サンタ・クロースの起源が
西暦
St.Nicholas
は、西暦4世紀に小アジアのリキア地方(現在のトルコの南西で地中海に面している地方)の港町パタラで生れパレステイナやエジプトで学びリキアに戻りミラの司教になった。ローマ皇帝デイオクレチアヌスの迫害にあったが,コンスタンチヌス皇帝に赦されてニカイア公会議(A・D325年)に出席。没年は343年頃で遺骨は石棺に納められ、それを安置する教会が建てられThe Church of St.Nicholas,Myraと呼ばれるようになった。(左の写真)彼の守護者としての評判が広まる中で、1087年十字軍の遠征が始まった頃,イタリアの船乗りか商人によって彼の遺骨が持ち去られイタリア南部アドリア海沿岸の港町バリに安置されここにThe Basilica of St.Nicholas,Bariが建てられた。(右の写真)このことによりSt.Nicholasのヨーロッパでの評判が更に高まりバリは最も名高い巡礼の一つとなった。
St.Nicholas
の優しさと寛大さは貧しい人達,不幸な人達に彼が施したと言う多くの伝説や奇跡の物語りを生んだ。中世にSt.Nicholas信奉はヨーロッパに隅々まで行き渡り,彼はさまざまな守護者になった。子供を救ったことから子供の,港町出身であることから船乗りの,結婚前の娘を救ったことから処女の守護者となり,或は商人,質屋の守護者でもある。ロシアやギリシャは彼を国の聖人とした。St.Nicholasの奇跡は中世の芸術家や教会宗教劇の格好の題材となった。宗教改革後は
,ほとんどのプロテスタント教国ではSt.Nicholas信奉はなくなったが,オランダではSinterklaas(St.Nicholasのオランダ訛り?)としてその逸話が残され17世紀にオランダの移民と共にNew Amsterdam(現在のNew York)植民地で引き継がれていった。そしてSinerklaasは英語を話す移民によってSanta Clausと呼ばれるようになり,北欧民話の妖精物語り(いたずらっ子に罰を与え良い子にプレゼントを与える)と融合され、19世紀に入り各界の著名なアメリカ人が書物や詩を始めさまざまな形でサンタ・クロースのイメージを創造(想像)し,1930年代コカコーラがサンタ・クロースを宣伝に起用するなどの経過がありクリスマスの贈り物には欠かせない主役となっている。クリスマス特集に戻る