| ★言語 | ![]() |
| ★著者 | |
| ★エロヒストとヤーウェスト | |
| ★神の御名について | |
| ★イスラエルの歴史 | |

『旧約聖書』は大部分がヘブライ語で書かれています。ヘブライ語とは現代でもイスラエル共和国の公用語となっていますが、ユダヤ人たちが1世紀にローマ帝国によって故国を追われ、
全世界に離散して祖国を失っていた間も、自分たちの間で温存させ続け、20世紀に入ってからイスラエル共和国が建国された時に古代から不死鳥のごとく蘇った言語です。従って、聖書時代のヘブライ語も、現代のイスラエル共和国で使われているヘブライ語も大差はないと言われています。このことは、日本で『源氏物語』の時代の日本語(いわゆる「古文」)と現代日本語が全く違うことを考えたら、奇跡であると思われます。
『旧約聖書』は一人の人間が著した一冊の書物ではなく、複数の人が手がけた複数の書物を集大成したものです。そのうち、最初の五つの書物は「出エジプト記」の主人公でもあるモーセが著したと伝えられ、「モーセ五書」と呼ばれています。この部分はキリスト教ばかりでなくユダヤ教徒も「トーラー」と呼び、その聖典の一つにしています。
モーセ五書の構成は、次の通りです。
1、創世記
2、出エジプト記
3、レビ記(礼拝規程)
4、民数記(荒野放浪記)
5、申命記(戒めと規程についての再度の指示)
しかし、上記の「モーセ五書」も、実際にはモーセという一人の人間が著したのではなく、複数の人々によって著されたものであることが分かってきています。
たとえば、次の引用をご覧下さい。
申命記6−4〜5(ユダヤ教の基本)※口語訳
イスラエルよ開け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。(日本聖書協会『口語訳 旧約聖書』 申命記6章4節〜5節)
申命記5−6〜21(十戒)※現代訳
主はこのように仰せられた。「わたしはあなたの主である神、あなたをエジプトの奴隷生活から救い出した者である。
あなたは、わたしのほかに、どのようなものも神としてはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。被造物を一切、偶像としてはならない。それを拝んではならない。礼拝の対象としてはならない。あなたの主である神のわたしは、わたし以外のものを神とすることを許さない絶対者である。だから、わたしを侮る者を、罰せずにはおかない。しかし、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、恵みを末長く与える。
あなたは、主である神のお名前を乱用してはならない。主は、お名前を乱用する者を、罰せずにはおかない。
安息日を覚えて、これを特別な日として、聖く過ごしなさい。六日間は働く日であって、この日に働きなさい。七日目は、主である神のためにつかう安息日であるから、ほかの日のように働いてはならない.あなたの家族は皆、これを守りなさい。あなたが昔エジプトの国で奴隷であった時、主があなたを驚くべき奇蹟によって救い出して下さったことを覚えなさい。だから、主である神は、そのことを覚える日として、安息日を守るように命じられた。
主である神が命じられたように、父と母を敬いなさい。そうすれば、主である神が与えて下さる地で、幸福な生活をすることができる。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人について、偽証をしてはならない。
隣人のものをむさぼってはならない。隣人の妻であろうと、家であろうと、畑であろうと、奴隷であろうと、どのようなものでも、隣人のものを欲しがってはならない。
(「出エジプト記」第20章も参照)
(〜あなたの家族は皆、これを守りなさい)。主は、天地創造の時、六日間働かれて、七日目に休まれた。それで、主は安息日を祝福して、これを聖別された。(父と母を敬いなさい〜)(尾山令仁訳『現代訳 聖書』)
このように、同じ書物内の違う個所に同じことが二度繰り返して記載されている部分が、「モーセ五書」の中にはよくあるのです。
そこで、「モーセ五書」は次の複数の人々によって記されたと考えられています。
「ヤーウェスト」 「エロヒスト」 「申命記史家」 「祭司法典」
