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モエレ沼公園「サクラの森」つれづれ日録の題字2005年10月〜

 10月26日(水)

 きのう予告したブログ移行は、最低限のところは完了しました。
 すごい速さ。
 この意欲を仕事にも見せろという声はとりあえず聞こえないフリ。

 過去の「展覧会の紹介」などもブログにほうりこみたいという野望はもっているんですが、それは追々、ということで…。

 今後は、「あーとだいありー」「つれづれ日録」のような話は「北海道美術ネット別館」に、「目次」の「TOPICS」に収載していたような短い情報と、「今月のスケジュール」に載せていた情報は北海道美術ブログで更新していきます。
 

 きのう熊石に行く途中、NHK第一ラジオの「昼のいこい」を聞いていました。
 筆者はこの番組が大好きなのです(月から土曜、午後0時15分〜30分)。
 流れたのは木内みどりと岡田奈々。絶妙の選曲です。
 岡田奈々の曲で「古本屋さんの店先で見た本」なんていう詞があったけど、30年前の女の子はふつうに古本屋に立ち寄ってたんでしょうか?

 10月25日(火)

 きのう、3時間もかけてエントリーした「北海道美術ネット別館」の記事30本近くの半分以上を削除しました。

 われながらアホみたいな無駄なことをやっていますが、試行錯誤の末、ようやくこのサイトの一部ブログ移行計画が確立されてきました。

 情報1本につき、エントリー1つをたててみたら、ブログだとおそろしく見づらくなるんですね。

 そこで、「北海道美術ブログ」なる、別のブログをつくり、これまで「目次」の「TOPICS」に収載していたような短い情報と、「今月のスケジュール」に載せていた情報を、そちらに入れることにしました。
 嘘みたいな話ですが、エキサイトブログを申し込んだら、「bijutsu」というURLが取れたのです。これには、われながら感動です。
 で、北海道美術ブログのURLは、http://bijutsu.exblog.jp/ なんです。

 これにともない、現在の目次の「TOPICS」は、近々廃止します。

 また、来週から、「つれづれ日録」と「あーとだいありー」の内容を、北海道美術ネット別館に移行することとし、「つれづれ日録」と「あーとだいありー」のファイル更新は、10月で打ち止めとなります。

 なにせ、2003年1月以来、このフォーマットでやってきたわけですから、ちょっと感慨深いものはありますが…。
 しかし、このサイトだって、最初はダサいロゴに、水色の壁紙という時代もあり、さまざまなモデルチェンジを経て現在の形になったわけで、確かに、慣れたスタイルから離れるのは惜しい気もしますが、より使いやすいサイトを目指すために、変化を恐れずいこうと思っています。

 ブログの良いところとして、コメントやトラックバックなどはよく言われることですが、筆者としては、携帯で読みやすいという点を挙げたいです。
 これからは、携帯で、来週の札幌の美術展をチェックすることがカンタンになります。
 (とかいって、いま北海道美術ブログを、iモードでチェックしたら、どっかでタグをうち間違ったらしく、やたらとリンクの下線がついていて見づらい… _| ̄|○  )

 ともあれ、アーカイブとしての北海道美術ネットはこれからも残りますので、ご支援、情報提供など、よろしくお願いいたします。

 10月24日(月)

 ニュースとしてはちょっと古い話だが、10月21日の北海道新聞の1面トップは

 教員給与削減で一致
 財政審「優遇、現実離れ」

だった。
 毎日新聞も同様に

公立小中学校 教員給与の優遇廃止 
財政審 予算建議で提言へ

を1面のトップにしている。
 この記事、なぜかおなじ日の朝日、読売、日経にはまったく載っていない。じゅうぶん1面トップになる話だと思うのだが。
 毎日から引用する。

 財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の財政制度分科会(会長・西室泰三東京証券取引所会長)は20日、文教予算について建議し、公立小中学校教職員の給与を地方公務員の給与より優遇する措置を定めた「教育職員人材確保法」(人確法)を廃止すべきだとする考え方で一致した。
 教職員の月額基本給(平均)は地方公務員より11%高く、校長の年金支給額は年間316万円で国家公務員トップである事務次官級の295万円を上回ることなどに、委員から批判が相次いだ。

 この校長の年金支給額の数字は、じつは、いまの校長がもらっている平均額とは若干異なるようだが、ともあれ教員の給与が一般の公務員より高いのは事実である。
 
 今回出た結論は、あくまで審議会の話し合いの結果だが、筆者はここにも、小泉首相の郵政民営化にかける執念と共通するものを感じる。
 つまり「反田中派」なのだ。
 いま焦点になっている特定郵便局も道路特定財源も、田中角栄元首相から経世会につながる自民党の力と富の源泉であり、小泉首相にとっては、いわば長年の「敵」であった。
 人確法というのも、田中角栄的な人気取り政策の面をもっていたことは否定できない。
 この法律が制定された1974年は「デモシカ先生」などということばがあり、教員のなり手が現在よりすくなかったのは事実である。
 高給をもって遇すれば、「先生にデモなろうか」という人物じゃなくて、すこしは良い人材が来てくれるかもしれないというもくろみがあったのだ。
 しかし、少子化にともなって教諭の採用が少なくなり、いまは高い給料でつらなくても、先生のなり手にはこまらなくなってきた。

