Blancmam's Pen
2001
621日〜74


 
 2001年6月21日(木)
 
  今日は厄日でした
 まずは朝の通勤途中、自動改札で上についている手すりのようなものに
 手を思いっきり打ちました。
 急いでいたので、駆け抜けるような感じだったのでまさに思いっきり打ってしまったのでした。
 恥ずかしいので痛くない振りをしていましたが
 みるみるうちに腫れてきてしまいました。

 お昼は、持ってきていたパンをトースターで焼いたあと、
 みんなのお昼用のテーブルなのでどけようとして、熱いままのトースターを触ってしまいました。
 お陰で、左の人差し指に水ぶくれが出来ました。

 帰りは電車の中に”蛾”が迷い込んで
 ”蝶”&”蛾”がとても苦手な私は降りるまで固まったままでした。
 
 あ〜本当に今日は散々だった......。

 

 
 2001年6月24日(日)

  今日は一族総出で(?)食事に行きました。
 おばあちゃんが来ているので9人の団体です。
 和やかに楽しく時は過ぎ、私達は妹夫婦を送りがてら車で帰宅していました。

 ところがそこでちょっとした悲劇に見舞われました。

 なんと、追突されてしまったのです。
 片側2車線の広い直線道路で、私達は右折待ちのため道路の中央によって
 止まって待っていたのです。
 するとしばらくして
 ”バーン!!”というすごい音と共に強い衝撃がありました。
 一瞬4人とも空白になりましたが
 後ろを振り向くと、”やべえー”と言う顔をした運転手の顔が見えました。
 妹がブランを抱いて乗っていたのですが
 ”ブラン、大丈夫??ブラン!!”と悲痛な叫び声が。
 実際にはブランはフニャフニャに眠っていた状態だったのと
 抱き方が運良く良かったお陰でピンピンしていました。
 後ろのスイカ(...1/4カットですが.....)が前の座席に飛んできた事を考えると、これは
 かなりラッキーなことだったかもしれません。

 車は助手席サイドのドアは前後ろ共に開かなくなっており
 後ろは無惨なまでに凹んでいました。(これを見たときに恐怖を感じました)
 車も動かなくてレッカーされていきました。

 事故ったお兄さんは最初から最後まで謝り通しでした。
 ”直前まで止まっている車が見えなかった”と言っている位なので
 きっと居眠り運転でもしていたのでしょう。
 しかし....保険会社とのやりとりが始まる....憂鬱です。
 向こうに100%の過失がつくとはいえ.........。

 その日は緊迫した雰囲気にブランもかなりお疲れ状態でしたが
 もうすっかりいつものやんちゃ坊主です。

 車はひどい状態だけど、乗っていた全員が何ともなく、無事で本当に良かった。

 あ〜。本当に最近の出来事ったら.....。
 お祓いにいこう、真面目に。
 前厄だし...(歳がばれるって....)

 
 2001年7月1日(日)

 今日はブランママの職場の仲間たちが遊びに来てくれました。
 ウチの職場は半数以上が独身で、一人暮らしの人が多いのです。
 わんこを飼いたくても飼えない、そんなみんながブランに会いに来てくれました。
 今回はみんながいろんなものを持ち寄ってくれて
 豪華な食卓になりました。
 わざわざ美味しいお店で買ってきてくれた餃子とか、十八番の料理を作ってきてくれていたり
 チーズ&フルーツ、話題のシュークリームなど。
 なかでも面白いのは、自家製ビールを持ってきてくれた人がいたことです。
 この人は本当に面白い人で(私の誕生日にケーキを焼いてきてくれた人です。)
 前回はチーズケーキを持ってきてくれたのでした。
 しかも、炊飯器で焼き、炊飯器ごと持ってきてくれました。
 チャイムが鳴って玄関を開けたら、炊飯器を持って立っていたあの姿.....忘れられません。
 今回の自家製ビール、恐る恐る飲んでみると......
 美味しくってびっくりしてしまったのでした。

 個性的な人たちの集まっているこの職場、
 こうやって遊びに来てくれたりして楽しくできることを
 嬉しく感じるブランママなのでした。

 みんなに思う存分遊んで貰ったブランは
 その後、ぐっすり眠っていました。
2001年7月3日(火)

 あ〜。今日も快晴。
 暑すぎる。今からこんなに暑くて良いのかな〜。
 ブランを連れてのカフェ巡りも当分おあずけだ。

 今日は渋谷に”ミニチュア”を見に行きました。
 エレキまめさんとそのお友達と一緒に行ったのです。
 たばこと塩の博物館での企画ものです。
 あまりの小ささ、あまりの精巧さに思わず声をあげながら見て回りました。
 (おかしかったのは結構人も多く、みんな声をあげていたこと...笑)

 お昼はアジアンバイキング
 950円というお安い金額で食べ放題。
 90分と言う制限があったのに2時間半もいた私達。
 咎め立てしなかったお店の人たちに感謝なのです。


辛い料理も多い
気に入っちゃった。
 その後、妊婦のまめちゃんに妹と共に会いに行きました。
 超ハードスケジュールで働いているエレキまめさんには無理を言ってしまいましたが
 お腹の大きなまめちゃんに会っておきたかった!
 小さくて華奢なまめちゃんは、本当にそのままお腹だけが大きくなっていました。
 お腹が大きくて辛いだろうに、とても大歓迎してくれたのでした。
 エレキ兄も元気で可愛くて、会えて良かった。

 まめちゃん、無事にベイべーを産んでね。
 お祈りしています〜

 その後、エレキまめさんは颯爽と大阪に旅立って行きました。
 体壊さないでね!
 (と言っている私が無理させている.....)

まめちゃん

私はベテランママよ。

エレキ君

僕はもうヤンパパじゃないよ
だってもう大人だもん

 2001年7月4日(水)

 今日は小鉄の4回目の命日です。
 もう4年もたってしまいました。

 小鉄を失ったショックから立ち直り始めた頃、頭に浮かんだことは
 ”これで突然の電話にビクビクすることはないんだな”と言うことでした。
 いつも発作の危険がつきまとっていた小鉄。
 覚悟していても電話が鳴ると胸が締め付けられるような感じがしました。
 その思いから解放される......奇妙な感覚です。

 小鉄を失った心の傷はブランがかなり癒してくれます。
 でも、小鉄と共に暮らした素晴らしい歴史はずっと残るから、
 小鉄は今も私の心の中で生きています。
 これからもずっと。


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