日記帳

あぁ、どうなるのかな?
 明日は娘の七五三。着物を来てのお出かけで楽しいことがたくさんあります。自分の父親がとっても美味しいケーキも買って着てくれたし。
 でも、とっても憂鬱。
@イラクのことで、どんどん平和が遠ざかっている予感
(マスコミによる情報操作がある!イラクのことでアメリカがヒロインに仕立て上げた女性兵士のことのよ うに)
A平和のことが後回しになっている政治(確信犯)
B小久保のこと⇒ダイエー、どうなるの?
 (あんなに観客がいて、ファンがたくさんいるのに、お金がないの?自分の親会社の借金の付けを回 すのはやめてくれ)
C巨人の買いあさり。(これじゃあ、プロ野球をこわしているとしか考えられない。)
D生活感がなくなっている学校
E「きつい」子どもがどんどん語られなくなっていくこと
Fお偉い方の今度の教育への考え方(FA制度、エリートだけを育て、その他は従順な人を作っておけばいいといった考え方)
などなど・・・。今、自分の周りが充実しているだけに、それが壊されていくような世の中にはなって欲しくないです。
(11月15日)

COCCOと「終戦」記念日
2003年8月15日に沖縄で2年前に姿を消した(絵本は出版したけど)COCCOが10分間のコンサートを開きました。

Cocco発案「終戦記念日にゴミを拾う(できることからこつこつと!)という現実的な美ら島計画」なんだそうです。

>「もしもこの歌が届いたら海のゴミをひとつ拾ってほしい」というテーマとその活動に反>応し共鳴してくれるような次回出演者への呼びかけ。TVで放送する事によって活動内>容や主旨を広く深く理解して頂く。強制的にゴミを拾わせるのではなく、ラブレンジャー>が歌を一生懸命歌い演奏することに平たく言うと感動して頂けるのなら、そのあかつき>には自主的にゴミを拾ってもらいたい!
ということがhttp://2style.jp/aoran/loveokinawa_m.htmのところにのっていました。
何でこれを知ったかというと、筑紫哲也のニュース23の終戦記念日特集で「平和に向けて大切なのは、まず一人ひとりが何か行動すること」の一例として紹介されていました。
沖縄にとって終戦記念日は8月15日じゃないけど(正確には9月3日)、こうやって「平和に向けて、まず自分ができることからやっていこう」というのが大切だと思いました。反対ばかり言う、または、平和を願うだけでは何も動かないのかもしれません。自分で出来ることってなんだろう。

 COCCOが元気で少し安心・・・・・。
(8月16日)

「無法松の一生」をみて(8・6特集パート2)
 今日はたまたま休みで、BS2で坂東 妻三郎主演、伊丹 万作脚本、稲垣 浩監督の「無法松の一生」を見た。(1943年作品)自分は昔、大阪府体育館でこの映画を見たことがある。その時は、被差別の立場にあった「無法松」の生き様や、社会情勢の中で日本軍やGHQに内容をカットされ、作者の意図とは違うものになってしまっていることを映画評論家の方(名前を忘れた・・)が説明されていた。映画としてはすごくよく出来ていて、いろんな効果を使い、心理描写も見事でさすが日本の名画という感じである。また、坂東妻三郎が見事でまるで本物の松五郎を見ているような気がする。また、無法松が軍人の子どもをずっと影ながら援助して行くのだが、その軍人の未亡人役をしている園井恵子の凛として優雅な姿にも引き込まれる。
 この元宝塚出身の女優さんは他の映画には出ていない。この映画は多くの人をうならせ、大映の専属契約の話もあったそうだが、新劇の苦楽座で演劇を修行したいということで断ったそうである。その後、苦楽座の移動劇団の「桜隊」(「さくら隊散る」って映画があったような気がする)の一員として中国地方を巡演し、たまたま広島にいた1945年の8月6日に原爆の放射能を浴び、その後、8月21日に神戸で苦しんだ末に亡くなったそうである。
                 (人間臨終図巻上巻・山田風太郎、31歳で亡くなった人々より)
 今日、この日にNHKがこの映画を放映したのはそんな意味もこめられているんだろうなと思う。この非常に美しい女優さんの命をたった一発の爆弾がうばったのである。そんなことを考えながら、この映画に感動していた。
(8月6日)

