§<本の運命>番外編

    古本屋の読書日記から

    ―ネット古書店クロニクル(2013〜2023)

 

 (前口上)本の背表紙を読むのが古本屋で、中身まで読んでいたら仕事にならない。それでも本が好きだから古本など扱っているわけで、やはり人並に本は読む。本が売れない時は、それだけ読書量も増える。ほぼ在庫も整理し尽くし、開店休業状態になったいま、日記やノート、パソコンのメモ帳などに走り書きした読書日記から、年代順に主なものを抜粋してまとめてみた。参加した古本市の記録等と共に、この十年という時代を振りかえってみたい。

 (なお ⇒印は、伊那谷スケッチに詳細あり)

 (印は、書き足してアマゾンのレビューにtamao名で投稿)。

◎2013年以前

*新着情報・歳時記より

 古本屋には、売れなくてもいいからショーケースに入れて飾っておきたい稀少本というべきものがあって、それがいわばその店のカオとなる。当店のような無店舗のインターネット古書店の場合、ショーケースにあたるものはないから、そんな目玉本をそっと目録の中に忍び込ませておく。先日、そのうちの1冊が突然売れた。春日井建の第4歌集「青葦」である。もう何年も売れずにいた本だし、どういう風の吹き回しかと思っていたら、後日新聞で著者の訃報に接した。咽頭癌。享年65歳。19歳の時、歌集「未青年」で世に出た歌人としては長生きしたというべきだろうか。「未青年」中にある次の1首が、ふと口をついて出た。

 〈火祭りの輪を抜けきたる青年は霊を吐きしか死顔をもてり〉(2004・6)

 せっかくの休日も雨続きで参っています。こういう日は何冊か本を抱えて、昼間からベッドへ。最近は、先日ブックオフの100円本コーナーで見つけたばかりの西東三鬼著「神戸・続神戸・俳愚伝」(出帆社)を久々に読み返しました。戦時下の神戸に実在した雑多な人種が集まる不思議な国際ホテル。そこを舞台にした滑稽で哀切なエピソードの数々は、いま読んでも(いや、いまだからこそ)妙にリアルで、時代を感じさせません。絶版本なので、どうしようか迷っていたところ、講談社文芸文庫から復刊が出ているんですね。未読の方には、一読をおすすめしたい一冊です。(2004・9)

 朝、NHKFMでピーター・バラカンの「ウィークエンド・サンシャイン」を聴いていたらデュエン・オールマンの特集をやっていて、昔懐かしいボズ・スキャッグスの「Loan me a dime」('69)が流れてきた。ウーン、渋いねやっぱり。古くなっても、いいものはいい。初めてこの曲を聴いたのは高校生の頃、当時不登校で家にいたロック好きの友人の部屋でだったが、以来三十年余りたった今でも、13分近い曲のギターのフレーズのひとつひとつまで鮮明に覚えている。その友人とはもう音信不通になってしまったが、レコードの方はまだ奇蹟的に手許に残っていて、久々に棚の奥からデュエン・オールマンのアンソロジー・アルバムを引っ張り出してきて、思わずジャケットに眺め入ってしまった。(2004・10)

 酷暑の後は、どこか異様な長雨が続いている。阪神淡路大震災の起きた年がちょうどこんな天気だったのではないか。こうして雨に降りこめられた日は、できるだけ現実を忘れて長編をひもとくことにしている。古本屋がこんなことを言ってはいけないのだが、本なんていつまでゆっくり読んでいられるかわからないからだ。
 今年に入ってから、そんな気持で山際素男訳「マハーバーラタ」(三一書房)、ヘルマン・ブロッホ「夢遊の人々」(ちくま文庫)、ポール・ボウルズ「蜘蛛の家」(白水社)などを読んできて、いまはがらっと趣を変えて中里介山「大菩薩峠」を再読中。前回は図書館で借りて読んでいたせいもあり、次の巻がなかなか手に入らなかったりして結局途中で投げ出してしまったが、今回は富士見時代小説文庫版全二十巻を手元に置いてあるので、気が楽だ。いま第7巻「無明の巻」まできたが、さて平和裡に何事も無く全巻読破することができますかどうか。(2005・10)

 夜勤の合間をぬって読みつづけ、「大菩薩峠」(全20巻)をついに読了。
どこまで読んでも終わらない物語というのがあるとすれば、この小説がそれだ。これはもし中里介山が戦後まで生きていたとしても結局未刊に終わった「果てしない物語」なんじゃないか。小説の構成としては、どうにも裾野が広がりすぎて破綻している。机龍之介が琵琶湖上で心中を迫るお雪ちゃんを絞め殺したあの圧巻シーン(第18巻・農奴の巻)あたりで物語としては終わっていると思った。
 それにしても最終巻「椰子林の巻」には、幕末の日本を船で離れ太平洋の無人島にたどりついた駒井甚三郎一行が、ヨーロッパ文明を捨て無人島暮らしをしているフランス人?の世捨て人から逆に東洋哲学を聞かされるくだりまで出てくるのは驚き。後にも先にも、こんな小説ちょっと出ないだろうな。(2005・12)

 * * *

 所用で久々に上京。中央線西荻〜吉祥寺間で、前の座席に座っていた中年の女性が突然立ち上がり、胸に手を組んで、後ろの窓から外を眺めながら、何か祈り始めた。目はずっと何かを探している。それが済むとまた腰を下ろし、吉祥寺で降りていった。(西荻〜吉祥寺間は、東京にしては比較的長い)。

 渡辺京二の大著「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)読了。これは涙なしには読めない書物だ。鎖国300年、幕末から明治初めの日本にやってきた西洋人の目に映った近代以前の日本人の姿。それはほとんど、我々がかつてインドやネパールを初めて旅したおりに触れたアジアの民の姿に重なるものがある。江戸の日本とは、ある完成の域に達した文明の姿だったのだ。もはや滅んでしまったそれを初めて知る驚き。旅をすることによって初めて知った驚きが、実は歴史をたどれば自分たちの祖先にも体現されていたのだということをはじめて知る悲しさ。長く記憶に残る書物だこれは。(2005・12)(*)

 小田実の死を悼んで、その遺作と言っていい長編「終らない旅」読む。途中から退屈で読み終えるのに苦労した。ここに述べられている戦争と平和をめぐる思想はまったく正しい。しかしこれは、よくできたプロパガンダ小説にすぎない。これが彼のたどりついた「文学」なのか。読んでいて何度も新聞記者の文体を思い出した。似ているのだ。こういう文体で百万言を費やしても、何か一番肝心なものが空白のまま残る。その空白を語ろうとするのが文学ではないか。(2007・8)
  
「わたしは生きることに飽きて、死ぬことがこわいのよ」(「彼らは廃馬を撃つ」ホレス・マッコイ)(2010・10)

 DVD「ひとりぼっちの青春」(原作・彼らは廃馬を撃つ)1969年。ジェーン・フォンダ主演、シドニー・ポラック監督。この救いのなさはなんだろう。しかしこの絶望的な暗さに感動させられる。なぜなら、救いのなさこそが生のリアリティだからだ。それを思い起こさせる映画だった。原作ともに名作。(2010・12)

 ディランを久しぶりにまともに聴く「Time Out Of Mind」。渋い。学生の時以来。もうとっくに忘れていた存在が、現在形でよみがえる。ずーっと歌い続けてきたディラン。途中の変化をとばして、いきなり現在に。その間、自分は何をしてきたのかと問われる気がする。ディランを聴き、ドストエフスキーを読む。まるで学生のように。(2010)

 「死の海を泳いで スーザン・ソンタグ 最期の日々」デイヴィッド・リーフ。死を受容しない。どこまでも生きる可能性にのみ賭ける。その苛烈な死に様に驚く。(2011・1)

 唐木順三「科学者の社会的責任についての覚書」再読。原子力を発見・発明した科学者の罪。原爆が落とされたと聞いたときの、アインシュタインの唸り。(2011・4)


◎2013年


 第1回岡谷まち歩き古本市(5/1〜6)。県内の古本屋5軒出店で、売上100万円以上。書肆月影の大塚さん他の尽力で、成功裡に終わる。

 友人が富士見町の公民館報に載せた雷赤烏族の記事を見た韮崎に住む人が、昔高校生の頃3日ほど滞在したコミューンの経験をワープロに打ったものを持ってきたので、深夜仕事の合間に読む。67〜75年位のあの時代に、美術部にいた地方の高校生の経験が綴られている。もうすでに歴史なんだよね、この時代は。
 75年位を境にコミューンは解体し、皆それぞれの志向性に沿って散っていった。中心にいたナナオも、その頃生坂村に越したのだろうか。清水平もナナオとしう子を中心に一種のコミューンを形成していたわけだが、雷赤烏族のときと違うのは、今度はカップルで暮らしていたことだろうな。清水平の囲炉裏のある居間以外にたしか5部屋あったと思うが、それぞれにカップルが暮らしていた時期があったと聞いた記憶がある。その辺の頃の話を聞き書き風にまとめれば面白いとは思うが、インタビューする相手が相手だからね。出来る人と出来ない人がいる。ナナオの生涯についても誰かまとめればいいと思うけど、これも紙の資料ではなく、厖大な聞き書きをまとめるしかない。一癖もふた癖もあるエゴの強い人たちから、話を聞きだす聞き手の能力が求められる。「不良老人伝・別巻」。(6月)

 眠気押して、ベッドで井筒俊彦「イスラーム文化 その根抵にあるもの」(岩波文庫)読む。アラブのスンニー派とイランのシーア派の違いがどこにあるのか、やっとわかったような気がする。

 アラン・ブース「ニッポン縦断日記」読了。面白かった(後半はだいぶ疲れたけど)。旅した年代が書かれていないが、英語版が85年の発行だから、80年代初めの日本であることは間違いない。あの頃はまだ携帯がなかった。インターネットがなかった。コンビニですら日本津々浦々にあったわけではないのだ。80年代を境に、いかに世の中が変わったのか、それを再認識させられた。彼はその後早死にしたけれど、やっぱり飲み過ぎだろうな。

 月刊「望星」の最新号読んでいたら、珍しく硬派のインタビュー記事があったので、誰がインタビュアーなのかと思ったら、岡村隆さんだった。リニア新幹線をめぐる記事など読むと、フリークの娘息子の世代が次々に登場している。そうさ、運動はもう若い人たちが全面に出てくれなくちゃ困る。

 DVDでアキ・カリウスマキ監督の「ル・アーブルの靴磨き」観る。まさかこういうハッピー・エンディングの結末になるとはまったく予想せず、逆にそれが新鮮で面白かった。この時代、どこを見ても暗い話ばかりだからね。かえってこういう意表をつく演出が光る。2011年の映画。

 辺見庸の小説「青い花」読んで、ひどくアナーキーな気分になる。もう破れかぶれというか、あほらしくてとても真面目にはやってられないという真面目な小説。小説だからね、何をやっても許されるんだ、とことんやるんだという気迫。

 「身ぶりとしての抵抗 鶴見俊輔コレクション2」読み進める。ハンセン病施設のワークショップに関わったさまざまな人間群像についての文章は読み応えがあった。彼の文体は柔らかく、簡潔で、筋が通っている。流動する歴史の現場をただ鳥瞰するのではなく、そこに生身をおいた人の虫瞰図的な視点から全体を捉えようとしているところがいい。ニーチェの後に読むと、かえって新鮮だ。(7月)

 シモーヌ・ヴェイユを読んでいると、例えば「工場日記」の中で次のような言葉が、繰り返し繰り返し出てくる。
〈こういう生活がもたらすもっともつよい誘惑に、わたしもまた、ほとんどうちかつことができないようになった。それは、もはや考えることをしないという誘惑である。それだけが苦しまずにすむ、ただ一つの、唯一の方法なのだ〉
〈仕事の時間以外は、うつらうつらと半分居眠ったような状態に沈みこんでいたいという気持ちにばかりさそわれる〉
〈休暇−土曜と日曜、頭痛−水曜の昼まで、ほとんどまったくの虚脱状態〉
〈ものを考えるのをやめなければならないということの屈辱感を、心の底から感じる〉
 それでいて、
〈苦しくはあるが、とにかく「わるくない仕事なのだ」と思って、元気をつける〉と続く。
 
 今日も夜勤から戻って缶ビール飲んで昼飯食って、午後は半病人のようにしてベッドに横たわっているだけ。眠れないというのは、本当に辛い。仕事が終わってからも、楽なこと以外、何もやる気がしなくなる。明晰に筋道を立ててものを考えることができなくなる。(⇒ 伊那谷スケッチ「2013冬〜2014秋」

