本船は、1月12日日本領海に入り、「ソウフ岩」、そして「鳥島」(アホウ鳥で有名な島)のすぐ近くを通過しました。
「ソウフ岩」という言葉を聞いたことのある方は少ないのではないでしょうか。水深2000メートルの海面から100メートルの高さの断崖が塔のようにそそり立っています。何人も寄せ付けない奇妙な風景ですが、これでも200海里水域の基点になっているのだそうです。
大島を横に見て観音崎灯台を過ぎると、風景が一変します。周りには、貨物船、連絡船、釣り舟が行き交い、岸には住宅、工場、ビルが聳えています。
3ヶ月間こんな雰囲気を味わったことがありませんでした。正しく経済の息吹を感じます。良きにつけ、悪しきにつけ、「われわれ世代の日本人は、大変なことをやってのけたものだ」と実感しました。
前回の報告以降、フィジーとチューク(旧トラック諸島)に寄港しました。
フィジーは、南半球オーストラリアの東に位置し、住民の半数以上がインド系です。砂糖きびの強制労働のために連れてこられたのでしょうが、本国カーストの最低層で暮らすよりも遥かに幸福な人生だろうと思いました。
旧トラック諸島は、言うまでもなく旧日本の委任統治領で、連合艦隊の本拠地でした。ラグーンには、多数の輸送船、航空機が沈んでおり、海中公園としてそのままの状態に保存されています。ボートに乗り移り、シュノーケルを着けて泳ぎながらこれらを観察して回りました。零戦が仰向けになって、8mほどの水深に横たわっています。
お弁当を食べるため付近の無人島に上陸すると、冒険ダン吉が活躍した舞台そのものです。椰子の木が生い茂り、野生のバナナがたわわに実っています。
この頃になると、船上の話題は「帰ったら郷里の何とかを食べたい」ということに集中し、芸能大会やフェアウェルパーティが続きます。
しかし、地球大学を卒業するには研究プロジェクトの発表をしなければなりません。私は、男性2名、主婦1名からなる3名のチームで、「日本の安全保障について」というお茶の間の話題には程遠いテーマに取り組みました。「自衛隊はどこへ行く」という本を輪読して幾度か討議を重ね、著者の前田哲男さん(ゲストスピーカーとして乗船していた)からも、話を聞いて論文を纏めました。
40人ほどの聴衆の前で発表して、無事優秀な成績(?)で卒業できました。卒業したからといって何の役にも立たないけれども、当初立てた目的を達成できた満足感はあります。最後まで続けたのは、外国人奨学生以外には年配者7名、若者7名でした。
それにしても、この3ヶ月間よく勉強しました。これだけのことを娑婆でやるには、3年かかっても無理だったでしょう。
午前中の語学研修では、英語の実力が上がったわけではないけれども、聞いたり話したりするのに抵抗がなくなりました。ロシア語とハングルは入門のほんの入り口だけでしたが、4月からのNHK講座にはスムーズに入れるでしょう。
午後は文字どおり「平和学」の基礎となる民族・宗教紛争と国連に関するレクチャーです。しかし、ここにも落とし穴があります。ゲストスピーカーの顔ぶれを見ても、ほとんどが平和運動家であり、現実の社会、政治を動かしている側の人は見当たりません。したがって船上で得られた情報だけでは、一方的、偏見的な見方をしてしまう恐れがあります。でも基礎知識と関心は得られたので、これまで見過ごしがちだった国際情勢や民族、宗教などのニュースや記事が、自分のアンテナに引っかかるようになるでしょう。
夜は夜で、作文の宿題と、デジタル映像の整理、編集をしなければなりません。普段は億劫がって先延ばししている作業も、ここでは待ったなしです。
でもこの旅での一番の収穫は、人間が好きになったことではないでしょうか。
同室者の4人が互いに気が合って、何事も腹蔵なく話し合えたのは幸いでした。50数年も昔の青春時代を過ごした旧制高校の寮生活を彷彿させました。
