黒と金の、饗宴は続く。
「あ、おやっさん、蛸(たこ)ある?蛸」 玉で勢いづいたのか、神谷さんはどうやら食べる方に意識を向けた。
ところが神谷さんが「蛸」と言った途端に、ドイツ人の身体がピクリと反応した……?
「タコ? なんでタコを……」
露骨にイヤだと言っている。そうか、こいつ、タコが嫌いだな……♪ 「明石の良いのが入ってますよ」 威勢良く叔父さんが応えてドーンと見事なタコを出すと、オレのカンは確信に代わった。 「オレが好きだから」 神谷さんがドイツ人に不敵に笑う。 便乗して、オレもわざと呟いた。 「いい大人のクセして、タコも食べられないんだ」
「タコだけだ……」
目が泳いでいる。ふふん! あ〜いい気味。 そんなドイツ人を気遣って、叔父さんが微笑む。
「マグロの良いのが入ってますよ。マグロ……ツナね」 「アア、まかセル。タコ以外は」
叔父さん! いいんだよ、そんなヤツほっといて。 だけどここは叔父さんの店で、この二人はお客さん。切れそうになるのをぐっと堪える。 いつ見ても見事な手つきで、叔父さんの手中から輝かんばかりの寿司が出来上がる。 握り終えて出された寿司を、神谷さんは嬉しそうに摘んだ。 だけどドイツ人はそっぽを向いたまま、ワインのグラスを傾けている。 「食わねえの?」 神谷さんの問いかけにも 「ドウゾ、メシアガレ」
顔を背けたままで実に素っ気ない。――なんだよ、そこまでタコが嫌いか?
「ふん……だらしない」 思わず零れた言葉に 「聞こえてるぞ、店員」 ギリりっと睨み付けてきた。
「はぁ? もう酔ってるんですか?」 視線を軽く受け流す。お前なんかちっとも怖くないからな! その間も、神谷さんの見事な食いッぷりは続く。
「美味い!! 美味いすよおやっさん!!」
「おうよ! キャプテンさん、言い食べっぷりだね。次、何にします?」 「おやっさんにまかせるっすよ。どーんと握って下さい」 神谷さんの言葉のおかげで叔父さんの機嫌も絶好調。寿司を握る手つきも踊る。 なのにドイツ人は、寿司ではなくて酒を要望した。
「イヤ?? 店主。1本開ケタ。追加をクレ。……ゲルマン魂はこんなものではナイゾ。店員」
何がゲルマン魂だ! それに玉しか食べてないうちに、もう1本開けたってぇ?! 「そんな飲み方したら、味も香りも解らないんじゃありませんか?」
ここは寿司屋だぞ! そんなに酒だけ飲みたいんだったら、酒屋でも買い占めろ!
でも考えようによっちゃ、こいつが潰れれば勝負は神谷さんの勝ちと言うことで……。
よし! 何本でも開けてやろうじゃないか、チリ産白ワイン! 「あ、おれも酒」 神谷さんのコップが上がる。 急いでお酌に向かおうとしたが、ドイツ人にグラスを差し出されて止められてしまった。 仕方なく、ワインを注ぐ。 「大丈夫ダ。ちゃんと礼をモッテ食シ、礼ヲモッテ酒を飲ム。これがドイツ流ダ」
何を言ってるんだこの外人……。口ほどにもない。1本でもう酔ってるじゃないか。 そして酔ってるのは神谷さんも同じ。 オレの持ってるボトルとルディのグラスとを交互に見て、興味津々という用に身を乗り出してきた。
「チリワインってどんな? 一口くれ」
神谷さんのおねだりvああっ! たまらなく可愛い…!! 神谷さんばかりに見とれていて、その時オレは一瞬ドイツ人の存在を忘れていた。 突然、神谷さんの顔が金髪の後頭部に隠されて…!!
まさかこいつ、口移しっ!!!!??!?!? (怒!) よもやの一瞬後、ドイツ人の企みは、神谷さんの拳骨で砕かれていた。
ふん! 「ば〜か」、ざまあみろ! ほら、神谷さんを怒らせちゃった。 「こっちでいいんだよ!」 グラスを奪い、一口どころか一気に飲み干す。 飲み終わった後に、満足そうな笑顔が浮かんだ。
「……ナンダ?神谷。ワタシの酒が飲めないッテ?」 酔っぱらい外人が絡んできても全然無視。ふふん、ざまあみろ! 「うめえな、これ。もう一杯!」
請われるままにグラスにワインを注ぐ。
ドイツ人にするのとは違って、神谷さんにお酌することがこんなに幸せだなんて……! 「ンンンンンンン?????」 ドイツ人が意味不明に呻いているのを聞きつけて、神谷さんはニンマリ笑った。
「酔ってるな? 酔ってるだろうお前」
指差して、そして高笑い。――素敵です! 神谷さん!!v
途端にドイツ人は姿勢を正すと、オレの手からボトルを奪った。
「酔っテル? ワタシガ? 笑わせるナ!」
神谷さんのグラスにワインをなみなみと注ぐ。
そしてボトルをカウンターに置くと、フラフラと身体を揺らしだした。
「まだまだ夜は長いんだぜ? しっかりしてくれよ、ドイツの至宝」 神谷さんがワインを注ぎ返すと、ルディは再びボトルを奪い神谷さんに差し出した。 「ヌカセ。ほえづらカクナヨ。日本の至宝」 笑い声は陽気だけれど、瓶を持つ手が震えてるぜ?
