つる世となる。

  「小麦一ますは一デナリ 大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒を損なうな(現代訳…いくら働いても、ようやく食べるだけのものしか得られない。食糧事情が悪くなり、貧富の差が激しくなる)」

  C 第四の封印  蒼ざめた馬と戦争、ききん、伝染病と災害
  D 第五の封印  勝利の白い服
    幽界の描写 悪の栄える世に日の目を見ない義人たちの霊の嘆き。まだ逆法の世なので、仕方のないこと。
    しかし、一部の霊は邪霊となって人々に憑依し、空前絶後の大霊障時代が到来。
    そしていよいよ天の岩戸開き、正神の神々のお出ましの天意転換期を迎える。
  E 第六の封印  大地震、大戦争

  天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようだった。

  これは、 空襲の描写と思われる。その後、東の国から魁のメシアが現れて 神の選び子の人々のひたいに印をつける それは種人で次期文明に残される人につけられる目に見えない十字に光る印であるが 霊眼のある人に見える その額に印をつけるいとまをお与え下さいということである つまり、天変地異を少しでも小さく、少しでも先にして頂きたいという祈りである 

  それから、私が見ていると、四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方から吹いてくる風を迎え、地にも海にも木にも風が吹き付けないようにしていた。私がまた見ていると、もうひとりの御使いが、生きておられる神の印を持って、東の方から上って来た。彼は、地も海も損なう力が与えられている四人の御使いたちに大声で叫んで言った。「私たちが、神に仕える者たちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない」

  F 第七の封印  七つの御使みつかい(七人のラッパ吹き)→七人の御神示の伝達者(神伝人)
   ※7人のラッパ吹きは、十六章の七つの鉢と内容が呼応します。
     そのため、ラッパは霊界現象、鉢はそれが現界に映った具体的描写と考えられます。

 )第一の御使いのラッパ(第一の鉢)
    赤い雹と火→世界大戦、世界の共産化、難病奇病の蔓延
 )第二の御使いとラッパ(第二の鉢)
    海中へ落ちる巨大な火の塊→海湾の大戦争と海水汚染
 )第三の御使いとラッパ(第三の鉢)

  燃えている大きな星が、空から落ちて来た。そして、すべての側の三分の一とその水源に落ちた。この星の名前は「苦よもぎ」と呼ばれ、川の水の三分の一は苦くなり、その多くの人が死んだ。

  「苦よもぎ」をそのままロシア語でいうと「チェルノブイリ」となります。つまり、放射能汚染のことではないかと思われます。
また、放射能による水質汚染をはじめ全地球規模で環境が悪化。
 )第四の御使いとラッパ(第四の鉢)
    大気汚染、オゾン層崩壊による環境破壊。太陽光が直接地上に降り注ぐようになり、地球温暖化から超温熱化。の飛行(鷲はアメリカの戦闘機?)
 )第五の御使いとラッパ(第五の鉢)
    底知れぬ穴から立ち上る煙といなご

  「そのいなごというのは、出陣の用意の整った馬のような姿をしており、頭には金の冠のようなものをつけ、顔は人間の顔のようであった。毛は女性の髪の毛のように長く、歯はライオンの歯のようであった。また、鉄の胸当てのようなものを着け、その翼の音は、馬に引かれて戦いに出て行く多くの戦車の響きのようであった。その上、そのいなごは、さそりのような尾と針を持っていて、尾には、ある期間人に害を与える力があった」

  底知れぬ穴から立ち上る煙は核ミサイル着弾のあと、そしていなごは戦闘機のことと思われます。現代の戦闘機の映像を二千年前のヨハネに見せて描写させたら、まさしく「鉄のイナゴ」としか表現できないでしょう。そして人類は大量破壊兵器を用いるようになり、それが使用される大戦争が起こります。

   )第六の御使いとラッパ(第六の鉢)
    火を吹く馬

  私がまぼろしの中で見た馬とそれに乗っている者たちの様子はこうであった。彼らの胸当ては火のような赤、煙のような青、硫黄のような黄色で、その馬の頭はライオンの頭のようで、口からは火と煙と硫黄が出ていた。この火と煙と硫黄によって、人類の三分の一は殺された。害を加える力は、馬の口と尾にあって、その尾は蛇のようであり、それに頭があって、その頭で人々を傷つけるのである