8・6を引き継いでいるのだろうか?
 数日前に、留年が決まり、むしゃくしゃした大学生が広島の平和公園にささげてある多くの千羽鶴に放火し、つかまった。たぶん、この大学生は軽い気持ちで火をつけたのだと思う。でも、すごく大問題だと思う。ただのバカな若者がやったバカな出来事では済ませられない。当然のように広島市は怒りを表明し、大学生の大学も折鶴を作り送った。
 でも、このことは氷山の一角に過ぎない。この事件を起こしたような意識の人間は増えている。いっぱいいる。もうずっと昔のことだと8・6が忘れられようとしている。広島、長崎、沖縄の人たちは忘れていなくても、日本のほかのところではただのニュースだ。だから、今の若者の多くは8・6を知らないんじゃないか?その日が原爆が落とされた日とは知っていても、その時の人たちの思いとかは知らないんじゃないか?
 今、日本中のどれぐらいの学校が8・6のことで平和教育をしているのだろうか?もう平和教育なんてしてないところがあるんじゃないか?
 うちの地区の学校も、なんかしらの理由をつけて8月6日の出校日をなくした。だから、7月に8・6の平和授業をしている。でも、そうだとどんどん意識が薄れてきている。自分も時代に流されて、そのことを受け入れてしまっている。だけど、亡くなった人、いまだに傷がいえない人などの思いを考えたら。やっぱりしっかりと引き継がないといけないんじゃないかと思う。また、こんな事件のことを聞くと、非常に危険だなと感じる。自分の娘たち、自分の教え子達が焦土の中に再び立つなんてことがあったら、自分たちの世代の責任である。
 「日本を愛する心を育てなさい」というなら、このことは忘れることは出来ない。自分はこの国が大好きで、8・6のようなことが起こらないようにしたいから、もう一度しっかりと考え直してみたい。
(8月5日)

お祭り
うちの町内の山笠に娘たちが出ました。自分は開始を知らせる花火がなる時に、その場所に人がはいらないようにするための番をしていました。しかも娘たちはうちの町内ではなく、うちんとの実家のある町の山笠に参加していました。昔からのお祭りですが、自分は引っ越してきたばかりなので初めて間近に見ました。


子どもは町のあちこちにある賄い所でお菓子をもらいます


水をいっぱいかけてもらうので、ずぶぬれです。

(7月24日)


海猫軒に行ってきました
家の近所の志摩町の芥屋(けや)にある「海猫軒」に行ってきました。志摩町の芥屋は玄界灘に突き出た魚がめちゃくちゃ美味しいところです。そこの地元で取れた魚と地元で取れたこだわりの野菜を使った欧風料理店です。午後6時半から9時半までたっぷりの時間をかけての料理でした。サザエや貝を使ったサラダ、クリかぼちゃのスープ、何とかという魚のうにソースなどなどゆったりとした時間にとってもうまい料理!!天国に登りそうでした。
 ここはお勧めです。とっても幸せ。


アボガドにいろんな貝の生をとってもうまいドレッシングで和えてありました。

(7月22日)

庭のハーブを使って料理
今の季節は庭に花はないもの、すごく充実しています。バジル(スィートバジル、レモンバジル、ダークオパールバジル、パープルラッフルズバジル)、タイム、ローズマリー、セージ(コモンセージ、パープルセージ、パイナップルセージ)、チャイブなどと料理に使えるハーブが元気なのです。
 今日の昼はカッペリーニという細い麺にミニトマトを焼き、ベーコン、タイム、レモンバジルを絡めてのパスタを作りました。
 夕食はうちんとが作っていたミネステローネにタイム、セージ、バジル、ローズマリーを入れたものに、マグロの刺身にオリーブオイルと塩コショウ、チャイブ(ハーブのねぎみたいなもの)と乾燥バジルを使ってのカルパッチオです。これもまたうまかったです。でも、一番うまかったのは豚肉、パブリカ、ナスの中華風いためでした。こんなふうに楽しみながら、失敗しながら作っています。
 今、家の庭は他にも、ハーブティー用にカモミール、レモンバーム、ラベンダー、レモングラスと今、とっても充実した庭になっています。箱庭だけど・・。アメリカ人の先生がうちの学校にきたときに「家の庭はBOX GARDENです」といっても通じませんでした。


ミネステローネです。上にイタリアンパセリなんか飾ってみました。


マグロのカルパッチオです。
マグロはわさび醤油で食べるよりもこんな風に手を加えたほうがうまいような気がします

(7月19日)

お宮参り
家の娘が生まれて一ヶ月たったので、福岡市の愛宕神社に「お宮参り」に行ってきました。天気がすごく不安定で今にも雨がふりそうでしたが、何とかふらないですみました。終ったあとにざあっと雨が降ってました。お宮参りの初穂料が10000円もしたので、ちょっとびっくりでした。これって相場があるのかな?
 帰りは愛宕神社の下にある「岩井屋」で梅が枝餅とコーヒーのセットを食べてきました。


