どこまでが常識なのか?
前作、「四つの掟」にも書いたように「特別な知識をしようしてはいけない」とあるが、境目はどこなのだろうか?
例えば、シャーロッキアンの間では、「ホームズがベイカー街221Bに住んでいた」事は常識だがホームズを全く知らない人にとっては皆目検討がつかないだろう。また、微分積分を使った問題が小説中に登場したとしても、中卒の人は解らないだろう。
ではどこまでが常識なのだろうか?1+1=2。これは常識である。2X2=4。これも常識だろう。ではもう少し話を進歩させよう。日本地図中で北海道の位置は常識だろうか?これは大変際どい所であるのだが、日本人にとっては常識だ。しかし英語で名誉の意味を示す単語が、英国と米国で微妙に違ったり、ヘラは嫉妬の女神だとかはヨーロッパの人にとって常識でも日本人にとっても特別な知識であると言えよう。
つまりマーフィーの法則の言葉を借りるなら「常識というのは限られた範囲でのみ知られている知識」である。しかし、常識と「特別な知識」の境目が推理小説では、大きな問題となっている。
僕は誰もが習っている範囲なら常識だと言えるのではないかと思う。では誰もが習うとはどう言う事だろうか?つまり義務教育で習う範囲の事ならば提示しなくとも好いと思うし、またその過程で習わない事は提示する必要があると思う。