おたまじゃくしのしっぽその2


2001.11.18〜2004.12.12
白井光子リサイタル&川畠成道リサイタル
「こうもり」OEK第168回定演
グァルネリ・デル・ジェス「ムンツ」
コシ・ファン・トゥッテ バーデン市立劇場金沢公演
映画のお話(その3)〜やっぱり怖かった〜
こまつ芸術劇場うららこけら落とし公演「勧進帳」
八月納涼歌舞伎「どんつく」「鼠小僧」
「ラ・ボエーム」&「壁抜け男」
映画のお話(その2)〜こんなのアリ?!
まつゆきそうをあなたに〜「森は生きている」
スウェーデン放送合唱団金沢公演
映画のお話〜天才少女の‘赤い靴’〜
さまよえるオランダ人は難民か?!


拍手って、難しいものだったんだ・・
白井光子&ハルトムート・ヘル リートデュオ・リサイタル シューベルト歌曲の世界U
                                        (in県立音楽堂コンサートホール 04.10.28)
川畠成道 ヴァイオリン・リサイタル (in県立音楽堂コンサートホール 04.12.9)

大晦日の晩になって、いまさら書いております。このページもそろそろ限界、2005年からは新しいページに行きます。
で、ムリヤリ思い出して二ヶ月前のコンサートから。

白井光子さんリサイタル チラシ 白井光子さんは日本人でありながら、ドイツ・リートの世界的名歌手(メゾ・ソプラノ)。
 OEK合唱団の佐々木先生のオススメで、団員の姿がいっぱい。
 実はこの日は組合のお仕事日でなかなか抜けられず、第一部はほとんど聴けなかったの
 です。(最後の1曲 「解消」)
 第2部から仲間に誘われて、2階バルコニー席,しかも舞台に1番近い所で聴きました。
 ・・・いやあ、いい席でしたよ。(もちろん私が買った席じゃあ〜ありません)歌い手の声,ピア
 ノの音がまっすぐ伝わってくる最高の席!わずか8曲+アンコールでしたが、もう満足満足・・
 と、言いたかったのですが。(・・あ、思い出すとだんだん腹が立ってきた)
 1曲歌い終わる毎に、それも響きが消えない内に拍手を入れる1部の人達がいたんですよ。
 リートの伴奏って、ホントに繊細で細部にわたって神経をとがらせて弾いているのです。
 その集中力たるや、凡人の推し量れるものでは無いと思う。それが無神経な拍手で邪魔され
 ていました。(もちろん聴く側もです。)演奏者はついに、残り数曲を切れ目ナシで演奏。
 もう、殴り込みに行きたいくらいでしたね〜。ホントに残念でした。


川畠成道さんは小さい時の病気で眼が不自由です。今年、日テレの「いつみても波瀾万丈」ヴェクシー:哀愁のトリステ アルバム
で、取り上げられていました。その影響か、会場は3階席まで一杯!びっくり!!
パンフの中には、ファンクラブのチラシが・・。これまたびっくり!!!
(彼のプロフィールの影響もあるでしょうが、実際ナマの演奏の様子を観るに、すごく心
引かれるものがあります。人気も当然でしょう。)
・・・こうなると、「拍手」が心配。先のコンサートがアレだったもんで、ヒヤヒヤしながら
開演を待ちました。
前半はフォーレの1番のソナタ、やっぱりと言おうか、1楽章毎に拍手が。
やっぱりソナタは拍手を入れるべきで無い。
(つまらない事に気を取られて集中して聴けない自分も情けない)
が、次のイザイの無伴奏ソナタは、大丈夫!今回のお客さん達は、緊張感のある
この曲の空気を察したのでしょう。私には初めて聴く曲でしたが、今回のプログラムの
中で、1番気に入った曲目でした。


川畠さん&ピアノのピエナールさんのサイン 後半はヴァイオリン名曲集。エルガーの「愛の挨拶」やマスネの「タイスの瞑想曲」など、
 おなじみの曲ばかり。こうなると拍手の方は遠慮は無用!
 終曲のサラサーテの「バスク奇想曲」など、圧巻でした。アンコールもトーク入りで何曲も
 演奏され、連れて行った娘も大満足。彼女は授業で聴いたバッハの「G線上のアリア」や
 グノーの「アベマリア」が聴けたのが、時にうれしかった模様。

 終了後、「ミーハー」をする。
 何枚か売られていたアルバムも中から、知らない曲の多かったものを購入、サイン会へ。
 (小作品集:アルバムタイトル曲からして知らない・・ヴェクシーって誰?)
 円盤に顔を付けるようにサインして頂きました。「イザイがよかったです」「アベマリアがよかったです」とか話しかけてて、握手していただくのを忘れました。・・・おしかった!!
2004.12.12UP



こうもり オーケストラ・アンサンブル金沢第168回定期公演
指揮;ジャン・ルイ・フォレスティエ 演出; わたべさちよ ロザリンデ;メラニー・ホリディ(in県立音楽堂コンサートホール)

おさぼり・・・であります。
オペラは皆出席だったんですが・・・今年だけは勘弁、10月は気持ちが合唱に行かない状況下にありまして。
たまに客席から冷静に眺めるのもいいかも・・・(と言いながらこれで二回目)。
ま、一族(!)から二人、娘と甥っ子が出てますので許してやってください。


チラシから 音楽堂では毎度おなじみ、コンサート形式です。
 前回の「トスカ」とは違って、以前「カルメン」で池田直樹氏が取った手法に近い演出で、
 ‘こうもり博士’こと、ファルケ(黒田 博)が物語の進行役を務めています。
 役柄から離れて、という立場で(しかも紙を見て)語っているのが、ちょっと物足りないかも。
 セリフも語りも入らない暗転になる間で、物語へのテンションが下がってしまうのです。
 舞台の造りは「トスカ」に同じ、オケが舞台真ん中に上がって前面と後ろの山台、
 中央の階段で 演技です。
 バレエも入るので、狭さは如何ともし難い。
 ま、そんなこんなも歌い手さん達の歌と演技でカバーしてくれました。
 アデーレ役の砂田恵美さん、素敵でした。
 アイゼンシュタイン役は病気で代役、ペーター・エーデルマン。
 愛人役(リシャード・カチコフスキー)よりかっこよく見えてしまうのはどんなものでしょう。
 メラニー・ホリディ・・・さすが・・ですが、もう10年早く来ていたら・・。
 Pの高音からのチェンジがちょいと悲しかった。

 さて、気になっていた合唱団。人数がスッキリしたのは良かった(さぼって正解・・・おい)。
 ‘舞踏会シーン’と言えば、「椿姫」で男声一人に女声三人の割合でペア組みましたけど、
 さすがに今回‘両手に花’状態で済んだようですし。
 「トスカ」の時のような‘満員電車’状態ではなくて、音楽に合わせてちょいと踊れるくらいの
 スペースはあったし。
女声の皆様、ドレスに気合いが入っていたので、一人一人目立ってよかったですよ。
(せめて前列と後列たまに交代したら・・・と思うのは‘小学校的’考え方かしら?)