 久々に伊那旧市街の古本屋・溝口書店をのぞく。相変わらず屑本を積み上げた隙間をぬって書棚を物色するが、めぼしいものはなし。「冬の当直」というタイトルにつられて、北村太郎の詩集のみ300円で買う。ラジオをつけっぱなしにして、奥の部屋で昼寝をしている親父を呼び起こして、お金を払う。

 高橋たか子心不全で死去。享年81歳。(7/18)

 宮田村のKさん宅に古本の買い取りに行く。ほんの少しだけという話だったから、とりあえずダンボール6箱だけ車に積んでいったのだが、それだけじゃ足りなかった。応接間に通されるなり、屑本の間に「ルカーチ著作集」だの「失われた時を求めて」だの「比較転向論序説」だのが目に飛び込んできて、お、これはちょっと本腰を入れなければという気になる。夫婦で元高校教師だったとのこと。結局全部いったん持ち帰らせてもらった。200冊ぐらい? 
 しかし最後のダンボール箱に入っていた全集物の内、「共同研究転向」の上巻だけ、本体が箱から出せない。どうも、あまりに長い間出していなかったせいで、本体が箱の糊付け部分と癒着してしまい抜けなくなっていた模様。小一時間、ペーパーナイフや差し金を突っ込んで格闘した結果、箱を突き抜けた差し金で手首を負傷。それと引き換えにやっと本体を取り出せた。査定は結局、しめて1万2000円也。半分は全然値がつかず。


 寝る前に、鮎川信夫の「内村剛介の石原吉郎論」実に久々に再読。石原吉郎の没後、あたかもその「遺言執行人」として、内村の予断に基づいた雑な石原論を正面から反論した文章。昔読んだ「現代詩手帳」がどこかにいってしまい、古書で遺稿評論集「すこぶる愉快な絶望」を手に入れて、30年ぶりぐらいで読んだ。いま読んでも鮎川の論の立て方は筋が通っていて、実に感動的ですらある。 

 ワシーリー・グロスマン「人生と運命1」読み進める。初めこそ次々に出てくる登場人物の関係性がわからなくて手間取ったが、途中からぐんぐん入ってくる。これは20世紀の「戦争と平和」だな。

 「人生と運命」第二部。昨日は、ナチス幹部とボルシェビキ古参党員の収容者とのスターリニズムとナチズムの相似性をめぐる対話。
 「人生と運命」読了。すごい小説だった。あとがきを読むとこれはスターリングラードの戦いをめぐる2部作の後編にあたるもので、その前編として「正義の事業のために」があるという。登場人物の生い立ちや相互関係はそれを読まないと本当のところはわからない。道理で第一部など読みにくかったわけだ。しかし「正義の事業のために」は、検閲でずたずたにされ、作者としてはこの後編にすべてを注ぎ込んだものらしい。

 ソルジェニーツィン「マトリョーナの家」。名作である。ロシア文学の旧き佳き伝統が、ここに継承されている。好きだなあ、こういう作品は。いま読むと、「イワン…」よりも、ずっといい。(8月)

 ソルジェニーツィン「ガン病棟」読了。名作だった。いまじゃほとんど読まれなくなったようだけど。

 夜勤の合間をぬって「収容所群島」を読んでいるが、これははたして全部読みきれるかどうか。しかし当直のきつさには似合っているかも。
「群島」や「真昼の暗黒」に眠らせないで尋問する拷問の話が度々出てくるが、夜勤もメインが続くと不眠が心身全体に行き渡って、起きてても何もやる気せず体がたるく、横になっても熟睡できないというにっちもさっちもいかない状態になる。

 セリーヌ「夜の果ての旅」は、夜勤時に読むにはふさわしい。セリーヌを読んでいると、映画「舞踏会の手帖」の片目の医者を思い出す。あの、斜めに傾いだ画面を。 

 ハイデガーは「存在と時間」を公にするまでは、1冊も本を出さず、「書かない哲学者」だった。

 高遠ブックフェスティバル古本市(9/21〜23)。静かな盛況。

 第2回岡谷まち歩き古本市(10/31〜11/4)。盛況。売上も前回並。


 ニキータ・ミハルコフ監督「太陽に灼かれて」(94年)DVDで観る。こんな凄い映画だとは知らなかった。グロスマンの「人生と運命」やソルジェニーツィンを読んできた今年の締めくくりに相応しい映画だった。(12/31)

◎2014年

 ワシーリー・グロスマン「万物は流転する」読了。前作「人生と運命」に比べると、小説の出来としては作者が前面に顔を出しすぎていてずっと落ちる。しかしスターリニズムの始原を、ロシアの1000年にわたる奴隷制、及びそれを革命の名の下に統合したレーニンにぶつけてゆく思考の展開は凄みがある。物語が破綻しようと、どうしてもこれだけは書いておきたかった作家の切実な思いが伝わってくる。(1月)

 毎晩、寝る前に工藤正廣新訳の「ドクトル・ジヴァゴ」をゆっくり読み進めている。江川卓訳を含めて全巻通して読むのは3度目だが、このずっしりした手応えは変わらない。ヴァルイキノの章まできた。冬の農村で日記を書くジヴァゴの姿にかつての自分の後ろ姿が重なる。しかしいまは?

 「ジヴァゴ」読了。やはり素晴らしい。完璧なロマンだ。何度読んでも飽きない。そう遠くないうちに、また読むことになるだろう。
 長い流浪の果てにジヴァゴがモスクワに戻ってきて、再び住みついた家の娘と一緒になり、アルバイトで薪を鋸で引く仕事に出るくだりがある。薪のストックをとある住宅の主人の書斎に運んでいると、主人は何か読書に夢中になっていて、彼らを見向きもしない。通りすがりに何にそんなに読みふけっているのかと思ってジヴァゴがそっとのぞいてみると、それは昔出版されたジヴァゴの詩集だった。自分の印象ではこのときジヴァゴはもう50を過ぎていたように思っていたが、実際は38歳というのが、小説中の年齢だ。(2月)(⇒ 伊那谷スケッチ「2013冬〜2014秋」)(*)

 朝ベッドでラジオのスイッチを入れるとだいたい7時40分過ぎ、ちょうど首都圏の交通情報をやっているところで、「人身事故の影響で○○線に何分の遅れ」というアナウンスではっと目が覚める。これが今週はなんと五日連続?。毎朝のように誰かが電車に飛び込んで死んでいる。それを聞いて目が覚める。なんだこれは? 

 高遠だるま市。一日だけのミニ古本市。出店はマザーアースのみ。会場は閉店した昔のスーパー。段ボール50箱搬入。9時のオープン前から、だるま市流れの客が次々に入ってきて盛況。店内は石油ストーブを2台焚いていたが、寒さは厳しく、とくに入り口のレジのあたりは震えるような寒さ。お昼前後にいったん客足途絶えるも、2時頃からまた増え始め、結局売上げは110冊・約7万円ほどに。夕方、気を良くした自分もギターで奥のライブに参加し、ナナオの詩2曲(これで十分・ラブレター)歌う。 

 第3回岡谷まち歩き古本市(4/29〜5/6)。段ボール約40箱搬入。会場は2階。さすがに疲労。風呂につかりながら思った。古本市、ダンボール40箱、搬入のたび腰痛に。古書の重さと値段の軽さ。また終ったら鍼灸かな。

 山田風太郎「戦中派不戦日記」読んでいる。6月、信州飯田に疎開してくるところまできたところ。それにしても東京が、これほど連日の空爆にさらされ、焼け野原になっていたことをすっかり忘れている。外国の話でも読むように読んでいる。
 当時、文系の学生はほとんど戦場に駆り出されていたから、医学生でありかつ文才のあった山田風太郎の戦時下日本の日記は希少価値がある。いまさらながら、描写の鋭さ、生々しさにはうなる。(6月)

 先日購入したロシア語版「ドクトル・ジバゴ」DVD6枚組の内一枚(第二話まで)見る。しかしあまりの格調の低さにがっかり。テンポもだらだらしているし、原作をTV用に書き替えるとしても、これではラーラもアンチーポフも浮かばれない。もしパステルナークが見たら、思わず目を覆っただろう。このシリーズは出来不出来の差が大きい。「白痴」と「巨匠とマルガリータ」は、あんなに素晴らしかったのにね。

 中島梓「転位」読む。彼女が膵臓癌で死ぬ間際まで書き続けていた、あるいはしゃべり続けていた一種の闘病記。フリージャズの即興演奏のように彼女は厖大な量の小説を書きなぐって死んだ。癌になってからでも一日に50枚書く日もあり、元気な時は100枚書いたこともあるらしい。その量には圧倒される。ひたすらプラス(+)に生きようとする人と、マイナス(−)を志向する人とがある。断食など考えたこともなかっただろうな、彼女は。
 「誰であれ1冊や2冊は自分の人生やいろいろの思ったことを素材にして何か書けるかもしれないが、それとプロの小説を何十年も続けて書いてゆく、ということはまったく違う」(7月) 

 台風明け。このところ伊那で出物がないので、松本〜岡谷まで、久々にせどりツアー。10時発。16時帰宅。往復125km。ガソリンがいまなんとリッター170円だから、交通費約1400円。40冊せどり。とくに岡谷で山岳書をまとめて買う。しかし夜、ひと息ついてネットで調べてみると、1冊510円はたいて買った深田久弥「ヒマラヤの高峰」(白水社全3冊・定価各4800円)が、アマゾンでは各1円から、日本の古本屋でもセットで2〜3000円で出ている。松本で1300円出して買った「木下杢太郎日記・全5巻」(岩波・定価各3000円)も同様なのでがっくり。逆に迷って全部買わなかった「ヒマラヤ名著全集」の方が値がついていた。やはり他のせどりマンの皆さんのように、携帯かスマホを持ち歩いて、その場で相場を調べられないとだめなんだろうか? 伊那はともかくとして、ちょっと遠出するとこういう問題が出てくるのだ、やはり。

 日野啓三「台風の眼」、夜勤時に読了。続けて昨日エッセイ集「流砂の声」を読んだが、昔読売新聞で読んで印象に残っていたエッセイは収録されていなかった模様。やはり小説の方が深い。記憶を掘り下げること。

 昨夜、仕事から戻って日野啓三「ひかり」読了。80年代の都市をモチーフにした小説はおれには退屈だったが、癌の闘病生活を経てからの90年代の彼の晩年の作品は、深い。読ませる。

 小川国夫「試みの岸」読了。読み応えあった。とくに少年が馬に変身する「黒馬に新しい日を」は小説ならではの醍醐味。

 日野啓三「天池」読了。著者最後の長編ということで取り寄せて読んでみたのだが、あまりに作家の作為が見え透いていて、読後感はいまひとつ。やはりこの作家は都市を書かせると秀逸だが、田舎や山村を舞台にすると無理があるようだ。力作であることは認めるが、話の運びがテレビドラマのようにだいたいわかってしまう。それに長く田舎に住んでいる人間には、作為が目について仕方がない。インテリが書いた小説の限界といおうか。
 それに比べると、並行して読んでいる小川国夫は、やはり地物だ。田舎を舞台にしていても読者を飽きさせない。一切のイデオロギーから離れた小説そのものという感じを受ける。(8月)

 「自死という生き方 覚悟して逝った哲学者」須原一秀、読了。たいした内容の本ではないが、中村とうようの自死のことが頭に残っていて読んでみた。健康で何の問題もないのに、65でわざわざ自殺する必要はないが、ある時点でこの世に見切りをつける死に方もあるとは思う。

 カスタネダの遺作「無限の本質 呪術師との訣別」読む。これまで自分の人生で出会った人すべての一覧表をつくる試み。これは面白いね。

 マクドナルド・ベイン 仲里誠桔訳「キリストのヨーガ 解脱の真理・完結編」読む。講和の部分で繰り返し言っていることは 、要するに自我の迷妄に気づき、真理に目覚めよということひとつ。(ほとんど同じことをクリシュナムルティが言っていたと思う)。地理的な描写を読むと実際にチベットにも行っているようだ。しかし、肝心なところではイエス・キリストが登場してくるんだよね。それにこの「教えを受ける旅」では、失敗というものがまったくない。すべてが完成された真理として与えられる。以前同じ訳者による「ヒマラヤ聖者の生活探求」を読んだときにも感じた眉唾さ加減が、どうしても拭えない。神智学協会の関係者なのかも。

