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展覧会の紹介

第58回春の院展 2003年5月27日−6月1日 三越札幌店
4月1日−13日三越日本橋本店、4月16−27日名古屋松坂屋美術館、5月2−11日秋田県総合生活文化会館、5月14−21日十字屋仙台店、6月5−11日三越大阪店、6月13−25日ながの東急、6月28日−7月6日一畑百貨店松江店、7月8−14日鳥取県立博物館、7月17−24日福岡三越、7月29日ー8月10日倉敷市立美術館、9月5−12日三越松山店

 春の院展=同
 秋の本展はほとんど北海道に巡回してきませんが、春の院展は毎春の三越の恒例となっています。本展、せめて10年に1度くらい来ないかな。北海道の人って、院展の絵のサイズって、みんな50号とか60号くらいだと思い込んでたりしないだろうなあ。
 一昨年まで大量にばらまかれていたタダ券をことしは1度も見ることなく、ことしは700円を払って会場に入りました。
 あいかわらず院展調というのか、写生を極めつつ、いささか感傷的な情感を込めた額装の作品がならんでいます(そういえば軸装は皆無)。まあ、感傷がダメだというつもりはないんですけど、あたらしい型破りの絵がほとんどないのもすごいといえばすごい。ここだけは現代人の不安とも「9・11テロ」とも抽象画ともほとんど無縁のまま時がとまっています。こうなると、一種の「伝統芸」です。「日本画」は、べつに伝統的なものでもなんでもないんだけど。まあ、絵を見るときくらい現世をわすれてなごみたいというのも、ひとつの考えではあるし。
 いくつか気になった絵について。

  1. 後藤純男(同人)「ダム化前の揚子江三峡」。
     もともと「日本画」というのは、明治以前は日本の絵画の一大潮流であった水墨画を後景に追いやることによって成立してきた面があるが、後藤の場合は、色彩が主の日本画に水墨画や山水画の要素をどのように取り入れるかという問題意識をもって、画面を構築してきていると思われる。この絵は構図こそ水平線と補助対角線の繰り返しという西洋画の典型的パターンを踏襲しているものの、岩のかたちを線描で表現しているところなどは室町水墨画の遺産を継承している。題名には、中国の無謀なダム計画と自然破壊への抗議がしずかにふくまれているようだ。
     
  2. 武井好之「視点2003−1」
     「日本画」がその成立にあたって排除してきたのは墨による描線だけでなく、周囲の余白などがある。西洋画には、セザンヌ以前には塗り残しというものはほとんどないが、日本の絵画にあってはたとえば襖絵などは、モティーフ以外の部分は地のままのこしておくのが通例であった。院展の日本画は洋画との出会いの衝撃によって成立したのだから、ほとんどの絵は余白がない。この武井の絵は、そういう意味では例外であって、人物の周囲はほとんど白いままになっているし、人物も線だけで表現されている。洋画で、painting以前の段階としておとしめられてきたdraiwngとしての絵画のありかたをもう一度見直してみた意欲作であるといえる。ただ、題は芸がないと思う。
     
  3. 前田〓(招待)「関山」 〓は「澤」のへんが「日」
     抽象画はほとんどないが、画面の要素をぎりぎりまで整理することによってほとんどそれに近い効果を挙げている絵は少ないながらある。この絵は、山の中腹をモティーフにしているが、残雪と木々の帯のくりかえしが、直線で囲まれた色帯で表現され、ほとんど抽象画といってもよい作品。また、松村公嗣(同人)「冬さぶ」も、極限まで画面を整理した大胆な作品だ。
     
  4. 宮廻正明(同人) 「朝切鳥話(ちょうせつちょうわ)」
     抽象ではないが、ごくシンプルな構図。5羽の水鳥が藍色の水面を、雁行するようにすべっていく。早朝らしく、水面は暗くて、鳥たちはシルエットになっている。よく見ると、藍色の画面はこまかい縦線の集積からなっており、それが色の硬質の感じと透明感をうんでいるように思われる。
     
  5. 手塚雄二(同人) 「花尋(はなたずぬ)」
     緑と金とで印象主義的な画面をつくってきた院展のホープが、さらに大胆に整理された構図に取り組んだ。画面全体を緑の草が覆うなか、ほぼ中央を土の道が横切り、そこを黄色い蝶が舞っているという図。シンプルな構図、全体を覆う豪奢な感覚もさることながら、草をエンボス加工したように、凹凸をつけて処理しているのが目を引く。もともとマティエールという意識に乏しい日本の絵画に物質感をあたえようという試みなのか、今回は画面に凹凸をつけた作品がずいぶんあった。渡邉美喜「アフターヌーン・ティー」、昨年の春季展賞受賞者の國司華子「幕・屋」、吉井東人「花絵」、逆光を反射する田の描写がうつくしい谷善徳「〓(しょく。稷のつくりだけからなる文字) 」、北海道出身の福家悦子「旅立つ朝」、入選者でただ一人の道内在住者の高幣佳代「待春」、金色に光る岩塊を描いた加來万周「光響」などである。
  6. 角田信四郎(奨励賞) 「雪の朝」
     日本画に特有の装飾性を無理なく画面に表そうと思ったらまず手っ取り早いのは和装の女性を描くか草花に目をやるかのどちらかである。この絵は、雪のなかで枯れたほおずきを描いているが、中心を欠き、ランダムに色が配されているかのような画面は、ひどく現代的に見える。植物を描いた絵としては、奥山たか子「悸(むなさわぎ)」、重里香「秋陰」、一枚一枚の葉を輪郭線から描いた労作である石村雅幸「葉風光芒」、落ち葉を抑えた色調で描いた大野逸男(招待)「赫い草」、松の芽を題材にした前原満夫(無鑑査)「繋ぐ」などがある。
  7. 樋田礼子 「雨の詩」
     水の描写がとても印象的な作品がいくつかあった。ほかに、北田克巳「夏のほとり」、小川国亜起「清耀」、藁谷剛巳「静」など。  

 最後に三越様。ラテン音楽を大音量で流すのはやめてください。会場の雰囲気に合いません(笑い)。

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