――ずっと一緒に居たような気がする。
それは以下に二人が同じ時を過ごして来たかという事だ。
同じ夢を追うようになってから、自分達でも呆れるぐらいに一緒に行動して来た。
『サッカーが好きでたまらない』という点を除けば、性格も価値観もまったく違う二人だった。
サッカーが二人を出会わせた―それは真実。
でも魅かれたのは、一緒にサッカーをするのが楽しかったからだけじゃない。
二人の、魂の色が似ていた。
それぞれが孤独で、寂しかった。
『あいつは天才だから』
『ちょっと上手いからって、勝手しやがって』
サッカーが好きだから一生懸命やっているだけなのに、周りは特別視して切り離す。
『本当の望み』を理解してもらえず、久保は優柔不断の衣で本心を隠し、神谷は他人を拒否し自分の心に壁を築いた。
開放されるのは、無心にボールを追っている時だけ。
サッカーは楽しい。なのに寂しい。
諦めるしかない。そう思い始めていた時…
出会えたのだ。
自分を特別視しないばかりか、そのままに受け入れ、理解し信頼してくれる相手に。
離れられる訳が無い。
手放せるはずが無い。
二人とももう『独り』には戻れない。
互いを認め信じ合える、共に道を歩める大切なパートナーを得てしまったのだ。
きっと出会いは、運命だったんだろう。
知人は二人を『親友』だと言う。
自分達も互いをそう思っていた。
今では一生側にいたいと願っている。
――だけれども……
『想い』は二人の中で、ゆっくりと形を変え始めていた。
薄暗闇に包まれた公園は、掛川高校サッカー部一同の貸しきり状態となっていた。
皆が囲んだ真ん中に据えられているのは、ボールならぬ『落下傘花火』。
花火の前に構えている窪の手には、百円ライターが握られていた。
「準備はいいか?」
呼び掛けに、皆が神妙に頷く。
サッカー部開催花火大会(?)の開幕に当たってのちょっとしたゲームは、『誰が落ちてくる落下傘を取るか』競争。賞品は1本しか買えなかった『15連発打ち上げ花火を手持ちで楽しむ権利』だったりする。
他愛も無い企画と言ったらそれまでだけど、結構こういう競争は燃えるものだ。皆の顔に『オレが取る!』という気迫が漲っている。
「じゃ、点けるぞ!」
掛け声と共に、短い導火線に火が点いた。
すぐにパンッ! という音と共に、小さな塊が発射される。
全員が一斉に夜空に開かれた小さな影を探し、追う。
だが、闇に紛れ何色とも見分けられない落下傘は、実に見つけ辛い。
「あっちだ!」
「どこ行ったよ〜?」
「わっかんねえよっ」
「オレが取〜る!」
一同歓声を上げながら追うが、風に流されていくこともあって、なかなか視覚切る位置まで降りて来ない。
それでも地球には引力というものが有る。
街灯の光の中に姿を現したそれは、赤紫の傘をからかうように揺らして落ちて来た。
そしてそのほぼ真下には、一つの人影が……
「あーっ神谷、いつの間にっ!?」
「なんでだよ〜!」
皆の攻めるような声の中、神谷はニヤリと笑うと、右手を高く伸ばし落下位置に合わせてほんの少しだけ歩く。
落下傘は誘われるように、その手の中に納まった。
「オレの勝ち」
残念そうな仲間達に向け、ことさら見せ付けるように手にした落下傘を振り回す。
そんな神谷を、久保は満足そうに頷いて見つめていた。
しかしその様子はすぐに矢野に見咎められた。
「おい久保ぉ、まさかお前、なんかズルしたのか?」
問いかけに、一同に一瞬さっきにも似た緊張が走る。
だけどもすぐに、神谷が久保をどついた。
「馬〜鹿、んな事できるわきゃないだろ?サッカー以外で小細工出来るような頭、こいつにゃ無いぜ」
「それってオレ、馬鹿だって言ってる?」
「そんくらいの自覚はあったか」
きっぱりと言い切る神谷に対して、どつかれた久保は頭を撫ぜながら情けない表情と声を出す。
そんな二人のやり取りは、緊張なんか一気に吹き飛ばして穏やかな雰囲気を生んだ。
