◆ワンマン列車の運行が始まる
昭和57年4月1日、ワンマン列車の運行が始まった。
同年7月1日貨物の取扱いが廃止された。
58年4月1日自動列車制御装置(A.T.S)使用開始。
59年3月31日列車集中制御装置(C.T.C)使用開始。
前記の列車集中制御装置は、電鉄全線の電車を東関屋駅において集中管理し、走行中の電車 の位置の確認など、すべての安全体制がこの機械によってなされるというものであった。
そして、何時の頃からか、東関屋駅など以外の焼鮒駅や、越後大野駅、木場駅から、かって各駅に駅長以下十人前後もいた駅員が一人も居なくなり、1、2人のパートの人たちが駅務をこなしているようになっていた。この「自動列車制御装置」「列車集中制御装置」等の機械導入によって、はじめてこの駅長以下駅員全員をなくすという大合理化がなされた。
昭和60年6月1日、新潟県庁の移転により県庁前駅を「白山前駅」と改称した。
◆白山前駅~東関屋駅間廃止
平成4年3月20日、白山前駅~東関屋駅間2.6キロが利用客の減少と、自動車走行の妨げになると言う事で廃止された。この狭窄な道路を大型の電車が走ると言う事でもあるが、その元も大きな要因が、国道のど真ん中に建てられていた白山前駅舎であることが皮肉なものである。また同区間では沿線住民からの騒音問題が取りざたされていた事もあり、軌道線の廃止はもろ手を上げて歓迎された。これによって東関屋から旧県庁前まで、白山浦の商店街を走っていた路面電車の姿が見られなくなった。
再び始発駅となった東関屋駅はバスターミナルを併設したターミナルステーションとして生まれ変わり、JR新潟駅までの連絡バスを日中の全列車に接続するように改められた。
開通当時は、新潟の人たち、特に白山浦商店街の人たちから電車の白山浦大通への乗り入れは、街や市の発展につながるものと、大きな期待と喜びのうちに迎えられたものであっただけに時代の流れの無常さがある。
この白山前~東関屋間電車線廃止と共に新潟交通では、平成4年4月1日から、東関屋駅レールアンドバスシステムによる輸送を開始した。これは燕からの沿線の電車の乗客を、東関屋駅でバスに乗り換えさせ市内へ輸送するシステムであった。
◆月潟駅~燕駅間が廃止
しかしそれでも乗客の落ち込みは留まる事を知らず、翌平成5年8月1日、乗客密度の極端に低い月潟~燕間11.9キロが廃止、どの鉄道とも接続しない、孤立した鉄道となってしまった。
これによって、電鉄営業路線は東関屋駅~月潟駅間21.6キロのみとなった。
◆平成9年4月、新潟日報に電鉄「企業として限界」と記事
これまで、あらゆる合理化の手をつくして経営の継続に、「企業として限界 東関屋~月潟間本年度末廃止へ利用者減り累積赤字45億」という記事が載った。
新潟市内へのルートとして余りにも不便の多い新潟交通は、利用客減少に歯止めを掛ける事が出来ず、また長引く不況により、好調だったバス部門にも陰りが見え始め、鉄道部門の赤字が経営を圧迫していた。
その上、鉄道施設の老朽化も著しく、加えて車両の検査期限が順次逼迫していた事から鉄道線の存続方針を断念、廃止の方針となった。
沿線自治体や、利用者たちが、何時かこの日が来るであろうと、恐れ予期していた電車廃止の発表だった。
新潟市、白根市、黒埼町、味方村、月潟村、中之口村、潟東村の電鉄沿線自治体では、急拠「電車廃止撤回」を求める期成同盟を組織して、新潟交通に電鉄の存続を請願した。
◆平成11年4月、電鉄の全線廃止
電鉄存続の請願は何回となく続けられたが、沿線住民・自治体の願いも空しく、遂に平成11年4月4日電鉄は廃止された。昭和8年の開通以来、66年間にわたって文字通り私たち沿線住民の足として、大きな役割を果たしてくれた電車の姿を再び見ることができなくなった。
◆短歌で偲ぶ電車への想い
黒埼町大野在住の泉井ヨ子さんに、電車の想いを短歌に詠んでいただいた。電車の走り始めた頃から廃止まで、その時代、時代の窓外の風景等が改めて偲ばれる。
泉井ヨ子
一、新潟ヘバス通学せし四年目に 待ち望みいし電車走りぬ
一、雪消えて心軽やかな四月には 山田の畑は花咲き始めし
一、吹雪溜り山田の原に出来たれぱ 電車通らず歩きて帰りし
(東関屋より木場まで)
一、平島を越ゆれば水田広がりて 冬は満満水湛えおり