エンジェルコーラスと特別編成バレエ団は、オルロフスキー公の舞踏会に、余興として招かれている設定で登場。
「美しく青きドナウ」を演奏しました。この場面ではJ.シュトラウスU世の作品からバレエが踊られるようですが、
TVで放送されたもので、ポルカ「雷鳴と電光」をやってたのを見たことがあります。
終わってから、娘が「ウチらどういう場面で出たの?」・・・頼むから誰か、事前に説明してやってくれ!!
2004.10.10UP



グァルネリ・デル・ジェス「ムンツ」コンサート
劉薇(リュウ・ウェイ)ヴァイオリン・リサイタル(in金沢市アートホール 2004.10.04)

ストラディヴァリウス等にならぶヴァイオリンの名器、グァルネリ・デル・ジェスのコンサート・・
じゃなくて、中国人ヴァイオリニスト劉薇(リュウ・ウェイ)のコンサートです。
・・・一体何をメインに聴きに行くコンサートなんだか、ようわからんタイトルなんですが。        
(と言う自分は、ピアノ伴奏の寺嶋陸也さんを目当てに行った・・・おい)パンフレット

グァルネリは40歳で亡くなり、残したヴァイオリンは40本ほどであり、
そのうち2本が日本音楽財団所有なのだそうです。
1本は「イザイ」。ヴァイオリニストであり作曲家であったウジェース・イザイ
が愛用していたものであり、現在はピンカス・ズッカーマンに生涯貸与。
(・・・いつからだ?私が生ズッカーマンを聴いた時は違うのか?)
もう1本の「ムンツ」が、現在劉薇さんに期限付きで貸与中です。

劉薇は中国蘭集州市生まれで、西安音楽学院を卒業後日本に留学、
桐朋音大を経て東京芸大の大学院の博士課程を修了されています。
博士論文が「馬思聡(マ・スツォン)」、文化大革命下の中国で迫害された
ヴァイオリン演奏家,作曲家について。劉薇さんは偉大な先輩の残した楽譜
(文化大革命のなかで四散した)を収集し、コンサートでの演奏やCD録音で
世界に紹介しています。

コンサートの前半はその馬思聡(マ・スツォン)の作品から。
後半はラヴェルやイザイ,エネスコのフランスに学んだ作曲家達(フランス・
ベルギー楽派)の作品から。(馬思聡もフランスで学んだ。)
いやあ、グァルネリ・デル・ジェスの低音の響きにどぎもを抜かれました。
あんなに豊かに響くヴァイオリンの音なんて知らない!大きいホールでも十分
響いた事でしょう。
今回のプログラムは馬思聡(マ・スツォン)の作品をはじめ、ラヴェルのツィガーヌ等どれも‘東方’のかおりのする
作品ばかりだったのですが、メランコリックな雰囲気がグァルネリ・デル・ジェスととても相性がいい感じでした。
(まともに‘古典’だと、どんな感じでしょうね?聴いてみたかったかも)

劉薇さんは文化大革命の頃にヴァイオリンの練習を始めたそうです。それも医者だった父親が、楽器が出来れば
娘を重労働から逃がす事が出来る、と言う理由で。(なんだかダン・タイ・ソンやら、‘戦場のピアニスト’の世界・・。)
お父様はヴァイオリンをノコギリで子供用に直したり、楽譜を手書きでコピーしたり、娘のために努力を惜しまなかった
ようです。アンコールはお父様の手書きの楽譜から、東欧映画の挿入曲(題名・作曲者忘れた)でした。
お父様はご存命かどうかわかりませんが、一番心にせまるメロディ・・だったと思う。
・・・・伴奏者目当てに行ったコンサートでしたが、2倍にも3倍にもおいしいコンサートでした。
           
 
2004.10.09 UP



コシ・ファン・トゥッテを見てきました。
オペラ・オペレッタクラッシックウィーンシリーズ ウィーンの森バーデン市立劇場
指揮 クリスティアン・ポーラック 演出 ルチア・メシュヴィッツ (in金沢市観光会館 2004.10.01)


チラシ
 ホントは行くのをあきらめてたんですが・・・。組合からS席の補助が出ていたのを
 申し込みそこねたし、開演1時間前まで拘束されていたし。
 が、3日前になってあわててチケットを買いに行きました。

 何の心境の変化かって?・・・「のだめカンタービレ」なんですよ〜。
 (ただ今「のだめカンタービレ」布教中・・・爆)
 音楽家を目指す青年達の群像を描いたマンガ(20字以内だとなんて美しい!)ですが、
 コミックスの5巻に、「コシ・ファン・トゥッテ」第一幕のドラベッラのアリアが出てきます。
 ヒーローに振られた声楽家志望の女の子がレッスンで歌う場面が、なかなか感動的!
 一週間前にハマったマンガ故に、オペラ観劇に走るわたしら親子って・・・。

  2階A席(5千円)を2枚購入したのですが、前方のS席(8千円)がごっそり空いてる!
 (一体どんな売り方してるのよっ!)2ベル鳴っても暗くなっても埋まらないので、
 喜々として空いた席に座りました。ほっほっほ〜!

「コシ・・」は、私自身は音のみ昔聴いたことが。兄が持っていたLPと、二期会のFM放送(!)
デスピーナがチョコレートの味見をして「んまぁ〜おいしい!」というセリフがやたら耳に残っております。
ストーリーとその場面以外はまったく覚えておりません。(いばって言える事か!)
序曲が始まり、舞台両横に設置された電光掲示板に、序曲の解説まで掲示されたのには、場内にどよめきが!
タダの解説書(楽譜入り・ストーリー要約マンガ入り144ページ!!)を配ったり、プレセミナーを開催したりと、
オペラのレクチャーの意味合いの濃いイベントだったようです。

いやぁ、ホントに楽しかった!
ひたすらドラベッラのアリア目当てに観に行ったようなものでしたが、
解説書・・144ページあってタダ!
フィオルディリージのアリアの技巧のスゴイ事!
四重唱,六重唱と、アンサンブルの美しいこと!歌い手さんの演技の楽しい事!
休憩の折りに、「オペラと言うよりオペレッタみたで楽しいねぇ〜」と言ってた方が
いらっしゃいましたが、ホントにそんな感じです。演奏会に連れて行くとはどっかで
居眠りをしている娘も、今回は最後まで楽しんで観ていました。
場面の変換にちょいと時間がかかって、空白の時間が生まれるのは残念でしたが、
休憩を入れて三時間内だったので、そんなに疲れない程度でした。

さて、「コシ・・」二人の若者が老哲学者にそそのかされて、恋人の美人姉妹の貞操を
試すと言う、女性にとってはちょいと不愉快なストーリーですよね。「一日に何度心変
わりをしても女を嫌いはしない。女とはそうしたものだから。
」と言うのがオチなの
ですが、最近では男達の方が姉妹に振られるみたいな演出もあるようです。
今回の演出はオーソドックスなもののようでしたが、最後にちょいとイタズラが。
抱きついた相手の顔を見てあわてて相手を取り替えていくうちに、姉妹の相手がホント
はどっちなのか、わけわかんなくなってしまうのです。

考えようによっては、とってもコワくて現代的?