 これまでの乗りで、たまたま本棚にあった未読のテオドール・イリオン「チベット永遠の書」(37年)読了。第一部「チベット神秘宇宙への巡礼」は実際の体験を基に書かれたもののようで、それなりにノンフィクションとして読ませたが、第二部「チベットを覆う暗黒世界」は安物のSF小説を読まされているようでいただけない。なぜシャンバラをあえて暗黒として描かなければならないのか、この人は本当にチベットに魂を入れ込んだ人なのか、理解に苦しむ。オカルト本というのは、本物と偽者を見分けるところまで読み込むのが結構大変だ。フィクションならフィクションでそれなりに楽しませてくれればいいのだが、これは読んでいて気持ち悪くなる。ヒットラーにも影響を及ぼしたというのがうなづける。

 夜明け方、カポーティ「冷血」読了。65年の作品だが、全然古さを感じさせない。アメリカの田舎の一家殺人を軸に、様々な家族が交錯しあう物語。登場人物の末端にいたるまで、その関係がしっかり描かれている。いまとなってはニュージャーナリズムの先駆というより、古典的ノンフィクションノベルだ。

 ビデオで「バングラデシュのコンサート」高校生の時、新宿の映画館で見て以来、実に40年ぶりぐらいで見る。冒頭のインド音楽の演奏、ラヴィ・シャンカールとアリ・アクバル・カーンがやっていたんだね。アリ・アクバルが出ていたなんて、知らなかった。いま聴いても凄い演奏だ。誰もがまだ若く絶頂期にあったんだな。クラプトンもディランも若かった。ディランの存在感はやはり別格で、ジョージ・ハリスンとレオン・ラッセルをバックに「Just like a woman」を歌うのを聞いていたら、目頭が熱くなってきた。それだけおれも年を取ったんだよ。

 南木桂士「山中静夫氏の尊厳死」読了。先日読んだ宮城賢「哀しみの家族」とは対照的な小説だが、共に死を看取る話だ。一方は末期癌で苦しみのたうつ妻(母)を夫と子供たちが家で支えて看取る実話。もう一方はやはり末期癌の患者が病院での尊厳死を希望し、医者がそれに応えて楽に死なせる努力をする話。患者の死を一年に40人くらいずつ看取ってきた医者はうつ病に陥ってしまうのだが。
 「哀しみ…」の妻は、自らの死期をまだ告知されていない。「山中静夫…」の方は、患者自身が自分の死期を知っている。妻としては早く入院して、小説「山中静夫…」のように少しでも楽に逝きたかっただろう。だが、そう予定調和的にはいかないのが実際の現実だ。痛みがひどくなり、いったんはキャンセルした入院予定を早めてもらったものの、その入院予定日の夜中に症状が悪化し、明け方亡くなってしまう。その点、小説の方では患者はほぼ願っていた通りの安らかな死を迎える。
 しかし読後感としては、実話「哀しみの家族」の方が圧倒的で、のたうちまわる妻を夫が介抱し、子供たちが支え、ついに死に至る場面では、ほとんど宗教的な昇天の姿を目の当たりにしているような感じすら覚えた。著者はいかなる宗教も信じない人だが、描かれた家族の姿は真に宗教的だ。きれいごとではない凄みがある。
 いろいろと感じさせられた二作だった。(宮城賢は、2009年に胃癌で亡くなったらしい。享年80歳)。

 南木佳士「阿弥陀堂だより」読了。名作だった。これを書くことで作者は自身のパニック障害とうつ病から抜け出したのかもしれない。見直した。(9月)

 南木佳士「草すべり その他の短編」読んで、そういえばしばらく山も歩いてなかったなといまさらのように思う。「草すべり」は完璧な作品。この作家のたどりついた頂点といっていいと思う。読み終わってなんだか目頭が熱くなってきた。よく眠れた。

 高行健(ガオ・シンヂエン)「ある男の聖書」読了。読み応えがあった。前半のやたらと西洋人の女とセックスをやりまくるシーンにはいささか退屈したが、話が文革時代の激動の自分史に入っていくにつれて、飛ばし読みができなくなった。本当に書かずにいられないから書いた、命を賭して書いたということが痛切に伝わってくる。書くとはこういうことなのだ。生きるとはこういうことなのだ。

 高遠ブックフェスティバル古本市(9/20〜23)。マザーアース売上げ約110000円。まずまずの出来だろう。今年は何とか腰痛にもならずに済んだ。
 たまたま取材に来た元新文化編集長の話によると、元芳林堂書店の上司江口淳さんは一昨年亡くなったとのこと、交通事故で。
 いつも伊那谷スケッチを読んでいるという鎌倉から来た客。「想像していたのと実物はずいぶんちがいますね」。

 御嶽噴火。(9/27) 

 御嶽噴火から4日目。まだ噴火は続いていて火口付近では有毒ガスが発生し、「心肺停止」の遭難者20名以上が、収容されずに山頂付近に取り残されている。他にも灰に埋もれて発見されていない被災者がいるはずだ。3.11のときのことを思い出してしまう。はじめ冗談めいて見えてきたことが、一挙にとんでもないシリアスに変わっていく。何度も登った山だけに、他人事に思えない。今世紀は戦争と災害死の時代か。

 第4回岡谷まち歩き古本市(10/29〜11/3)。

 高倉健(83)に続いて、菅原文太(81)も死す。(12/2)

 夜、薪ストーブ焚いて、ネットの無料配信で、何十年ぶりかで「仁義なき戦い」観る。つい真剣に見てしまったよ。73年の映画。どうしたって革共同の内ゲバを思い起こさずには見れない。72年には連赤の事件があった。時代を思い起こす映画だ。それでいて、いまでもリアルだった。

 朝、近くのかんてんぱぱに水汲みに寄ったら、F君とばったり。家の横の林で間伐したアカマツを旧知のKが取りに来るというから、それならおれも。午後、久々にF君宅へ。何年ぶりかでKとも会う。すっかり腹も出て、ふっくらした顔に白髪の長髪。彼らに手伝ってもらって、急斜面に転がっているアカマツ・ミズナラなど軽トラに乗せ、2階で一服。松枯れ対策で隣の林がきれいに切り払われたおかげで、窓からの眺めは抜群。南アルプスが一望のもとに見渡せる。
 女房が最近リウマチを患っているというと、それなら岩塩の紅塩の湯がいいとか、ペヨーテが効くとかいう話になり、いやペヨーテはやはりメキシコの土地のものだ、日本にもそれ以上の史上最強のドラッグ・ハシリドコロがあるじゃないかということで話が盛りあがる。二人とも芝平(廃村)にいたころやったことがあり、それぞれにまったく別々の個人的な世界に入り込み、Kは「烏天狗」を見た、F君もやって5日から1週間位は瞳孔が開きっぱなしで危なかった。時間の感覚がすっかりなくなるからよく覚えてはいないが、丸二日は完全に効いていて眠れなかった。S君の息子は、その際の親父のあまりの変人トリップぶりに衝撃を受けて、10日くらい口を利かなかった云々。久々に楽しそうに話してた。

 朝7時起きして、松本深志神社の長野県古書組合交換市へ。月影のOさんの紹介というかたちで、半日見学。いまだにこういう世界があったのかという感じ。蟻屋書房のIさんも来ていて、大胆に入札しまくっていた。たしかに安い。しかし、仕入れたものをどう売りさばくのかが問題だ。ネットだけでは限界がある。

 加藤典洋「人類が永遠に続くのではないとしたら」読了。前半は啓発されたが、後半は意味不明。


◎2015年

 本の発送に「クリックポスト」使い始める(3pまで164円)(1月) 

 高遠だるま市古本市(2/11)。すったもんだあった挙句にやっとこぎつけた。結果は、2店で売上げ約6万円。去年に比べればさすがに落ちたが、ほとんど宣伝もなしで、よくやったと思う。寒さもきついが、あの物凄い人出だもの、やりようでまだ売れる。来年はもっと初めからその気で準備して当ろうと、関係者と話す。

 気力は眼に出る
 生活は顔色に出る
 年齢は肩に出る
 教養は声に出る(土門拳)(3月)

 第5回岡谷まち歩き古本市(4/29〜5/6)。売上マザーアース約10万円。

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八十八夜八十八冊(ミニパンフレット・岡谷まち歩き古本市関係者が心を込めて選んだ88冊の本より)

「逝きし世の面影」渡辺京二(平凡社ライブラリー)¥1900
 幕末から明治にかけて日本を訪れた西洋人の目に映った日本人の姿。いま読むと、それはなんと懐かしく、またすでに滅び去った文明の姿なのだろう。生きるとは何か。歴史とは何か。民族とは何か。読んでいて随所で笑い、また目頭を熱くする思いを禁じえない。

「文化と抵抗」エドワード・W・サイード(ちくま学芸文庫)¥1300
 「イスラム過激派のテロ」が連日のように報じられる昨今、もっとも意見を聞きたい思想家の一人がパレスチナ系アメリカ人のサイードだった。彼が亡くなる直前(2003年)までのインタビューを読むと、いまなおそれが古びていないことに逆にショックを覚える。

「シャンタラム」上中下 G・D・ロバーツ(新潮文庫)上¥990 中¥890 下¥840
 インド世界の暗黒部を描ききった傑作。武装強盗で服役していた男がオーストラリアの刑務所から脱獄、インドのボンベイへと逃亡。スラムに潜伏し、無資格で住民の診療に当たる。やがて彼の前にインドの闇社会の奥深い姿が次々と現れる。一気に読ませる小説だ。

「犬も歩けば」ナナオ サカキ詩集(野草社)¥1800
 日本のヒッピーの元祖ナナオの代表詩集。ほとんどの詩の末尾に、それが書かれた日付と場所が記されているが、それを追っていくと放浪の詩人に相応しく日米豪を行ったり来たりする。だが何といっても最高傑作は、信州生坂村で書かれた絶唱「ラブレター」だ。

「禅とオートバイ修理技術」上下 ロバート・M・パーシグ(ハヤカワ文庫NF)各800円
 不登校の息子とバイクでアメリカ大陸を横断する元大学教授が、その紀行文の合間合間に、初期ギリシャ哲学の「クオリティ」という概念を考察し、それをオートバイの修理技術と結びつけて論じていく非常にユニークな思索の書。理科系の苦手な人に逆におすすめ。

「シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり」畑谷史代(岩波ジュニア新書)¥740
 信濃毎日新聞に連載。一読して、よくぞここまで調べたものだと感心する。8年間に及ぶ抑留生活を経てシベリアのラーゲリから帰還した石原吉郎が、どのようにして詩と出会い、生き、死んでいったのか。様々な資料や証言をもとに、わかりやすくまとめてある。

「梅里雪山」小林尚礼(ヤマケイ文庫)¥1100
 梅里雪山は中国雲南省の聖山で未踏峰(6740m)。91年、京大登山隊がその初登頂を目前にして雪崩に巻き込まれ、17人全員が死亡。7年後、氷河上に登山者の遺体が出現する。著者は現地の氷河に赴き、そこで多くの遺体と遺骨を発見、「聖山」とは何かを考える。

「銀河系の断片」山尾三省(幻戯書房)¥2800
 屋久島の森に没した詩人・哲学者のベスト・コレクション。この産業社会にとって代わる「もうひとつの生き方」とは何か、それを身をもって生きた彼の言葉は、いまなお深いメッセージを発している。自分が編んだアンソロジーでおこがましいが、ぜひ一読を。

(古書の森マザーアース・堀越哲朗)

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 イクバール・アフマド「帝国との対決」。ブックオフで108円で購入。サイードが序文を書いている。ほとんど9.11を予言していた書である。テロリズムをめぐる論考は真に先駆的。だが著者は1999年にすでに他界。こんな凄い思想家がいたのか。(5月)

 「それでも日本人は戦争を選んだ」加藤陽子。1930年代の日本と2015年のいまとの不気味な相似性。

 辺見庸「いま語りえぬことのために 死刑と新しいファシズム」2013年読了。自民党推薦の憲法学者らが「安保法制」を憲法違反だとした先週あたりから、思うところあって辺見庸の著作を読み返している(「抵抗論」2004年「自分自身への審問」2006年等)。十年前に彼が繰り返し警鐘を鳴らしていたことが、そのまま現実になってきている。実時間で現にいま起こっていることを前に、拙くても何かことばを発する必要を感じる。そのためには記憶を取り戻さなければ。記憶を鍛え直さなければと思う。

 このところ辺見庸が繰り返し「実時間」の大切さを言っている。いまここ、リアルタイムでの状況へのかかわり方。歴史のいまここ、実時間を生きているということを強く意識するこの頃。戦争前夜あるいは「戦間期」(interwar period)という考え方。

 伊那図書館で、図書館の検索エンジンの不備を係に説明する。「子母澤寛」と「子母沢寛」で別々の検索結果が出てきてしまう。「渋澤龍彦」と「渋沢竜彦」、「柳田國男」と「柳田国男」も同様。病院の夜勤で保険証の登録をしているから気づいたこと。 

 「…彼はあと五ヶ月で五十三歳になる。二年過ぎたら停年だ」(佐藤泰志「海炭市叙景」)いつから停年は60歳になったのだろう? 