  これは現代の戦車の描写と思われます。上記の鉄のいなごと同様、二千年前のヨハネが現代の戦車を霊的映像で見せられたら、このように描写するしかないのではないでしょうか?  ここで、具体的な地名が出てきますが、一つはユーフラテス川で、まぎれもなく現代のイラクです。そしてもう一つは有名なハルマゲドンで、これはイスラエルのメギドという土地であり、そこに全世界から軍隊が集まって対峙します。その鍵は中国とロシアの参戦でしょう。この対峙はイスラエルとイスラム圏のように見えますがそれは表向きで、イスラエルとは単にイスラエル共和国だけではなく、アメリカそのものの別名といってもいいいくらいです。
そして「第二の災い」は大地震であります。

  ここでヨハネは、もう一つの巻物を見せられます。アガシック・レコードだと思われるその巻物に書かれていた内容は、公開されていません。「黙示録」にも記されておりません。「いまだ秘めおけ」との御神示だったからです。おそらく、来るべき火の洗礼の大峠のもっと克明な描写と人類の運命という驚愕の内容でしょう。ローマ教皇パウロ6世が読んで卒倒したと言われ、いまだ公開されていない「ファティマ・第三の預言」に通じる所があるのかもしれません。ところで、この巻物をヨハネは食べて腹の中に入れたとあります。頭で理解するのではなく、腹に入れたのです。すると、「口には甘く腹には苦かった」とあります。まずは、神御経綸成就の暁の至福千年の地上天国文明、ミロクの世の素晴らしさの描写が口に甘く、そこに至るまでの人類の大ミソギ、大天変地異の悲惨さと厳しさに腹が苦くなったのでしょう。

赤い龍と女の戦い、天使と龍の戦い

  ヨハネはここで秤を与えられ、人々の想念を量り、そのひどさに驚きます。このあと第七のラッパが吹き鳴らされますが、それによって御経綸が成就してしまうので、さらにそのあととつながりません。「第七のラッパ」は後の十六章の七つの鉢の、「第七の鉢」の所で吹き鳴らされたのでしょう。
  そのあとというのは、共産勢力の「赤龍」が壊滅していく様子が描かれています。この龍は、実は「蛇」なのです。龍とは本来大天津神様が四次元界にお降りになった時のお姿で、上から来られます。それに対して、蛇は下から這い上がって行くのです。この蛇は人間の物欲、誤った人知すなわち「あやま知」の象徴です。その蛇がついに敗北すると、その霊界現象が現界に映り、人々が予想だにしなかった驚くべき現象となりました。つまり突然のベルリンの壁の崩壊、ソ連の解体などなし崩しに突然の出来事として現実化しました。しかし、人間に目から見れば突然ですが、実は霊界では現象が先に起こっており、合わせ鏡の現界(写し世)に反映したきたわけですから,決して「突然」でも「偶然」でもなかったのです。このように、古代から現代に至るまで、すべての戦争は霊界現象の現界への反映なのです。
  すなわち、次の天使と龍の戦いも、神霊界における神々の間の戦いの描写なのです。超太古、日神岩戸がくれの時は、引退する正神の背中に炒り豆をぶつけるなど副神の神々との戦いがありました。その「天使」とは天系の副神の神々で、龍の方が地系の天地創造の正神の神々様なのです。そうして龍が封印されたというのは、正神の神々様を天の岩戸の押し込めまつった大変恐ろしい出来事を描写しています。「龍=悪魔」と思われがちですが、それは正神の神様の「御ニ」の神様を「鬼」と称して、「鬼は外」と炒り豆を投げつけるという大変な御無礼をしてきたのと同じです。ところが最後の時には、正神の神々様は天の岩戸を押し開いてお立ち上がりになります。そして副神の神々にも岩戸閉じから今回の天意転換への大経綸、御神策が告げられ、お出ましになった正神の神々(日・火の系統)をタテに、改心した副神の神々(月・水の系統)を横に十字に組み、霊主立体文明が神霊界では成就します。しかし、それが現界に映るには少しのタイム・ラグがあり、また穢れ果てた現界の大掃除も必要となってくるのです。

