7/29   ゲーテ街道を東へ

     アイゼナッハ ー ワイマール ー エアフルト ー ライプツィヒ
                  この日はひたすら観光&ショッピング・・・
ゲーテ街道(パンフレット)
ゲーテハウス入り口
大豪邸・・・いくつ部屋があるんだろ  絵はがき
玄関の床 おみやげに置物になっていた
ゲーテハウスのお庭
クラナッハの絵
トーマス・マンの泊まったホテル
ゲーテ書斎 絵はがき
ワイマールでの昼食
大聖堂 絵はがき
エアフルト大聖堂祭壇
人型の燭台
クレーマー橋のたもと
隊長とみな
クレーマー橋絵はがき
クレーマー橋
トイレのおばちゃん
市庁舎 一階部分はいろんなショップ
ライプツィヒのバッハ像 ボタンがはずれている所が彼らしいのだそうで
ゲヴァントハウス  夜はすんごくきれい
旧東ドイツの典型的風景
ゲヴァントハウス・オーケストラの本拠地
市立オペラ劇場・・・市立ってか・・・すごい
地図ではエアフルトの方がアイゼナッハ寄りだが、
ゲーテハウス(→)の見学予約のため、先にワイマール
に行きました。(10:00頃到着)
ワイマールは街ごと世界遺産、‘欧州文化都市’です。
これでもかっ、と言うくらい有名人たちと縁がある街、
そして‘ワイマール憲法’で有名・・。

有名人の中でも超ド級がゲーテ。
詩人であり、博物学者であり、政治家であり、
そして‘恋するオトコ’・・・(ぇ
ゲーテハウス見学待ち時間にかけ足観光。
国民劇場前 ゲーテとシラー
市庁舎 市場をひやかしています
ワイマールのマルクト広場
←↓マルクト広場
市場(マルクト)が開かれる所は
すべてマルクト広場です。
建物は市庁舎。

         白鳥亭の看板→
ゲーテさんちの筋向かい。ゲーテが
よく通ったレストラン(居酒屋かな?)
             写真提供:班長
→トーマス・マンが宿泊したホテル
エレファント・ホテルだったかな?
マルクト広場に面しています。
金色のトーマス・マンだよ・・。

↓クラナッハが晩年過ごした家。
同じくマルクト広場にあります。
近くにはリストハウスもあったらしいが、
ショッピングに忙しくてさ・・。
クラナッハの住んだ家
↓Stad教会の祭壇
クラナッハの作品がずらり。
ノーフラッシュだったので、
彼の最後の作品であるメインの
十字架上のキリストの絵がうまく
写りませんでした。
↓国民劇場
前の銅像はゲーテとシラー。
(近くにはシラーの家もありました)
もっと前まで行って撮りたかった・・。
こちらでワイマール憲法が採択され、
また、「ウィリアム・テル」の初演も
こちらだったとか。
ゲーテハウス
こちらは撮影禁止なので、
絵はがきでどうぞ。
(→お庭、ここだけOK)
「SALVE」はラテン語で
「いらっしゃいませ」です。
玄関の床に書かれています。

大臣も務めたので、大豪邸!
色彩学も修めた方なので、
各部屋、目的によって壁の色
が違います。
内縁の妻との生活の場と表向き
の部屋をみごとに分けてあります。
←書斎
ここで「ファウスト」が書かれた
んですねぇ。

マルクト広場に面したレストラン(地下)で食事。
見た目はいまいちそうだが、結構おいしかった。
娘はサラダの甘いドレッシングがキライで食べられなくて、
みんなから「野菜を食べろ」と責められる。
(たまにはよその人から叱られなさい!)
練習がないので、昼間っからビールをいただきました。
そうそうビールを飲む機会があったワケではないのです。(言い訳)
日本のビールに比べ、アルコール度は低いですが、コクがある感じ?
帰国して電車で飲んだスーパードライがやけにあっさり感じたくらい。
飲み物はいちいちお金を払って。
ビールとジュースは同じ値段です。お約束で水の方が高い。
何をショッピングしていたかと申しますと・・・‘いちょう’と‘入浴剤’だったりして。
いちょうはゲーテによってヨーロッパに紹介されました。銀杏をそのまんまGINKOってね。
恋多き人であったゲーテは、ずいぶんお歳をめしてからの恋人に、‘いちょう’の詩を
贈っています。で、宝石やさんに行くと、いちょうの葉っぱをかたどったアクセサリーがたくさん。
それで・・・買っちゃった・・ネックレスとブローチを。(写真は番外編で)
もれなく日本語版の「いちょうの葉」の詩のカードが付いてきました。
ちょいと文字バケしているのが涙ぐましいです。
そのつもりは無かったんだけど、免税対象品になりました。書類と領収書もらったので、
EU出国の際に税関でハンコを貰うハメに。そんなに高くはなかったので、‘話のタネ’程度、還金アリ。

