静岡では、秋の連休中に秋祭りをする地域が多い。
掛川の祭りと同時期に、藤田でも祭りがある。
特に今年は三年に一度の大祭で、町中が祭り一食に染まっている。
ただし藤田東高校では、別の祭りで盛り上がっていた。
高い青空の下、選手たちの活気に満ちた歓声が響き渡っている。
練習試合が行われていたのだ。
「松下ぁ〜! そこだ〜!!」
スタンドから送られた掛け声に応えるように、高く上げられたセンタリングに合わせてジャンプする。
捕らえられたボールは、ディフェンスの頭を超えて、キーパーの指先を掠めるようにしてゴールポスト右上隅に飛び込んだ。
得点を注げるホイッスルの音。
「ナイスヘディング!」
「絶好調じゃないか!」
ガッツポーズをする松下の下に、チームメイトが集まって来た。それぞれに誉めたりスキンシップをはかったり、揉みくちゃにしまくる。
手荒な祝福を受け嬉しそうに笑いながらも、しかし松下の視線の先は一人の姿しか捉えていない。
スタンドで興奮に立ち上がって笑いかけてくれているのは、この世で一番大切な『想い人』。大きな瞳がキラキラと輝いて、心臓を直撃する。
ブロック予選を終えてこれから本選に入るということで、今日の試合は直前の調整もかねていた。
隣の県から呼んだ相手校は実力も申し分なく、始める前までこんなに点差が付くとは思わなかった。
今日の藤田東絶好調の原動力は、ひとえに松下にあった。残り時間15分で、すでにハットトリックを決めている。
可哀想なのは相手校で、す仮ペースを崩してしまい、その背中には悲壮感さえ漂わせている。
結局試合は、相手校にチャンスさえ与えずに、6−0と藤田東の圧勝に終わった。
「すごいよ、松下!」
挨拶を終えたグラウンドから戻ってきた松下に、スタンドから降りてきた田仲がにっこりと笑って呼びかける。
「田仲の応援のおかげだよ」
さりげない風を装って答えるが、実際の心のうちは有頂天だ。誰に誉められるより、田仲の笑顔の方が嬉しい。
「オレなんかの応援で4点も取る?こんなすごい試合なら、やっぱカズヒロとケンジも連れて来るんだったな」
「そうか?」
「うん」
真剣に頷く田仲に対して、松下の方は『田仲一人じゃないと困る』と考えてしまう。
――だって、会いたいのは田仲にだけだ。
松下浩は、田仲俊彦を愛している。
まだ本人には告げていない想いを、然し田仲の親友たちは敏感に察知していて、なんだかんだと妨害をしてくれる。
今日呼び出すのだって、慎重に計画を練って、ようやく成功させたのだ。
練習試合と大祭を餌とした、お泊りのお誘い。
今日と明日の二日間は、念願の二人っきり。
『絶対に今度こそ、告白する!』
決意は固い。
田仲がマネージャーを好きなことは知っているけれど、絶対に自分の方が田仲にふさわしい。
あんな風に振り回したり悩ましたりなんかしない。
すぐ側で守りながら、サッカーも人間性も共に成長してみせる!
その為にはどんな努力も惜しまないつもりだ。
幸い、経済力は十分にあるし……。
そんなことを考えたのは、ほんの2秒ぐらいの事。
幸せな光景を思い浮かべようとしたところで、背後から不穏な雰囲気が押しかけて来た。
「そいつがお前の『勝利の女神』かぁ?」
「おチンチンついた女神様だな」
笑いを含んだ懐かしい声。
恐る恐る振り向くと――
今は大学リーグで活躍している筈の西尾と関の両先輩が、はっぴ姿も勇ましく、腕を組んで立っていた。顔には不遜な笑みが浮かんでいる。
「先輩……来てらしたんですか?」
「感謝しろよ。可愛い後輩たちの試合だからな、祭り抜け出して来てやったぞ」
「試合の他にも、いいモン見せてもらったぜ」
思わせぶりに松下と田仲を交互に見る二人に、松下の顔色は悪くなり冷や汗が浮かぶ。
唯一の救いは、田仲が気付いていない事だ。二人の格好の方に興味を示し、無邪気に近づいて行く。
「かっこいいですね!」
「だろ?特注だぜ」
「ほら、こいつが自慢の昇竜だ」
二人してクルリと後ろを向くと、黒地のはっぴの背に勇ましく、見事な龍の刺繍が現れた。それぞれの背中に一匹ずつ、龍玉を手に向かい合い、競うように天に昇っている。
田仲の顔が、感嘆で明るく輝いた。
「すご〜い!」
賞賛の声に、西尾と関の期限がさらに上昇する。
「フッ、命かけてるからな」
「大学リーグほっぱいて来てんだぜ」
二人の大学の監督が聞いたら血管を切りそうな台詞が飛び出してきた。――確か彼らの大学は、名門の○■△大学……。
眩暈を起こしかけている松下に気が付いて、関がニヤリと笑いかけた。
「オラオラ、ミーティングが始まるぜ。お前の大〜切な『幻の左』の面倒は見ててやるから、さっさと行って来い」
一瞬、松下の心臓が鼓動を止める。