2004.10.09 UP



映画の話(その3)〜やっぱり怖かった〜
話題の映画「パッション」を観てきました。
(メル・ギブソン監督 2004年 原題:THE PASSION OF THE CHIRIST)

アメリカで封切られた時、「評価がまっぷたつ分かれて、あまりの残酷な表現に抗議行動も起きている」なんて報じら
れているのをTVで見ておりました。ま、その時は「へぇ〜」としか思ってなかったんですが。
それが、OEK合唱団で2005年にJ.S.バッハのマタイ受難曲を歌う事となりまして、練習の折りにこの作品が話題に。
マタイ受難曲を気持ちをこめて歌いきるには、この映画は‘必見’のような感じになってきまして・・・。
最近TVコマーシャルで映画のシーンが流れており、それがか〜な〜りビビる映像で、どうしようかと思ったものの、
頑張って観てみるか、と決心。・・・はい、‘決心’が必要な映画です。
ついでに中2の娘も連れて行きました。
「イヤだったらコナン(爆)でもいいよ」とは言ったんですがね。「話題作を観てみる」と言いまして・・・。
さすがにルネス9シネマの7ホールにいた中では、一番若い観客でした。
・・・ムチ打ちの場面で「あれマジでやってるの?」と聞いてきた・・・やっぱり怖かったようで。
マジ、血みどろ&スプラッシュでした。
ムチ打ちやら、イバラの冠を頭に抱かさせらる所やら、それから手足を十字架に杭で打ち付けられる所や、
最後にとどめを刺される場面やら・・。
(モチロン、傷はすべて特殊メイク&時々人形らしいが。でも主人公の俳優は肉体的にかなり大変だったらしい。)
マタイ受難曲のムチ打ちの音型を聴くたびに、あのシーンが頭に浮かぶのか、と思うとチョット鬱。

でも、何が怖いかと言ったら、それをした神官達や兵士や群衆達の行いや表情でしょう。
最近ニュースで流されるイラクでの収容所での虐待の映像、そこに写る米兵の表情を連想してしまいました。
普段の生活で、彼らはごく普通の市民なのでしょう。(もともとそんな人格だった、なんて言われたら困るけど)
なのに、あの表情は悪意に満ちている。
キリストを打ち据えた連中と同じ表情だ、と思った。
「させられた、命令された」事もあったろうが、彼らは‘ノッテイタ’はずだ。
命令した上官、と言うより、彼らを狂気に追い込んだ戦争を始めた奴らを憎むべきか。
(ローマから遠く離れた任地で、暴動が起きぬよう常に神経を尖らしている兵士達のタガが外れたように。
・・・ローマの支配下にあり、常に圧迫された民衆が、深く物を考えられなくなったように。)
煽動に乗りやすい群衆を哀れに思うべきか、そこから教訓を感じ取るべきなのか。
・・・・・メル・ギブソン監督、すごすぎ。


キリストの受難を扱う映画は、これまでTVで見た事があります。
偉大な生涯の物語」とか「ベンハー」とか。
新約聖書をななめ読みしたり、遠藤周作をかたっぱしから読んでいた頃もありました。
自分は基本的には仏教徒ですが、パッションやマタイ受難曲の世界は、
まったく知らないものではありません。

ですが、
キリストが人類の罪をすべて背負って、自ら死へ立ち向かう、という事,
ユダの裏切り,それに対するキリストの反応・・・・はっきり言ってよくわかりません。
が、マタイ受難曲の中で、キリストを裏切るのは「主よ、まさか私では」、と弟子達が歌う
あとの10番のコラール「それは私です。私こそ罪を償う者です・・・」
が、ちゃんと理解できないまでも、とっても胸に応えます。

この作品のユダの描写は、結構・・・納得出来る・・・ような。
一人一人の人間はとても弱い。
ユダもその弱い人間の一人です。
決して悪魔に操られたのではない・・・と思うのです。
(パンフには、‘キリストの身を守るための行為’と書かれていますが、どうでしょう。)
マタイ受難曲のいくつかのCDを聴くに、ユダがキリストに口づけをして「師よ、ご機嫌
いかがですか?」と歌うそのニュアンス、いかにも悪巧みしている悪人のようで何度
聴いても「ヘンだ!」と思ってしまいます。
さすがにこの作品では、無い。
口づけした時も、その後も、罪の意識にもがき苦しむユダが哀れでしかたなくなります。
(それって、キリスト教徒でないから持てる感想なんですかね?)

そして、伝説の女性,ヴェロニカ
私が遠藤周作のエッセイで一番好きなのが、「ヴェロニカ(エッセイ集「聖書の中の女性たち」より)」です。
重い十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かうイエスに水を差しだし、血で濡れた顔を布で拭いた女性を
映画ではとても丁寧に描かれていました。
遠藤周作も書いていましたが、ゴルゴダへ向かうこの恐ろしい道行きの中での彼女のエピソードは、暗い世の中
を照らす一条の光のように感じられます。



「リアリティを追求した」という作品ですが、‘史実にまったく忠実に’と言うわけではなく、伝統の宗教画の形式を
意識しているそうです。
例えば、ゴルゴダの丘は‘丘’ではなく広場だったそうですが、街を見下ろせるような丘の上で、二人の罪人を両隣
に配してのおなじみの構図になっていました。
一番きれいだな、と思ったのは十字架を背負って歩くイエスに母マリアが駆け寄る場面。
幼子のイエスに駆け寄る回想シーンとダブって、実に涙をさそう場面ですが(ホントにほろっと来た)、
その場面だけ額縁に入れたいくらい、美しい。(パンフにもその場面が載っています)
家でめくった本(遠藤周作「私のイエス」)に、それとまったく同じ場面で向きだけ違う絵が載っていました。
(ギルランダイオ 14世紀)
コワイ作品ですが、こんな場面は見逃さないように。

*******

ゴルゴダの丘で、もうすぐイエスが息絶えようとしている頃、後ろで着メロが・・・!
♪トッロロ・ト・トーロ・・・・(な、何てこの場にそぐわない曲!)
おばはん(自分もそうだが)が居眠りしていて、なかなか着メロが消えない。
隣の人がゆさぶり起こしたところで止まった。
ドタマに来ました!映画館では絶対ケータイを切りましょう!
(2004.5.12UP)



歌舞伎「勧進帳」を見てきました。(in こまつ芸術劇場うらら 04.03.20)

寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう) 翁:市川団十郎 千歳:中村芝雀 三番叟:板東三津五郎

勧進帳                   弁慶:市川団十郎 義経:中村芝雀 富樫:板東三津五郎

こまつ芸術劇場‘うらら’のこけら落とし公演である松竹大歌舞伎、かなりのプラチナチケット
だったようです。小松の友人にお願いしてチケットを取ってもらったのだが、売り出し直後に
S,SS席は即売り切れしたとかで、A席8000円(×2)をかろうじて確保。実家の母には、「一体
どこで手に入れたのか?」なんて言われましたが。

