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学校から出てほんの3分。
蓮池寺公園を見下ろすように立つ6階建てのマンションはまだ築2年目で、入り口からして高級感が漂っている。
エレベーターで最上階へ行く。
親戚から只で貸してもらっているという松下の部屋は4LDKで、その広さと見晴らしのよさに簡単の声を上げるのが田仲の儀式になっていた。
「こんなすごいところに一人暮らしなんだもんな〜!」
「じゃ、一緒に暮らす?」
「駄目だよ。こっからじゃ学校に通うの大変だって言ってるだろ」
「オレはいつでも歓迎だから」
「卒業したら、考えるよ」
言葉のやり取りも、訪問時の馴染みの儀式。
――最も、松下にとっては限りなく本気のだけど……。
実は内緒の話だけど、このマンション全体のオーナーは松下の祖父で、この部屋は孫の高校合格祝いとしてプレゼントされたものだったりする。
オマケに家政婦も付けると言う申し出もあったのだけど、そこまで甘えられないとと辞退した裏話もある。
両親が『ごく普通の二人が出会い、ごく普通の恋愛をして、ごく普通の結婚をした。ただ普通と違っていたのは、だんなさんは御曹司だったのです』という作り話のような家庭の松下家では、庶民生活を愛する母に合わせて中流家庭の環境で子供を育て上げた。
子供の頃から母親の手伝いをしていたおかげで一通りの家事も出来るおかげで、一人暮らしもそれほど苦労無く慣れた。
一見躾良く育てられた普通の過程の息子と思える松下の実態は、一生遊んでもおつりが来る資産を持つ御曹司だった。
まあ本人にしてみれば、社会人(出来ればプロの選手)になったら自分の稼ぎだけで暮らそう(出来れば田仲と一緒に)と言う野望を持っているのだから、本当の身分を公開する気は全く無い。
「荷物は適当に置いてて。急いで着替えるから、冷蔵庫から好きなもん飲んでで」
「うん、ありがと」
田仲が進められるままに冷蔵庫を開けて烏龍茶の缶を取り出すのを見届けてから、松下は普段寝室として使っている部屋に入る。
朝日が一番に差し込む東側に大きな窓を持つ部屋の、右手には限りなくダブルに近いセミダブルのベッド。
隣には田仲の為に用意した一組の羽根布団。
『いつかここが二人の為だけの寝室になればいいな』
想像しただけで、顔が自然に赤らみ弛んでしまう。
「よーし! 頑張るぞ」
頬を叩いて、ついでに締めていたバンダナを新しいものに取り替えて自分に喝を入れると、急いで着替えに取り組んだ。
マンションから少し歩いて大通りに出ると、そこはもう祭りの喧騒の中だった。
あらゆる『区』からそれぞれの意匠をこらした『屋台』が繰り出され、『飽波神社(あくなみじんじゃ)』に向けて街中を練り歩く。
「藤田の屋台って、車輪4つなんだな。作りも渋いし」
「掛川の屋台飾りって、ユニークだったよな」
掛川の祭りは去年が大祭だった。
田仲に招待されて見物に行ったときの屋台を思い出す。
こっちの屋台の屋根は神社のような宮作りだけど、掛川の屋台の屋根には人形とか狛犬とかがデーンと飾られている。
「こっちって、女の人も屋台牽くんだ。うちの方だと駄目なんだよ」
「へ〜え」
そんな話をしているうちに、目の前で屋台の行進が止まった。アナウンスが流れて、踊りを披露するという。
屋台の中に乗り込んでいる囃子方が演奏と歌を始めると、男女混合の踊りが始まった。
「うわぁ! あの人美人!」
「おれはあっちの方が好みだけど」
田仲の指したのは目元も涼しい『美女』タイプ。
松下の指したのは瞳の大きい『可愛い』タイプ。
「あ、あの子か。うん、可愛いな」
『でも田仲の方が、数万倍も可愛いけど』