そうは言っても乗客が600人もいれば、気の合う人ばかりではありません。威張る人、横柄な人、でしゃばりな人、文句ばかり言う人、ウクライナ人クルーに怒鳴り散らす人、世話してもらうのが当たり前だと思っている身障者など、人様様です。
始めのうちは欠点ばかり目に付いて、こうした人を避けていましたが、長い航海中にたまたま接点ができると、誰もが悪気のない好人物だと気づきました。互いに考えは違い、相手の調子に合わせることはできなくても、そうした人だと割り切ってしまえば社会が楽しくなります。
国際関係においても、相手国を非難するばかりではなく、相手の考えを認知し、言い分を尊重するなら紛争に発展することも無くなるでしょう。
ピースボートとは不思議なNGOです。
何億円にもなるリスキーなこの巨大プロジェクトを、誰の援助も受けずに若者たちだけで企画し運営しています。
20歳台のスタッフの実行力、弁舌の爽やかさには目を見張るばかりです。例えば最高責任者の石丸君は25歳の青年ですが、どんな揉め事も笑顔で丸く収めてしまいます。彼は中学卒業後暴走族になっていましたが、阪神大震災の際、現地で救援活動をしていたピースボートに出会って趣旨に共鳴しスタッフに加わったのだそうです。
こうした能力のある若者を見出して仕事を任せれば、巧くいけば事業は急成長する典型的なケースです。
オリビア号とは3年契約を結んでいるので、1月15日晴海に入港した後、1月16日には早くも再び500人の乗客を乗せて、次の世界一周に向けて出港しました。今度は、マダガスカル、マゼラン海峡を通過する「南回りの旅」です。40人ほどが引き続き乗船し、世界二周に挑戦しています。
ピースボートに惚れ込んだリピーターが多い一方、二度と乗るのは嫌だと言う人も沢山います。
その理由を聞くと、第1は船酔いですが、プライバシーが保てないこと、人間関係のわずらわしさが原因のようです。どうも他人のことを気にしすぎる中年女性に、この傾向が強いようです。また、豪華客船を夢見て乗ると、接客の不備が目に付き失望するようです。
こうした限度を弁えてさえいれば、研修目的であれ、観光目的であれ、皆さんにお勧めできます。
問題の費用については、私の実績では次のとおりでした。
*旅行代金 98万円(一番安い船室だが、早期申し込みでグレードアップ)
*オプション・ツアー 18万円(¥6000から¥64000まで16ヶ所)
*ピースボート協賛金 5万円
*雑費 10万円(ビザ、ポートタックス、チップ、保険料)
*国内準備費 6万円
*船内費用 16万円(飲み代、クリーニング代、本代、授業料、土産物、小遣い)
以上合計 153万円
3ヶ月で150万円を高いとみるか安いとみるかは、人それぞれでしょう。
旅行代金98万円は、豪華客船の3分の1と言われていますが、「飛鳥」がホテル・オークラだとしたら、ピースボートはさしずめワシントン・ホテルに泊まっての研修といったところでしょうか。
それでも朝、昼のビュッフェでは和、洋食が自由に選べますし、夜は連日、前菜、スープ、メインディッシュ、デザートのコースディナーでした。
意外だったのは気温です。熱帯が殆どなので、Tシャツに短パンのつもりで用意しましたが、外も内も寒く長ズボンで通しました。
携帯品は、トランク、ボストンバッグのほか、ダンボール箱1個、衣装箱2個とプリンターまで持ち込みました。日本発着のメリットを生かし、自宅から船室まで宅急便で送り届けられるし、帰りも全く苦労がありませんでした。なかでもデジカメ、パソコン、プリンターが最大限に威力を発揮しました。
以上で長い航海の報告は終わりです。下手な文章を最後まで読んでいただいた方には、改めてお礼申し上げます。何よりも、寄港地から郵送したフロッピー・データをアップしてくださった渡辺さんに感謝します。