上記のそれぞれは個人ではなく、複数のグループだったようです。
まずは次の引用をご覧下さい。
創世記1−1〜3 ※口語訳
はじめに神は天と地とを創造された、地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた(※現代訳…まだ何も無かった時、神はこの地球とそれ以外の一切のものを、無から創造された。地球とは言っても、まだ形が無く、混沌としており、真暗やみで、液状であり、神の御霊は、あたかも雌鶏がその翼を広げてひなをはぐくんでいるかのように、その上を覆っていた)
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日日である。
(中略)
神はまた言われた。「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された.すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。(中略)第六日目である。(日本聖書協会『口語訳 旧約聖書』 創世記1章1節〜3節)
創世記2−4〜
主なる神が天と地とを造られた時、地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もなかったからである。しかし地から泉がわきあがって土の全面を潤していた。主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。(中略)そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人の所へ連れてこられた。(日本聖書協会『口語訳 旧約聖書』 創世記2章4節〜8節、21節〜22節)
お気づきのように、第一章で完結した物語が第二章では時間がさかのぼって重複して記載され、しかも創造主のことを第一章では「神」、第二章では「主なる神」と表現しています。それぞれ、原語で
は「神(英:GOD)」→「○eLooHiYM(エロヒム)」(「天から来た人々」の意)(○は母音のみを発音することを示す置き字)、「主(英:LORD)」→「○aDooNaaY」アドナイ(主人の意)となります(ヘブライ文字は、右から左に読みます)。しかし、「主」の方は本当は神の御名である「ヤハエ」と記されているのですが、上記の「十戒」の中に「神の御名を口にしてはいけない(現代訳:あなたは、主である神のお名前を乱用してはならない)」ということから、「ヤハエ」と書いてあってもその御名を発音せずに「アドナイ(主)」と読み、日本語では「主」と訳されているのです。このように創造主を「神(エロヒム)」と表記するグループを「エロヒスト」、「主(アドナイ←ヤハエ)」と表記するグループを「ヤーウェスト」と呼びます。
上記の通り、神の御名は旧約聖書には「ヤハエ」と記載されています。しかし、「聖書の神様の御名は?」と尋ねると、「エホバ」と答える人々もいます。これは、どういうことなのでしょうか?
これはもともと、古代ヘブライ語では表記は子音のみで、母音を書かなかったところから発しています。「ヤハエ」という神の御名を表すヘブライ文字をアルファベットに直すと、「YHWH」という子音のみとなります。ところが後世、これでは不便なので母音表記が発明されました。
ところがここで、おかしな現象が起きました。前述のように「ヤハエ」という神の御名は十戒の掟によって発音することが許されず、聖書を朗読するときはそこを「アドナイ(主)」と置き換えて読むようになり、その際に「“YHWH”は“ヤハエ”ではなく“アドナイ(○aDoNaY)”と読むのだぞ」ということを示すために、「YHWH」に「aDooNaaY」の子音を無理やりにふったのです。つまり、「YeHooWaaH」というように表記し、人々はこれを見て「ヤハエ」ではなく「アドナイ」と読まなければならないのだと気がついたのです。ところがこれをそのままに「エホバ」と読んでしまった人々がいたのです。つまりは、「『自ら』はこの場合『みずから』ではなく『おのずから』と読むのだぞ」と「自」という漢字の右上に片仮名で小さく「オ」とふっておいたのに、無理やりに「オみずから」と読んでしまったような誤読なのです。