入浴剤は出発前から買いたい!と目星をつけていたクナイプ製のものを。
アイゼナッハでスーパーやデパート探してどこにもなかったのですが、ワイマールでGET。
‘クスリのア0キ’みたいなドラッグストアで探し回り、店員さんにパンフ片手に聞き、ようやく。
外国のスーパー回りって、結構面白いですねえ〜。
エアフルト大聖堂 エントランス
マルクト広場 ホテルらしい
エアフルト市街 どこでも路面電車
ワイマールから西に戻るようにエアフルトに向かう道路の右側の丘陵に、
ブーヘンヴァルト収容所(現在は追悼所)の記念碑が見えます。
かつてナチスが作って多くの政治犯・ユダヤ人の命を奪った収容所は、
敗戦後、今度はソビエトがそのまま政治犯の収容所として使います。
あわせて67000あまりの人々が犠牲になりました。
そんな歴史は忘れてはいけない・・・絶対。

・・・お昼のビールが効いて居眠りしている間に、エアフルトに到着。
こちらは歴史あるチューリンゲン州の州都です。
‘テーマパーク’紀行の総決算のような街でした。
教会だらけの街ですが、特に大聖堂とセヴェリ教会がすごいのです。
こんな大きい聖堂は20年前に行った
ノートルダム以来でしょうか。
ステンドグラスのすばらしい事!
かつての大商人たちが出資している
ので、家紋が入っているとか。
(ノーフラッシュで撮ったので、
     これが一番まともな写真→)

↓これは絵はがき。広場は仮設野外
ステージを組んでいた。
めずらしい人型の
     燭台→
14世紀だったかの
   古い物らしい
←↓エアフルト名物クレーマー橋
え、橋に見えない?!
でも、横から見るとちゃんと橋、ゲラ川に架かるヨーロッパ最古の
住宅付き石橋です。(生活排水はどうしてるのかな?)
しばし休憩・・・暑い日になったので、木陰が気持ちいい。

                               隊長とみな→

                  ↓これは絵はがき
ライプツィヒに向かってひた走る。
旧東ドイツの車窓はだいたいこんな感じ。→
コルフォーズのなごりで畑に境目がない。
どこまでも麦畑or菜の花畑orちょっとだけ
ひまわり畑。看板もあまりありません。
こういう‘東側’の遺産ならOK、勝手だけど
こんな風景がずっと残るといいな。
時々見える小さな村には、必ず小さな教会
の尖塔が見えます。
(図工の先生曰く、安野光雅の世界!!)
高い山がないので、風力発電のプロペラが
あちこちに立っています。


←トイレはどこも50セントユーロくらい。
ここはドライブインのトイレでした。
ついにライプツィヒ到着!!(6:40頃)
             ホテル・ルネッサンス泊

夕食はついていなかったので、お散歩がてら外に繰り出す。
←お散歩ったって、8時近くです、これで。
ライプツィヒ市立オペラ劇場・・池のほとりのイスが翌日は池の中にありました。
いたずらでは無く、池の中で足つっこんで涼むため。だんだん暑くなってきた・・。
ゲヴァントハウス↑
     夜はこんな感じ→
ゲヴァントハウスオーケストラ
の本拠地です。
←ライプツィヒ市庁舎
ライプツィヒは旧東ドイツの中では、とっても
元気な街です。(こちらはザクセン州)
ようやくテーマパーク気分から抜け出した
感じですが、まだまだ現代と中世が混ざり
合っています。
2006サッカーワールドカップのプレイベント
らしいです。→
どこだっけ?
サッカーボールの中は何?
夕暮れのトーマス教会(正面)
‘ファウスト’に出てくるアウアーバッハス・ケラー
覗くも、お値段高そうだったのでやめ。

野外レストランのあたりをさまよって、
←左:トーマス教会正面に出る。・・ついに来ました!!
←さっそくBACH像の前で。
あ、これで午後9時でございます。
教会横にのBACHショップを見つけて、
明日買い物に来ようと固く決意。
娘がおなかがすいて反乱をおこしたため、
さきほどの通りに戻ってようやく夕食。・・・イタ飯だった。
10:30ごろホテルに戻る。
お部屋で荷物をほどいていて、
真っ青になる。
日本円を入れたお財布が
見あたらない
〜〜!
一体どこに仕舞ったんだ?!
それともアイゼナッハに忘れたか?!

ゲーテ いちょうの葉