最終更新日:2002年2月11日
ぴーちゃん日記
2002年1月1日(火) 2002年の始まりです。今年はぴーも10歳という大台に乗ります。まだまだ通院は続きますが一日も早く卒業できると嬉しいです。 今年もどうぞよろしくお願いします♪ |
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2002年1月5日(土) 今年最初の通院日です。お正月も毎日出してコール、食欲も旺盛だったので安心して先生に診て頂けました。結果はもう良好もいいところ!肝臓は4.8ミリにまで小さくなっていました。お薬は昨年末と一緒ですが2週間後の結果によってはまた少し弱まるかな?なんて期待もでちゃう程でした。 そうそう!今日先生がいきなり「ちょっとハバキが出てるけど足を圧迫している様子もないし気にするほどじゃないけど取ってあげるわね。若い文鳥さんだからね!」私「わゎゎゎ若い!!ぎゃぁ〜!先生ぴーもう今年で10歳ですよ〜!!」先生「えっ!そうだったかしら・・・」カルテに目をやる先生「ほんとだぁ〜(笑)」すかさず私「ぴー若く見えますよね。それに一人Hもするんですよ〜(笑)」先生「まぁ〜現役なの〜」二人で爆笑してしまいました。こんな会話が出来るようになったのもぴーの経過がとっても良いからですね。 |
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2002年1月19日(土) 今日はBHの日でした。いつもなら車で行くのですが今日はあいにくぼっくんが仕事のため電車での行く事に、外はかなり冷えていたのでホカロン3個を入れて完全防寒でお出かけしました。BHへ着くともの凄い人(^^;汗 中にも入れお外で待つ事になってしまいました。完全防護をしてきて良かった!外にいた男性に声を掛けられその方は2時半に来たけどまだ名前も呼ばれていないと言っていました。となるとぴーの診察は9時を過ぎることは間違いなし!!ぴー大丈夫かな〜??? 4時間半待ってようやくぴーの順番が回って来ました。まずお決まりの体重測定と糞検査。体重は25g!糞も異常なし!で!次はお腹の検査。これが一番問題(^^; で!診て頂くと肝臓は前回4.8ミリだったのが6ミリ!えっ!また大きく?先生に前回の大きさを言うと先生によって測る位置が違いこのような結果が出たのではないかということでした。これを聞いて安心しました。ということは変化なしということでした。でも、肝臓はこれで良かったのですが、脂肪がちょっと着いてしまいました。体調を崩してからはまず体力をと食べ放題だったのが・・・・反省。 そうそう!先生たらぴーの顔と頭が黄色く染まっているのを見て、薬浴びしてますね。と言いながら頭の羽を丁寧に逆立てくれました(笑)そのときのぴーの顔は・・・もちろんムッ!としてました(^^; 今回の診察での結果から肝臓も一定、体調も安定しているということでお薬から抗生物質がなくなりなした。それと2種類の整腸剤が1種類の軽めの整腸剤に変わりました。2週間後の通院で変化がなければ2週間に1回の通院が3週間に1回へ変わるかもしれません(^O^) 診察が終わり家に着いたのが11時を少し回ってました。ぴーお疲れ様でした。でも良かったね。ぴーが一生懸命頑張ったからだね♪ |
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2002年1月30日(水) 日記を読む前にこちらを読んでください。 何時ものように帰宅。「ぴーただいまぁ〜」ぴーは寝ていたようでちょっと寝ぼけ眼で「お帰り〜チュンチュン」て鳴いてくれました。私は着替えて洗濯物を取り込みたたみながらぴーを見るとご飯を食べていました。洗濯物を早々にしまい、ぴーを籠から出してあげると嬉しそうに秘密基地へまっしぐら、もうぴーったらしょうがないなぁ〜でもこれが至福の時なのよね〜なんて感じ10分くらいぴーの好きなようにさせてあげました。しばらくするとぴーは私の肩に乗り私はぴーを頬で撫でてあげるととっても気持ちよさそうにしていました。7時を回りそろそろ寝る時間、ぴーそろそろ寝んねだよ〜とぴーを籠に入れてあげるとぴーはご飯を1粒食べました。悲劇はこの時始りました。ぴーは喉に何かを詰まらせたように急に苦しがりました。呼吸が荒いのです。しきりに嘴をかきむしろうとしています。私はボレー粉を詰まらせたのかと思いぴーを籠から出して様子を見ようとしますが上手く見れません。そこでお水をと思い水入れを傍に持っていきますが飲むことをしませんでした。どうすることも出来ず、ただただ慌てるばかりです。しかし私が慌ててはぴーを不安がらせるばかりと思いぴーの籠の傍に座ると、ぴーは水浴びの催促をします。こんな時に・・・・・だけどもしかして水を飲んでくれるかもしれないと思い器に水をいれて用意をしてあげると、一生懸命に水浴びをします。水浴びが終わると羽を丁寧に丁寧に繕い.止まり木に止まって静かにしています。しかし呼吸は相変らず荒く、私はBHへ電話をいれました。BHは水曜日は休診日です。案の定、電話の向こうから帰ってくる言葉は診療時間のことだけでした。仕方なく知り合いのオカメインコが通院しているを聞き電話を入れると診て下さるという返事。主人がまだ帰宅していないので主人の携帯へ電話入れ、実家の父に車で連れて行ってもらうことにしました。さいわい父も晩酌をする前だったので直ぐ飛んで来てくれて、ぴーを乗せて病院へ向かいました。その間30分。ぴーは相変らず呼吸が荒いままでした。、病院へ着くと先生は直ぐにぴーの様子を診てくださいましたが全くわかりません。私は苛立ちを抑えながらどうなんですか?