第5報(1999.12.5)
キューバ入港前日
 ラスパルマスを出港し,大西洋上をコロンブスの航跡を辿って明朝にはキューバのハバナに到着します。
ここはアメリカの最南端キーウェストから僅か数10キロのところです。アメリカに住んでいた頃,家族と一緒にキーウェストまでドライブしたことがあります。亡妻を偲び,あの時代が私の人生で一番楽しかったなあと珍しく感傷的になっています。

 ところで,ラスパルマスのあるスペイン領カナリア諸島は本国の2000km南に位置し,ヨーロッパ人はカナリア諸島と聞くとうきうきした気分になるそうです。
綺麗な海岸線や富士山級の火山があり,観光の島々ですが日本漁船の基地でもあります。日本で食べているタコの70%は、ここで獲れたものです。
ラスパルマスの海岸には,端整なリゾートホテル,ショッピングセンターが軒を連ねていて,ドイツ人団体客の波でした。残念ながら、ぴちぴちした若者は一人も見かけませんでした。


 3ヶ月の旅の中日を日本の真裏で迎えました。早いようでもあり,遥か以前に日本を発ったようでもあり、複雑な心境です。
船のエンジンが故障し,1時間余も洋上を漂流した時は,パニックになったご婦人が荷物を纏めてお祈りをしたと恰好の話題になったりします。
乗客の自主企画も盛んになり,舞台劇,コンサート,落語,などが目白押しです。

 私も旅の後半は,人的交流の輪を積極的に広げてみようと思います。若い人の輪に入れればよいがと、当初は思っていましたが,結局活動の時間帯も話題も共通化できにくく、同年輩の男性との会話が主になります。
面白いことに,若者は小さなグループに固まって何時も一緒に行動する習性があり,一方年配者は誰とでも気楽に付き合えます。
話してみると、それぞれの人が持ち味を持っており,感心するやら教えてもらうやら楽しく付き合えます。寄港地ツアーや聴講内容について,初対面の人とも気取らない対話ができます。
船上では誰もがややハイな気分になりますから,こうした過去の経歴にとらわれない日常が船旅の醍醐味でしょうか。

 中米が近づいたので,現地の平和活動家や現地にはまってしまった日本人から、夫々の国の政治や文化について叩き込まれました。平和な日本と違い,どの国も問題を抱えています。
キューバとアメリカとは,35年間に亘り国交が断絶しています.従ってアメリカ人が社会主義国キューバを訪れることはできません。
毎朝英語を習っているブレンダ嬢は、ピースボートの英語の先生ということで特別上陸許可が下りたと大喜びでした。でも、アイスクリームを買ったりすると経済封鎖に違反したとして厳罰に処せられるそうです。
キューバに関しては,アメリカからの情報が中心なので,怖い国というイメージが強いようですが,貧富の差の激しい中南米の国々の中で唯一、教育,医療,福祉の進んだ平等社会なのだそうです。

 友好国だったソ連が崩壊して以降,経済は最悪の状態にあります。「革命以前の苦しさを知らない若者が,アメリカに憧れてボートでマイアミに流出する」と嘆いていました。
100万人近いキューバ人がマイアミにいて,この人たちが反カストロ派,カストロ支持派に分かれてアメリカ政府に圧力をかけています。
1日や2日覗いただけで,実態が掴めるはずはありませんが,得がたいチャンスなので楽しみです。

 船上で練習していたサルサをホールでご披露しているはずなので,これから行ってみます。



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