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サンタ・クロースの起源が

西暦
4世紀現在のトルコ南西部地中海岸に面したミラの町の司教St.Nicholasに由来するものであること、
11世紀末,イタリア人によって彼の遺骨がここから持ち去られ,イタリア南東部バリの町に遺骨を安置したSt.Nicholasの名前を冠した教会が建てられSt.Nicholasの名がヨーロッパに広められたこと、
中世カトリック世界でSt.Nicholasの日(126日)に貧しい人達に贈り物をする習慣が定着したこと,
宗教改革後,プロテスタントの多い地方(ドイツ等)でSt.Nicholasに替わりKrist-KindlChrist-Child)が子供に贈り物をする習慣になったこと,
これらの習慣が移民によリアメリカに持ち込まれ19世紀以降さまざまな形で書かれ,表現され、連想され、イメージされて現在のようなサンタ・クロースが定着した

と言われております。
トナカイに引かれた橇に乗ったサンタ・クロースのイメージから
,サンタは北極に住むとされ,現在の住所は,フィンランド北部のラップランド地方となっています。


St.Nicholasは、西暦4世紀に小アジアのリキア地方(現在のトルコの南西で地中海に面している地方)の港町パタラで生れパレステイナやエジプトで学びリキアに戻りミラの司教になった。ローマ皇帝デイオクレチアヌスの迫害にあったが,コンスタンチヌス皇帝に赦されてニカイア公会議(AD325年)に出席。没年は343年頃で遺骨は石棺に納められ、それを安置する教会が建てられThe Church of St.Nicholas,Myraと呼ばれるようになった。(左の写真)

彼の守護者としての評判が広まる中で、1087年十字軍の遠征が始まった頃,イタリアの船乗りか商人によって彼の遺骨が持ち去られイタリア南部アドリア海沿岸の港町バリに安置されここにThe Basilica of St.Nicholas,Bariが建てられた。(右の写真)このことによりSt.Nicholasのヨーロッパでの評判が更に高まりバリは最も名高い巡礼の一つとなった。      

St.Nicholasの優しさと寛大さは貧しい人達,不幸な人達に彼が施したと言う多くの伝説や奇跡の物語りを生んだ。中世にSt.Nicholas信奉はヨーロッパに隅々まで行き渡り,彼はさまざまな守護者になった。子供を救ったことから子供の,港町出身であることから船乗りの,結婚前の娘を救ったことから処女の守護者となり,或は商人,質屋の守護者でもある。ロシアやギリシャは彼を国の聖人とした。St.Nicholasの奇跡は中世の芸術家や教会宗教劇の格好の題材となった。

宗教改革後は,ほとんどのプロテスタント教国ではSt.Nicholas信奉はなくなったが,オランダではSinterklaasSt.Nicholasのオランダ訛り?)としてその逸話が残され17世紀にオランダの移民と共にNew Amsterdam(現在のNew York)植民地で引き継がれていった。そしてSinerklaasは英語を話す移民によってSanta Clausと呼ばれるようになり,北欧民話の妖精物語り(いたずらっ子に罰を与え良い子にプレゼントを与える)と融合され、19世紀に入り各界の著名なアメリカ人が書物や詩を始めさまざまな形でサンタ・クロースのイメージを創造(想像)し,1930年代コカコーラがサンタ・クロースを宣伝に起用するなどの経過がありクリスマスの贈り物には欠かせない主役となっている。

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