ちょっと笑ったように見えます。

福岡タワーや福岡ドームをバックに記念写真です。

帰りは愛宕山の上の「岩井屋」で梅が枝餅とコーヒーのセットを食べました。

(7月13日)

いかだ
うちの学校の4年生がうちの校区の海で「いかだ」をしてきました。保護者も総出です。安全面には十分気をつけないといけませんが、子どもたちは海で船をこぐというとても楽しい経験ができたと思います。みんなで声を合わせるとか、こぐ方向とかなかなかわからないものです。そのあと、自分も教師艇にのって漕ぎましたが、疲れて酸欠を起こしてしまいました。
(7月12日)

子どもが生まれて思ったこと
(メジナさんところに書き込んだのをちょっと書き加えて載せています。)
 自分の同僚の先生と話していて・・
ある学習会で「五体満足で生まれてくれたらいい」というのは「障害」者差別じゃないかという意見と、どんな親でもそんなことは考えることだから、その考えを全否定するのは違うじゃないかという意見に分かれたということを聞きました。
 
 これってどうだろうと?自分も今度の子が生まれるときもそういう気持ちがありましたが、同時にそれってやっぱりおかしいことなのかなということも考え、そんな自分を責めたりもしました。その時に、同僚の先生と自分との結論は「五体満足に産まれて欲しい」という思いはとってもいい(障害をもった子の親でも同じような気持ちを持っていたはず)けど、「その時にいろんな立場の人のことを考え切れる感性って大事だね」という話と、「子どものすべてを受け止めることができるようになりたいね」という話になりました。(うまく書けないな・・・)
 
 自分も今回の出産に到るまではずいぶんといろいろあったので、思うことはたくさんあります。「産まれた」という事実で感動、それから一緒に過ごすうちに子どもからもらう感動。自分は上の二人の子の時も生まれたという事実はあったけどあまりピンと来てなくて、一緒に過ごすうちに実感と変わってきたので今回もそう感じていくでしょうね。一般的な可愛さではなく、自分の大切なものとしての可愛さに変わっていくという感じかな?

 「教師は赴任しただけでは教師にならない。子どもたちとすごくしていくうちにどんどん教師になっていく。同じように親も子どもを産むだけでは親にはなれない。子どもやいろんなものから学びながら親になっていく」という風に3人の子どもに育てられて親になっていくんだなと思います。一人ひとり違うし。
(6月12日)

やっと産まれました
やっと産まれました。今回の出産はつわりも長く、そして、なんちゃって陣痛を数回繰り返し、やっとこさで産まれました。産まれるとなると猛スピードで分娩台にのったらほとんどいきまないで産まれました。6月7日午後11時21分第3子の誕生です。


3170グラムです。

(6月8日)

解雇ルール
新聞を見ていたら、今度「労働基準法」が

「使用者は労働者を解雇できる。ただし、客観的に合法的な理由を欠く場合。権利の乱用として無効」


に代わるという法案が提出された。
 いかに働く人のからじゃなく、経営者からだけしか政治家がものを見ていないのかよく分かる。また、自分もテレビを見ているといろんな物事に「評論家的な」見方をしてしまうので、いろんな理由をあげられると納得させられてしまう。「有事」3法案もいろんな理由をあげられて納得させられているけど、結局は戦争強力法でしょ?
(5月24日)

どこを変えようか・・・
うちのページももうそろそろ3年が経つけど、いろんなところにマンネリがきている気がする。
考えてみると、時が過ぎてしまったものや、不必要なものがたくさんある。でも、どれも思いがこもったものだから、なかなか捨てきれないのが現状。
 「わたしたちの家作り」はとっても思いがこもっているんだけど、写真を一杯貼り付けているからずいぶんと重くしているから、他のところにあまり写真が入れられないし・・・、音楽のことでも一つのテーマにしてしまうほど集中しては聞いてないし・・・。教育のことでも、系統だって書いているわけじゃないからテーマが見えてこないし・・・。食べ物だってそんなに食べ歩いているわけじゃないし・・。なんて考えていくと、うちのテーマそのものが一体なんだろうなんて考えてしまう。そうやってずいぶんと考えてはいるんだけどね。何も変えられない。でも、いつか思い切って変えようとは思って・・。
 まだ、煮えきれない自分です。
(5月18日)

沖縄へ・・・、平和の思いを込めて
 テレビでTHE BOOMの「島唄」の特集があった。この唄に反戦の思い、自分たちの音楽的アイデンティティーを確立したいなどが込められていることをはじめて知った。「ひめゆり祈念館」で宮沢和史が感じた思いを聞きながら自分(たち)も沖縄でいろんな反戦への思いを受け止めて帰ってきたことを思い出した。自分も沖縄から受けた思いを返さないといけないではないだろうか?そう思い、沖縄への思いをまとめてみることにした。
 
