陽ノス総論 ここが好き!




キャラクターのこと

陽炎ノスタルジアって、本当にキャラクターが良くできていると思うのです。
今回は絵の話ですが、描き分けの仕方が本当にすばらしい。
今の6人と前世の6人は同じだけど違う人だというのが、ちゃんと分かるように描けているのです。
しかも、単純に今の6人が歳を取ったらこうなるのかな、というのではなくて、彼らはこのまま大人になっても、決して前世の彼らにはならないであろうというように見えるのです。

一馬と馗童はベースは同じなんだけれど、表情の出方が全然違う。まだ平和だったころの一馬と比べても、馗童の持つ表情というのは異なっている。
一馬のそれは無邪気なんだけれども、馗童は屈託がないだけでなくて、もっと自信たっぷりという感じで、余裕がある。

不破と羅偉は、あんまり変わらないけど。

水貴と神威も随分と同じで違うし。
顔だけ見れば同じなんだけど、水貴はキリキリしていて、やっぱり余裕がない。神威の笑顔にはときめくけど、水貴の笑顔(14話)って、正直言って怖かった・・・(水貴ファンとは思えない発言だな)。
水貴が歴史を大切にしていても、名誉を重んじていても、それゆえに歴史に名を残すような生き方に憧れているとしても、水貴は決して神威ではありえない。

同様に不知火も影朧ではありえない。
優しく微笑っているときの影朧には確かに今の不知火に受け継がれるような面差しがあるけれども、不知火が拒絶するような暗黒面が影朧にはあって、その部分が作り出す表情とか行動のようなものが、確かに影朧の上には見ることができるから。

熾烈は強情でかたくなで、今の豪鬼みたいに自分の感情をそのまま素直に表に出すタイプじゃないし。でも出ちゃうけど。
そもそも豪鬼はポニーでも三つ編みでも豪鬼以外の何者でもないし。

自信に満ちていてリーダータイプの澪姫と、なんとなく常に気後れしていて自信なさげな麗。

表情もだけど、表情だけではなくて。うまく言えないけれど・・・。
記号ではないところで絵を描いているからできる芸当なのですよね。
それでいて、ちゃんと記号も用意されているから、誰がどんな風に描いても、一馬は一馬に、馗童は馗童に、見えるのですよ。
これって、すばらしいことかも。

やっぱり言葉足らずですっかり何のことやらわかんないけれど、とりあえず、おしまい。
<WRITE:2001.06.24>

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