Interview Part2

●沖縄弁から東京弁へ




:あなたがさ、沖縄から出てきたのは、

:ちょうどね、僕が二十歳です。

:1965年。

:そうですね。青年座に入ったのが40年ですから。

:あの頃って、まだアメリカ軍の軍政下にあったでしょう。

:そうです。

:ということは、沖縄から東京へ出てくるってのはさ、外国へ行くみたいなもんですね。

:ええ。今ねニューヨークへ行くとかロンドンへ行くとかっていうより、はるかに遠いところへ行く感じがしましたね。だって五色のテープをバーって引きましてね、えー2泊3日で来ましたからね。食事がね9回かな、船の中で出る。それ覚えてますよ。最初の1杯カレーライスなんですよ、出航した直後に出る。で、あと全部食えないんですよ。だから東京に着いたときには幽鬼のような。

:そのときはパスポート持ってきたんだろう?

:パスポート持ってきました。

:もう完全に外国だよな。

:そうです。琉球政府版のパスポートですから。

:まだ返還されてないときだから。

:はい。

:東京に出てきてあなたがすごく驚いたっていうのはさ、言葉だって言ってたじゃない。

:ええ、もうねえ、まるっきし違いますからね、沖縄とは。だから、東京へ出てきて驚いたのは、劇団に管理人のおばちゃんがいらっしゃるんですよね、2階に住んでる。稽古場が上なんですよ。そうすると管理人のおばちゃんのしゃべってる言葉が、ものすごいきれいな標準語なんですよ。

:きれいな標準語に聞こえた(笑)。あなたは東京へ出てくる前に、商業学校を卒業して、しばらく放送局にいたんでしょう?

:3年いましたね。

:放送局にいて、その頃放送劇団かなんかやってたんだって?

:やってました。放送劇団もやってるし、『共同劇場』っていうテレビの番組がありまして、それも手伝ってましたから。僕は番組編成部員だったんです。だから所属がテレビ編成課というところで。

:それから、しゃべりもしたんでしょう?

:しゃべることはしていません。放送劇だけですからね。

:ああそうか。じゃあ放送局にいたときに、いわゆる標準語といわれる言葉を君はもうすでに勉強したのかと思ってたの。

:いえいえ。放送劇やるときには、こちらの言葉でしゃべりますから。今は逆を考えてますけどね。沖縄弁の言葉でもって劇を作ればいいなと。あとから全部東京思考ですから。

:じゃあ標準語と聞こえるのは、放送局のアナウンサーの声で聞いてたんだ。

:そうです。もうそれだけです。僕は高校時代にも舞台やってましてね、とにかく舞台の舞台は東京ですから、みんな東京弁でしゃべらなきゃいけないんですよ。ところがみんな沖縄口でしょう。そうするとね大和口をしゃべらなきゃいけないってんで、今でも覚えてるのはですね、卒業が間近になって、桜の花が咲いて、なんとかかんとかっていう台詞があるんですよ。それをね「サ
クラとは言わないと思うよ。これは東京弁でたぶんクラだよ」っていう話になって、それで「クラの花が咲いて」って堂々とやってたんですよ。で、こっち来てしばらくたってから、あれはやっぱりサクラだった(笑)。
それであれですよ、これ前にもどこかで話したことありますけど、劇団に山岡さんていう大先輩がいるんですよ。僕は研究生で劇団に入って、それで総会では研究生ってのはなかなか発言ができないですよ、恐ろしくて。大先輩ばっかりですから。それでも「研究生で何か言いたいことがあったら言いなさい」って言われて、僕は決意して「はい」って手を上げましてね。で、ちょうど民藝でやっていた『島』という作品がありましてね、あの作品のことをちょっとしゃべろうと思ったんですよ。それで「ええ実は民藝でやっていました『
マ』という作品なんですけど」って言ったら、山岡さんが即座に「津嘉山! それはマではない。シだ。で、何? 言いたいことは?」って言われて、僕はもうボンって(笑)。「え? あ、シ、シですか。は、はい」「なんか言いたいことはないの?」「いや、また後でまとめて、えーまた後であれします。どうも失礼しました」って(笑)。結局言いたいこと言えなかった。

:きびしいね。

:いやでもありがたかったんですよ。

:言ってくれる人ってのは愛があるから。

:そうです、そうです。僕はだから同じ研究生でも東京出身の連中みんなに頼んでましたから。いつでもいいから、ご飯食べてるときでも何でもいいから、アクセント間違ったらパッと直してくれって。

:じゃあいっぱいあったでしょう? アクセントの置き方が違うの。

:もう、大変です。だから今アクセント辞典も3冊目ぐらいですけどね。みんな同じところにいっぱいしるしガーガーガー、バカですから同じところにいっぱいしるしがつくんですよ。どこめくっても必ずしるしがついてるんですよね。それで覚えた台詞が、言葉が東京弁ですから、僕にとって東京弁は外国語みたいなもんですね。

:沖縄の人、オキナンチュウ。オキナンチュウグチというの?