3回公演で、初日の3/20(土)夜の公演に行きました。
こけら落としらしく、着物のお客さんが多くて華やかな雰囲気。
その分、ウチの娘のような年代がほとんど見あたらず、本物こそ子供たちに見せたいと思う
のでなんだか残念でしたが、3/21の昼夜の公演には子供の姿があるのかもしれません。

‘うらら’の大ホールは、県立音楽堂邦楽ホールとほぼ同じような感じの造りです。
赤ちょうちんがついているのも、昇降式の花道がついているのも・・。
桟敷席は、おねまりではなく、足を降ろせるようになっているのがうらやましい。
まわりの壁は小松らしく、松の葉をアレンジした金属のパネルが貼りめぐらせてあります。
我々は二階席ほぼ中央、さすがに花道はちょっとしか見えませんが、舞台はすみずみまで見える割にいい席でした。肉眼でも役者の表情がなんとか見える近さがいいです。


寿式三番叟は、能・狂言にもある出し物ですが、劇場のこけら落としのご祝儀に
舞う、格調高いものとの事。あらすじと言っても翁,千歳,三番叟が順番に踊るのみ。
天下太平を祈って地面を踏みならす所作が多く、鳴り物に合わせてとってもリズミカル。
結構楽しい気分になれる出し物です。

市川団十郎の勧進帳は下でも書きましたが、これで二度目。(何てゼイタク!)
前回は多目的ホールの小松市公会堂で、臨時でつけた花道がなさけなかったです。
やっぱり歌舞伎は花道がしっかり見える席で観たい!今回もそれは叶わず残念。
娘には中学音楽の資料集(2ページで紹介!)でしっかり予習させ、さらに音声ガイド
を借りました。(これは大正解!)
衣装も所作も見栄えがして、若年の歌舞伎観覧の入門にはピッタリの出し物ですよね。
特に後半の弁慶が四天王を押しとどめる場面、酒呑んでよっぱらう場面、延年の舞の
場面が気に入ったようです。・・ああ、でも最後の飛びはっそうが終わりまで見られない
のがくやしいですが。ま、初めての歌舞伎を楽しんでくれたようで、8000円の投資は
ムダではなかったと一安心。

小松の方では中学の選択音楽で、勧進帳を実技で勉強している学校が多い・・ひょっとして全部でしょうか?
隣で見ていた同業者の友人も、勧進帳の長唄全部練習しているそうです。
職人である私の兄は若い頃謡を習っていましたが、まあ、小松というのはそんな土地柄です。
ただ、まわりのお客さんで、出だしで正信喝のごとく一緒に謡い出す方がいてなあ・・・おいおい。

(2004.3.21UP)



歌舞伎を見てきました。(in 東京 歌舞伎座)

常磐津舞「神楽諷雲井曲毬 どんつく」

野田版「鼠小僧」 野田秀樹 作・演出 
(河竹黙阿弥 原作)
      

歌舞伎を観るのは10数年ぶりでございます。(「勧進帳」@小松市公会堂  市川団十郎)
石川県にいて歌舞伎が来るのは年に二回もあるかな?しかもチケット高いし、花道がある劇場もないし。
そんなんで歌舞伎経験は、まだ三回目。
しかもっ!本場の歌舞伎座で!!

8/19、出張で国立劇場で伝統音楽の研修を受けた後、地下鉄乗り継いで。
研修は予定を30分オーバーしたので、あわてて駆けつけたのに、すでに一幕見席の列は3重、
「ここからだと三時間立ち見になりますけど、いいですか?」・・・一瞬考えたけど、頑張って列に付いた。
見れば、同じ研修に来ていた方お二人の姿。
聞けばタクシーとばして来て、しっかり座席を確保できたとのこと。う、うらやましい!!
おべんと買い損ねたので、お寿司弁当半分わけてもらった・・・ありがたや〜なさけなや〜!

一幕見席は午前,午後,夜と、部毎に総入れ替えでチケットを買います。
歌舞伎座HPで調べて、絶対行ってやる!と強い決意で今回行きました。
四階席なので、急角度、もちろん花道は全然見えないし、舞台の奥高いところにに立たれると見えない。
ジュースの販売機以外なし、おみやげも全然買えませんが、
いい出し物を安く、予約なしで見られるから仕方ないですね。(夜の部通して1600円)
でも、今度来るときは大枚はたいてでも花道が見えるところに座りたい〜!

「どんつく」は簡単なストーリーはありますが、踊りだけの出し物です。(約40分)
板東三津五郎(大和屋)のお家芸で、彼を中心に江戸の人々が(大工やら芸者やら子守やら・・)で、
一人、または組んで踊るだけですが、勘九郎,福助,扇雀,歌昇,橋之助,獅堂(かっこいい!)・・・と、
そろい踏みのキャストで、それだけでお腹いっぱい。
席のすぐ近くに、「○○屋!!」とかけ声をかけるおじさんが二人ほどいて、雰囲気ばっちしでした。
安い席で、公演中何度も何度も足を運んでいるんでしょうね。
角兵衛獅子役で今回初お目見えの子(板東吉弥 孫 斉藤勇一郎)がいて、どんなしぐさをしてもカワイイので、
お客さんはそれだけでなごんでいました。

野田版「鼠小僧」は、初演です。(約2時間)
野田秀樹と歌舞伎座がタッグを組むのは二度目だそうで(H13「研辰の討たれ」)、
前作が大人気だったそうで、今回それですごいお客さんなのでしょう。
原作を劇中劇とし、ケチな棺桶屋三太(勘九郎)が鼠小僧になってしまう喜悲劇です。
回り舞台を駆使し、テンポがよく、しかも現代語(ギャグ満載!)だし、お客さんは笑いっぱなし。
ナニ言っているかわからない古典歌舞伎よりお客さんの反応がいいのはあたりまえか。
(もちろん常磐津はなし、ただしBGMとして舞台裏から三味線など鳴り物が聞こえる)
純粋には歌舞伎と言えないのでしょうが、現代の私たちには、
江戸時代の歌舞伎を観る庶民の気分になれるのでは・・・と思います。

こちらも人気役者が勢揃い。
橋之助(悪役)、獅堂(死体&幽霊!)、三津五郎(大岡忠相 ただし悪役)
福助(忠相の妾)
etc.・・
獅堂は三太の兄役で、いきなり死体で登場しますが、コミカルな役で面白い!
勘九郎の長男勘太郎は目明かし役で父(三太)を刺し殺す役、
次男七之助はケチではすっぱな姪役で登場。
昔ふたりでコマーシャルに出ていた頃はかわいかったのに、
もうあんなに大きくなってたんですねえ。
どちらも、女方も若衆もこなしているようです。