サッカーで見事なコンビプレイを見せてくれる主将と副将は、フィールドを離れても別の意味で見事なコンビだった。―-ボケとツッコミの漫才コンビ……
中学時代に流れていた噂でイメージしていた『天才・久保』と『問題児・神谷』は、部内では完璧に破壊尽くされている。
噂で正しかったのは『選手としての凄さ』だけで、友人として付き合ってみれば両方とも愉快で良いヤツだった。そして何より、信頼できる頼もしい仲間だ。
「そういや神谷って、高いボールにあわせるの、やけに上手いよな」
「オレたちより、背、低いのにね」
大塚・赤堀コンビの発言に、久保が大きく頷く。
「落下点を読むのが早いんだよ。ヤマハ時代に、よく夜に一人で特訓してたもんな」
そうなんだ、という皆の感心の言葉と眼差しに、見る間に神谷の表情が仏頂面になっていく。――ただし皆には照れ隠しのリアクションだということがバレバレだったけれど。
「馬鹿久保、変なこと言うな!」
「何で?オレ、そんなお前に惚れたのに」
しれっと言われて、今度は神谷の顔は見る間に怒りで赤くなった。
怒りのままに久保に掴みかかろうとした時――
「よっ、お熱いね〜!」
「いかんよ、若いのにホモは」
絶妙のタイミングで掛けられた矢野と服部の野次に、神谷の怒りの矛先が変わった。
「おまえら〜!!」
「きゃ〜っ、怖〜い♪」
奇声を発しながら逃げ出した矢野たちに、神谷は手にしていた落下傘を投げつける事で抗議した。
だけど落下傘は矢野たちのずっと手前で失速して落ち、皆の笑いを誘う。
そんな中、久保は落ちた落下傘を拾い上げると、微笑みながら神谷に手渡した。
「とにかく、勝負はお前の勝ち。おめでとう」
微笑が伝染したように、神谷の表情は怒りから笑顔に変わった。
「よ〜し! じゃあ早速15連発、いくか!」
機嫌を直し、花火を置いてある場所に戻って行く。
一同も神谷の後について、元の場所に集まった。
情けない打ち上げ音の15連発を合図にして開始された花火大会は、同時に暫しのお別れ会でもあった。
明日からの5日間、部活はお盆のための休みに入る。
家族そろっての帰省や旅行で部員のほとんどが練習に出られないのだから、仕方が無い。
それに磯貝先生をサッカー部から解放させてあげる意味合いもあるし……
とことん人の良いこの先生は、練習のある日は必ず様子を見に来ていろいろと気遣ってくれた。たまには家庭でのんびりさせてあげなくちゃ、悪いじゃないか。
赤・白・緑・青・黄etc. 色とりどりの火花が、皆の楽しげな姿を照らし出す。
心から発する笑い声は、花火の色より鮮やかだ。
全くのゼロから始めたサッカー部が、眩しいほどに愛おしい。
久保は全体の姿を見たくなって、こっそりとその場を離れた。
公園の端にあるブランコの柵に腰掛ける。
眺める仲間達の輪の中に、はしゃぐ神谷の姿が見える。
楽しげな笑顔に、思わず見惚れてしまう。
「お前が居たからここまで来れた……って言ったら、きっと殴られるんだろうな」
神谷はシャイだから――
表情までが容易に想像できて、笑えてしまう。
「好きだよ、神谷」
そっと小さく、想いを唇に乗せてみる。
その時
急に神谷が久保のほうを見た。
声が聞こえてしまったのかと一瞬焦るが、こんなに離れていて届くはずが無い。
目を丸くした久保の視線を捕らえて、神谷に柔らかな笑顔が浮かぶ。
そんな表情を向けられて、胸が熱くなると同時に甘い苦しさに潰されてしまう。
『どうしよう……やっぱり、好きだ』
今すぐ駆け寄って、抱きしめたい衝動が体中を巡ってしまう。
理性を総動員してその場に踏み止まると、神谷に剥けて小さく手を振った。
いつからだろう。こんな想いを抱き始めたのは。
何度も『男同士だし、相棒で親友だ』と自分に言い聞かせているのに、その都度に導き出される想いは――
『オレは、あいつに恋している』
泣き出したいくらいの真実。