と聞いても返ってくる言葉は、うやむや言葉ばかり、兎に角酸素吸入をしましょう。ぴーのキャリーをラップで覆い酸素を流しました。ぴーの呼吸は穏やかになるどころか荒くなります。私は先生に、もういいです。連れて帰りますと言いぴーを奪うように病院を後にしました。その間、主人からはひっきりなしに携帯へ電話が入りました。その都度経過も報告しました。そして主人と私の出した結論は、BHへ直接行き先生にお願いしようという事になりました。主人の待つ実家へ戻り、父と交代し主人の車でBHへ向かいました。BHへ着くと10時を回っていました。呼び鈴を鳴らし待っていると、先生が外出先から帰宅。どうしたの?と聞かれ私はぴーの様子が・・・・・先生は兎に角今診察室を開けるから待ってなさいと言いました。BHへ来る前に別の病院で診て貰ったことを報告し、診察室に入りました。先生はぴーを保定し、まずそ嚢を見るとそ嚢は気泡で一杯です。危険が伴うと言う言葉を何度もおっしゃりながらそ嚢検査をするとぴーのそ嚢液は粘性を帯び顕微鏡でみると無数の菌が動いていました。これだけ菌が入るのだから糞にもその菌がいるのではないかと、ぴーのしたばかりの糞を検査しましたが菌は1つも確認できません。急性そ嚢炎でした。そのせいで呼吸が苦しく、危篤状態であると言われました。今夜が峠とも・・・ぴーはネフライザーを行い、酸素吸入器に入りました。先生は連れて帰りますか?それとも入院させますか?と聞きました。主人と私はぴーを先生にお願いする事にしました。必ずぴーが元気になってくれると信じて・・・・・私はぴーに「ぴーちゃん今日は先生所にお泊りしようね。明日必ず迎えに来るから絶対待っててね。絶対迎えに来るからね。」と言うとぴーは酸素吸入器の中から体をよじってまで私を一生懸命見ていました。私もぴーを見て必ずね。と何度も繰り返し病院を後にしたのです。眠れぬ長い夜でした。 |
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2002年1月31日(木) とうとう一睡もすることなく何時もの様に5時半にベットから起き、主のいない籠を見ながら朝の用意をしながら、主人とBHから電話がなかったからぴーきっと大丈夫だったんだよね。と話し、どうしても渡さなければならない書類を会社に届けその足でお休みをもらいBHへ行くと決め仕事場へ向かいました。職場に着き始業のチャイムの鳴る1分前に私の携帯がなりました。BHからでした。電話に出るとBHの助手の方からでした。「ぴーちゃんやはり駄目でした。先生がほんの一瞬席を外した時に亡くなったと・・・だけど全く苦しむことなく眠るように亡くなったと・・・・午前2時5分・・・」言う電話でした。私は主人・実家の母に電話を入れ、ぴーが亡くなったことを伝えると会社を出てBHへ向かいました。実家の母もBHへ一緒に来てくれました。絶対待っててね。迎えに来るからね。と言ったのに・・・ぴーは亡くなってしまったのです。何でぴー待っててくれなかったの?ただただ涙があふれてくるばかりです。ごめんね。ぴーごめんねぴーちゃんとなんどつぶやいたことでしょう。BHではぴーは綺麗なお花に囲まれていました。その姿は本当に眠っているようでした。今にも目を覚ますのではないかというくらい、穏やかな寝顔でした。 ぴーの訃報を聞いた知人がお花を持って来たくれました。叔父・叔母もお花を持って来てくれました。その夜、ぴーのお通夜を行いました。ぴーの大好きだった実家の両親・叔父・叔母・主人・私と・・・ 家に戻り夜は3人で寝ました。 |
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2002年2月1日(金) ぴーが亡くなって1日過ぎました。ぴーを一人家に置いていくことは絶対出来ない。私はぴーを連れて出勤しました。ぴーの棺とわからないようにし、中にはドライアイスを入れ、いつもお留守番だったぴーと共に最初で最後の仕事へと・・・心の中で「電車混んでるでしょ!毎日こうやって出かけてたんだよ。ほら、ここがちーちゃんの仕事場だよ・・・」て言いながら・・・・ 今日は主人も早めに帰宅してくれて3人で食事をし3人でまた寝ました。 |
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2002年2月2日(土) ぴーと1日ゆっくりと過ごしました。主人も私もぴーの傍を片時も離れることはありませんでした。 今夜がぴーと寝れる最後の夜でした。明日はぴーをダビにふす日です。 |
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2002年2月3日(日) 主人も私もぴーから離れることが出来ません。外は冷たい雨がしきりに降っています。空もぴーのために泣いてくれているのでしょうか。そろそろ出かける時間になるというのに腰が上がりません。主人も私も足が重くやっと車に乗り向かう途中、ふとぴーを見るとぴーの目が開いてました。今まで殆ど閉じていた目が・・・ぴーも私たちと最後のお別れをしているのでしょうか?私の顔を見ています。私もぴーをしっかり見て「ぴー絶対忘れないよ。また会おうね。きっとだよ」と何度も何度も繰り返しました。雨は一向に止みませんでした。ぴーをダビにふし、小さな小さなぴーの遺骨を抱いて主人にぴーと出合ったお店に連れて行ってと頼むと主人も行ってみようと車を走らせました。しかし10年も前のことです。うろ覚えの記憶を頼りに探しましたがとうとうみつかりませんでした。私達はぴーの遺骨と共に家へと向かいました。雨は止んでいました。 |