重要な役回りの男の子役が出ていましたが、どうも歌舞伎関係でなく、
児童劇団所属のようです。獅堂のようにTVなどの他流試合に出られる
ようになるのは、十分芸を磨いてからなのでしょうね。

鼠小僧棺桶屋三太は、暮れの24日の晩にサンタになりそこなって(爆!)死にます。
かけ声は、屋根の上で三太がこときれた幕引きの時だけ「中村屋!」とかかりました。
決めポーズがあるわけでなし、おじさんもかけ声も入れにくかったのでしょう。
幕引きと同時に客席の照明が入り、お客さんが帰り始めた頃に、なんとカーテンコール!(遅いんだって〜!)
歌舞伎の舞台では、普通はカーテンコールはないんでしょうかね。(誰か教えて〜!)
(2003.08.22UP)



「ラ・ボエーム」 ソフィア国立歌劇場2002日本公演
      ジャコモ・プッチーニ作曲  アンリ・ミュルジェ原作台本 
      ミュージカル「壁抜け男」 劇団四季
       ミシェル・ルグラン音楽 マルセル・エイメ 原作


もたもたしておりましたので、年越しUPになってしまいました。
「ラ・ボエーム」公演は
2002.12.10(in 金沢市観光会館)です。
少なくとも年一回は金沢で確実に見られるようになってきたオペラ公演、ちゃんとメモしておかねば。

「ラ・ボエーム」は、アリア‘私の名はミミ’だけは聴いたことがあるくらい。
オペラのABCは「アイーダ」「ボエーム」「カルメン」と言われましても、完璧に知識があるのは「カルメン」のみ。
薄々知っていたストーリーを いつものように首都オペラ合唱団員様HPで補ないはしたが、
図書館からCD借りて観劇前に全曲聴いておこう、というもくろみはみごと玉砕しました。

‘ボエーム’は、『自由奔放な生活をする作家・芸術家』の意だとか。
19世紀,パリのカルチェ・ラタン(おお、これなら知っているぞ!)あたりの安い部屋に共同生活する
若く貧しい芸術家たちと、その恋人たちの青春群像だ。

詩人のロドルフォ,画家のマルチェッロ,哲学者のコッリーネ,音楽家のショナールの(おばか)カルテットに、
マルチェッロの恋人ムゼッタ(マルテッロと漫才コンビか?)、そしてお針子娘のミミ。
クリスマス・イブのパリ、ストーブで燃やす薪もない寒い彼らの部屋が第1幕。
仲間達が出かけひとり部屋に残るロドルフォのもとに、ミミは蝋燭の火を借りにやってくる。
火が消えた暗がりのなかで、二人はすっかり恋に落ちてしまう。

イブの夜、大にぎわいの街、マルチェッロと恋のさや当てをするムゼッタ。
金持ちの愛人をうまくあしらい、そして若い恋人も手放したくない。
結局貧乏画家を選んだようだが、彼女はなかなかの世渡り上手。
くっついては別れ、またくっついて、たくましく生きていくタイプだ。

月日が流れ、ミミはいつしか病に冒され、ロドルフォとの愛の生活が破綻していく。
弱っていくミミに対しどう接していいかわからないロドルフォ、
よそよそしい彼の態度に心変わりを疑うミミ。
そして二人は別れを決意する(なんでそーなる!)。

よくわからないのはミミのキャラ。
慎ましい雰囲気を持つが、自分から別れを言い出す我の強さもあり、
彼と別れた後は、どうも貴族の愛人になって囲われていたらしい。
死期を悟った彼女は、愛人生活を飛び出し、カルチェ・ラタンに舞い戻る。
そのへんが大衆の共感を得るらしい。

ムゼッタに連れられて物語の最初の部屋に戻ったミミは、
仲間の友情,ロドルフォの愛に囲まれ、静かに息を引き取る。



プッチーニ初期の、これでもかっ、と言うくらいのメロドラマ。
金沢公演のミミ役,ツヴェテリーナ・ヴァシレヴァさんは新進ソリストで、とても可憐な雰囲気を出していました。
ロドルフォ役イヴァン・モミロフさんは・・・うん、とっても素晴らしいソリストなのだが、
声が私には二枚目半っぽく感じられた。(あくまで私の好みで書いていますので悪しからず。)
ロドルフォは決して‘ヒーロー’のキャラではないので、この役には合うかも?

有名なアリアの他に、重唱が多く、雰囲気うまく表している。
ミミとロドルフォの二重唱,二組の恋人達の四重唱,男同士の二重唱も楽しめます。
合唱は二幕のクリスマスの街のみ。(これが無いと寂しい!)

日本公演共通パンフ 全四幕で、一幕ごとに15分の休憩が入ります。
二幕くらいまでは丁度いいかな?と思っていたが、
三幕後の休憩になると逆に意識が途切れ,疲れてきて
「休憩はもういいから、一気に演ってくれないかな〜」と思えてきました。
一幕ごとに場が全く違うため、舞台セットのために休憩が入るのは致し方ない。
(文句が言える筋合いでは無いんですが・・・)
2001の「さまよえるオランダ人」の一気に2時間半が、今思えば良かったような。
プッチーニのその後の作品「トスカ」や「蝶々夫人」は、
その辺改良されているんじゃ?
(夜明けの音楽の間にソリストがちょっと休めたり、舞台を整えたり・・とか)

公演が冬であったため、観客の方がミミより体が具合悪いんじゃ?
と思うくらい咳が飛び交っていました。            
私は学期末追い込みの中観劇したため、前日と次の日は思いっきり
夜更かしせざるを得なかったので、この日も眠かった・・・。

 教訓、オペラを観るには体力が必要!




「ラ・ボエーム」より先に、劇団四季ミュージカル「壁抜け男」を観ました。
(2002.10.30 石川厚生年金会館)
これは同じくパリの貧乏芸術家達のすみかであるモンマルトルの丘あたりを舞台にしたお話です。

壁抜け男パンフ
名もない、ひたすらまじめなだけが取り柄の男デュティユルが、
突然の停電とともに「壁を抜ける力」を得て、
それまでとはまったく違った生き方をはじめるお話。
義賊を気取って世間の注目を集め、わざと捕まるや、
一目惚れした近所の人妻イザベルのために(彼女は夫に閉じこめられている)
その夫(悪徳検事)をやっつけます。
自由を得た二人はすっかり恋の虜。
しかしデュティユルは普通の男に戻ろうとして薬を飲み、
そのまま壁を抜けようとして、壁の中に捕らえられます。
イザベルは、せっかく夫の束縛から自由になったのに、
恋人を追って壁のなかに自ら入っていきます。



「ラ・ボエーム」が19世紀なら、これは第2次世界大戦後のパリの人々の
エネルギーを表した作品。
主人公は平凡で孤独な人間で、自分を幸せなんてこれっぽっちも感じて
いなかったのだが、彼が捕らえられた時、彼を弁護しようとして、彼のまわりにいた人々が立ち上がります。
それは、色香を失った売春婦であったり、いつも顔を合わせる新聞売りだったり、
無政府主義者だったり、右翼だったり、職場でそれまで彼を無視していた同僚だったり・・・・。
自分はひとりではなかった!と、そこで彼は初めて気がつくのです。
(幸福って、そう感じられるかどうか、と言う事なんでしょうか。)
結局、壁の中に閉じこめられてしまった
デュティユルですが、今はイザベルがいる・・。