心の声は出さないで、松下はにっこりと田仲に笑いかけた。
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藤枝大祭・飽波神社での奉納舞
(銀・1997年に撮影)
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ひとしきり眺めてから祭りの中心の飽波神社に向かう。
途中で買った一皿のたこ焼きを二人でつつきあいながら到着した神社では、ちょうど奉納舞をしている最中だった。
音楽に合わせてそろいのはっぴが舞う。
見物していると、またもや背後に不穏な気配を感じた。
いち早く気付いた松下が振り向くと、関と西尾がニヤニヤと笑いながら忍び足で近づいてくる最中だった。
「せ……」
先輩と言おうとしたまさにその時――
二人は動きを早め、西尾は松下に、関の方はあろう事か何も気付いていない田仲に、背後から抱きついた。
「うわっ!」
「先輩!」
田仲の驚きの悲鳴と松下の非難の声が同時に上がる。
「やっと見つけたぜ」
「挨拶抜きで帰るなんて、ふてぇ野郎だ」
羽交い絞めにしながら、楽しげに笑う。回りの見物客達が冷たい視線を送ってきたが、そんなことにメゲるような二人じゃなかった。
「そのことは謝ります。だから、離してください!」
「嫌だね」
「悪いのはオレなんですから、せめて田仲だけでも離してください」
「嫌だ。こんな可愛い子、離したくないよ〜だ」
「松下ぁ〜、助けて〜」
「田仲ぁ!」
松下と田仲が必死にもがくほど、二人の悪ふざけが酷くなる。
西尾に動きを止められた松下の目の前で、あろう事か関が田仲を擽り始めた。
「ひっ〜!」
わき腹を下から上に撫で上げられ、田仲が悲鳴を上げる。
さらに調子付いた関は、田仲のお尻まで撫でた。
「ぎゃっ!」
あまりの出来事に、田仲はもうパニック状態だ。何でこんな目に会わなくてはならないのか、全く理解できない。
松下を抑えている西尾の方は、田仲を心配して取り乱す松下の表情を楽しんでいた。
「離してください! ひどいっスよ!!」
「先輩を無視したお仕置きだよ〜♪」
「だから謝ってるでしょう!?」
必死の訴えも、先輩達には楽しいだけだ。
「田仲のヤツ、感度良さそうだな。おい、関、替われよ」
「ん〜、もうちょっと」
「先輩っ!!」
松下の睨む目に、うっすらと涙が滲み出す。
それを見て、漸くと西尾は松下を離した。
自由を取り戻すと同時に松下は関の腕から田仲をもぎ取ると、もう離さないと言う風にぎゅっと抱きしめた。
「悪ふざけが過ぎます!」
恨めしげに睨んでくる松下に、然し二人の先輩は飄々とした態度を崩さない。
「おら、謝るならちゃんと頭を下げる」
「そんなに大切なら、大事にしまっとくんだな」
口調は聞く人間によっては酷く物騒な風にも取れるが、これがこの先輩達流の親愛の表明だった。
これ以上変なことを言われてはたまらないと、松下は頭を深々と下げた。
「申し訳ありませんでした!」
ただし、謝る間も田仲は離さない。
そんな松下の姿に、西尾と関は上機嫌だった。
――やっぱりこいつはからかい甲斐がある。
「よし、許す」
「ま、オレ達もやりすぎたな。すまん」
どこまで本気かと言う軽い海苔で誤り返し、ニヤニヤ笑いを深くする。
「ところで、いい加減に離してやんないの?」
「幻の左が、憤死してるぞ」
「え?」
言われて始めて、田仲の様子を伺う。
視線が合わさった。
顔を怒りで真っ赤に茹で上げ、睨んでいる。
「た、田仲?」
「離せよ……」
小さく身じろがれ、慌てて腕を解く。
「恥ずかしいだろ」
大声を出すわけにも行かず、唸るように言ってくる。