 寝る前にウィリアム・トレヴァーの「アイルランド・ストーリーズ」を読んでいるが、ここまで人間心理の裏を容赦なく描かれると、読んでいて辛くなる人も当然いるだろう。しかしどれも読み応えがある。

 鶴見俊輔死去。享年93歳。(7/24)
「まちがいのなかに含まれている真実のほうが、真実のなかにふくまれている真実よりわれわれにとって大切だ」(戦時期日本の精神史)

 「逆説がある。それを生かそうと思ったならば、それを捨てねばならぬ。… 保存することから、腐敗が始まる。それは後ろ向きの生だ。捨てることによって、生は前進する」(秋山駿「死」を前に書く、ということ)(8月)

 アマゾンで受注し、7/21に航空便で中国の重慶に発送した「近代日本思想大系 三宅雪嶺集」届いていないとの連絡あり。これまで米国・ドイツ・韓国・台湾等にも本を送ったことがあるが、まったく届かないというのは今回が初めて。何らかの事故にあったとしか思えない。購入者が保証を申請してきたので、アマゾンに詳細を報告。結局アマゾンが返金対応することにはなったが、何かすっきりしないものが残る。いくら中国でも大学の歴史学科宛の正規の郵便物が届かないなんてことがあるだろうか。ふと考えてみて、ひょっとしたら検閲ではねられたのかもしれないということに思い当たる。ないとはいえない。一昨日の天津での化学物質倉庫での大爆発事故も、いまだに何が爆発したのか発表はなし。もはや文革の時代ではないとはいえ、何があってもおかしくはない中国。
 そういう日本も、川内原発が再稼動した直後に、早くも50キロしか離れていない桜島が大噴火の兆しだという。
 昨日は夜間救急で緊急心カテになった自分と同じ年の男のカルテを見ると、ふだんは福島原発でトラックの交通整理をやっているとあった。離婚して身寄りはなし。(8/15)

 久々に一人でディランの「血の轍」を聞きながら運転。脂の乗り切った時期のディランの声がなつかしい。秋山駿は83歳で死ぬ間際、十代の頃に夢中になったランボオと中也の詩を辞世の言葉に引用していたが、おれたちロック世代はむしろディランの歌詞とかストーンズやジャニスの1曲を別れの挨拶に残す方がしっくりくるのかもしれない。

 人が死ぬと古書が出回る(のだろうか?)。古本屋とは一種のハイエナのようなものだ。今日は久々に50冊以上まとめてせどり。相変わらずの雨続きで膝も痛むが、ひと息つく。(9月)

 高遠ブックフェスティバル古本市(9/19〜23)。売上マザーアース約8万4000円。高遠で5日間は長すぎる。

 エゴイズムの二面性。権力欲とニヒリズム、元は同じ◎(「独特老人」須田剋太)(2015.10)

 第6回岡谷まち歩き古本市(10/27〜11/3)。売上約12万5000円。

 亀山郁夫「新カラマーゾフの兄弟」下巻何とか読破。肩凝った。女房が酷評するほどつまらないとは思わなかったが、疲れる小説だった。とくに作者の私小説の部分がいただけない。アマゾンにレビュー「野心作、だがあまりに図式的」投稿する。(12月)(*)

 黒岩比佐子の遺作「パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い」に続いて、瀬戸内寂聴「美は乱調にあり」「諧調は偽りなり」読破。年の瀬の読書に相応しかった。(12/30)


◎2016年

 加島祥造、駒ヶ根の自宅で死去。老衰。92歳。(1/6)

 辺見庸「1937」読了。戦争法案を無化するには、自分の父親まで引き合いに出して、これだけの論証をしなければならなかったのだろう。半身不随の身を押して、…だが、疲れた。

 臼井吉見「安曇野」(第5巻)読了。ともかく長い、長すぎる。大風呂敷。部分、部分のエピソードは読ませるが、全体としては退屈だった。しかし長野で郷土史を扱う古本屋には必読の小説だな。一度は目を通しておかなくちゃ。
 たしかに小説というのは、何をどう書いてもいいのだが、こういうのを年取ってからだらだら書く気はない。もっと絞り込まなくちゃ。(2月)

 伊藤真愚「東洋医学にボケはない」。駒ヶ根で「漢方思之塾」を主宰。62歳で死去。生前は何度も診てもらった。陰陽の原理から、来世を確信して死んでいった。そこが、凄い。

 高遠だるま市・古本市(2/11)。売り上げは3店で前年並み(約6万5000円)。いまいちだったが、まあこんなものだろう。少し足りないぐらいでいい。
 ラジカセでボズ・スキャッグスをかけていると、入ってきた客「古書とブルースって、合うね」。


 生活という小状況で消耗していると、政治や国家という大状況のことなど、どうでもよくなってくる。日本人のかなりの層が、そうなのでは?

 コンラッド「ノストローモ」やっと読了。8ポ3段組、288p。老眼鏡の助けを借りて。しかし生涯に一度は読んでおきたい小説というものがある。見事にこれは、その一冊だった。(*)

 コンラッド「西欧人の眼に」読了。これは一言でいえば、ロシア人の青年を主人公とした心理小説だな。20世紀版「罪と罰」とでもいうか。面白かったが、「ノストローモ」のような壮大さはない。

 ロレンス「息子と恋人」(Sons and Lovers)読了。名作だった。これを二十代で書いたとは…。内容、量もさることながら、文体、宇宙感覚、自然との交感、神秘感覚…、小宇宙に入ってしまう。いまさらながら、感心する。個の成長が描かれている。(4月)

 第7回岡谷まち歩き古本市(4/23〜5/1)。今回は7店出品につき、各店舗長机4台のみ。場所足りない。結果、売上低調約7万円。この辺が限界か? 春は畑仕事もあるし、いよいよ体力も落ちてきた。来年からは不参加と決める。

 チベットでもスマホが普及? もはや世界に秘境はなくなった。あまりに急速な世界のデジタル化。山で初めて暮らし始めた清水平の頃、囲炉裏を焚いて、1冊の本をじっくり時間をかけて、ランプの灯りで読んだ。あれからわずか30年。世界は変わった。(5月)

 山田風太郎「エドの舞踏会」。仕事のあいまに読んでいるが、これがなかなかの傑作。あなどれないぞ、風太郎。だんだんはまってきてしまっている。

 モハメッド・アリ死す(享年74)。ジョージ・フォアマンとのキンシャサの闘いは、1974年。あの試合をテレビ中継とはいえ、深夜リアルタイムで見た。いまだにあのKOシーンがまぶたに浮かぶ。(6月)

 先日、近所の元校長先生宅からまとめて買い取った戦前の教科書関係の古書をヤフオクにひたすらアップ。状態と内容説明を書いて、写真を数点ずつ撮って、それをまたPCに取り込んで、結構な作業。売れたのはまだ8点50冊ほどだが、でもようやく目途がついてきた。当分、古い教科書は見たくないな。(7月)

 ラマダン最終日、バングラでテロ。日本人も7人惨殺。ダッカまで来るといよいよ近づいてきたなと感じる。

 相模原の知的障害者連続殺人の犯人が、警察に連行される「笑顔」の写真が新聞に載っていた。やるべきことを成し終えてすっきりとしたといった感じのその笑顔の表情が、実に不気味だ。

 リオ五輪の卓球男子シングルスで、水谷隼が銅メダル。試合の模様をネットの動画で昨夜からずるずる見てしまう。それにしても久々に見ると、卓球というスポーツはいかにメンタルなものかがわかっておもしろい。見た目には地味だが、それだけ微妙なものが試合を決める。技術はもちろんだが、それ以上に気合と精神力がものをいう。(それから気づいたのは、みんなシェイクハンドなんだね。ペンホルダーなんて、一人も見なかった。しかし相変わらず中国の選手は強い。優勝した馬龍など、全然別格という感じ)。

 いまぜひ読んでみたい本「荘則棟自伝」(96年・未邦訳)。元卓球世界チャンピオンで、1961〜65年まで世界選手権3連覇(我々の年代で卓球に入れこんだことがある人なら、知らぬ者はいないだろう)。その後、中国のスポーツ大臣にまでなったが、四人組逮捕に伴い失脚・投獄。4年後北京に帰還、通訳だった日本人女性と親しくなるが、結婚は認められず、最終的にケ小平の許可を得て再婚。1996年に発行した自叙伝『ケ小平批准我們結婚』は60万部のベストセラーとなったが、邦訳はいまだに出ていない。2013年に直腸癌で死去。72歳。しかし葬儀は、中国当局によって禁じられた。(8月)

 ワシーリー・グロスマン後期作品集「システィーナの聖母」読了。第二部のアルメニアの旅「あなたがたに幸あれ!」が出色の面白さ。赤軍の従軍記者で腕を鳴らしただけあって、これはたんなる旅行記ではない。「人生と運命」の原稿をすべて没収された作家が、異邦の地アララト山の谷で、さまざまな人々との出会いから考えた混沌とした思索の書だ。

 ベッドで埴谷雄高「死霊」を読み進める。7章まで来たが、ここはこれまでで一番の難物だ。何か宿題を果たしているような気がする。若い頃読もうと思って読まずにきたものを、冥途のみやげに読んでいる。こういう年の取り方もあるのさ。しかし埴谷は本当に「気違い」だったんだね。文学は何をどうやっても許される。それをとことん突き詰めると、こういう小説ができあがる。死んだ親友のTもこれを読んでいたわけだ。(9月)

 高遠ブックフェスティバル古本市(9/17〜19)。雨天で客足低調のわりには、郷土史関係がよく売れた。売上マザーアース約8万円。

 「赤軍記者グロースマン 独ソ戦主取材ノート1941-45」アントニー・ビーバー編読了。「人生と運命」を読む前に、これを読んでおくべきだった。とくにトレブリーンカ絶滅収容所の章は圧巻。ここまで深く従軍記者として戦争のただ中に身を置いていたとは知らなかった。

 本を発送しに郵便局に行く途中、軽トラの運転席に黄色スズメバチが突然侵入してきて慌てた。坂のカーブのところで開けていた窓からぶつかって入ってきたらしい。慌てて路肩に急停車してドアを開けたら、足元に気を失って?倒れているスズメバチを発見。素足のサンダルで踏みつぶして難を逃れる。冷や汗ものだった。虫や蜂もこの異様な暑さでどうかしていたのだろう。人生何が起きるかわからないものだ。

 ボブ・ディランにノーベル文学賞!(10月)

 大鹿村リニア新幹線工事、11/1着工。村議会議決、「4対3」で可決。

 第8回岡谷まち歩き古本市(10/29〜11/3)。県内の古本屋8店参加。マザーアース以外は、全部古書組合加盟店。いよいよ組合の市の雰囲気。

 ハンス・ヘニー・ヤーン「岸辺なき流れ」。難渋しながら読み進め、後半は流し読みながら読了。長かった…!