デュティユルを演じたのは、近頃TVでよく見かける石丸幹二さん。
「壁抜け男」への変身後のはじけ具合が楽しかったです。
イザベルは、前半可憐な少女風、後半恋に燃えるセクシーな女なんですが、
坂本里咲さんが、みごとに演じ分けていました。色っぽかったです〜。

ミッシェル・ルグランのメロディはどれも親しみやすく、楽しかったです。
監獄で歌われる曲が面白くって、休憩中娘と口ずさんだものでした。(忘れてしまった〜!)
主題♪普通の人間 まじめな役人 平凡だけれど 人生はそういうもの・・のメロディは今でも浮かんできます。

                                                         (2003.01.03 UP)


映画の話(その2)〜こんなのアリ?!

ビデオで「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観ました。
・・・結末を知っていたら絶対借りなかっただろーなー。
とにかく暗い話!

一応ミュージカル映画です。
いきなり、「サウンド・オブ・ミュージック」の「私のお気に入り」を練習しているところから始まります。
2000年カンヌ映画祭のパルムドール受賞作品。
主演のビョーグは、主演女優賞を獲得しています。
歌や踊りはいいんですが、ぜえんぜん美人でもなんでもない方。(どんな方だかよく知らない・・・。)
デンマーク映画なんですが舞台はアメリカ、逆アメリカン・ドリームのお話。

主人公セルマは、チェコからの移民で、シングル・マザー。
彼女の生きがいは、息子とミュージカル。

実は彼女は、遺伝病でもうすぐ失明する運命にあります。
息子のジーンも、ほおっておけば必ず失明してしまう。
それを防ぐ手術を受けさせるために、彼女はアメリカに移住し、ひたすら働いて貯金しています。
つらい生活も、歌い、踊るだけで心が満たされている。

とっころが〜、大家のダンナのビルが警察官のくせして、とんでもないヤツで。
セルマの「秘密」を知り、彼女が必死でためたお金を、盗んでしまいます。
取り戻しにいったセルマを‘強盗扱い’にするために、わざと拳銃を撃たせるんですが、
既にほとんど視力を失っていたセルマは、ビルをほんとに撃ち殺してしまうんですね。

アメリカの司法制度は、金さえあればいい弁護士を雇い、裁判を有利に持っていける。
それが全然ないセルマは、死刑の宣告を受けてしまう。
彼女の友人たちは、必死で有能な弁護士を紹介し、なんとか死刑をまぬがれさせようをするんですが・・・。
その費用で、せっかく息子のために作ったお金が消えてしまうため、
彼女は、死刑の執行を受け入れるんです。
ほんとに、絞首刑になった所までやるんです(こんなの信じられない〜!!)。


とにかくミュージカル映画なんで、突如歌と踊りのシーンが始まります。
それはすべてセルマの心象風景。

働いている所や、
愛の告白してくれた男との対話、
ビルを撃ち殺してしまった所、
裁判の場面、
そして、死刑執行の部屋へ行くまで、
なんと、彼女の死に寸前まで。

とっても素敵なんですが、
その分、観ている者の胸をえぐります。

彼女の友人は、息子にとって‘見える事’より、‘母親’の方が大切だと主張したのに。

セルマは、遺伝する事を知りながら、‘赤ちゃんを抱きたい’思いで生んでしまった事の埋め合わせをするために。
自分の息子に‘抱いた孫の顔を見る事が出来る’ようにしたいために。

死ぬ事を選んだ 。

セルマの思いは、まっすぐ息子ジーンに届くのだろうか。
本当は、母親がいてくれた方がいいのではないか。
自分ならどうするだろうか・・・・。



まつゆきそうをあなたに〜オペラシアターこんにゃく座「森は生きている」公演
                                     (@石川県立音楽堂邦楽ホール 12/25)

ずっと前から観たかったオペラです。
「森は生きている」のナンバー・・‘十二月(つき)の歌’‘指輪の呪文の歌’は自分が仕事で取り組んだ曲。
(青島 広志編曲   ‘指輪・・’は輪唱になっています。)
所属しているグリーンウッド合唱団で、よく林 光の作品を歌う機会が多く、その中で‘森は生きている’
‘十二月の歌’等々を歌っています。
娘が参加しているエンジェル・コーラス(このほどOEKエンジェル・コーラスと改称)が、今年の夏の
朝日親子サマーコンサートで、オケ伴で何曲か歌った事で、さらにその気持ちがつのりました。
そんな時に、コンサートのチラシを見て、「おおっ、やったー!」状態。

こんにゃく座は71年創立、日本語の明瞭な歌唱表現を追求し、主に青少年を対象にした新しい日本のオペラの
創造と普及を目指しています。
簡単に言えば、地声や頭声にこだわらない歌唱法で、余計なビブラートをおさえているので、
合唱になると曲によっては宗教曲のようなひびきが生まれる事も。
林 光氏と萩 京子氏が座付き作曲家で、以前に林 光氏の「セロ弾きのゴージュ」を砺波の円形劇場へりおすで
みたことがあります。
オペラの前のミニコンサート歌われた宮沢賢治の「星めぐりの歌」が、今でもふっと頭によみがえります。


「森は生きている」は、サムイル・マルシャーク原作(湯浅芳子 訳)でロシアを舞台にした物語。

「私と同じ、みなしごなのね。かわいそう・・」
これは、兵士に女王陛下の話を聞いた娘が言った言葉。

「だって、わたくしは命令する事しか知らないんですもの。」
これは、女王陛下が、娘に宮殿まで馬車にのせてほしい、とお願いする事が出来ずにいう言葉。
舞台のみんなの、客席のみんなの期待を背負い、女王陛下はやっとお願いする事ができます。

そのかわいそう&わがままな女王陛下が、おおみそかに出したとんでもないおふれ・・・
「篭いっぱいにまつゆきそうを持ってきた者に、その篭いっぱいの金貨を与える。」のために、
ひとりの娘が、継母と義姉に夜の森に追いやられます。
まっくらな森のなかで、娘が見つけた光・・・それは十二の月の神様達が新年を迎えるおまつりをしているたき火。
四月の神様は娘を助けるべく、一月、二月、三月の神様達に時間を進めてもらい、まつゆきそうを咲かせます。
まつゆきそうを受け取った女王は、家来達に命じ、まつゆきそうを自ら摘みに行こうとします・・・。

オペラとして発表されたのは92年。
以前から劇の挿入歌として使われていたナンバーは、新たにアレンジされているようです。
‘森は生きている’は、オペラのはじめと終わりに歌われます。
林さんの歌って、メロディラインが不思議な具合にピョンっと飛んだり、くるくるまわったり、
はじめは「歌いにくい〜」と思うのですが、歌っているうちになぜかハマるんです。
‘十二月の歌’や‘森は生きている’は、まさにそんな歌。