海から上がる獣

  「私はまた、一匹の獣が海から上ってくるのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。私の見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった」(日本聖書協会『口語訳 新約聖書』  ヨハネの黙示録13章1節〜2節)

  海から上がった獣は、核弾頭ミサイルと思われます。また、もう一匹の獣は建物のようで、ある秘密結社を表しています。その秘密結社とは有名なフリーメンソンよりもさらに奥深く人類に根を張って、自分たちによる人類支配を目論んでいます。

  (その獣は)あらゆる種類、あらゆる階層の人々の右の手か額に、印を付けさせた。その印のついていない者は、誰も物を買ったり売ったりできないようにしてしまった。その印はその獣の名前であり、その名前は数字でも表された。その数字は666である。(日本聖書協会『口語訳 新約聖書』  ヨハネの黙示録13章16節〜17節)

  この部分は、その秘密結社が人間の手の甲にすべての個人情報を盛り込んだチップスもしくはバーコードとかを埋め込むという計画があるそうですが、それを指しているのかもしれません。一見便利なように見えますが、これは全世界の人間を統一して支配しようという恐ろしい画策のような気がします。ちなみにバーコードはそれぞれの線が数字を表しており、いちばん左、中央、右の二本線は「666」を表しています。

四人の御使い

  ここで登場する四人のみ使いは、物質文明から霊文明への天意転換による「四つのア」が示されています。

@第一の御使い  裁きの時の到来  アバキ(暴き)
A第二の御使い  反逆者の倒壊  アガキ(足掻き)
B第三の御使い  怒りの杯、刈り入れの時  アガナヒ(贖い)
C第四の御使い  裁きの刈り入れ  アカナヒ(明かな霊)

   )第七の御使いとラッパ(第七の鉢)

  すると、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが起り、また激しい地震があった。それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。

(日本聖書協会『口語訳 新約聖書』  ヨハネの黙示録16章18節)

  全地球規模の大地震とは、大陸が沈み、あるいは海底が隆起するような大いなる地殻変動とも思われ、最悪の場合は極ジャンプ(ポール・シフト)である可能性すらあります。さらに詳しくヨハネは聞かされたようですが、その部分は「いまだ秘めおけ」と公開が許されなかった部分にあるのでしょう。その大天変地異のXデーは、「盗人のごとく」こっそりと忍び寄ってくるのです。しかしそれは物質文明の終焉であって、「世の終わり」ではありません。むしろ「新しい世」の始まりなのです。そのための大掃除であり、鉛玉が水に沈みピンポン玉が浮くがごとく、同じ法則で浄まった魂、過去の罪穢の清算も終えた御神縁濃き魂はスーッと救われて、霊主明建設への参画が許されるのです。待機していた聖霊が一斉に降下して、空中携挙すら行われるでしょう。しかし、曇った魂は下に沈み、永遠の死が待っています。もはや天国も地獄も消滅しています。永遠の死とは、魂の抹殺です。魂が抹殺されて元の宇宙の原質に戻されてしまうのですから、これほど恐ろしい神裁きはないでしょう。

白馬のメシア、白い御座、新エルサレムの降下、千年至福王国

  そして幾億万年にわたる神様の大御経綸は成就し、地上天国は完成し、次元上昇=アセンションした地球に魂の次元上昇をも果たした霊文明人たちが、輝ける霊主文明を築き、神政復古の至福千年の王国が完成するのです。陽光文明聖紀の幕開けです。

○カトリックの解釈

  キリストを弾圧しているローマ帝国の滅亡の予言と考える。

○新説

  この「黙示録」は20世紀後半から21聖(世)紀前半にかけての、天意の大転換による火の洗礼の大峠の様子を描写したものと思われます。すべてにおいて行き詰まった唯物・物質文明はやがて地震や洪水などの天変地異を呼び、さらに戦争が重なって、火の海の中で終焉を向かえるのです。しかしそれは物質文明の崩壊であって、人類が滅亡する訳ではありません。魂の浄まった、額に印のある選ばれし選び子は、21聖紀神文明建設の種人(たねびと)として聖霊の降下を受け、地上天国、神様を真中心とした新たな霊文明を創り上げていくのです。