第7報(2000/1/2)
フィジー入港前日

 船は赤道を越え、南半球を航行しています。
ポリネシアのフィジーまでは、乗船するゲストスピーカーが少ないので、講義があまりありません。この一服の間を利用して、文章教室とホームページ作成講座を受講しました。
 文章教室では、毎回テーマが出され提出した作文を合評し合い、先生が添削してくれます。最後までついて行くのは骨が折れますが、今までこうしたことはやったことがなかったので、どういう風に書くと他人にわかりやすい文章になるのか勉強になりました。もっと早くこれを勉強していれば、このレポートも少しは読みやすく書けたことでしょう。
第6報までの航海日記を先生に渡し、添削指導を受けることにしました。
 ホームページのほうは、パソコンは初めてという人たちと一緒なので、有料の割には効率が上がりませんでした。それでも、ホームページ作成ソフトを利用して、サイト・ページの作成、表・画像・写真の挿入、トップページとのリンク、登録のやり方など一通りのことは習いました。HTMLの文法規則など一切勉強せずとも、正にワープロ感覚でしゃれたホームページが出来上がります。
この航海日記と映像の記録とをネタに、そのうちホームページに仕上げてみることにします。

 南太平洋は、環礁がたくさんあり大西洋とは一味違います。
燃料切れで漂流中の漁民3人を発見し救助するといったハップニングもありました。
12月26日に仏領ポリネシアのタヒチに上陸しました。

 タヒチを「フランスの経済援助なしでも暮らしていける社会にしよう」とバニラの栽培に取り組んでいるNGOを訪ね、民家の床の上に雑魚寝するというツアーに挑戦しました。
ところが聞くと見るのとでは大違い。
近くの熱帯の浜辺で泳ぎ、タヒチアンと一緒にポリネシア料理を楽しみ、夜がふけても彼らと一緒に火を囲んで語り歌いつづけました。
バナナの葉の上に寝そべって南国の星空を眺めるのは、この世の最高の贅沢かもしれません。
ホームステイ先は30才代の先生夫婦の家でしたが、ここでまたびっくり。車2台にボート、プールもあり、芝生の庭ではミニゴルフぐらいできそうです。
朝早く付近を散歩してみると、どの家も広い敷地に色とりどりの花が咲き乱れています。静かな南国の海も臨まれ、この景色がゴーギャンを虜にしたのだと納得しました。

 こんな楽園にも大きな悩みがあります。
フランス政府は仏領ポリネシアで核実験を行うにあたり、一部のタヒチアンを手なずけようと多大な経済援助をタヒチに行ってきました。
そのため役所や軍関係の施設で働く者は日本人より高給取りになり、親戚の誰かが勤めていればあとはその世話で暮らしています。
30年前には、9割のものを自給していたのに、今は9割を輸入に頼っています。物価が異様に高く、日本人観光客にも手が届きません。
フランスのモルロア環礁核実験もやっと終結したので、自活の道を探ろうとNGOは活動しています。しかし割の悪い生産活動に精を出そうとする住民が少ないのが現実です。

 タヒチを出航すると、新年を迎えます。本船は、世界中で最も早く2000年の初日の出を迎える企画を立てました。
ちょっと分かりにくいのですが、12月30日22時40分に日付変更線を越え、日付変更線(西経178度)に沿って北上します。そうすると、12月31日は、22時40分から24時までのわずか1時間20分だけで、元旦の朝を日付変更線上で待つことになります。
残念ながら、天候が悪く初日の出は拝めませんでした。皮肉なことに、その後天候が回復し、デッキ上では餅つきや凧揚げをするのんびりした元日を過ごしました。

 タヒチからは、年末年始の休みを利用してゲストスピーカーが多数乗船されたので、講義が殺到し今は時間をやりくりするのに四苦八苦しています。
次回の報告は、日本に帰ってからになります。



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