舞台装置はシンプルそのもの。
「セロ弾きのゴーシュ」でもそうでしたが、舞台どまんなかに大きな円形のテーブルが斜めに置かれているだけ。
お立ち台になったり、そのまんまテーブルになったり。
舞台奥は黒い幕(壁)、テーブルの分だけ丸く切り取られています。
まるで現実と別世界と隔てる壁が、ぱっかんとまるく開いたようなイメージ。
キャストは主人公の娘以外は、神様になったり家来になったりで、シンプルな衣装の脱ぎ着だけで変身します。

音楽堂邦楽ホールは、コンサートホールと違って残響があまりありません。
発声の工夫もあって、言葉がソロも合唱もとてもクリアー。
(子どもは、言葉が聞き取りにくい歌は聴こうとしない。‘耳’が成長しないと、雰囲気だけで聴けません。)
劇場には小さい子ども達がたくさん来ていたのですが、どんどんお話のなかに入っていって、
最後のアカペラの‘森は生きている’は、シーンとして聞いていました。
(聞いていて、なんだかホロリときた私)
二時間きっかりの舞台がはねて、娘は「いや〜よかったね〜!」。
大人も子どもも、とっても幸せな気分にしてくれる舞台です。

                                                           (2001.12.26)

 


スウェーデン放送合唱団金沢公演
                                       (@石川県立音楽堂コンサートホール  12/1)

なかなか素敵な合唱団。発声,声の質が結構好みでした。

前半のプログラムは合唱のスタンダードというところ。
J.S.バッハの「主に向かいて新しき歌を歌え」は、冒頭の‘Singet’と8つの声部が呼び掛け合うところが、
とても美しい曲です。二重合唱なのですが、いまいち二重に聞こえない。
もう少し場所を離してほしかったが、それ以前に、並びも私たちのいつもの並びと違って、ソプラノとテナーが
後列なのに少々びっくり。きまるとなかなかかっこいい曲ですが、中盤、ちょっとそろわなかったような・・・。
実はこの曲、やった事あるんだが、今思うと聴いてくださった方、ホントにつらかったのではと思う(滝汗)。
その後の、モンテヴェルディのマドリガルや、ブラームスの「ジプシーの歌」の、なんと心地よかった事!

後半のプログラムは、めったに聴けない、スゴイものだった。
すべて北欧の現代作曲家による作品ばかり。
特にヒルボルイの「ムウヲオアヱエユイユエアオウム」(16声部の混声合唱のための)
何じゃこの題名!でもまったく意味がなく、歌はアカペラのハミングとヴォカリーズだけ。
始まりはまるで機械の音か、まるでモンゴルのホーミーでも集団でやっているんじゃないか、というような音。
それが口を閉じたハミングから口を開けたハミングに変化していき、たまにヴォカリーズが混ざったり・・・。
もう、摩訶不思議な世界だ。
これが16声部!一度落っこちたら二度と合流できないんじゃないかと思う。
わたしゃ絶対歌えそうもない。
そんなムズカシイ曲ばかりのプログラムが四曲!
一体どんな歌い方をしてるのかと身を乗り出して聴いていて、疲れ切ってしまった。
(いや、べつに歌い方は特に変わらないんだが。)

肩がこりそうでしたが、アンコール2曲のおかげで耳もアタマも肩もほぐれて、ホッとして帰宅したのでありました。

                                                            (2001.12.1)



さまよえるオランダ人は難民か?!
ドイツ・ザクセン=アンハルト歌劇場 日本公演2001「さまよえるオランダ人」をみてきました。
                                                   (@金沢市観光会館 11/14)
ワグナーのオペラは初めてです。正直、TVでさえちらっとしか見たことがない。
通して聴く曲も、これでやっと2作目程度。(家に「タンホイザー」全曲CDならある。)
「指輪」なんて言われたら、きっとその長さに卒倒します。初心者は初期作品で十分でっす。
そんなワケで、「さまよえる・・」は序曲以外、まったく初めてこの日、音楽も聴く事になりました。

ストーリーもちょいと自信がなかったので、事前にネットで検索。
首都オペラ合唱団員様のHPで、あらすじと合唱の訳詞をみる事ができました。

・・・呪われたオランダ人船長が、7年に一度、陸に上がれる日がやってくる。
彼は、彼に愛を誓う乙女に出会わない限り、死ぬ事もかなわず、永遠に海をさまよう運命・・・。
そんな伝説にあこがれ、自分こそがオランダ人船長を救う乙女だ、と信じている娘ゼンタ。
ある日、ゼンタは父が連れてきた‘見知らぬ人’がそのオランダ人だと確信する。
オランダ人に愛を誓った彼女に、狩人のエリックが「考え直せ」とつめよる。
そのやり取りに、オランダ人は裏切られたと思い、出航する。
ゼンタは、自らの貞節を証明するために海に身を投げ、オランダ人は呪縛を解かれ、救済される・・・。

なんと、2時間15分ぶっとおし。
オランダ人が陸に上がるのは7年ぶりでも、お話はたった一晩だし、雰囲気を壊さないためにもいいのだろうが、
とにかく暗い舞台と字幕に目が疲れた疲れた。
足腰、とってもツラかった・・・(ため息)。
(昨年の東儀秀樹のコンサートも一幕構成だったが、そちらはもっと短かった。)

一幕にするための舞台装置の工夫があり、二階席から観ていて結構面白かったです。
さまよえるオランダ人ポストカード (←パンフにもれなく付いてくるポストカード)

舞台中央にいるのはいねむりしているゼンタ。
うしろにいるのは夢の中のゼンタ自身。
運命に捕らわれていくイメージらしい。
一応ダンスらしい事はしているが、女らしさは無く、
恋に恋するローティーン、といったところ。
舞台中央にオランダ人の船、左にダーラントの船。
部屋のセットは舞台そでからだーっと出てくる。
一番笑ったのは、額の中のオランダ人の絵が本物になって
出てくる事。しかも竹馬(?)に乗って。
?だったが、ダーラントと並んだ時、彼が非日常的なモノなのだ
という事を表しているように思えてきた。
そして、彼の横をたくさんの難民達が歩いてゆく様子に、ああ彼も難民なんだ、と思ったしだい。

それはダビデの星を背負ったユダヤ人であり、
現代においても迫害されるクルド人であり、ボスニア・ヘルツェゴビナの人々であったり、
ひょっとして、アフガニスタンの人々もいたかもしれない。
ゼンタは彼らを救う存在なのか?
命をささげるほどの覚悟でないと、難民たる彼を救えないのか。
何より、‘難民’にとっての救済は、安らかな死でしかないのか?
(・・・現実の難民の人々の多くは、平和な中で暮らす未来を夢見る、絶望していない人たちだ。
だが、あまりに悲惨な難民生活が長くなると、死が安らぎになるのだろうか。)
・・・とにかく彼女は父やエリックをふりほどいて海に身を投げる。
一体彼らの心は通じ合っているのか?
否、だと思う。
彼女は自分の理想(悪く言えば思いこみ)につっぱしっているだけだから。*
(やっぱり救えそうにないような・・・二人一緒に難民になるような気がする。)

*今回の表現だと、そんな気がしたのです。(悪しからず)

合唱団、オペラの合唱団はかくありたいよ〜、という感じでした。
船乗り達の歌、糸をつむぐ女達の歌、幽霊船に呼びかける歌、幽霊達の返事・・・。
よく雰囲気を伝えており、観客を楽しませてくれました。
面白かったのは、食器の音、ダンスのステップの音も音楽の一部になっていた事。ああ、こんなのもアリなんだ!!