 ソローキン「23000」読了。結末は、意外。氷のハンマーの被害者たちの視点が現れてから、面白くなる。小説の奥行と広がりができた。

 山田風太郎「警視庁草子」読了。(下)に入ってから、面白くなってきた。痛快。

 米大統領選、トランプまさかの勝利。(11/9)

 大町・池田町の「限界集落」で、大麻で22人逮捕。22〜64歳。音楽イベントなどを主催しながら、「大麻コミュニティイ」を形成していたとみられる。

 シュピルマン「戦場のピアニスト」読む。映画以上に、面白い。とくに彼を救った独軍大尉の日記には驚いた。スターリンの収容所で7年生きて、ボロボロになって死んだ。他にも何人ものユダヤ人を救ったという。(12月)

◎2017年

 ドストエフスキー「未成年」再読。
 一度目はほとんど印象に残らなかったこの長編が、今度は実に面白く読めた。山城むつみの言う「逆遠近法」の物語。たしかにこれをトルストイの作品を読むようなつもりで読んでも、面白くない。古典的なロマンが成り立たない、流動する「現在」を語り手と共に生きてみる、そんな小説だからだ。ドストエフスキーは、いまなお新しい。(2月)

 高遠だるま市・古本市(2/11)。人出はまあまあだったが、売れ行きはいまいち。

 山田風太郎「太陽黒点」読了。1963年の作。敗戦後の戦中派の本音の心情。読ませる。

 梯久美子「狂う人「死の棘」の妻 島尾ミホ」読み進める。力作。目からウロコといった思いを随所で感じる。〈書く〉ことの業の深さ。女でなければ書けない本だ。(*)

 代々木上原にあるジャーミー・モスクを訪れたのは、つい先年のことだ。実家が小田急沿線にありながら、それまで一度も行ったことがなかった。高校生の頃、いつも朝夕のラッシュアワーの通学時に、窓に押しつけられながら眺めていたトルコ様式の丸屋根。あの中に一度入ってみようと思いながら、何十年も過ぎてしまった。
 それが一昨年の春、実家に戻る途中、ふとその気になり途中下車してみた。
 入り口で靴を脱いで入ると、平面は絨毯が敷いてあるだけで何もない空間だが、円形の頭上を見上げるとそこに大宇宙が。まさに天に向かって開かれているのだ。巨大なパオの中にいるようなやすらぎと安心感。ひと言でいえば、非日常の空間。サラーム、シャンティ、静謐な平和の空間なのだ。伊那谷からたまに上京すると、新宿で高速バスを降りるだけで人混みで疲れてしまう。それがモスクの中に入ると一息つける。なんだ、もっと早く知っていれば、よく利用したのにと思った。(3月)

 ビデオで「フィッツカラルド」久々に見る。監督(ヴェルナー・ヘルツォーク)も役者(クラウス・キンスキー)もとことんやった映画だと思う。テオ・アンゲロプロスのあとに見るとずっと楽しいが、これはこれで「文化と帝国主義」という意味では問題作だ。

 仕事場で暇をみてはオーウェルのエッセイを読み直している。
 「絞首刑」は何度読み返しても、うならされる。忘れていたディテールのどこかに新しい発見がある。パブリック・スクールの寄宿舎時代の辛い思い出をつづった「あの楽しかりし日々」を読んで、自分の高校時代を思い出した。17歳・1972年という時代を。

 オーウェル「動物農場」再読。そうか、豚が二本足で立って人間になって終わりだったとは。

 仕事から戻ってメールを開けると、トロツキーの「裏切られた革命」(現代思潮社版)の古書に注文が入っていた。いまどきこういう本が一冊でも売れると、何となく気持ちがたかぶるものだ。訳者の名を見ると、対馬忠行とある。たしか瀬戸内海を航行するフェリーから身を投げて自殺したマルクス主義哲学者ではないか。ネットで確認してみると、死んだのは1979年4月11日。遺体は4か月後に引き上げられている。
 学生だった当時、新聞の三面記事を読んで驚いたのは、その死にざまに加えて晩年の彼が老人ホームにいたということだ。いま考えれば、1901年生まれの老哲学者が老人ホームにいたこと自体は不思議ではない。ましてや革マルと中核の内ゲバの嵐がまだ吹き荒れていた時代である。老人ホームに潜んでいれば、襲われる可能性も低かったにちがいない。しかし彼の晩年とその死にざまは、70年代の終わりの閉塞した時代を象徴するものとして、二十代の学生の脳裏のどこか深くに刻まれた。長らく忘れていたその記憶が、古書が売れたいま甦ったのである。
 今度初めて知ったのだが、対馬忠行は香川県出身だった。革マルシンパと目された老哲学者は、どんな気持ちで老人ホームに息をひそめていたのだろう。そしてある日そこを抜け出して、瀬戸内海に身を投げたのだ。一冊の本には、その本にまつわる様々な歴史と記憶がある。商売だけのために古本屋をやっているのではないなとつくづく思う。(4月)  伊那谷スケッチ「2016〜2017」

 「伊那谷の老子」加島祥造。予想以上に面白かった。あの「タオ老子」の文体の生まれたわけも、よくわかった。ちょっと見直した。(5月)⇒ 伊那谷スケッチ「2016〜2017」

 「ファシズムは、デモクラシーを通ってあらわらる」(鶴見俊輔)

 岡谷笠原書店月替り古本市搬入(6/12)。各古本屋が毎月持ち回りで、書店の一角に設けた古本コーナーに本を置く。マザーアースは初めて。
 搬出(7/24)。段ボール10箱引き上げ。売り上げは6週間で¥73,700(68冊)。3000円前後の本も何冊か売れたが、全集物はまったくダメ。もう2巡目はパスだな。長すぎる。
 次の当番のYさんが急にギックリ腰になったので、替わりでやってきた月影の大塚さん、腰痛をまだ一度も経験したことがないという。「どんな痛みなんですか?」。こういう人もまれにいるんだなと逆にこちらが驚く。


 随筆集「心の調べ」宮城道雄。珠玉の味わい、驚いた。(7月)

 森於菟の随筆集「耄碌寸前」読了。秀逸。自分もこんな感じでゆったりと来し方を振り返ってみたいもの。風呂へ行く途中、宮田の駅前で水汲みをしていて思う。

 アマゾンKindle Fire7新品、ヤフオクで4000円で購入。何とか立ち上げるが、いきなりどっとダウンロードされた不要なKindle本削除しているうちに、大辞泉も誤って削除してしまった。いったん初期化して立ち上げると、今度は英和辞書も含めて辞書が全部消えてしまった。アマゾン・サポートに問い合わせると、同様の症状が相次いでおり、調査中とか。

 昨日からアルフレート・デーブリーン「マナス」読んでいる。俺には「ベルリン・アレクサンダー広場」より、よほど面白い。マハーバラータ等のインド神話を下敷きに、彼なりの「神曲」を書こうとしたのか。ちょっと見直したね。(8月)

 ジャン・ジュネ「恋する虜 パレスチナへの旅」ようやく読了。「シャティーラの四時間」を読んでからでなければ、たぶん読み通せなかっただろう。出発点にはやはりあの虐殺の現場がある。おそらく前半の「回想1」は、以前から書きためていたものをまとめたものではないか。後半の「回想2」は、明らかに「シャティーラ」の事件の後に書いたものだろう。語りも一段と腰が据わり、物語の輪郭がはっきりしてくる。

 昨日は早朝、前代未聞の「全国瞬時警報システム(Jアラート)」の異様なスピーカー音で起こされる。北海道の上空を通過した北朝鮮のミサイルのため、長野の人間まで飛び起きねばならないのか? 迎撃などできるわけがないことを思い知った。
 夜、「イラク チグリスに浮かぶ平和」綿井健陽監督、DVDで観る。衝撃的だった前作「Little Birds イラク 戦火の家族たち」から10年。やはりイラクは地獄になっていた。バグダッドの救急病院の医者が言うには、一日に100から150人位の患者が運ばれてくるが、そのほとんどが銃か爆弾による死傷者。交通事故の患者などほとんどいない。事務や看護師もさぞ大変だろうな、などと思ってしまう。

 デーブリーン「王倫の三跳躍」(1915年)520p、ようやく読了。面白いが、難渋した。(9月)

 パイプ倉庫にしまっておいた均一本の段ボール15箱を開けて、来週末の高遠古本市に向けて、100均・200均・300円均一に仕分けする。気になるものをパソコンで相場チェックしてみたら、結構値がついている本もあって、それは別途アマゾンにアップ。
 アマゾンからのメールによると、10月からまた出品手数料大幅に値上げするらしい。小口出品者にはこたえる。


 高遠ブックフェスティバル古本市(9/16〜18)6軒出店。売上3日間で、全体約24万円。マザーアース4万6000円。

 台風一過。岡谷古本市搬入(10/30)。6時起きしてバンに本を積み込み、岡谷笠原書店へ。今回は段ボール15箱+300均7箱。例のごとく9時集合で、店員の皆さんが2Fまで階段で運ぶのを手伝ってくれる。長机3台に、持ち込みの長棚+本箱類で並べ終える。量はほぼぴったし。何年もやっていると、だいたいわかってくるものだ。さてこれでどれくらい売れるものか。メンバーも同じ顔だし、さすがに古本市にも飽きてきたなこの頃。

 岡谷古本市引き上げ。今回は6日間でマザーアースの売り上げ38850円也。全体でも前年比6割減の64万。月影の大塚さんと笠原書店の社長とも話したが、10回目とあって、さすがにマンネリ化してきた感は否めない。他の古本屋の皆さんもだらけてきているし、あまりに内輪化し過ぎだろう。マザーアースも売れた本の三分の一は300均。郷土史関係がほとんど売れなかったのも初めてだ。(11/6)


 「高倉健 七つの貌をもつ男」読む。本自体は、いかにも週刊誌記者の書いた表面的な本だが、死後の養女の登場と、その徹底した高倉健の痕跡の消去ぶりには驚いた。18年、日陰者に耐えていた者の、一世一代の大反逆とでもいうか。(11月)

 大江健三郎「芽むりし仔撃ち」、何十年ぶりかで再読。名作である。初期の大江は、いまだにみずみずしい。高校生の自分が熱中したのも無理はない。(文体まで、マネしたものだ)。

 大江「河馬に噛まれる」読了。85年刊行直後に読んだはずだが、ほとんど覚えていない。半分は私小説風エッセイ。いやいや、やっぱりよくできた「フィクション」。これを全部「事実」だと思って読んだら、足をすくわれる。実在の人物や事件も登場してくるし、私小説風エッセイの体裁をとっているが、実はフィクションなのだ。そこが、ずるい。
 青年のその後が気になる。少年16歳って、たしか愛知出身だったよね。(*)

 大江健三郎「万延元年のフットボール」再読。高校生の時以来だから、45年ぶりぐらいか。しかし予想に反して面白かった。重厚な傑作である。十年後の「芽むりし仔撃ち」として読んだ。この時期の大江は充実していたな。ストーンズでいうなら、さしずめレット・イット・ブリード。はっきり言って、おれには中上健次よりこの頃の大江の作品の方がずっと面白い。十代の頃読んだ小説を六十を過ぎてから読み返す愉しみ。(12月)

 大江健三郎「懐かしい年への手紙」(1987)読了。どっしりとよく書きこんである自伝的作品。ダンテを導きに。しかし読むのも時間がかかった。ギー兄さんとはだれか?


◎2018年

 ダンテ「神曲」原基晶訳で読み進めている。今回はなんとか「天国篇」まで、至りたい。(1月)

 今道友信「ダンテ神曲講義」、you tubeで見始める(全15回)。約20年前(1997〜8)の講義の録画だが、落ち着いていて素晴らしい内容だ。これでひと冬過ごせる、というぐらいの感じ。非常に知的レベルの高い話に教えられる。知的レベルが高いとは、つまり倫理的に高いということ。

 西部邁(78)、多摩川で入水自殺(1/21)。

 「ダンテ神曲講義」13、14、15回全視聴。今道友信は「天国篇」こそ、深く論じ考えるべき世界だという。実に内容の濃い講義だった。古典を読むとは、こういうことなのか。いまにして初めて実感させられる。こんなものを全部ただで視聴できるなんて、ネットもありがたい。(2月)

 「イリアス」「オデュッセイア」読了。冥土への土産だな、これは。

 石牟礼道子死去。90歳。(2/10)

 「アエネイス」散文訳、Amazon Kindleの電子本で読了。訳のせいもあるが、やはりホメロスの方が断然面白いね。特にイタリア上陸後の後半の戦闘場面は、「イリアス」のような迫真力がない。ダンテには悪いが、ホメロスにはかなわない。

 「ファウスト第2部」池内紀訳で再読。大変漫画的なファウストだったが、最近ホメロスを読んでいたこともあり、第2部面白い。ギリシア神話を読み返したい。

 女房が図書館から借りてきた伊藤詩織「ブラックボックス」読む。辛い本だ。真実を語るのは、辛い。

 「オイディプス王」福田訳、やはり圧倒的な読後感。この年になって、まだ新鮮な印象。オイディプス…、真実をとことん追い求めると、何が見えてくるのか?(3月)

 田川建三「イエスという男」(80年)再読。歴史の現実を生きた男としてのイエス。イエスを実際の歴史の現場に立たせてみると…。

 「もともとが、社会の中の人間なんだよ、こういうやつは。だからいつかは途中で止めるよ。…社会から蹴り出されるのじゃなくて、自分から社会の外に出た人間は、また途中で止めて自分から社会の中に戻っていくと、いったのじゃなかったか!」(「洪水はわが魂に及び」ボオイ抵抗す)