一、東関屋より市内電車に乗り換えて ところどころに下車させし頃あり
一、安全で時刻守りて運行せし 電車の廃止痛手大きく
車種 | 型式 | 記号番号 | 最大寸法(m) | 定員 (人) |
鋼木製別 | 自重 (t) |
電動機 (kw) |
製造所 | 車輛数 | 計 | ||
長 | 高 | 幅 | ||||||||||
電動客車 | モハ10 | 11、14 | 17.0 | 4.1 | 2.7 | 120 | 半鋼 | 31.5 | 75×4 | 日本車輛 | 2 | 9 |
〃 | 12 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 56×4 | 〃 | 1 | ||
モハ16 | 16 | 16.7 | 4.1 | 2.7 | 118 | 〃 | 34.0 | 75×4 | 汽船製造 | 1 | ||
モハ19 | 18 | 17.0 | 4.1 | 2.7 | 120 | 〃 | 31.5 | 〃 | 日本車輛 | 1 | ||
モハ19 | 19 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 1 | ||
モハ20 | 21 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 1 | ||
モハ24 | 24、25 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 56×4 | 〃 | 2 | ||
制御客車 | クハ36 | 36 | 16.0 | 3.9 | 2.7 | 114 | 半鋼 | 25.0 | . | 日本鉄道自動車 | 1 | 9 |
クハ37 | 37 | 16.3 | 3.8 | 2.7 | 116 | 〃 | 24.0 | . | 新潟鉄工所 | 1 | ||
クハ39 | 39 | 16.9 | 3.9 | 2.7 | 118 | 〃 | 24.8 | . | 日本車輛 | 1 | ||
クハ45 | 45、46 | 16.8 | 3.9 | 2.7 | 126 | 〃 | 24.7 | . | 日本鉄道自動車 | 2 | ||
〃 | 47、48 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | . | 日本車輛 | 2 | ||
〃 | 49 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | . | 〃 | 1 | ||
〃 | 50 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | . | 〃 | 1 | ||
電動貨車 | モワ51 | 51 | 11.1 | 4.0 | 2.4 | . | 半鋼 | 26.5 | 75×4. | 日本車輛 | 1 | 1 |
◆月潟駅に電車を三両保存
月潟村では、電鉄線廃止の時、新潟交通から、三両の車輛(ラッセル車、動力車、客車)を譲り受け、旧月潟駅の構内に保存した。大勢の電車愛好家が、電車の見学や清掃等に訪れた。
旧駅舎内に雑記帳が備えられてあり、それぞれの電車への想いが綴られています。次にその一文を紹介する。
◆「無くなった電車」一少女の想い
月潟駅は4月4日以来二度目の訪問です。白根駅付近は、レールが外されてしまっているが、時々今でも電車がやって来るような気がします。ここ月潟駅周辺風景に変化がなく安心した。
電車を見ていると、まるで30年前にタイムスリップしたようです。十六歳の私にとって、何十年も昔のこの三輛の電車が活躍していたことを想像した時、それは皆白黒のイメージになってしまいます。でも一番先頭にある、何度も何度も黒いペンキを塗られたであろうと思われる電車を見ていると、ほんとにおつかれさまでしたといいたくなるのです。
たくさんの笑顔を運んだのだろうと思います。そして、これからもたくさんの人たちに笑顔と勇気を与えて欲しいと思います。
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