第6報(99/12/15)
アカプルコ入港前日

 コロンブスが「世の中にこんなに綺麗な所があるのだろうか」と言ったとか,言わなかったとか。500年の間に俗化はしていますが、ハバナ港から2時間のバラデロビーチは息を飲むほどの美しさでした。ひと泳ぎして久しぶりに身体を使ったら,疲れました。
船は2日間停船しているので,リゾートホテルに宿泊でき湯船につかりました。
地元の人との交流ができなかったので,キューバ人が誇っていた社会主義の効用(教育,健保、福祉)については実感が得られませんでしたが,自然環境が残っているのが印象的でした。
もしキューバ革命による土地強制収用が行われなかったら,アメリカ企業によるプランテーションに変わってしまっていたのは確かです。
資本主義か共産主義かの是非は兎も角として,この点に関しては「カストロ頑張れ」です。
逆に自分たちの土地を接収された資本家たちが,アメリカに逃れてカストロ政権を非難し、経済封鎖と損害賠償要求で激しく対立しているのも理解できました。
 キューバの特産品は葉巻です。葉巻工場も見学しました。100年前アイルランド移民がニューヨーク裏町の狭い工場で働かせられている映画を見たことがありますが,同じ光景を目にしました。
しかしラテン系は実に朗らかです。 我々が行くと一斉に大騒ぎをして歓迎してくれます。

 キューバの次の目玉はパナマ運河です。
パナマ運河がエレベーター式運河だということは知っていましたが,大西洋の海面から26m登ってガツン湖に入り,そこを航行してから同じだけ下って太平洋に入るとは知りませんでした。
待ち時間も含め丸一日を要します。全員デッキに出て丸の内弁当を食べながら、お祭り気分です。
パナマ運河航行中操船は,全員現地クルーに任せます。運営は戦略上米国が握っていましたが,今月31日をもってパナマに移管することになりました。
 太平洋側の出口にパナマ市があります。今回は入り口で6時間も待機させられたため,下船はかないませんでしたが,海から見るかぎり近代建築の聳える美しい雰囲気です。
中米は世界の中でも治安の悪い地域ですが、パナマはその中でも悪名が高く渡航自粛に指定されています。辻強盗で稼ぐよりも、観光に力を入れたほうが割が良いと思うのですが,どんなものでしょう。

船の幅一杯で運河に入る 後方のゲートを閉じる 前方を開いて登る

 中米各国はごく一部の支配者層が富と権力を独占し,被支配者層、特に先住民のマヤ民族は極端な人権差別を受けていてます。
パナマからは各部族とその支援NGOが乗り込み,先住民族からの告発が続いています。
 1980年のエルサルバドル内戦を描いたオリバー・ストーン監督のドキュメンタリ劇映画「サルバドル」も鑑賞しました。
14家族がエルサルバドルの富の98%を握り、政府を支配していました。横暴に耐え兼ねて民衆蜂起が起こりますが,第2のキューバになることを怖れたレーガン大統領が政府側を支援します。一方ソ連はゲリラ側を支援し,武器を供給するので紛争はどんどんエスカレートしました。
東西冷戦終結後の1992年になってやっと両者の和解が成立しますが、内戦前と事態は一向に変わっていないと言いますから,何の為の犠牲だったのでしょう。

 パナマでの遅れを取り返すべく、船は全速力(20ノット)で太平洋沿岸を北上し、12月13日早朝このエルサルバドルに到着し14日昼過ぎまで停泊しました。

 血なまぐさい話が続いたので,今年の締めくくりに壮大なロマンをお届けしたいと思います。
 古代マヤ民族はメキシコのユカタン半島南部からエルサルバドルにかけて高い文化を有していました。AD700-900には、グアテマラのティカルに240万人のマヤ人が住んでいました。ところがこの人たちが9世紀に忽然と消滅し,一切が謎に閉ざされていました。
彼らの遺跡が密林の中で発見され,20%ほどが発掘されています。停泊期間を利用して,航空機をチャーターし隣国グアテマラの奥地を訪ねる大型ツアーに参加することにしました。
 世界遺産に指定されているこのティカル遺跡は,密林の中に大きなピラミッド5基が聳えています。
夫々が石を積み上げた神殿になっていて,天に近づく為の建造物のようです。
第2神殿は発掘が済んでいて石段を昇れます。物凄く急なのでおっかないのですが,勇気を振るって登頂しました。
上からの景色は絶景です。下を覗くと断崖に見えます。
第4神殿には梯子をつたって登ります。密林の樹林上に幾つかのピラミッドが首を覗かせており,独特の景観が望めます。

 世界中からの援助により道も整備されているので奥多摩トレッキングと同じようですが,1000年前にはこの狭い区域で数百万の人が何を考え,何をしていたのだろうかと想像しながら歩いていると壮大なロマンを覚えます。



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