 「私があくまで普通の頭で考えているのはね、自分をどんな些細なことにも特権化しないで、なんでもない人として生きているかぎり、余裕があるということだわ。その上で自分なりに力をつくせばいいわけね」大江「静かな生活」

 大江健三郎「人生の親戚」読了。人物と小説の構成があまりに図式的。「悲しみ」が感じられない。

 大江健三郎「燃えあがる緑の木」(三部作)読了。オウム事件のあった翌年(95年)に最終巻が出ている。いかにも90年代に書かれた小説といった感じだ。「懐かしい年への手紙」の続篇として、それまでの大江の総決算の小説といっていい。しかし、読後感はいまひとつ。さきのギー兄さんはよく描かれていたが、今回のギー兄さんはリアリティが薄い。作為性が目立つ。何とか形をまとめあげた小説、という感じだな。(4月)

 大江健三郎「晩年様式集」読了。ほとんど個人通信だね、これは。これが最後の作品となるのか。では、俺はどう老いるのか。すでに60歳の定点は越えている。

 ラミュ「アルプスの恐怖」読む。傑作。寓話的でもあり、現代的でもある。これぞ小説だ。大江のつまらない疑似的小説のあとに読んだから、よけいそう思う。(*)

 タルコフスキー「僕の村は戦場だった」。何年ぶりかでDVDで観る。やはり全編、水、水、水…だ。「ローラーとバイオリン」(60)からわずか2年で、これだけの作品ができたのかと驚く。しかし、シリアスだった。

 夜寝る前に、矢内原忠雄「ダンテ神曲講義」ゆっくり読み進めている。昭和17年4月から、週1回行われた土曜講義。全然旧さを感じさせない。(5月)

 愛媛県から加計学園問題の新資料提出されるも、アベ相変わらずシカト。ここまで誰が見ても事実関係が明らかになっているのに、大臣一人辞めさせられないなんて…。これほどひどい内閣がかつてあっただろうか? ここまで国民が侮辱されていて、政治テロひとつ起こらないとは、不思議でならない。

 中島義道「人生を〈半分〉降りる」再読。いま読むとダラダラと引用ばかりの本だな。

 カーレン・ブリクセン「運命奇譚」読了。やはり名作である。とくに「不滅の物語」が秀逸。

 ディネセン「冬の物語」読了。名作。珠玉の物語集。

 矢内原忠雄「ダンテ神曲講義・煉獄篇」読了。昭和18年12月18日の講義で、煉獄を出る。あの時代に、よくもこれだけ毎週コツコツと読み進めたものだと思う。(6月)

 麻原彰晃他、オウム真理教幹部7人に死刑執行(法相・上川陽子)。(7/6)

 「死刑こそが国家暴力の母型である。それは戦争というスペクタルの、最小単位の顕示である」(辺見庸)

 ウィリアム・トレヴァー「ふたつの人生」読了。「ツルゲーネフを読む声」は秀作だったが、「ウンブリアのわたしの家」は退屈だった。爆弾事件を題材に、かなり無理して作った小説。やはりこの作家は、短篇に力量を発揮する人なのだろう。(7月)(*)

 ヨーゼフ・ロート「ラデツキー行進曲」。没落するハプスブルク帝国への哀愁とおかしみ。大変面白い。これだけの名作をいままで知らなかったなんて。亡き親友のTと読後感を語り合いたくなってきた。

 大相撲、御嶽海優勝。木曽福島・ラーメン55では、全品半額セール。列に並んで、ざるラーメンと山賊焼。超混、クーラーなし。
 夕、名物の祭り「みこしまくり」見物。新造のみこしを担いで路地を回り、最後はぶっ壊す。担ぎ手は肉食も女も絶ち、精進潔斎してこの日に備える。見ていて、なぜかエレキ・ギターを壊すジミ・ヘンやピート・タウンゼントを思い出してしまった。(7/23)

 オウム死刑囚6人に、死刑執行。同じ日に13人(法相・上川洋子)。(7/26)

 デーブリーン「ベルリン・アレクサンダー広場」新訳で再読。今度は面白く読めた。前作のインド神話「マナス」を読んでいるから。「マナス」の主人公が、時代を超えてベルリンの巷に登場したのだ。そう考えると、よくわかる。

 「ヒマラヤ音巡礼」伊藤公朗、読了。バドリナートのスワミジに弟子入りするところから、師に従っての聖地巡礼までは面白かったのだけど、インド音楽の話以降の後半は腰砕け。奥さんの文章はさらに余計。光るものはいろいろありながら、全体としては中途半端な本だった(彼らの演奏のように?)(8月)

 沖縄翁長知事死去、67歳。殉死というべきか。

 DVD「ベルリン・アレクサンダー広場」(ファスビンダー監督)全13話+エピローグ、ついに見終わる。第5話で悪役のラインホルトが登場してきてから、ぐっと面白くなる。配役も見事にはまっていた。でも原作に比べるとかなり退屈。ただしエピローグだけは別格。これが撮りたくて、監督はここまで我慢したのかと思うくらいだ。音楽も、エピローグだけは良かった。ジャニス、ルー・リード、レナード・コーエン。やはり時代の映画だ。(ただしTVだが)。

 シャラーモフ「極北 コルイマ物語」(図書館本)読了。ソルジェニーツィンより、鋭い。全訳が読みたい。

 黛まどか「奇跡の四国遍路」読む。この手の本としては出色の出来。やはり通しで歩かないとみえてこないものがある。 

 高遠ブックフェスティバル古本市(9/15〜17)。会場空き店舗の前の道路、電柱ケーブル埋設工事で、重機・トラックの騒音・排ガスでごった返している。最悪。終日、一人でレジ。にもかかわらず、少しは客も入る。(売上全体で約15万円。過去最低か。来年は撤退?)。
 高遠古本市には、やはりブルースが似合う。騒音除けに、マーク・ノップラー。


 高橋和巳「邪宗門」40年越しで、ついに読了。やはり圧倒的な読後感。これが小説というものだ。著者三十代半ば頃の作品。大きな作家だった。もうこんな書き手は、日本には現れないだろう。(9月)(*)

 奈良のキトラ文庫安田有さんより、詩文集「昭和ガキ伝」届く。28年ぶりの詩集。

 岡谷古本市(10/27〜11/4)。マザーアース売上、約10万円。大半が300〜500円本。(紛失本も10冊ほどあり)。

 カスタネダ「呪師になる イスクラトンへの旅」3作目。前2作よりは読ませる、が、やはり寓話的。さすがにもう面白くない。→「呪術師カスタネダ」、フィクションとの指摘に納得する。(11月)

 小野田襄二「夫婦・耐性実験」1999年、読了。「遠くまで行くんだ」「劫」の小野田の本と知って手に取った。俺たちも、こんなふうな夫婦の会話を繰り返していた時期が、かつてあったなと思う。しかしもういま、これをやる気はないよ。こういうところにいたのか、小野田は。後味よくない、読後感。

 藤原新也Cat Warkで、3年4か月ぶりにシリアで解放された安田純平にインタビュー。「自分を押し留める時の方が、先に出て行く時よりもエネルギーがいる」。

 ユング「赤の書」(テキスト版)読んでいる。難渋。
→結局、最後まで読み切れず、諦める。これを生前、出版しなかったのも頷ける。小説として完成しているわけでもない、評論でもない、エッセイでもない、混沌とした私的書きもの。(12月)

 広河隆一(75歳)。セクハラ問題、週刊文春でスクープ。きちんと取材してある署名記事だ。反原発運動をはじめ、パレスチナ支援運動など、ある種の若い人たちへの影響ははかりしれない。要するに自己権力への居直り。最低だ。

 ヨーゼフ・ロート「ヨブ ある平凡な男のロマン」読了。結末はだいたい予想していたとはいえ、目頭が熱くなる。名作だ。

 人が亡くなると、物が残る。思い出は薄れていく。(年の瀬に)。


◎2019年

 「賀状仕舞い」。

 大江健三郎「取替子」読了。伊丹十三のことを、これだけは書いておきたいという切実さが感じられて、それなりに面白かった。(1月)

 大江「さようなら 私の本よ!」読了。晩年の古義人シリーズの中では一番面白かった。自分の軽井沢の別荘を爆破する、というのがよい。久々に反社会的な作家の一面が前面に出てきて、読ませた。

 「到達点ではなく、通過点を重ねてこの世から消えるような…」(津野海太郎「最後の読書」

 大江「日常生活の冒険」何十年ぶりかで、再読。高校生の時以来か。疾走していたね、若き日の伊丹十三をモデルに。

 大江「揩スしアナベル・リイ 総毛立ちつ身かまりつ」読む。晩年の秀作。

 大江「水死小説」老人の饒舌。余分な分を削るのは力が要る。くどい。辻褄合わせの、思わせぶり退屈小説。(2月)

 黒川創「鶴見俊輔伝」。よく書きこんでいる。特に敗戦までが面白い。

 加藤典洋死去(71歳)肺炎。(5月)

 「あちらにいる鬼」井上荒野、読了。よく書いたものだ。これは、光晴の娘であった彼女以外、誰にも書けない小説だ。よくここまで対象化しえたものだ。実の父親と愛人と母親の関係を。感心した。作家55〜57歳にかけての作品。

 「ピンポンさん 荻村伊智朗伝」一気に読了。大変面白かった。織部幸治とか、昔の卓球仲間の話などもでてきて、なつかしかった。それにしても山に籠った1980年代以降、市民社会からはぐーんと離れてしまった自分。まるで外国の物語を読んでいるような気分になる。(6月)

 水村美苗「日本語が滅びるとき」読了。大変説得力のある内容だ、と英語(普遍語)をまともにできない日本語文学の愛好家のおれは思う。

 辰野美術館「天野惣平作品展」。昨年4月に死去、64歳。昔住んでいた廃村の隣人。作品はそれなりに面白かったが、すべて抽象で「無題」。ソファに置いてあった奥さんの手書きの詩文集「冬からふゆ」が、一番印象に残った。芝平=冬だった。山の冬。閉ざされた…。

 京都アニメーション、テロ放火事件。33名死亡。衝撃的。なぜ? あまりに悲惨。毎日のようにテロ事件が起きる「平和な」日本。(7/18)

 先の大戦中にリトアニア領事代理として、ユダヤ人難民6000人にビザを発給し、1985年にイスラエル政府から賞を受けた杉原千畝夫人の幸子と次男千暁が、2002年、シャロン首相に親書を送った。「パレスチナから勇気ある撤退をしていただきたい…」と。

 笠井潔「オイディプス症候群」読んでいる。前作よりは、雑。今回は、フーコー。しかし、それなりに面白い。(8月)

 「永山則夫 封印された鑑定記録」堀川恵子、読了。自らをスメルジャコフだと思っていた永山。

 船戸与一「蝦夷地別件」読了。こんなに熱中して小説を読んだのも久しぶりだ。この著者の最高傑作だと思う。読み終わるなり再読。(9月)

 高遠ブックフェスティバル古本市(9/14〜16)。30箱+文庫。蟻屋書房は絵本・児童書ばかり、陽炎堂は掛け軸中心。皆、アリバイ的に出している。それでも毎年来る常連客がまとめ買いしてくれたりして、トータルで売り上げ132700円。内マザーアース54850円。

 船戸与一「満州国演義」読み続けている。現在、第5巻「灰塵の暦」。初めは退屈だったが、3巻位から面白くなる。スケールの大きな作家だった。(11月)

 「満州国演義」全9巻、ついに読了。長かった。小説というよりも、これは船戸版大東亜戦争史か。(12月)


◎2020年 

*新型コロナ感染拡大 


 船戸与一「新雨月 戊辰戦役朧夜話」読了。後の太平洋戦争の日本の敗け方を、会津藩の敗け方は暗示している。小説の出来としては、△。(1月)

 船戸与一「夜のオデュッセイア」。初期の傑作。乾いた文体、テンポ、展開。面白かった。

 船戸与一「流砂の塔」読了。あまりに作り物すぎていて、人物も目まぐるしく入れ替わり、しかも暗く、読んでいてたのしくない。

 ゴミ収集の仕事をしていたF君から預かった古書整理。江戸時代の漢和辞典とか、呪詛の法とか、尺八の楽譜(昭和初年代)とか、「日本の古本屋」で万円単位の値段がついている古書もあり。いずれヤフオクで出品する。

 ラジオ深夜便、横尾忠則83歳「あの世へ行っても、やることがいろいろとあるからね」。精神世界を生きる。(2月)

 散歩がてら高遠だるま市へ。相変わらず凄い人出。丘からの雪を被った南ア仙丈の眺めは新鮮。蟻屋書房のIさんに会って立ち話。月影のOさんが空家物件を見つけた富山へ、Iさんも古書段ボール100箱持って引っ越す予定とか。道理でバス停前の店は、殆ど棚もガラガラ。田舎も一か所に十年いれば、そろそろ動くたくなる。(2/11)

 新型コロナ・ウイルス、日に日に感染拡大中。

 大江「戦いの今日」読む。初期の短編だが、米脱走兵のこと扱っていて、先駆的。

 日本の古本屋メールマガジン自著を語る「本を売る技術」で、元池袋芳林堂の同僚矢部さんを発見。編集部宛にメールを書いたら、著者から返事あり。懐かしい。

 飼猫のミミ(8歳)が、2Fテラスの屋根から雪で滑って落ちかける。発情気味なのか、その後パソコンデスクの上に乗ったり、やたら俺にからんでくる。そしてふと気がつくと、俺の文庫本の本棚に尻向けて、小便を噴射! ああ、何ということだ! ミミをどなりまくる。一番大事にしていた「神曲」の新訳本とか、辻まことの文庫本等が猫の小便を浴びる!