ゼンタ役のエイラーナ・ラッパライネンさんの声、見事でした。観光会館二階席までビンビンでした。
この前日は、富山オーバードホールで「サロメ」を歌っているというのに。
どちらかと言えば狂気に近い思春期の女性をみごとに演じていました。
そうなると妖艶な「サロメ」も観たかったな〜。

ロビーで会った合唱仲間は、「サロメ」も見に行ったとか。
七枚のベールの踊り、もうオジサン達は乗り出してくいいるようにみていたとか。(おいおい・・・)

                                                            2001.11.18


映画の話〜天才少女の‘赤い靴’〜
ビデオで「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」を見ました。
‘一世紀に一人の名女流チェリスト’と謳われながら、1987年に42歳の若さで世を去ったイギリスの天才チェリスト、
ジャッキーことジャクリーヌ・デュ・プレの生涯を映画化したものです。
しかし、彼女が演奏家として活躍したのは1971年まで。「多発性硬化症」という神経が冒される不治の病にのため、
16年もの闘病生活のはてに、亡くなります。


音楽にかかわる映画(ほとんどビデオ・・・涙)は、よく見ます。
フィクションだと、「ブラス!」とか「リトル・ダンサー」とか「サウンド・オブ・ミュージック」・・・ありゃ、これは半分実話だ、
「海の上のピアニスト」とか、暗いところで「ピアノ・レッスン」・・・など。
ノンフィクションだと「アンナ・パブロワ」「シャイン」「ミュージック・オブ・ハート」・・・なかなかどれもいいです。
古いところで、「オーケストラの少女」をか〜な〜り〜前にTVでみた事があります。
時々、本物の音楽家が出てたりして・・・「オーケストラ・・」は、若きストコフスキー(ちょっと自信ない・・)が、
「ミュージック・オブ・ハート」には、アイザック・スターンにイツァーク・パールマン。
日本モノだったら、「ここに泉あり」に山田耕筰・・・(これはずっと昔TVで見たものでちょっと自信ない)。


「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」は、当然ノンフィクションなんだが、並み居る作品に比べ、後味が悪いかも。
ブロンドで‘イングリッシュ・ビューティ’とたたえられた彼女の、‘本当の姿’を描いているから。

映画の元のタイトルは「ヒラリーとジャッキー」。(何も元と昔のファーストレディではありません)
ヒラリー・デュ・プレは、ジャクリーヌの姉。
音楽指導者の母はヒラリーにフルートを、ジャッキーには本人の希望でチェロを学ばせます。
母の指導はリトミックを取り入れ、音楽を体で表現する、なかなか興味深いものです。
(後にそれがジャッキーには幸い、ヒラリーには凶、と出る。)
先に認められた姉に、ジャッキーが追いついたところから不幸が始まる・・・。
仲良し姉妹の、内面でのライバルである事を通り越した嫉妬心が、
でも、お互い愛し合っているからこそのドロドロが、これでもかと描かれるのです。
(姉妹も才能も無い私には、ここんところ、とってもコワイ・・)

ジャッキーは、彼女の才能を理解する師ウィリアム・プリースに出会って成長し、1961年わずか16歳でデビュー、
匿名のファンより、ストラディヴァリウスが贈られ、世界を駆け回る生活が始まります。
しかし、年端のいかない少女にその生活は過酷なものでした。(使い捨てアイドルみたい)
言葉の壁、社交界で気の利いた会話も出来ない、ホームシック、何より愛される事に飢える日々・・・。
そうなってはチェロは、彼女を死ぬまで踊り続かせる‘赤い靴’と同じ。
日向や雪のバルコニーにチェロをおいてみたり、タクシーにわざと置き忘れたり。
しかし、チェロのない彼女は、なにもできない、なにも語れない。

ヒラリーは長じて‘師’に巡り会えず、結婚を機会に演奏家としての道を捨てます。
自ら道を選んだ姉の小さな幸せが、ジャッキーには自分が取り残されたように感じ、気に入らない。
そんな時に彼女はユダヤ人ピアニスト,ダニエル・バレンボイムに出会い、1967年結婚する事に。
ジャッキーが初めて、ダニーと出会わせてくれた事をチェロに感謝した場面・・・その後の運命を思うと痛々しい。

だが、幸せな時間はつかの間、自分の夫がチェロを弾かない自分を愛してくれるのか、という疑念が、
彼女の心を不安定にしていき、姉夫婦の生活まで脅かす事に。(このあたり、かなりショッキングです)
そして、心どころか、体の方も変調を来し始める・・・。

手の痙攣に始まり、歩く事も、そしてしだいに話す事も出来なくなっていきます。
チェロが弾けなくなるどころか、人としての小さな幸せも望めなくなってしまう・・・。
(闘病生活をささえていた夫ダニエル・バレンボエムは、しだいに寄りつかなくなり、
他の女性との間に子供をもうける事になっているが・・・本当か?バレンボイム様)

生涯の最後の最後に、ジャッキーは姉ヒラリーの腕の中でやすらぐ事を求めます。
それが、この作品のわずかな救い。
自由になった彼女の魂は、自分と姉が夢を語り合った一番幸せだった頃に飛んでいきます。
そして、まだ幼かった自分自身に話しかける。
「大丈夫、何も心配しなくていい。」と。

これは映画の冒頭部分と同じ。
あ、「火垂るの墓」と同じだ・・・。

この作品のオープニングとラストシーンは、遠く広がる砂浜。
ひょっとして、「恋に落ちたシェ−クスピア」のラストシーンと同じ海岸かな?


家に一枚だけあるジャクリーヌ・デュ・プレのCDです。
彼女の得意としたエルガーのチェロ協奏曲(&ディーリアス)
映画の中で一楽章が何度も流れます。
曲を知らない方も、映画を見るうちに頭にこびり付く事、うけあい。
彼女のキャラクター通りの曲、という感じ。

映画の女優さん、絶対吹き替えに違いないが、なかなかの
弾きっぷりです。

思いっきり蛇足ですが、‘デュ・プレ’はフランス語で‘野原さん’
という感じ。イギリス人ですが、遠い昔はフランス系だったのでしょう。
(佐藤賢一の小説で知りました。)
エルガー&ディーリアスVn協奏曲ジャケット
2001.11.18