神谷と過ごして来た、そしてこれからも過ごして行く時間を守るためには、絶対に知られてはいけない最高の秘密。
久保の秘密を知らない神谷は、仲間の輪から離れて真っ直ぐに久保の傍らに歩み寄った。
精一杯の笑顔を浮かべた久保に、呆れたような小さい息を吐く。
「なんだよ、休憩か?」
「いや、離れてみるのもなかなか綺麗だな〜って」
「ふーん?」
「皆、たのしそうだ」
久保の横に並んで座り、皆の方を見る。確かに10本もの花火が次々に輝く様は、近くで見るのとはまた違った美しさだ。
だけど視線は、すぐに周りの景色に移された。
この公園は、何もかもが懐かしい。
あの時、中学生だった自分達は、すぐ目の前の場所に立っていた。
やけに真剣な顔をしていたとも姿を思い出す。
「そう言えば、ここから始まったんだっけな」
うっとりと囁くような声に、久保は神谷が何を言っているのかが解った。
そう、まさにここだ。
ジュニアユース大会から帰ってきて真っ直ぐに神谷に会いに行き、この公園で夢を語った。
そして――
「『サッカー好きか?』だもんな。ま、それで充分だったけどな」
「他に言い方が見つからなかったんだから、仕様が無いだろ?」
「お前らしくっていいさ。……でも、まだあれから一年経ってないんだよな。なんか、もっと前からお前と一緒だったような気がする」
「オレもだ……」
――暫しの沈黙が流れる。
二人並んで腰掛け、仲間達の姿を眺める。
光と歓声に包まれた光景が幻想でないことが、この上なく嬉しい。
そして一番の幸せは、すぐ隣に大切な相手がいてくれること。
静かに神谷の手が、久保の肩に置かれた。
「わっ!」
「なに驚いてんだよ」
びくりと身体を振るわせた久保を呆れたように笑って見て、先に立ち上がる。
「ほら、さっさと戻ろうぜ。あの調子じゃ、あいつらオレたちの分までやっちまうぜ」
まだ座っている久保に、急かすように手を伸ばす。
その手を取ると、久保は複雑な笑顔を浮かべて引っ張られるように立ち上がった。
握った手から、想いが伝わらないことを願いながら……
花火大会は事故も無く、最後に皆で火の始末と掃除を済ませてお開きとなった。
ヤマハ時代に通い慣れた道を、仲間とはしゃぎながら辿り駅に出る。
そこで本格的な解散となった。
挨拶を交わしながら、徒歩・バス・JR・天浜線と、それぞれの方向に分かれて行く。
普段なら同じバスに乗る久保と神谷だったけれど、今日はここで別れとなる。
神谷は、今朝のうちに父方の実家に帰省した家族と合流すべく、JRに乗るのだ。
「じゃあ久保、また3日後な」
そして周りを見回してチームメイトが居ない事を確かめると、憚(はばか)るように耳元に口を寄せる。
「首尾の方、ちゃんと教えろよ」
悪戯っ気たっぷりに囁く。
途端に久保の顔が真っ赤に染まった。
「しゅ、首尾って……」
くっつかんばかりの目の前に、神谷のどアップがあるのだ。どうしたって心臓がバクバク言ってしまう。
だけどそんなことに気付かない神谷は、いたって無邪気に笑ってくれた。
「北原さんとデートなんだろ?いい加減キスくらいしてやれよ。上手くいけばそれ以上だっていけるぜ」
指先で胸を突いて冷やかす。完全に悪乗りだ。
なかなか進展しない親友と彼女の関係を心配して……というのは建て前。あまりにも純な男女交際を面白がった神谷が、両家の都合を聞き出して、2日連続のデートをセッティングしたのだ。
それは久保にとっては、残酷な仕打ち。
だけど受け入れるしかなかった。
―美奈子のことを好きなのは事実だし……
神谷への想いが美奈子と恋愛をする事で『友人』に戻せるのならば、今の関係を保つことが出来る。
我ながら最低だと思う。自分に恋してくれている美奈子を、良いように利用して裏切っている。
付き合い始めてもう一ヶ月余り――
美奈子と本気で『恋愛』をしようとしてはいるのだけど、どうしてもキスすることすら出来ないでいる。
「き、キスって言っても」