 「イリアス」の面白さは、地上の人間の戦いに、天上の神々が入り乱れて争う混沌の世界にある。地と天はつながっているのだ。(3月)

 カミュ「ペスト」。新型コロナ・ウイルスのニュースと同時進行で、読み直している。(⇒ 伊那谷スケッチ「木曽路を歩きながら新型コロナウィルスについて思う」)

 「手紙、栞を添えて」辻邦生・水村美苗。いい本だ。長らく人と、本当の対話をしていないことに気づく。(4月)

 岡谷古本市、コロナで中止。その代わり、連休に入ってからネットで本売れまくっている。これを喜ぶべきなのかどうか。(5月)

 「疫病と世界史」マクニール、総花的で面白くない。ただスペイン人が新大陸に天然痘を持ちこんだことにより、アステカ帝国が滅んだという説は、説得力がある。

 久々に活字の本を読む。「漂巽紀畧」ジョン万次郎述。面白い。鶴見俊輔の万次郎伝よりも、よほどリアル。(6月)

 桶谷秀昭「昭和精神史・戦後篇」読了。忘れかけていた諸々の復習として、面白かった。しかし、最終章の「昭和天皇」の記述の甘ったるさは何だろう?

 「昭和精神史」の延長で、三島「春の雪」読了。最後のロマンだな、これは。久々に美しい日本語を堪能した。(7月)

 三島「奔馬」読了。後半、本多が判事の職を投げ打って、清顕が転生した勲の弁護に回るところからが、面白い。現実界に輪廻の時間が少しずつ食い入ってきて、本多の生の流れを変える。

 三島「暁の寺」。インドのシーンはよく描きこんではいるが、結局、バラナシのガートを舟から眺めただけじゃないか、と俺など思ってしまう。第一部は思弁的にすぎ、第二部は辻つま合わせのドタバタ劇で、「見る」ことのエロティシズムも、「午後の曳航」のような純粋さはない。小説の出来としては、△。しかし、これはどうしても書かなければいけなかったのだろう。
 
 大西巨人・遺作「日本人論争」読む。ratuation? 福島の事故の後、原発賛成に転じた短文が、最後の文章。

 久々にHPにアップ。(⇒「本の運命第10話 水晶の死 80年代追悼文集」)

 森達也「A3」読了。麻原が完全に壊れていたことはわかったが、後半は、?をめぐって堂々めぐりの感。「こんな市民社会、つぶれてしまえ!」と、誰も思ったことがないのだろうか?

 宮内勝典「善悪の彼岸」、藤原新也「黄泉の犬」たて続けに読む。共に十年ぶりかで再読。「黄泉の犬」がぐっと面白かった。十年たつと、読み方も変わる。やはり人生の最後に、もう一度インドに行きたくなってきた。

 夢の世界でよく行ったことのある古本屋街を歩いている。早稲田か中央線界隈を思い起こさせる古本屋街。掘り出しがありそうないつもの店に入ろうとしたところで、眼鏡を忘れてきたことに気づいて取りに帰ろうとするところで目が覚めた。以前はこの夢の中の古本屋で掘り出しを見つけて、タイトルまで覚えていたこともある。(8月)

 「ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯」読む。期せずして裏から見た中東現代史ともなっていて、なかなか面白かった。

 コロナ感染者全国で1600人超(最高)。東京462、大阪255、愛知158、沖縄100。沖縄は深刻だ。(8/7)

 秋の高遠古本市も中止。

 三島「鏡子の家」読了。第二部はがらっと雰囲気が変わり、それぞれの登場人物がそれぞれの仕方で不幸に直面する話でなかなか面白かったが、終わり方は凡庸。しかしこれが昭和29年という時代設定なんだからな(自分が生まれた年)。戦死した兄の話や吉田茂内閣総辞職のことなど出てこなければ、現代の話としても十分読める。(8月)

 「午後の曳航」再読了。名作だが、いま読むと「酒鬼薔薇事件」など連想してしまう。三島の作品は予言的だった。

 ポール・オースター「サンセット・パーク」読了。「傷とは人生の本質的な要素であって、何らかの形で傷を負うまで人は大人になれない」。それぞれの傷を克服し、あるいは変換し、あるいは引き摺って生きていく物語。すぐ読めて面白かったけれど、野球の話などいかにも現代アメリカ小説。この人の作品は駄作はないけれど、読み終わるとすぐ忘れてしまう。

 奈良の安田有さんからキトラ文庫目録「莢」15号届く。健在。

 夜、ヨーゼフ・ロート「ある殺人者の告白」読み終わって寝る。

 ヨーゼフ・ロート「第千二夜物語」、ぐんぐん読み進めている。「ラデツキー行進曲」に迫る傑作だ。「珊瑚商人譚」も〇。

 五木寛之・姜 尚中「漂流者の生きかた」読む。出だしに、例によってゴーリキーの「ふさぎの虫」の話が出てきたので、これってチェーホフの間違いじゃなかったけと調べてみたら、二人ともおなじTockaという短編を書いていたことが判明。しかも二葉亭が訳したのは、五木先生の言う通りゴーリキーの方だった。

 ヨーゼフ・ロート「ラデツキー行進曲」第一部再読。さすが、ぐいぐい読ませる。男の小説。没落する帝国を背景にした父と子の物語。
「ラデツキー行進曲」読了。前回読んだのが、調べてみるとわずか2年前。それなのにストーリーはほとんど忘れていた。こういう終わり方をしたのか、という感じで読み終えた。
 ちなみに前回の感想は、「これほどの名作だとは知らなかった。全編に流れるユーモアとペーソスが、おかしみはそのままに哀愁へと移り変わってゆく。読み終わって目頭を熱くする思いを禁じ得なかった。小説でしか描けない歴史の真実というものがある」。

 祝!安部、潰瘍性大腸炎で辞意表明。病気だろうがなんだろうがめでたいことである。やれやれ、やーれやれである。本当に長かった。おれと同い年だから、余計に目の上のたん瘤みたいでうっとうしくてならなかった。安部のような最低の権力者を生んでしまったことこそ、おれたちの世代の駄目さでもある。高校・大学時代、まさか自分たちの同世代から、こんなどうしようもない権力者が出てくるだろうとは、当時のデモに参加していた誰ひとり思っていなかったはずだ。なあそうだろう、元成蹊高校新聞部のT君。

 ヨーゼフ・ロート「タラバス この世の客」読了。面白かった。ところどころのシーンで読んだ記憶はあるのだが、全体としては初めて読むような感じ。初読時は印象薄かったのだろう。しかし今回は一気に読んだ。たしかに無理がある話ではあるが、迫ってくるものがある。

 ヨーゼフ・ロート「ヨブ ある平凡な男のロマン」再読。ロートにしては珍しくハッピーエンドで終わる小説。やや図式的か。しかしそうでもしなければ、まったく救いがない。

 ヨーゼフ・ロートの短編集「聖なる酔っぱらいの伝説」再読。「皇帝の胸像」がやはりよかった。このところなぜかロートばかり読んできた。結局「ラデツキー行進曲」と、晩年の「第千二夜物語」が作者の本領発揮というところか。「ヨブ」はあまり買わない。(9月)

 「ジョージ・オーウェル日記」読み始めた。「ホップ摘み日記」1931年、「ウィガン波止場への道日記」1936年、「モロッコ日記」1938〜39年と読み進めてきたが、間にはさまっている「家事日記」が面白い。戦争が始まるまでは彼も田舎で畑をやり、山羊や鶏を飼っていたのだ。時事的な記録の合間合間に、畑仕事や家畜等との日常の諸事がはさまる。政治という大状況と家事という小状況の呼応。マクロとミクロの照らし合いとでもいうか、そこが面白い。(*)

 「オーウェル日記」読み続けている。「家事日記」には、プライベートなことが一切書かれていない。そこが徹底している。これはこれで何ものかだ。

 「看取り犬・文福 人の命に寄り添う奇跡のペット物語」読む。何か他人事に思えない。殺処分寸前までいって救われた犬だからこその予兆能力なのか。

 オーウェル「空気を求めて」流し読みで読了。ヨーゼフ・ロートのあとに読むと、これはB級小説だな。翻訳の問題もあるけど、ある階層のイギリス人にしかわからないウイットとかユーモアとか皮肉とかが多すぎる。小説のつくりも、ある程度までいくと先が読めてしまうんだよね。これをマラケシュで書いていたのか。スペイン内戦で死にかけた後だから、抜きたかったのかな?と思ってしまう。ルポとエッセイは一級品を残したオーウェルだが、小説家としてはいまいちという印象。  

 船戸与一「三都物語」読了。思ったより面白かったよ。プロ野球を題材に、横浜・台湾・韓国と結んで話は進むが、政治はあくまで背景に。しかしいつか政治に絡めとられる宿命。こういう軽いタッチの小説がいいよな、船戸は。

 船戸与一「かくも短き眠り」を少しずつ読んで寝た。ルーマニアのチャウシェスク政権が倒れ、ベルリンの壁が崩壊したあとの物語。前半はなかなか読ませたが、最後は例のごとく血なまぐさい殺戮の連鎖で終わる。疲れて久々に手を出した船戸本だが、またちょっと気分を変えたい。

 笠井潔「吸血鬼と精神分析」流し読みで読了。筋だけは追った。今回はラカンとクリステヴァ。前回のフーコーよりは面白かったが、とても熟読する元気はない。

  近年、共感をもって読んできた作家の共通項に気づく。皆ジャーナリスト出身で、小説を書いた。ジャーナリストとしても一級の仕事をし、その経験を生かして小説を書いた。長生きはしなかった。
 ヨーゼフ・ロート 1894-1939 享年44歳(オーストリア=ハンガリー帝国ガリツィア生れ ユダヤ人 パリに死す) ドイツ語
 ワシーリイ・グロスマン 1905-1964 58歳(ウクライナ生れ ユダヤ人) ロシア語
 ジョージ・オーウェル 1903-1950 47歳(インド・ベンガル生れ ロンドンに死す) 英語

 朝、FMでピーター・バラカンのウィークエンド・サンシャインを聞いていたら、明日がジャニス・ジョップリンの命日でありことを知った。なんとジャニスが逝ってからもう50年! 夜、一杯飲んでからyoutubeで久々に彼女の昔のライブ音源を見る。モンタレー・ポップのBall & Chainの絶唱など、涙なしには見れなかった。50年か、とため息が出る。(10月)

 2か月前、終活のため本を整理したいと言われ、本を引き取りに行った職場の元同僚Sさんの携帯に電話したら、兄が出てSさんが亡くなったことを知る。1週間前に古本のお礼を兼ねて諏訪の自宅を訪ねたが留守で、携帯にも出なかった。メモをつけて手土産だけ置いてきたが、ずっと連絡がなかった。癌が肺に転移して再入院。兄さんが神奈川から駆けつけたが、コロナの関係で面会できず、死ぬ三日前にようやく会えたがろくに話もできなかったらしい。連絡がこないので、おかしいな、また入院しているのかと思ってはいたが、もう亡くなっていたとは…。人が亡くなるときは一気に逝くんだね。
 それにしても今年は親しくしていた人が、次々にいなくなっていく。コロナ禍の年の瀬である。