次に、「ヤハエ」の語源は何なのでしょう? 『旧約聖書』には神様が御自らその御名を語られる場面があります。
出エジプト記3−1〜13 ※口語訳
モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレプに来た。ときに主の使いは、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。モーセは言った。「行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃えてしまわないのかを知ろう(※現代訳・・・どうして、しばが燃えてしまわないのか、本当に驚くべきことだ。さあ、見に行ってみよう)」。主は彼が来て見定めようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼は「ここにいます」と言った。神は言われた。「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」。また言われた。「わたしはあなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコプの神である」。モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した。(中略)モーセは神に言った。「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか』。神はモーセに言われた。「わたしは、有って有るもの(※文語訳…在りて有るもの。現代訳…わたしはあらゆる存在の根源である)」。(日本聖書協会『口語訳 旧約聖書』 出エジプト記3章1節〜13節)
ここで神の御名は神御自身のお口から
・エイーエ)(英:I am that I am)」ですが
参考までに
「主」という漢字も
から縦に貫いている神のお姿です
さらに、「ヤハエ」の神様となりますとその
す(「ヤ」は山のヤ、「ホ」は炎のホ、「カ」は
余談ですが
〇創世時代(創世記)
『聖書』では、神は7日でこの世界と生物、そして人類をお創りになったとあります。人類の創造はその6日目のことであり
ところで
なお
ところで
ところで
○原罪
さて、聖書ではアダムとエバの創造物語に続いて、人類のエデンの園からの追放物語となります。ことのきっかけは神が人類に「決して食べてはいけない」と命じていた「善悪を知る木の実」を食べてしまったことによるもので、これを人類の「原罪」といいます。この原罪ゆえに本来は神の子である人と神の間には断絶が起こり、「人(霊止)」には「間」がある「人間」となり、天国であるエデンの園から追放されたのです。そして神は園を守るために「智天使ケルビムの剣」を配されたのです。原罪とはすなわち「人類共通の罪穢」ということです。
この物語は、何を意味するのでしょうか。アダムとエバがユダヤ民族の祖なら、ユダヤ人の共通の罪ということになりそうですが、ここではそれにとどまらない気がします。つまり、「善悪を知る木の実」を食べたということは、一つには「善悪の判断」というのは神のみぞ知ることで人間にはその権限が与えられてはいないはずなのに、「善悪を限定し、裁く」という越権行為を人間がするようになったということでしょう。
「聖書」ではエデンの園の中央に善悪を知る智慧の実があったと出てきます。「聖書」がはじめて日本語に訳されたのは明治21年ですが、その時チエのチには智の字が当てられました。智慧の実というのは人知、才知ではなく、そのもう一つ上ということになります。人類は、その智慧の実を食べたのです。そして生命の木とは生命の
という木であります。善悪を知る実といえば、タテの神のみ働きを忘れてしまった表現でもあり、生命の実そのものでもあったのです。生命の実というのはまた、息でもあります。息をするから生きることになります。宇宙万象も、天息・地息で生きています。
智慧の実、善悪を知る木の実と生きる法則の霊智(ミチ)を失って、言い換えると神霊の霊智(ミチ)から離れると苦しみの世しか起きません。智慧の実のチエとは何かというと、チの枝のことです。チは霊(ち)であり、ヒとも読みます。だから人間の場合、火の霊が物質化したものが赤血球になっています。
