7/30   ライプツィヒ ー アイスレーベン
 

      午前 ライプツィヒ市内観光&ショッピング 
               午後 アイスレーベンへ  
                      20:00〜聖アンドレアス教会コンサート

  

さてさて、行方不明の財布はどうなったか?
朝食の折りにみんなにコクって、添乗員さんにも言って、「とにかくもう1度探してみます」
で、部屋でスーツケースの中身を全部放りだしたら・・・出てきたのよ、これが。
小物入れ&スペース確保のためのテッシュボックスから。
とにかくみんなに知らせて、添乗員さんにも謝って・・・やっぱりやってしもうた。

実は化粧下地を日本に忘れてきました。つーか、手荷物のつめこみやっていて、
一度は入れたのに、出し入れをくり返しているうちに、入れ損なったのです。
忘れ物、もうひとつ・・・本番に着た半袖ブラウスが行方不明。
たぶんライプツィヒのホテルのどこか・・・ベットのおふとんの下敷きになっちゃったんだろうな。

ライプツィヒ大学と路面電車
レーニンのモニュメント
89 非暴力の革命 説明看板
聖ニコライ教会内部
アウアーバッハス・ケラーの看板
アイスレーベンの絵はがき
ルターの生家 現在は博物館
聖アンドレアス教会バッハコンサート
市庁舎前 尖塔は聖アンドレアス教会
聖ニコライ教会 絵はがき
コンサートのお知らせ看板
ルター像
ルターさん家のコンサート リート弾いているのがルター
我々のグループは10時ホテル出発。
それまで娘はお勉強タイム、私は洗濯。
昨日バスの中で書いた暑中見舞いを
通りの郵便局で出す。
(切手は日本まで1ユーロ)

ライプツィヒはもとの城壁が路面電車
の軌道になっています。
オペラ劇場の前の通り、後ろの建物は
ライプツィヒ大学。
三角のモニュメントは旧東独のもの。
レーニンを取り囲む労働者達です。


アウアーバッハス・ケラーの看板→
トーマス教会
←聖ニコライ教会
聖ニコライはサンタクロースの事、商人の守護
であり、泥棒の守護でもあるとか。
商業で栄えた街なので、古くからの教会です。
ライプツィヒのほとんどの建物がそうなのですが、
大戦でかなりの被害にあったようです。
くだけた石を集めて再建し(!)、完全に修復が
終わったのはつい数年前らしいです。
天井の若々しい黄緑色がきれい!!

ですが、この教会の特筆される事柄は、1989年の
非暴力による革命。
東西ドイツの統一の機運が盛り上がってきた89年
に、、ライプツィヒの若者達が集会(月曜デモ)を
行った会場がこの聖ニコライ教会です。やがて
数万の集会にふくれあがり、大きな波になりました。
ベルリンの壁が消えたきっかけを作ったのが、
この街なのです。(市内あちこちにある看板→)

        これは絵はがき↓
さて、市内観光の終点がトーマス教会。
(後は自主的にお昼目指して変帰る)
狙ったとおりショップへ行くも、先に出発
したグループで既に店内いっぱい。
小さい店なのに、この日も天気が良くて
暑い暑い。(だいたいエアコンなんて無い)

めげずに品物を選ぶが、店員さん1人で
列がもう10名以上。隊長に4人分の品物
をまかせ、こんどはバッハ博物館のショップ
を覗く。(こりない奴ら)
こちらはアイゼナッハのバッハハウスと品物
がほぼ同じだった。
トーマス教会のショップは、独特のBACHロゴ
があります。(そのうち番外編で)

←明日のコンサートのお知らせ看板
お昼食べて出発までに余裕があるハズが、やたら料理が出るのが遅く、部屋へ帰っての休憩は
30分。その間に日本へ電話。(向こうは21時。)何事も経験と、娘にかけさせる。
ばーちゃんが出て、おとーさんに代わってもらって(待つのに1分)、おみやげにネクタイを所望
される。ね・ネクタイねえ・・・・明日デパートでも行けるかな。
10分お昼寝して、アイスレーベンへ向けて出発のために2:30集合。

目的地まで小1時間とのことだったが、道路工事につき、やたら時間がかかった。
道すがら、リゾート地になっている湖を見かける。天気がいいので青くて、ヨットの帆が白くて
やたらキレイだった。東西統一後からでしょーかねぇ。

アイスレーベンが近づくと、向こうに三角形の山・・・ボタ山が見えてくる。
飛行機で借りて読んだ本だと、旧東ドイツは露天で掘った穴をそのまんまほったらかしにした
そうで、もっとひどいのは産業廃棄物やら廃棄した兵器やらをぶちこんで埋めて、ひどい
地質汚染や水質汚染をおこしているのだとか。
アイスレーベンは鉱山で栄えた街だったそうです。(ルターの父も鉱夫だった。)
統一後需要がなくなり、一時は失業率40%までになったとか。
ここでのコンサートは、私たち合唱団がオケを雇うカタチで、ほとんど自前コンサートです。

では、この街の現在のウリは何か?

この街はルターが生まれ、亡くなった街、
ルター・メモリアルという事で、世界遺産!
三角屋根の市庁舎(→)、
後ろの聖アンドレアス教会、
←そしてルターの生家(&亡くなった家)、
まとめて世界遺産なのです。(1998指定)

市庁舎前広場のルター像の台座には、
ルターにまつわる話がレリーフになって
います。
アイゼナッハで聴いたルターが家族のために
作曲した歌、こんな光景だったのでしょう。→

ついた頃には練習開始までほんの30分、
観光、てもんじゃなく、お散歩程度でした。

聖アンドレアス教会はルターが亡くなる前、
最後に講演した教会です。
戦火にも遭わず古くて歴史ある教会ですが、
あまり手入れが完璧とは・・・
これから観光で儲けて下さい。






ここでは、祭壇を後ろに山台に乗って。
↓ボケた写真ですが、参考まで。
曲の合間に、外の鳥の声が聞こえる、
とても静かな街でした。
←アンドレアス教会のオルガン 
きれいなフォルム・・音は大きくなると・・(自粛)
お客さんより出演者の方が多そうなコンサート
でしたが、あたたかい拍手をいっぱい受けました。
(つーか、ここの街の方は、こんなにまとめて日本人
を見た事ないのでは・・・・・。)
バスで出発する時、見送ってくださったお客さんも。


帰り道、バスの中でビール飲みながら、ふと気づく。
満月に近い月がもうすぐ沈もうとしている。
え?!日本じゃ満月は早朝沈むよね・・。
緯度が高いと、お月様は遅く昇って早く沈むんだ・・。
12:00頃ホテルの部屋に戻ったら、お月様は沈んで
いきました。

明朝はプールと娘のドレスデン・マイセンへの
オプショナル・ツアー参加のため、5:50起き。
とても起きられないので、添乗員さんにモーニング
コールを頼んでいただいた・・・。




ついでに言えば、こちらは「ヨハネ受難曲」の
初演の教会です。
受難曲はトーマス教会とニコライ教会とで、
かわりばんこに演奏されたようです。
        (東京書籍 「マタイ受難曲」)
ホテルでお昼・・
皿の大きさ→と、
内容量←を
比べて見ましょう(爆)
ポテトが食べきれな
かったよぅ・・
    写真提供:班長