電鉄の今昔   新潟交通電鉄66年の歴史

⑤ 電鉄の合理化
◆電鉄の合理化開始

 昭和40年頃から、自家用自動車が急激に増え、電車の利用者数が次第に下降線をたどるようになった。また、白山浦で、騒音や振動による廃止の運動も起きた。
 新潟交通ではこの頃から経営の合理化に取組み始め、昭和45年12月25日、白根駅に自動券売機1台を設置。翌46年と48年、県庁前駅に2台の自動券売機を設置した。
 苦しい経営を続けるなかで、どうしても合理化をしなければならない電鉄本社側と、生活のために職場を守らなければならない組合員の厳しく切ない闘いが始まった。
 電鉄本社では、大合理化を目前にできるだけ組合員の理解と協力を得るべく、昭和55年1月10日から12日までの3日間、会社側一名、組合側後藤成男さん外四名で、地方鉄道の先進地島根県出雲市の一畑電鉄の視察研修を行った。同電鉄は、あの出雲大社のお膝元ということで、繁昌を極めていた。視察研修に参加した人たちは、数年前に合理化を終えたばかりの同電鉄のワンマン列車や、駅員、駅舎等のすごい合理化ぶりに驚いて帰ってきた。
雪の日の電車
昭和55年、自動ドアに改造するための運行図 ◆新潟鉄工所で自動ドアに改造

 55年4月、電車をワンマンカーにする前段階の、自動ドアにする計画が立てられ、新潟鉄工所へ電車を運んで改造することになった。しかし、新潟鉄工所と関屋の電車工場は、距離にして僅か数キロしかないのに、電車の輸送が大変であった。燕駅まで自走で、そこからは国鉄線を機関車で牽引して新潟鉄工所まで送られた。営業をしながらこの改造が行われたため、電鉄の全車両を改造するのに一年余の歳月が費やされた。
 また、同年12月18日電車に無線機の取付け工事が始まった。
◆経営不振の中、黒埼中学前駅が開業

 昭和57年1月1日黒埼中学前駅が営業を開始した。同年2月15日の広報「くろさき」202号に「1月1日」から黒埼中学前駅が営業を開始し、中学生を中心に利用者も多くなり、また12月の定例議会で西善久駅設置の請願が採択された。その一方で利用者の減少や騒音の問題が現実化した。
 しかし、朝の各駅のようすを見ればわかるように、本町の交通機関の一つとして電車は、なくてはならないものです」とあり、そして、この記事の中に、電鉄発起人の一人で元県会議長の岡田幸平さんは「現在、経営状態は依然として悪化の状態であるが、黒埼中学前駅や東青山の停留所増設によって利用者が増え、再び廃止の声が起きないように祈りたい」と述べてあった。
最後の電車
◆駅名と廃止日・区間
. 駅 名 みどころ 区 間 廃止日
1 白山前駅 白山公園・県政記念館  2.6km H 4.3.20廃止
2 東関屋駅 集中列車制御装置を設備
3 東青山駅 青山水道公園  21.6km H 11.4.4全線廃止
4 平島駅 親鸞聖人波切の御名号旧跡
5 寺地駅 新潟脳外科病院
6 ときめき駅 ときめき団地
7 焼鮒駅 親鸞聖人の焼鮒旧跡、新潟ふる里村
8 越後大野駅 三、八の六斎市
9 黒埼中学前 黒埼町図書館
10 新大野駅 鷲ノ木遊園
11 木場駅 木場城公園、満行寺の仏足石
12 板井駅 釈迦堂(しゃかんどう)遺跡
13 七穂駅(旧 山王駅) .
15 吉江駅 やわはだねぎの産地
16 味方中学前 .
17 味方駅 国重要文化財笹川邸、樋口美術館
18 白根駅 大凧合戦、凧資料館、白根仏壇
19 千日駅 .
20 曲 駅 梨産地、樹齢200年国の天然記念物
21 月潟駅 角兵衛獅子地蔵尊
22 六分駅 左甚五郎作円明寺、はさ木並木  11.9km H 5.8.1 廃止
23 新飯田駅 良寛碑、円通庵の有願碑(良寛の親友)
24 小中川駅 .
25 灰方駅 .
26 燕 駅 洋食器生産地、安了寺の天然記念物大白藤

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