◎2021年 

*コロナ禍続く それでもやるのか東京五輪

 ル・グウィン「ギフト」「ボイス」「パワー」と一気に読了。原代は「Gifts」「Voices」「Powers」と全て複数形。その意味が、全部読み終ってよくわかる。これはル・グウィンのライフ・ワークだ。(1月)(*)

 朝、郵便局で本を発送してから、犬と天竜川岸を散歩。ふと見ると中州を鹿の群れが4頭、駒ヶ根方面へ疾走していった。野生の躍動。感動した。ハンターに撃たれるなよ。

 ゲド戦記「帰還」再読。前作「さいはての島」から18年(1990)。ぐっと深くなった。大人の文学。

 「アースシーの風」。無理してまとめた感、否めない。ゲド戦記5部作で最高傑作は、やはり4作目「帰還」。次に、最初の「影との戦い」。

 セリーヌ「リゴドン」。やっぱり、猫のベベールだよな、気になるのは。本は冒頭に「動物たちへ」とある。

 毎日新聞の文芸時評見て、室井光弘が一昨年亡くなっていたことを知る。福島会津出身。2011年、大震災の後、商業的執筆はやめたらしい。(2021・4)

 AKIRA全6巻読了。もういい、わかった。

 連休中の岡谷古本市の件で連絡あり。ただし今回はコロナで外のテントのみ。搬入日も都合つかず、出店しない。

 朝日新聞が、とうとう「東京五輪中止を」の社説を出す。当たり前だ。(5/26)

 緊急承認されたコロナ・ワクチン(治験中)が、すべてを解決するという前提に立って世界が動いている。異様としか言いようがない。

 DVDで「ザ・バンド Once were Brothers」観る。前半はサクセス・ストーリー、後半は没落物語。(5月)

 you tubeで、2018年のストーンズ・ライブ(プラハ)。75歳のミックがステージを走り、キースがギンギンにギターを弾く。ガイコツのようなチャーリーがドラムを叩く。現役の老人バンド。クラプトンのクロスロード2019も、白髪のお爺さんたちが熱演していた。老人ロック。で、おれは?(6月)

 コロナ禍の中、東京五輪開会式。すべて茶番。(7/23)

 野間宏「青年の環」(岩波文庫)第1巻読了。冥土の土産のつもり。まだ読んでいなかった長編小説。目がみえる間に。(7月)

 野間宏「青年の環」第3巻まで読了。田口吉喜=スメルジャコフ。部落。大道和泉ー矢花正行。ここまできたら、もう最後まで読み進めるしかないだろう。20世紀文学としての8000枚。(8月)

 「青年の環」第5巻読了。読み終えられて、良かった。冥土のみやげになる。死ぬまでに一度は読んでおきたい本がある。いままで読んだ中で、最長のスローな小説か(「大菩薩峠」に次ぐ? しかし文体の密度がちがうからな)。(*)

 ストーンズ チャーリー・ワッツ死去(80歳)。

 水村美苗「本格小説」(上)読了。読ませる。傑作。とくに千歳船橋に来てからが。少年の頃を、いろいろと思い出す。

 元太田出版の高瀬幸途氏が、2019年4月に大動脈解離で死去していたことを、たまたまネットで調べていて知る。お世話になりました。ご冥福を祈ります。

 岡谷笠原書店月替り古本市搬入(9/6)。補充含めて計18箱。帰り、辰野のガード下の抜け道で、交通警察のヤラセに引っかかる。一時停止違反で、罰金7000円。これで次回の免許証もゴールドではなくなり、結構な痛手。この元を取るのに、何冊本を売ればいいのか。やれやれ、である。

 笠原書店引き上げ(10/14)。計193点、売上約13万円×0.75。 

 山をぐんぐん登って、大鹿村の知人宅まで本の買取り。終活だから、本代はいらないという。最近こういう人が増えた。仏教や精神世界の本を中心に段ボール5箱ほど。一升瓶一本置いてくる。


 中沢新一「人類最古の哲学」。ソーマ(ベニテングタケ)を食べた神官たちの尿を、儀式として飲んだという話、面白い。(12月)


◎2022年 

*ロシア、ウクライナに侵攻。安部銃殺。国葬。

 岡谷新年古本市(1/8〜13)。雪の後凍ってツルツルの道を行き来するが、売上39600円(過去最低)。かつてのような町あげてのイベントの一環としてやるのでなければ、単独で古書組合のみなさんがいくらがんばっても、こんなものだろう。もう完全に頭打ち。月影のOさんも、うまく見切りをつけて新天地へ移住したものだ。来年は出ないな。

 ロシア、ウクライナに侵攻。戦争始まる。(2/24)

 アンドレイ・クルコフ(「ペンギンの憂鬱」のウクライナの作家)いわく、「ロシア語で話すことが恥ずかしい」。ロシア語で書いている作家が、こういうことを言わざるをえない。そこまできているんだよ、状況は。(3月)

 DVD「スワノセ・第4世界」(上野圭一監督・1976年)見る。40年ぶりぐらい? いま見ると、やはり前半が面白かった。後半はもっと長かったような気がするのだが、ナナオのフリーソングを聴いていて、清水平で満月の夜はよくナナオが吠えていたと言っていた実さんの言葉を思い出した。
 もうひとつ思い出したのは、太古の時間ということ。清水平の目の前の崖にはそれがあった。ウクライナ戦争や核戦争も、「太古の時間」という感覚から捉え直してみること。三省はそれを「直進する時間と回帰する時間」と言った。(4月)

 王兵監督「鉄西区」(2002年)、DVDで観始める。圧倒的な印象。

 本の在庫を、古本市用/ヤフオク用/アマゾン用に分ける。
ちなみに1000円で売れた場合の実収入は、ヤフオク912円/古本市800円/アマゾン658円。

 安部、銃撃され心肺停止(11:30)→死亡(17:00) 天誅下る! 1週間前に亡くなった元政治記者の親父と飲めなかったのが残念。(7/8)

 安部を国葬にするのだと? 呆れてものが言えない。こういうかたちで新たなファッショは進行していくのだ。

 サルマン・ラシュディ、NYで刺される。(7/13)

 鮫島浩「朝日新聞政治部」読了。ふむ、なるほど、やっぱり…。昔、「ブル新」という言葉があった。すでに死語となった新左翼用語か。「ブル新」の実態を暴露した本だが、著者自身、あまりに新聞・ジャーナリズムというものに、幻想を抱きすぎていたのではないか。

 宮台真司、都立大構内で刺される。(11/29)

 「もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇 チャーズ」遠藤誉、一気に読む。よくここまで書いたものだ。
「ひとたびこの柵を越えたら、絶対に二度と再び、長春市内に引き返すことは許さない」(チャーズ)
「われを過ぎんとするものは、一切の望みを捨てよ」(神曲・地獄篇)。天国も地獄も、この世にあるのだ。(2022・12)

◎2023年 

*ガザ大虐殺始まる

 「嘘をつくな」… 昭和37年伊那で講演の後、子どもたちに一言といわれて、小林秀雄が色紙に記した言葉。(1月)

 駒村吉重「山靴の画文屋・辻まことのこと」。たんなる辻まこと論ではない。辻潤というふつうでない父親との葛藤が、時代背景と共にみごとに描かれている。秀作。対象との、つかず離れずの距離の取り方がみごと。

 特権意識と万能感。傲慢罪。安部と宮台に共通するものはないのか?

 「オーウェルの薔薇」レベッカ・ソルニット、読了。亡き母が大事にしていた実家の庭のバラも、全部伐ってしまったが…。バラは手入れしないと、トゲばかり広がってどうしようもないのだ。花については書かれても、トゲについて書かれていないのはなぜ? (2月)

 岡谷古本市へは出品せず。連休は富士見町高原のミュージアムで開催された「部族降臨 ヒッピーという生き方」展の企画で、ライブ「生坂村の詩と暮らし ナナオサカキの詩を歌う」に出演。「ラブレター」「田舎の古本市で」など計10曲歌う。客は10人位。等身大。(5/3)

 ネットで「大鹿村から吹くパラム」見る。リニア新幹線、村民の分断、土砂崩れ、…いろいろあるが、サイモンや若い釜沢の住民を中心に、よく雰囲気は出ていた。秀作。

 安部銃撃から1年。元弁護士の山上徹也のおじが語る。「統一教会によって人生を狂わされた男が、教会にエールを送っていた男を射殺」しただけの事。いたずらに公判を引き延ばすべきではない。(7月)

 大岡昇平「レイテ戦記」「野火」に続いて「武蔵野夫人」読了。「事故によらなければ悲劇が起らない、それが二十世紀である」。

 「反戦平和の詩画人 四國五郎」読む。後半が、いまひとつ。一気にアルツハイマーの晩年まで書いた方が、衝撃度があったのでは?

 小説「岸辺のアルバム」読了。名作。今読んでも、何か身につまされる。さらば世田谷、船橋の家よ。

 三島「金閣寺」再読。完璧な文体、構成だが、やはり好きにはなれない。

 大岡昇平「俘虜記」(合本)読む。前半は読ませたが、途中からくどくなる。後年、「レイテ戦記」を書かざるをえなかった理由がわかる。

 藤村「夜明け前」第一部、再読。大変よくわかる。木曽路を全部歩いたおかげで、実感としてわかるところがある。(8月)

 ザ・バンド ロビー・ロバートソン死去(80歳)。

 書庫の本を全部出して、久々にバルサンを焚く。本を抱えて、行ったり来たり。まだこれだけ残っているのか、在庫が。よく集めたものだ。

 ヤフオク2点、連絡も入金もなく、やむなく落札削除。たくさん出品すると、必ずこういうのが出てくる。しかもこの頃は増えた。


 佐野眞一「阿片王 満州の夜と霧」読了。終章に阿片常習者をめぐる思わせぶりな記述があるが、結局、里見甫は自分でも阿片を吸っていたのかどうか、その辺があいまい。
 続けて「甘粕正彦 乱心の廣野」読む。「阿片王」より、ずっと読み応えあり。権力の謀略。「木原事件」に至るまで、何も変わらず。(9月)

 西木正明「其の逝く処を知らず」読む。佐野「阿片王」に比べると、薄っぺらな小説。阿片をめぐる怪しげな匂いが、全然ただよってこない。平板。

 愛新覚羅・溥儀「わが半生」読む。前半はぐいぐい読ませたが、後半中国に連行されてからは、「毛沢東万歳」になってしまう。共産党当局から、ライターまで使わせて書いたものだからしょうがないが、あそこでガクンと落ちる。

 ネットでベルトリッチ監督「ラスト・エンペラー」(1987)。自伝とかなりちがうが、それなりに楽しめた。中国共産党の全面協力で、故宮(紫禁城)を数週間借り切って撮影したらしい。驚き。天安門事件(1989)の2年前に公開。

 北小路健「古文書の面白さ」読了。「木曽路文献の旅」の著者の自伝。満州で蔵書1万3千冊をロシア兵にすべて焼かれ、豚肉の行商をしながら、「夜明け前」の初版本に出会う。苦難の引き揚げから、木曽路にたどりつくまで。抜群に面白かった。(10月)(*)

 大室幹雄「桃源の夢想」、何とか通読。主題は面白いのだが、エピソードが膨れ上がりすぎて、どんどん別のテーマへずれていく。しかもこちらにほとんど知識のない古代中国史の故、前後関係がいよいよわからなくなる。最終的には本来のテーマに戻ってくるのだけど、読むのに骨が折れる。漢字の人名を読み分けるだけでも大変。

 ハマス、イスラエルにミサイル2000発以上、死者多数。イスラエルも報復。第5次中東戦争勃発か?(10/7)

 ガザ、病院に空爆。500人以上死亡。惨劇。(10/18)

 パレスチナ・ガザの地獄。これを世界はどうすることもできないのか。目の前に見ていながら。鬱の日々。

 サイードの晩年のインタビュー集「文化と抵抗」(2003)再読。やはり鋭い。パレスチナ問題の主要な論点、問題点は、この時点で全て出揃っている。そのことが、むしろむなしい。20年前で、これだったのだ。(11月)

 カナファーニー「太陽の男たち・ハイファに戻って」。ガザ、即時停戦・国連安保理決議案。15か国中、賛成13、棄権1(英)、米国の拒否権でまたしても葬られる。イスラエルによる虐殺・ジェノサイドは続く…。(12月)


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