 自分は3回、うちんとは2回沖縄に行ったことがある。一度も観光で行ったことがない。観光が盛んな沖縄の産業にはもうし分けないが、どれもが戦跡周りである。
 
 自分の3回は@沖縄平和行進A沖縄平和の旅B沖縄反戦の劇の取材旅行である。うちんとは、2回とも沖縄反戦の劇の取材で行っている。
 
 沖縄平和行進は、嘉手納町〜普天間飛行場〜那覇までを3日間かけて、歩きとおすものである。5月15日の沖縄が日本に戻ってきた日に那覇にたどり着くまで、ただただ歩くのである。自分が行った沖縄平和行進は1992年の5月のことだった。歩きながら米軍基地に向けてシュプレヒコールを挙げたり、集会を行なったりする。日本各地の労働組合やいろんな団体の人たちが何千人と集まっての行進は壮観である。その道々でいろんな学校や支援している人から猛烈な歓迎を受ける。「がんばってください!!」と、お茶とガジャ豆を出してもらったり、国際通りでは道を通っているおばあさんが突然歓迎のおどりをしてくれたり、とにかく歩くだけなのにすごい感動をすると同時に、沖縄の基地を巡る現状やさまざまな思いを受け止めて帰ってきた。
 
 うちんとはその次の年(1993年)に自分たちの青年部で沖縄の劇をするために数人の仲間と出かけた。知花昌一さんなどに案内してもらい、集団自決で多くの方がなくなった「チビチリガマ」と何人かの人の知恵と勇気で全員が助かった「シムクガマ」(象のおり)へいったり、「平和の礎(いしじ)」に行ったり、「ひめゆり祈念館」「嘉数高台」などに行ったりした。そのことを元に自分たちで脚本を作り、話し合い、練習し、8月6日にうちらの地区のホールを借りてそのことをテーマにした劇を作り上げた。
 
 沖縄平和のたびは1994年に自分が出かけた。自分も「チビチリガマ」「シムクガマ」「ひめゆり祈念館」「糸数壕」などといった戦跡を回った。「ひめゆり祈念館」では、そこでなくなった一人ひとりの「ひめゆり」女学生の写真を見る中で衝撃を受けた。自分と同じように育ってきて、今からいろんな楽しい未来があったはずの女学生達のプロフィールを見る中で身震いがしてきた。
 
 最後は、1995年に自分たちの劇をもう一度作るための取材に出かけた。「嘉手納基地」「普天間飛行場」「沖縄平和資料館」などを見て、もう一度沖縄を題材にした劇を作った。(この回は朝鮮から沖縄に連れてこられた人のことや三線をテーマにした劇)
 
 そうやって、自分たちは、4回にわたっていろんな反戦・平和への思いを沖縄からもらってきたのだが、いま自分を振り返ると何をやっているんだろう?子どもたちが大きくなったら、また沖縄へ行って子どもたちに反戦・平和への思いを伝えようとは思っている。でも、そうやって自分の子どもたちに伝えるだけでいいのだろうかと思う。もう沖縄が日本に戻ってきて30年近くたつのに何が変わったというのだろう?もう一度自分自身を振り返らないといけないなと思う。これからの平和のために自分は何が出来るんだろう?
(書きたいことがいっぱいあってまとめきれない・・・)
(5月12日)

朝日新聞の5月10日の朝刊より
 今日の朝日新聞の土曜版のBEに中国人の起業家ソフトブレーン会長の宗 文州さんの記事が載っていました。
 「日本の企業は、やる気があるかどうか、という人間の管理ばかりで、仕事をどう改善するかという本来の管理がない。」
 という言葉に心をひかれました。
これは企業だけでなく、教育に関する人たち、日本全体の社会に通用している言葉ではないかとおもいます。教育を取り巻く状況も教職員のやる気を問うばかりで、何を改善していくのかという論議があまり出なかったりする場合があります。根性だけでは何も解決しないですよね。何をやっていくかを明確にしていく上で、その目標に向けてどれぐらい取り組めるかというところで根性を発揮しないといけないのにね。といいながら、そういう世界にどっぷりと浸かっている自分。こうやって他の国の人や他の価値観に触れていかないといろんな感性は磨かれないのかもしれませんね。
http://www.be.asahi.com/20030510/W11/0020.html
(5月10日)

お誕生日
今日は下の娘の誕生日なので、近くのケーキ屋さんにお誕生ケーキを頼み、ブロッコリーとスモークサーモンのディル入りクリームパスタを作ってもらって食べました。もうあの日から4年か・・。


ミニモニのミカちゃんです


ディルとサーモンの相性はばっちりです。

(5月7日)