「この人たち……顔だけじゃなく酒の弱さも……似てるかも」 オレの独り言を聞きつけて、叔父さんがすかさず反応した。
「圭吾! 茶ぁ出せ!」 「はいっ!」 反射的に、ポットから茶を湯飲みに注ぎ、二人の目の前にど〜んと置く。 なのに酔っぱらい二人の暴走は止まらない。
「おやっさん! 日本酒です日本酒! このドイツ人に……」 神谷さんは、まだ飲みかけが残っているのに日本酒のお代わりを要求するし、 「ホラ、カクテルするとウマソウダゾ」
ドイツ人はコップに半分ほども残っている神谷さんの日本酒に、あろう事か出したばかりの茶を入れて掻き回し始めた……。 「よし、ソレで乾杯だ」
神谷さ〜ん! 乾杯、じゃないでしょう?! 二人の狂態に、叔父さんも慌て出す。 「あんたがた、まだまだ酒の勉強が足りませんぜ。悪いこたぁ言わねぇ。少し食べなさい」
腹に食べ物を入れた方が、まだ酔いが抑えられる……。
そんな気遣いも解らず、二人はへんてこなカクテルとワインをチャンポンであおっている。 ヤバイ、これ以上いったら…。 「もう、ダメです!」 たまらずワインのボトルを取り上げる。 「あっ何すんだ馬堀」 「まだ勝負は決まってないゾ」
ボトルを取り上げられて、漸く二人は寿司を食べ始めた。……ああ、せっかくの明石の一級品タコと、叔父さん自慢の穴子なのに……。あんたらちゃんと味わってるんでしょうね?
「これ以上飲むようだったら……今夜は帰しませんよ!」 危なくって、外になんか出せない。
「おう! 圭吾の知り合いなら、部屋ぁ空いてるぜ。休んできな」 叔父さんからも許可が出た。 なのにドイツ人はオレの手からボトルを奪うと、またもや酒盛りを再開した。 「馬鹿イウナ。今日はワタシの言うことを聞くンダヨナ。神谷」 「勝負はつけるもんだろうがよ。つくまで帰らね―ぞ」 二人揃って絡み酒!?
「ああぁ〜っ! もう! この人達はっ!!」 なんでこうしようもないんだ〜! と、視界の隅に、不穏な空気。 叔父さんが…切れ始めている…? 「おれの勝ちだ」 イッキ飲みの後の神谷さんの叫びと、
「店主? ッッ!! 酒がモウナイゾ―――――ッっ!!」
ボトルらっぱ飲みしながらのドイツ人の雄叫び……!
あああっ! 叔父さんの嫌いな客は、礼儀知らずと、えばり腐ったヤツ。
そして寿司をおざなりにして酔い騒ぐ、酒癖の悪い客!
「おまえらっ! 圭吾! 水かけろ!」 あああああぁ〜っっ!! 条件反射で水差しを両手に一つずつ取ると、
「すみません! 神谷さん!!」 脳天からぶちまける。 よく冷えた水が、神谷さんとドイツ人を濡れネズミに替えていく。
滅多に出ない叔父さんのブチ切れに、店中がどよめいた。 水が、神谷さん達の身体を滑り落ち、床に水たまりを作っていく。 二つだった水たまりが、じんわりと一つにまとまっていった。
「ぷはっ! 何すんだ馬堀!! あ〜酒が……」 恨めしげに見上げてくる神谷さんと、 「………」
衝撃で潰れてしまったらしいドイツ人ルディ……。 「階上(うえ)、連れてけ。一応客だ、風邪引かれちゃたまらん」 叔父さんの、怒りを吐き出してすっきりした声が響く。 「だめですよ。叔父さん気が短い江戸っ子なんですから」 叔父さんに聞こえないぐらいの声で、囁く。すると途端に神谷さんは神妙な態度になった。 たたみ掛けるように言い聞かせる。
「悪い酒の飲み方です。解りますか? ……ったく、なに意地張り合ってるんだか。そういや勝負って?」 勝負をつけるせいで、こんな事になったんでしょう?
オレの質問に…… 神谷さんは潰れたルディを見下ろして、
――何とも言い表せないような複雑な笑みを、目と口元に浮かべた。
続く 2001.6.15.
|