第3報(1999.11.09)
エリトリア出港翌日
 第2報を書いた後、「エリトリア・エチオピア国境紛争、解決への道」のワークショップに出席して部屋に戻ると、思いもかけなかった渡辺さんからの本船宛FAXが届けられていました。この時ほどTomyNetの一員であることの幸せを噛みしめたことはありません。
山本さん、辻さん、松岡さん、池田さん、第1報を喜んでいただいて、こちらのほうこそ感激です。味をしめて、これからも航海日記を送り続けます。前田さん、美人撮影法の懇切なご指導有難うございます。心して撮ることにします。野崎さん、富井先生、高沢さんはセントルイス、堀合さんはミネアポリスにご滞在の由、TomyNetの国際化にご同慶のいたりです。渡辺さん、面倒をみていただき、お礼の言葉がありません。宜しくお願いするだけです。

11月8日朝6時にエリトリアのマッサワに入港しました。エリトリアとは、30年に亘るエチオペアからの独立戦争の末、1993年に建国した若い国です。アフリカの国には珍しく国造りの希望に燃え、人々の目が輝いているように見えます。街には、当時ミグ戦闘機により破壊された建物が記念に残されています。国境問題でエチオペアとは未だ交戦状態にあるので、日本政府としては援助の手を差し伸べられませんが、NGOのピースボートはこの国に対する思い入れが強く、4年前から毎年ピースボートが寄港して応援しています。ですから、入港するなり有力者を始め、町をあげての歓迎を受けました。今回も、援助物資のうちの半分をこの国の難民に届けますし、法体系整備の為に英文の法律書1式をアスマラ大学に寄贈します。

 14:00出港までの僅か8時間の寄港ですが、珍しい体験ができました。40度を超える灼熱の砂漠の中を40分間ラクダの背にまたがり行進しました。このツアーの参加者100人に対し、100頭強のラクダと奥地の部族200人が3日かかってここまで出てきたのだそうですから驚きです。これだけの集団のキャラバンは壮大でした。彼らはまた3日かけて家に戻りますが、貴重な現金収入のお手伝いにもなりました。
ラクダは後ろ足から立ちあがるので、その際前につんのめり、ついで後ろに反り返ります。この時にしっかり取っ手を掴んでいないと危険ですが、それ以外はよい乗り心地でした。30分ぐらいでは、お尻も痛くなりません。

 戦争で破壊されたが、自力で復活させた国内唯一の鉄道も我々の為に走らせてくれました。そちらに参加したグループも感激して帰ってきました。「AIDはAIDSだ」の信条から、自力で国造りを進めている姿が感じ取られ、エリトリアファンがずいぶん増えました。
これから世界の弾薬庫に入ることになります。ピースボートのスタッフは、紛争当事国の両サイドの若者をピースボートに招き、互いに本音で語り合う場を提供して解決の道を探ろうとしています。どれだけ実効力があるかは分かりませんが、日本の若者がこうした地道な努力を続けているのは立派です。(既にインドとパキスタンの青年が、原爆について討議しました。洋上だからこそ可能な企画です)
次は、こうした紛争地域を過ぎてローマあたりから報告します。



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