第4報(1999.11.24)
ジブラルタル通過日

 11月11日にスエズ運河を通過してからまだ2週間しか経っていないのに、3年程の期間が目まぐるしく過ぎ去ったような気がします。
この間に、エジプト、イスラエル、ギリシャ、クロアチア、イタリアを訪れ、ほぼ1日おきに寄港と出港を繰り返しました。地中海、エーゲ海、アドレア海の海域は、古代エジプト、ギリシャ、ローマ文明や美術の宝庫というだけではなく、宗教的にはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であり、現在はイスラエル・パレスチナ紛争、旧ユーゴ民族紛争の真っ只中にあります。
各寄港地ではオプションツアーに参加し、また航海中は歴史、宗教、国際紛争のレクチャーに出席したので、2週間というものはずっと回り灯篭を見続けていたように感じます。国際紛争の渦中にあって平和運動を行っているイスラエル人、パレスチナ人、クロアチア人、セルビア人がゲストとして多数乗船しましたので、彼らの体験談、レクチャーが機関銃のように企画されます。
パレスチナ問題については一応理解できましたが、これだけ歴史、宗教、民族主義の勉強をしても、セルビア、ボスニア、クロアチアで何故市民同士があんな殺し合いをするのか、NATO軍によるコソボ空爆は正しかったのか等は未だに私の中で整理がついていません。

 短い寄港期間の間に、カイロではピラミッドや、ツタンカーメンで有名な考古学博物館、アテネではアクロポリスの丘やプラカの街、ローマではサンピエトロ寺院やローマ国立美術館などを訪ねました。




カイロやアテネにこれまで訪れたことがなかったので、それなりに興奮しましたが、何と言ってもピースボートならではの旅は、イスラエルとクロアチアの土を踏んだことです。

 イスラエルでは、帰属問題で争っているエルサレムの旧市街を短時間見学した後、パレスチナのガザ地区を訪れました。
ユダヤとアラブは永年争っていましたが、5年前に和平合意が成立し、暫定的にパレスチナ政府の自治が認められています。と言っても、国境の警備は厳重でパレスチナ人はこの地区から外には出られないし、イスラエルから乗ってきた我々のバスも検問所でパレスチナ側のバスに乗り換えなければなりません(帰りは勿論この逆)。
何か不測の事態が生じると暫定和平が崩れるので、両政府ともにピリピリしているのが肌に伝わってきます(両国とも和平合意反対勢力を抱えている)。
一旦パレスチナ国内に入るとパレスチナ学生連盟の諸君の歓迎会が待ち受けており、飲んだり踊ったり楽しく歓談しました。アラファト議長に会えるかもしれないと言うことでしたが、ディナーがアラファトのおごりになっただけでした(ヨルダン川西岸に行ったグループと会ったそうです)。
こんな危険な地域に団体で訪れるのは、世界中でピースボートだけですから、世界の若者との付き合いは彼らにとって凄い励みになるようです。
夜はパレスチナ難民の家に民泊し、翌日は難民キャンプを訪ねたり、インティファーダ戦士の体験を聞いたりしました。
緊張の1日でしたが、ガザ地区は安定化していて、この体制なら自立可能だとの印象を持ちました。ただし、ヨルダン川西岸に行ったグループの報告によると、ここではイスラエル人入植地を巡る攻防が行われており、興奮したそうです。

 クロアチアはドブロブニクという中世の城郭都市に入港しました。ここはベニスと並ぶ観光地だったのですが、1992年の内戦でセルビア軍の砲撃の的になりました。
戦いは終わって文化遺産は一応復旧していますが、一緒に住んでいたクロアチア人、ムスリム人、セルビア人の民族間に超えがたいしこりが残りました
クロアチアの隣国のボスニア・ヘルツェゴビナの都市も訪ねました。
ここではクロアチア人、ムスリム人が川を挟んで激しく戦い、今も内戦の傷跡がそのまま残っていました。土地の人の説明では、昨日まで仲良くしていた市民たちが、突然に民族浄化を唱え殺し合いを始めたのだそうです。
クロアチア人(キリスト教徒)、ムスリム人(イスラム教徒)といっても、人種は同じであり以前は友達や隣人がどちらに属するか全く無関心だったそうです。それなのに無理やり民族別のレッテルを貼られ、大量虐殺(数万人単位)が始まったと言うのだから到底考えられないことが現実に起こっています。
敵方の女子を強制収容し、集団レイプを行って民族の血を増やす行為が各地で行われたと聞いて、一体人間とはいかなる生物なのか分からなくなります。
それにしても、バスの車窓から見る風景は素晴らしいです。アドリア海も絶景の連続でした。

 ここまでは穏やかだった海が、地中海に入った途端荒れ出しました。
皆さん疲れも出たのでしょう。下痢、風邪、船酔いの三重苦で苦しむ人が続出しました。「もう船はいやだ、早く降りたい」と弱音を吐く人もいます。私はどういう加減か、こうしたことに無縁で凄く元気です。ますます快調になってきました。

 今日ジブラルタル海峡を通過しました。明後日大西洋上のスペイン領カナリア群島に到着します。今度の旅のハイライトである中東、バルカン半島が済んだので、暫くは気楽な観光を楽しむことにします。
私の選んだオプションツアー「ガザ地区で民泊」「ボスニア・ヘルツェゴビナを行く」は、一般の旅行会社では決して実行できない企画でしょう。それだけに世界から隔絶されている現地の人には凄く喜んでもらえました。
もっと危険地帯へのツアーもピースボートは実行しており、私には参加する勇気とお金を持ち合わせませんでしたが、これに参加した人も結構います。
「カンボジア地雷地帯」「コソボ空爆地帯」へのツアーでは、参加者は安全保証放棄の誓約書を交わします。彼らの報告によると、かなりスリリングな体験をしてきたようです。

 なお、「NATOコソボ空爆の是非」について現地人運動家を中心に船上でケンケンガクガクの議論が行われています。
小話があります。「銀行強盗が入って多数の人質を監禁した。警察が強行突入して強盗を取り押さえたが、かなり人質に被害が出た。強行突入の決心は果たして適切だったであろうか」。皆さんの答えは如何でしょうか?
銀行強盗(セルビアのミノセビッチ大統領)、人質(アルバニア人)、警察(NATO)、強行突入(空爆)です。



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