「な〜に凍り付いてるんだよ。どうせこの後デートなんだろ?」
笑みの中に『オレ達ゃ全部お見通し』との言葉が見えてしまうのは、松下の深読みでは決して無い。
デートと言われて引き攣っている松下の助け舟のつもりで、田仲が間に入って来た。
「違います。偵察を兼ねた、祭り見学です」
「そうムキになんなよ。軽いジョーダンだよ」
「野郎同士でデートもないもんな」
「そうですよ」
膨れっ面ではない気も荒く言い切る田仲に悪気は無い。松下をからかっている二人に対し、真剣に怒っていた。
しかし松下の方は複雑だ。田仲の気持ちは嬉しいのだけど、庇ってくれるほどに寂しくなる。
――野郎同士って、やっぱりそうだよな。でも……
おかしいって事は承知している。
だけど抑えきれない感情は、尽きぬ情愛を噴出し続けてしまう。
「ほら、さっさと済まして来い」
西尾が黙り込んでしまった松下の脇を肘で突付いて、ミーティングに行けと合図する。
「……お前、苦労してんな」
小さな声は、松下の耳にだけ届いた。
こんなにミーティングを長く感じた事は無かった。
10分強の反省会の後に解散が告げられると、大急ぎで荷物をまとめてスタンドに戻る。
そこでは二軍以下の部員たちが先輩の近況を聞こうと、西尾と関の周りに集まっていた。松下の後ろからも身支度を整えた今回の試合メンバー達が走り寄って行く。
田仲とは見ると、部外者の居心地の悪さからだろうか、少し離れた所でぼうっと座っていた。
「田仲〜!」
走りながら呼び掛ける。
自分へ向かって走ってくる松下に気付き立ち上がった田仲の表情は、瞬時にふわっと嬉しそうな笑顔になった。
――やはり一人は心細かったのだ。
なにせ藤田東最大のライバル校の、しかも『エースストライカー』。いくら私服姿で来ていても、彼の正体を知らない者は居ない。はっきりくっきり、周りの視線には冷たいものがある。
「ごめん、待たせちゃって」
「そんな事無いよ。早かったじゃないか」
「でも、一人にしちゃって」
「あ、違うよ。オレが勝手に一人になっただけ」
息を切らしている松下の様子に、自分のために大急ぎで駆けて来てくれた事が解って、胸の内がとても温かくなった
――いつもそうだ。松下の示してくれる優しさは、ごく自然に自分の中に幸せな気持ちを生んでくれる。
感謝の気持ちを込めて一層深くした笑みを向けると、松下からも飛びっきりの笑顔が返って来た。
なんとなく恥ずかしくなって視線を逸らすと、その先に後輩達に囲まれている西尾と関の姿が見えた。
そこで視線が止まる。
『先輩、か……』
ふと胸に去来するのは、一抹のノスタルジー。
田仲から不意に視線を外されて、松下は少々焦った。
「田仲?」
そっと呼びかけると、我に返ったように目を見開いて視線を戻してきた。
「どうしたんだ?先輩達が、何かした?」
問い掛けに返って来たのは、弱々しい微笑み。
「ん……、うちも来年はあんな風になるのかなって思ったら、ちょっとね。うちの学校って神谷さん達が一期生だから、まだ卒業した先輩っていないだろ?」
創立三年目。病死した久保以外の部員を欠かしたことの無い掛川だから、余計に寂しく感じてしまうのかもしれない。
複雑な思いが、表情に微かな影を落とした。
そんな表情を間近に見て、松下の心音が跳ね上がった。
『か……可愛い!』
いつも元気いっぱいの姿か、ライバルとしての真剣な表情ばかりを見ているから、この表情は新鮮で胸が熱くなる。
――それと同時に、抱きしめて慰めたいという衝動に駆られた。
思わず伸ばしかけた手を、握り締める事で堪える。
「でも田仲はいいよな。そっちの先輩って、みんな人が良さそうじゃないか」
「?神谷さんとか大塚さんとか、怒ると怖いよ?」
「でも、うちの先輩達みたいに曲者じゃない」
肩を竦めながらおどけて見せると、ようやく田仲に笑みが戻った。
「松下のとこの先輩、いい人じゃないか。ライバル校のオレにだって、親切にしてくれたぞ」
「あの人たちの親切は、正直に受け止めない方がいいぞ。何度も痛い目にあっているオレが保証する」
それはもう、力説していい。思い出すだけで冷や汗が出てしまう。
「変な保証だな」
「本当なんだって。あの人達、後輩で遊ぶ事に命懸けてるんだから」
松下の真剣な表情に、田仲はついに吹き出してしまった。笑いが松下にまで伝染して行く。
「松下がそこまで言うんなら、そうなんだ」
「笑い事じゃないんだぞ〜」
「うん、解った」
笑いながら、二人は藤田東を後にした。
続く
注・この話を書いた当時、まだ神谷のイタリア行き予定話はありませんでした。
加納豪樹も未登場です。(1998年3月)
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