内面のゴチャゴチャを押さえつける為にしどろもどろになってしまう久保を、しかし神谷は奥手ゆえに照れていると勘違いした。
「簡単だって。お前、真面目な顔してれば男前なんだからさ、こう真っ直ぐに見つめて『好きだ』とか何とか言ってチュッとやりゃOKだって」
「……」
本当に残酷だ。
久保の顔から赤みが失せる。
表情が消え、静かに神谷を見つめた。
「お、そうだよ、そんな顔!」
はしゃぐ神谷を前にして、押さえきれなくなった言葉が溢れてしまう。
「好きだ」
それは、思いを込めて言ってはいけない言葉。
すっと首を伸ばし顔を近づけ――唇に唇で触れる。
ほんの一瞬の出来事。ほんの一瞬の真実。
駅前を行き来する人達の誰にも気付かれることが無く行われた、触れるだけのキス。
「これで良いのか?」
自分でも驚くぐらいの冷静な声が出る。
そんな久保に対して、神谷は真っ赤になってうろたえまくっていた。
「お、お前、あ・あ・相手が違うだろが」
「神谷の言う通り、やってみただけだ」
「! オレが悪いって言うのかよ〜」
「……」
無言で微笑まれ、神谷はがっくり肩を落とした。
抗議するだけ無駄だ。久保は時々、とんでもないことをしでかす男だった……
「本番は、上手くやれよ」
こんな事をされたんだ。せめて進展してもらわなくちゃ、情けないじゃないか。
着替えを詰めたカバンを肩に掛け直し、句簿をそこに残したまま改札への短い階段を駆け登る。
久保が後ろについて来ていることは解っている。でも何だか振り向き辛かった。
さっさと自販機で切符を買うと、思い切って改札口の前で待っている久保を見た。
そこに居る久保がいつも通りの雰囲気をまとっていることを確かめて、やっと安心する。
「土産、メロンでいいか?」
「そんな、気なんか使わなくていいよ」
「遠慮するなって。爺さんの隣ん家で作ってるから、すごく安く買えるんだ。その代わり少々キズ有りだけどな」
「う〜ん、それより、早く帰って来てくれたほうが嬉しいな。で、さっかーしよう」
サッカー馬鹿の本領発揮。
思わず吹き出してしまう。
「ほんっと、お前、最高だよ。じゃ、すっ飛んで帰ってくるから、ボール磨いて待ってろよ」
バンバンと久保の肩を叩くと、自動改札に切符を滑り込ませて改札をくぐった。
「じゃ、3日後な!」
「ああ、気をつけて!」
手を振り別れを告げると、神谷は行き先のホームへ向かう階段に姿を消した。
神谷の姿が見えなくなると、窪から笑顔がすっと消えた。
右手が上がり、指先で自分の唇に触れる。
途端に悲しげに顔が歪んだ。
しばらく神谷が消えた階段を見つめた後、吹っ切るように勢い良く踵を返すと、半分走るようにバス停へと向かった。
その頃ホームでも、神谷が唇を右手の甲で押さえていた。
怒っているわけではなく、しかし決して喜んでいるのでもない。
複雑な感情が、表情にまで表れている。
「―-これって、その場の勢い、ってやつだよな」
ふざけ合っているうちに、悪乗りしただけだ。
単なる事故。そうに決まっている。
なのに、あの言葉が引っ掛かっている。
穏やかな『好きだ』という声が……
久保の『好き』だなんて耳にタコが出来ているはずなのに、さっきの響きは新鮮に胸に届いた。
新鮮……?!
「そうか! 上に『サッカー』が付いていなかったから、新鮮だったんだ」
思いついた答えを言い聞かせるように、わざと言葉に出してみる。
言ってみると、それが真実だと思えてきて、首を大きく縦に振った。
――それでもあの一瞬の感触は、まだ唇に残っている。
3日の別れは、高校入学後、初めての事だった。
たったの3日。
サッカー部全体の休みが5日間なのと比べると、仲間の内で一番離れている時間が短いはずなのに……。
二人が3日なんてすぐに経つと思っていた間違いに気付くのには、そんなに時間を必要としなかった。
続く
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