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展覧会の紹介

白江正夫展 2003年8月1日−9月23日
市立小樽美術館(小樽市色内1)
(文中敬称略) 
 以前、筆者はつぎのように書いたことがあります。
 つまり

 道内の水彩画はほとんどがつぎの3つのカテゴリーに属する。
 ひとつは、繁野三郎以来のおだやかな写実主義。
 二つめは、国井しゅうめいとその門下による、透明度の高い、さわやかで軽いタッチが特徴の写実的な絵。
 三つめは、道彩展会員に多い、フォービズム的な作風。

 いまにして思えば、いささか大ざっぱすぎたような気もします。
 たとえば、道彩展には、フォーブの枠にとらわれない画風の出品が増えています。
 ただし、全体としては、やはり「個性開花」にはほど遠いのが現状ではないでしょうか。「作家」というよりは、「習いごと」の意識で絵筆を執っている人が油彩などにくらべて多いことも一因かもしれません。
 そんななかで、水彩画という制約にとらわれず独自の道を追求している作家がいます。小樽画壇の大ベテラン白江正夫もそのひとりだということを、今回の回顧展で再確認することができました。
 全体を通してみると、「水彩だから絵が弱いのはとうぜん」といった甘えを自らにゆるさず、強靱(きょうじん)なマティエールを生もうと苦心していることで一貫しています。また、郷愁の対象としてよりはいま現在のモティーフとして小樽の街を描いていることも、筆者には興味深いことでした。
 水彩画につきまといがちな独特の「浮力」に、断固としてくみせず、重量感を出そうという苦闘が、画業をつらぬいているのです。

 画風の上では、1960年代半ばから、黒い輪郭線をつかうようになったこと以外は、特筆すべきドラスティックな変化はないようです。抽象には走らず、おおむね写実を旨とした作風です。
 この黒い線について、会場の市立小樽美術館の吉田豪介館長は図録で、当時の道展の中心的画家だった伊藤正の影響があったのではないかとするどい推察をしています。
 伊藤ほどにビュッフェっぽさを感じさせないとすれば、白江がこの黒い線を、たんなる輪郭線としてではなく、もっぱら家の軒と、その影の部分の描写に用いているためではないでしょうか。したがって、黒く太い線が画面のあちこちを走っていても、あまり作為を感じさせないのです。

 また、これも吉田館長が指摘していることですが、80歳を過ぎたいまも「枯淡の境地に向かわず」水彩画の可能性に挑戦しつづけていることも特筆すべきでしょう。近年も、毎年道展に出品しているのはもちろん、1年おきに札幌のスカイホールで個展をひらいている「現在進行形の画家」なのです。

 それでは、会場で気になった絵について、いくつか述べておきます。
 初期の作品では、「路地」(1957年)がなつかしいです。
 私事にわたりますが、筆者の母親の実家もかつて小樽の手宮地区にあり、この絵と似たような木造の平屋建てでした。
 いまや札幌などではほとんど見ることができなくなった家の前の溝(どぶ)をはじめ、錆びたトタン屋根、細い煙突、アルミサッシではない窓など、戦後の道内の民家の、ひとつの典型を見るような思いです。
 路地を歩く猫や、開け放たれた戸から見える玄関の下駄といった、細かい要素が、或る種の臨場感をかもしだしていることは、見逃せません。それは同時に、観光客でも、行きずりの旅人でもなく、そこで生活する人として小樽のマチを見続けるという、画家の立脚点を、その画業の初期において確たる形であらわしているのでしょう。
「こんな長屋、いまでも小樽ならのこっていそうだな」という筆者の思いは、その意味では、わりと無責任な外部の者によるノスタルジアの産物なのです。

 「小樽築港」(68年)「機関庫のある港」(67年)
 とはいえ、かくも活況を呈している小樽港の絵を見ると、やはり一種の感慨を禁じ得ません。高度経済成長のまっただなか、小樽は、石炭積み出し港として栄えていました。蒸気機関車が空知地方の炭鉱から長い貨車をひいて走っていたのです。「小樽築港」のモティーフとなっている引き込み線は、いまはウィングベイ小樽という巨大ショッピングセンターとなっています。
 先に書いた黒い輪郭線は、このころから現れます。もっぱら家の軒の影としてつかわれて、画面に動感をあたえています。

 「市場通り(妙見市場)」(87年)
 妙見市場は、たぶん日本でもここだけだと思いますが、川の上に立っている市場です。
 季節は冬。右側に妙見市場の丸い屋根が縦につらなり、左にも店がならんで、青果を売っているのが見えます。白い道は、どうも現実の道より幅がひろいようですが、買い物客が点景として描かれています。
 その中央あたりに、青いコートの女性が歩いています。彼女に目が吸い寄せられてしまう、巧みな構図です。ほかの人物がみな(少なくとも、画面下方にいる8人は)正面か横を向いているのに、彼女だけが画面の奥のほうへとあるいています。また、この絵のなかで、青系の色がつかわれているのは、彼女だけです。
 さらに、この絵がドラマ性を帯びて見えるとしたら、俯瞰的な視点にあるのではないでしょうか。映画やテレビドラマで、カメラがすこしずつ高い位置に上り始めたら、それはラストシーンの合図です。この絵の構図は、映画のラストに似ています。映画ではカメラマンがクレーンに乗って宙に昇りますが、坂の多い小樽のことだから、実際にこう見える高い場所があるのかもしれません。
 この絵が描かれてから16年たっていますが、いまは小樽市中心部の人口減がすすんだり、超大型ショッピングセンターができたりしたこともあって、市場はこの絵よりもややさびれがちのようです。

 「さいはて(道北)」(93年)
 この絵については、吉田館長が画集でくわしく評論しているので、あえて筆者ごときがつけ加えることはありません。
 手前に語りあう二人の男がいる。その後にあの廃屋がある。広い平坦な雪原のそこここに、肩を寄せあう赤や青のトタン屋根が散財し、遠くにどす黒い宗谷海峡が横たわっている。中空の太陽は力のない黄色で夜の月と見紛がうばかりだ。それはこの地が、冬を冬眠の季節と捉え、息を潜めて春を待つことを、道北生まれの白江が体験し熟知していることを示し、郷愁に彩られたロマン主義的悲愴美さえ漂うことになる。
 筆者は、「造形」と「内容」の双方に配慮した作品が好きだ。そういう意味でこの絵は、両者が高い次元で結実した稀有(けう)な例だと思う。

 近年は、丸井今井やマンションなどあたらしい建物もモティーフにえらんでいます。
 小樽を描く画家は大勢いますが、たいていは運河や冨岡教会、祝津といったあたりにモティーフがかたよっています。ふつうであれば忌避したくなるようなビルを描くのは、白江が、甘い抒情を排し、力強い造形性をねらっているからでしょう。と同時に、観光客の目ではなく、そこに住みつづけている者としての視線の力というものを感じさせます。

 
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