:ウチナーグチといいますね。ウチナーグチというのは、いいですか、ウレオサレ、ウチナグチニセ、例えばあの、ウンジュガウン、ウチナグチチチン、ムル、チュブルカラ、シャムリムルヌーワカラベランヨ。

(註:聞こえたものをそのままタイプしました。ウチナーグチとして正しいかどうかはわかりません)

:・・・何を言ったの?

:じゃ翻訳しますと、あなたが沖縄弁を聞いても、最初から穴まで、なんにもたぶん理解できないでしょう。

:(笑)

:ということを言ったんです。

:全然理解できない。

:だからまるで沖縄弁というのは違うんですよ。その沖縄弁からきたアクセントで沖縄大和口という言葉になっているわけですね。アクセントは全部方言からきてるアクセントですから、もう東京弁とはまるっきり違うんです。

:言葉の葛藤ってのはすごかったんだね。

:あります。だから今回もそうですけど、今度はこれは紀州弁で、僕は関西弁て今まで一度もやったことないですよ。ついこのあいだ『現代仁侠伝』という映画がありましてね、あれで大阪の人間を、まあ台詞が少なかったからよかったですけど、それが初めてで、今回はこんな膨大な量の方言を、紀州弁つまり関西系の言葉をしゃべる・・・

(註:このインタビューは『華岡青洲の妻』公演期間中に行われました)

:言葉っていうのは、なんていうんですかねえ、言語形成期というんでしょうかね、その言葉が頭に叩き込まれる、僕は二十歳まで沖縄にいましたから、もう抜けるものじゃありません。今でもだからナレーションの仕事とか、アテレコの仕事とか、ラジオの仕事とかという場合には、必ず前もって台本をくれと。で、ずーっと家でチェックして。今たまたま『クロスオーバーイレブン』というNHKのFMで、月曜から木曜までですかね、やってますけど、それも台本もらってほとんど1日かかりますね、そのチェックするのに。今何気なくしゃべってるような感じでしょう? そこらはそう、頭ん中にはどっかにまだありますよ。

:ええ!? ああ、そう。

:今特に紀州弁やってますからね。

:僕はアクセントが変なことがよくあるんだけども、僕はあんまりばれない、でしょ?

:そうですね。

:神戸、関西弁だからね。うちのお袋がさ、変な人で、広島県から神戸に出てきたときに、「これはなんぼかのう」とか「これつかあさい」というような言葉でゲラゲラ笑われたのね。すごく恥ずかしくて、どうしたらいいか。ラジオのアナウンサーが言ってるようにしゃべればいいと思って、一生懸命に聞いて、「これはいくらですか?」っていうふうにね、一生懸命やったらしいんだ。そうしたら「東京からいらっしゃった方ですか」って言われて、「東京からあんた来たの?」なんて言われて、よかったんで、どこへ行っても恥ずかしくない言葉はさ、ラジオのアナウンサーのようにしゃべらしゃいいんだって、息子の小学生の僕に、家の中ではラジオのアナウンサーがしゃべってるようにしゃべれと、外ではもう神戸弁でいいから、と言われたんですよ。つらかったですね。恥ずかしいですよ、友達にそんなところ聞かれたら。「もういややでぇ、友達が来てるときは僕しゃべれへんでぇ」ってさぁ。ほんとにねぇ。

:そうですよね。僕だってこっちにいてやっとなんとか東京弁覚えてきたかなってときに、時々沖縄に帰るじゃありませんか。1週間帰ると、そんな東京弁なんか使ったら交流ができない感じがあるんですよね。だから一生懸命また沖縄の普通の言葉で話すと、もうあと東京へ帰ってくるとまた大変ですよ。もうぜんぜんそのいわゆる何ていうんですか、バイリンガルみたいにはいかないんですよ。

:あれだろ、あのう、西田君は、

:彼は福島です。

:福島だけど、結構どこの言葉でもすぐ真似してしゃべるんじゃないの?

:彼は自分で言ってます、「僕はバイリンガルですから」って。でも福島弁はあんまりしゃべってるの聞いたことありませんね。このあいだ京都でたまたま会いましてね。出身が彼は福島、僕が沖縄、かたっぽがどこでしたかね、東北の方ですよ。で、3人東京弁やめて一切方言でしゃべってみようかと。はじまったんですよ。ところが僕のさっきみたいな言葉は通じませんのでね、時々注釈をつけて翻訳して。西さんは福島弁で「そうだ、ぺかや」とか僕もよくわかんないですけど(笑)。もう一人の村上さんていう人も。3人で、寿司屋のカウンターで、ずーっとそれで、まあ楽しんだというか。



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