また、実は霊(み)で霊(ち)であり、結局智慧の実というのは霊体によってできあがっていることを示しており、そういう一切の本体本質を忘れてしまうと智は知になってしまい、この話はそのことを比喩しています。また、「善悪を知る樹の実」は創世記2−17、「生命の樹」は同3−22、「智慧の実」は同3−6にあり、それぞれタテ別けられています。
そしてもう一つは、これが大事なことですが、人間はここで神の言いつけに背いたのです。つまり、原罪とは神への反逆行為なのです。何億年もの歳月をかけ、全智全能を振り絞られて、すべてのご愛情をかけられて人間を生み育んでこられた神様に反逆するということは、恩を仇で返すくらいの騒ぎではありません。
日本の神話には「天の岩戸」の物語がありますが、人類は敬うべき親である神様を、天の岩戸に押し込め奉ってしまったのです。これが「人類共通の罪穢」、すなわち「天津罪(あまつつみ)」です。そして封印のしめ縄を張り、二度とでてくるなという呪詛の炒り豆を投げつけ(「炒り豆に花が咲いたら出て来い」ということで、炒り豆には永遠に花が咲きませんから二度と出てくるなの意になります)、神様の残していかれた御臓物を煮て食べ(臓煮→雑煮)、御目にヒイラギの葉を刺したのです。
こうして人類は暗黒の逆法の世を迎えました。しかし今や天の岩戸開き、正神の神様のお出ましのみ世を迎え、全人類がこぞって神のみ前にぬかずいてこの人類共通の罪穢を詫び奉らねば許されない時代になってしまったのです。「私とは関係ない。私は覚えていない」では通用しません。この世のすべての人類は神様に反逆した人類であり、またその子孫なのです。まずはその人類共通の罪穢をサトリ、「人救いの実践」によってそのお詫びの証を立てて行かねばならないのです。そのことを放っておいて詫びることもせず、人間の勝手なお願いばかりを神に向かって祈リ、願掛けなどするのは、神様からご覧になれば「どこか虫がよすぎやしませんか」ということになるのです。
○族長時代 BC2100〜(舞台はメソポタミア)
こうしてエデンの園を追放されたアダムの子孫が増えてユダヤは歴史時代に入り、民族の祖といわれるアブラハムの時代になります。そのころに、ユダヤ人ははっきりとした「選民思想」を持ったようです。
創世記12−1〜3
時に主はアブラムに言われた。「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
あなたを祝福するものをわたしは祝福し、
あなたをのろう者をわたしはのろう。
地のすべてのやからは、
あなたによって祝福される。
(日本聖書協会『口語訳 旧約聖書』 創世記12章1節〜3節)
そのアブラハムの時代に、ソドムとゴモラの滅亡の話があります。(私がこの物語を小説化した作品がありますので、よろしかったらお読み下さい。「The Gnesis chapter18〜19」)。そしてアブラハムは、神示しでメソポタミアから現在のイスラエルの地に移ります。アブラハムには二人の子があり、一人がイスマエル、もう一人が年老いてから授かったイサクで、そのイサクの子がヤコブです。ヤコブはのちに神示しによってイスラエルと改名しますが、その名が現在の「イスラエル共和国」の国名にまで受け継がれています。ちなみに、そのヤコブ=イスラエルの伯父であるイスマエルの子孫がアラブ人であり、今ではユダヤ人とアラブ人といえば犬猿の仲になっていますが、もともと同じアブラハムから出た兄弟民族なのです。その両民族が現在争っているのは、まさしく兄弟げんかですね。
イスラエルには十二人の子があり、その十二兄弟の子孫が後に述べるイスラエル十二支族となります。
○出エジプト時代 BC1550、(出エジプト記)
