John Wycliffe

オックスフォードのカレッジで教職にあったが、司教などの高位聖職者の国政への参与を巡る争いを契機とし,聖書こそすべての真理の根源なりとして,聖書の研究に打ち込んだ。1381年の農民一揆の中でカンタベリー大司教が暴徒により殺害、ウィクリフの弟子がそれを弁護したことから、田舎に引きこもり以後聖書の英訳と弟子の育成に力を尽くす。すべての真理と権威を聖書に求めるウイクリフが,聖書全体をすべての人に理解させようとするのは,彼の信仰の必然的帰結である。彼の感化を受けた弟子たちは,各地を巡回して新しい信仰を説き,オックスフォードはじめ多くの都市で大きな感化を及ぼした。ウイクリフが点火した改革の火は,ボヘミヤのフス,そしてルターへと継承されていく。

英語の聖書 −ウイクリフ以降―

William Tyndale

1494?-1536年)

テインダルは,ヘンリー8世治下での英国で聖書の英訳が困難と判断し、大陸で英訳聖書を発刊した。尚、テインダルは、1525年前後ウイッテンベルグにルターを訪ねそこでしばらく滞在している。

テインダルは,信仰の問題についてトマス・モアーと度々論争しているが,その一つに英訳の問題がある。”愛”を現す新約聖書のギリシャ語?γ?πηは、それまでヴルガータのラテン語訳に従いloveとcharityに使い分けされていたが、テインダルはギリシャ語から直接英訳し,パウロ書簡その他一部を除きloveと訳している。カトリック従ってヴルガータ訳聖書を基本とするトマス・モアーの受入れられない点であった。1881年のRV「改定訳」ではすべての場合にloveで統一された。

トマス・モアはヘンリー8世の信頼厚く,1529年大法官になったがヘンリー8世の離婚に同意せず,1535年反逆罪でロンドン塔で処刑された。同じくヘンリー8世から追及を受けていたテインダルもブラッセルで捕えられ1536年異端判決を受け絞首刑に処せられた。

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カヴァデール訳

カヴァデール訳に由来する訳語

the valley of the shadow of death

死の陰の谷

「死の陰」は原語(ヘブライ語)を直訳したもので,一種の誤訳といえるが,詩篇23-4によって一般に深く定着しているので,RSVでもその個所のみはカヴァデールの訳を温存

「死の陰」はヘブライ語の1語の合成語(旧約に20回近く現れる)を要素に分解して直訳したもので,deep darknessを意味する比喩的表現(脚注にOr the valley of deep darknessと付記されている)詩篇44-19,ヨブ記3-5などではdeep darknessと訳されている。

ヨブ記3-5

May darkness and deep shadow claim it once more,…..

昼の暗い影に脅かされよ。

英語の聖書 −ウイクリフ以降―

祈祷書

ヘンリー8世の意向を受け,カンタベリー大主教クランマーが、英語の「連祷」(Litany)を作成。年間の教会行事をとおして聖書を通読するのが祈祷書の目的で,原則として旧約は年1,新約は年3回朗読するように工夫された。1662年に引用聖書がAV(欽定訳)に切替えられその後の時おりの改訂を経て今日に至っている。

AVを英語国民の血肉と化したのは,文学的に優れた作品であることにもよるが、そのAVを祈るごとに親しませた祈祷書ではなかろうか。(永嶋大典)

祈祷書に由来する慣用句

for better for worse[for better or worse] 結婚式での新郎・新婦の宣誓文

in the midst of life we are in death  埋葬式のとき牧師がとなえる式辞の一節

英語の聖書 −ウイクリフ以降―

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