回りの人間のかなりの数が、踊りの見物をやめてこちらを見ていた。笑うもの、顰蹙に眉を顰める者、中には面白がって写真を撮る者までいる。
自分達の置かれている状況に気が付いて、松下の額に冷や汗が浮かんだ。
「あ……」
「ったく、藤田東って、こんなだったんだ」
「たなかぁ〜……」
むくれた田仲は、今度は西尾と席に向き直った。
「うぅ〜〜〜!」
本当は怒鳴りつけてやりたいのだが、そこは体育会系の哀しいサガ、目上の者には歯向かえない。せめてもと唸る姿は、しかし本人の思いと反して子供じみた可愛いものだった。
西尾と関だけでなく、周りからも小さな笑いが漏れた。
そんな回りの反応に田仲は余計に態度を硬化させ、もう一度キッと睨みなおすと、クルリと身体を翻した。
「失礼します!」
振り返る事無く、神社から出るべく歩き出す。
「田仲、待てよ! 先輩方、お先に失礼します!」
「おい、餞別だ。持ってけ」
ペコリと頭を下げて田仲の後を追おうとする松下に、二人は足元に置いていたコンビニの袋を手渡した。
ずっしりと重いそれは、茶色の一升瓶。
「日本酒?」
「吟醸の純米酒だ。冷やで飲むんだぜ」
「口当たり良いから飲みやすいぞ。冷酒は後からきくからな〜。酔い潰して……な」
二人の言いたいことが解って、松下の顔が真っ赤になる。
人の悪い笑いを浮かべる先輩達を睨みつけながら改めて頭を下げると、松下は田仲の後を追うべく駆け出した。
「で、結局酒は持って行ったか」
残された西尾と関は、顔を見合わせて愉快そうに小さな笑い声を漏らした。
「田仲!」
人ごみに見え隠れする背中に呼びかけるが、怒りに支配されている田仲は早歩きのスピードを緩めようとしない。振り返る事も無くズンズンと進んでいく。
分かれ道でマンションと反対方向に曲がろうとしているのが見えて、松下の焦りは頂点に達した。
「田仲! そっちじゃ無い!!」
叫びは祭りの喧騒に散らされて届かないらしく、田仲は全く躊躇いもせずに間違った方に曲がってしまった。
大急ぎで後を追って角を曲がる。
所がその先には屋台の行列と見物人ばかりで、田仲の姿は見当たらない。
――反対側に曲がったのか?
慌てて身を翻す。
と、その時――
「どこ行くんだよ」
不機嫌そうな声が掛けられた。
声の方を見ると、電柱に寄りかかるように田仲が立っていた。半分に眇めた視線で、松下を軽く睨み付けている。
「ったく、何なんだよ、お前んとこの先輩は!」
すっかりへそを曲げている。
しかし松下の方は、田仲を見つけた安堵で力が抜けてしまった。一升瓶を抱えたまま座り込んでしまう。
「良かったぁ〜」
自分でも情けなるような声が出た。
今度慌てるのは田仲の番だった。 しゃがみこんでしまった松下に合わせるように、やはりその場にしゃがみこむ。
「松下?」
怒りを収めて心配そうに訊いて来る田仲に、そっと微笑み掛ける。
「見失ったかと思って、気が狂いそうだった」
笑ってはいても、目は真剣だ。
そんな松下の様子を見て、漸く田仲に笑顔が戻った。
「大げさだよ」
「本当に心配したんだからな」
「……ごめん。ありがと」
今度こそ、本当ににっこりと笑顔をかわす。
そのときになって、初めて田仲は松下の抱えているものに気が付いた。
「なに持ってんの?」
「あ、これ?先輩がお詫びだって、くれた」
袋の口を広げて、中の一升瓶を見せる。
「オレたち未成年だぜ」
「田仲は酒飲めないのか?」
訊かれて、否定の意味で首を振る。
「なら、せっかくの好意なんだし、良いじゃないか」
「……ほんっと、お前のとこの先輩って、変」
心底呆れたように、田仲は呟いた。
続く
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