イスラエル十二兄弟のうちのヨセフは兄たちに虐待され、ついには奴隷として隊商に売られてしまいます。隊商はヨセフをエジプトにつれて行き、ヨセフはそこで王の夢説きをしたことから王に認められて、やがては副王にまでなリます。そのころ兄たちはカナンの地(現在のイスラエル共和国の地)が飢饉になったのでエジプトに助けに行き、そこで副王になっている弟のヨセフと再会します。はじめは兄たちは、その副王が自分たちが虐待した弟のヨセフだなどとは夢にも思いません。ヨセフの方は分かっていましたが、はじめは知らんふりをします。それからやっと弟だと名乗り、兄たちは虐待の仕返しをされるとおびえますがヨセフはそのようなことはなく、エジプトの地に兄たちを迎え入れます。しかしその後、イスラエル民族はエジプトで奴隷の境遇へ陥ってしまうのです。そんな時、偉大な指導者モーセがイスラエルの民族の中に現れ、モーセに率いられてイスラエル民族はエジプトを脱出し、追っ手はすぐに迫ってきますがその時に紅海が真っ二つに割れ、モーセ率いるイスラエルの民は海の中の道を通って脱出します。そして故国のカナンの地にたどり着くのですが、この途中にモーセは上述の「十戒」を賜り、また天からは神の下さった食べ物であるマンナが降ります。またモーセの兄のアロンが持っている杖もさまざまな奇跡を行います。
○士師時代 BC1400〜(士師記)
イスラエルの民がカナンの地に戻ってから、統一王朝を築くまでは士師と呼ばれる指導者に統治されていました。その200年ほどの期間を士師時代といいます。
○統一王国時代 BC1100〜(サムエル記・歴代記)
やがて、イスラエルの民にダビデ王が出て、強力な統一王朝が築かれました。ダビデ王が紋章として持ちいたダビデの星は、現在のイスラエル共和国の国旗となっています。この紋は「籠目(神護目)紋」とも呼ばれ、モーセもすでに使っておりましたし、日本の伊勢神宮の外宮から内宮に至る参道の灯篭にもこの紋が入っています。
○分裂王国時代 BC950〜(歴代記・列王記)
ダビデ王は上記の「出エジプト」の際のユダヤ人にとっての三種の神器(十戒石、マンナの壷、アロンの杖)をアーク(聖櫃)に納めたものを御神体とした神殿を建てることを神と契約しますが、ダビデ王の跡を継いだソロモン王の時代にイスラエル王国は最盛期を向かえ、地中海貿易などで築いた財でついに神殿も完成します。この時代のユダヤ人は、遠くインドにまでその交易の手を広げていたようです。ところが、天地創造の神を祀るはずの神殿にソロモン王は側室にそそのかされてほかの神を祀ってしまったために神の戒告に遭い、ソロモンの死後の王国は北朝(十支族)の「イスラエル王国」と南朝(二支族)の「ユダ王国」に分裂してしまいます。そして北朝イスラエル王国は早い時期にアッシリアに滅ぼされ、十支族は世界に離散していまだに行方不明となっていますが、その一部は中国や日本にまで来ているようです。十二支族のうちユダ族とベニヤミン族の二支族からなる南朝ユダ王国はしばらく栄えましたが、やがてバビロンに滅ぼされます。
○バビロン捕囚時代
滅ぼされたユダ王国に属する二支族は、長くバビロンの地で捕囚生活に入りますが、やがて帰還します。
○帰還時代 BC550〜(ネヘミヤ記・エステル記・エズラ記)
帰還したユダ族とベニヤミン族の二支族はイスラエルの地に定住しますが、その二支族が現在のユダヤ人の祖であります。そもそも「ユダヤ」という民族名は、イスラエル十二支族のうちのユダ族の名に由来します。その後、BC332からはアレキサンダー大王の支配下に入り、そしてBClOO年ごろからローマ共和国の支配下となって、その約100年後にイエス・キリストが生まれてからは、帝政となっていたローマの完全な属州となります。
その後、ローマからの独立運動に敗れたユダヤ人は故国を追われ、全世界に離散した国土を持たない民族となってしまいました。パレスチナの地はその後イスラム教徒に占領され、中世には十字軍に奪回されたこともありますが再びアラブ人(イスラム教徒)の手に落ち、さらにはオスマン・トルコの支配下に入ります。
近代になってからは全世界に散らばっていたユダヤ人が先祖の故国に移住を始め、第一次大戦後イギリスはまずアラブ人と結託してトルコをパレスチナから追い出し、一転してその地にユダヤ人国家の建国を支援します。こうしてパレスチナはイギリスの委託統治の地となりますが、第二次大戦後イギリスが手を引いてこの地は国連に委ねられ、その直後にユダヤ人がこの地を追われたあとにずっと住んでいたアラブ人(パレスチナ人)と、全世界から再び故国に集まってきたユダヤ人とのいさかいが起こって中東戦争が勃発し、ユダヤ人たちはイスラエル共和国建国を宣言します。それを最初に支持したのはアメリカでした。このイスラエルとパレスチナ・アラブ人とのいざこざは現在に至っています。
![]() | ![]() | ![]() |