 たしかに、校長の年金が、事務次官(よーするに、各省庁で、大臣のつぎにエライ人である)より高いというのは、ばかげている。
 ただ、いまの先生の給料は、部活動の顧問などをやって時間外勤務が長い人もそうでない人も、それほどの差がないというのも事実。
 長時間働いている先生の給料を、あまり働いていない先生とおんなじように引き下げるというのは、どんなもんだろう。

 小中学校ではないが、筆者の住んでいる地域の高校は、ほとんど夏休みというのがないのとおなじである。
 つまり、長期休暇中でも、平日はだいたい毎日、進学補習や部活がおこなわれているのだ。
 こういう実態なのに
「先生はみんな夏休みがあっていいねえ」
と思われているのなら、ちょっと気の毒である。

 10月23日(日)

 午前はやくも大漁秋味まつりの取材と原稿書き。
 サケのつかみどりなどが行われた。

 午後、一家で長万部駅に行き、せがれの応募した絵が構内に張ってあるというので見る。
 JR主催の絵画コンクールなのだが、応募者が少ないのであろう。
 入場券を買って改札を通ったら、駅員さんが
「絵を見るためでしたら」
とお金を返してくれる。

 子どもたちのリクエストにこたえて、町民センターへ行き、鉄道模型を見る。
 ここは、Nゲージのほか、さまざまな資料があり、鉄ちゃんにとってはすごい穴場だと思う。

 センターを出たら大きなサイレンの音。
 長万部の双葉地区で住宅火災とわかる。
 国道5号を走っていたら消防車に追い越された。

 家の前は、消防団員がみんなマイカーで来るもんだから、路駐の車でびっしり。
 家ははげしく煙を上げていたが、すぐに鎮火した。

 夜は八雲町議選の開票。
 当落線上でダンゴレースになった結果、作業ベタ遅れ。早い版にまにあわず。_| ̄|○

 
 22日にカウンターが19万に達しました。
 みなさまのおかげです。
 昨年夏以来、すっかり内容がうすくなっているにもかかわらず、たくさんの方がいらしていただけるのは励みになります。
 ありがとうございます。
 ひょっとすると、年内に大台突破もあるかもしれません。


 10月22日(土)

 雨の週末。
 朝方ちょっと取材をしたが、それ以後はこもって、原稿書きと、このサイトの目次の模様替え。

 模様替えはけっこう骨が折れた。
 いよいよblogにしようと思う。
 しょっちゅう、情報が上へ行ったり下へ行ったり、更新されたりしているようなファイルは、管理がめんどくさい。

 

 10月21日(金)

 それにしても毎日天気が良い。
 ようやっと紅葉はすすんできたけれど…。
 冬は来るのだろうか。

 10月20日(木)

 とりあえず町長選は無投票で終了。

 下のバッタ君の「逝去」ということばづかいは、もちろん冗談ですのであしからず(って、なんだか芥川の「侏儒の言葉」みたいな展開になってきたな)。
 きょう、こんどはメスのバッタが、家にまよいこんできました。
 こちらは前足が1本ないけど、やはり元気。

 10月17日(月)

 下の選挙うんぬんは、もちろん半分冗談で、町民以外は投票できないので、あしからず。

 7日の項で触れたバッタ君が昨日逝去。
 5本足にしては長生きしたほうか。

 きょうも20度近くまで気温が上がったようで、ほんとにことしの秋は天気が良い。
 でも、ちゃんと冬が来て、最高気温が氷点下とか、そういうふうになるんだろうなあ。
 八雲でも雪虫が飛んでいる。
(道外の方へ。雪虫とは、白い綿毛のような羽をつけた小さな虫で、これが現れると、もうすぐ雪の便りだなあと、北海道民は実感するのです。)

 16時間働いたのでつかれた。
 あした早いのでもう寝ます。

 10月16日(日)

 23日は八雲町長選と町議選です(ただし、立候補者数が定員をうわまわった場合)。
 みなさん、わすれずに投票しましょう。

 アクセス20万まで、あと約1万1000。
 年内達成は、ちょっとむりか。


 10月11日(火)
 
 9日のことを書く。

 一家4人で出かける機会があまりないので、この日は函館に行ってみた。
 行きはJR快速「アイリス」に乗った。
 快速、というと、上等な列車を想像してしまうが、実態は1輌編成のディーゼルカーである(鉄ちゃんは「キハ40系の単行」という)。
 ちなみにこの快速は、下り(長万部発函館行き)が1本あるだけで、上りがない。
 所要時間1時間26分。特急列車より30分ほどよけいにかかる。とくに、姫川・駒ケ岳間は、音ばかり大きくてちっとも前に進んでいないような気がする。それでも車よりはすこし速い。
 車窓から見える景色も、漁船がたくさん浮かぶ噴火湾、雄大な山容を誇る駒ケ岳、その駒ケ岳を水面に映す大沼など、旅行者には楽しめると思う。

 今回の最大の目的地は、函館公園の「こどものくに」である。
 ハリストス正教会をはじめとする元町の歴史的建造物、朝市、函館山の夜景、五稜郭、湯の川温泉などなど、多くの観光資源を擁する函館だが、それらにくらべると函館公園の知名度は、はっきり言って低い。
 まあ、道内最古の公園で、園内に明治初期に建てられた函館市博物館の建物などもあるが、それほど観光客受けする場所ではないからだろう。
 ただ、この園の中にある遊園地「こどものくに」はすごい。なにがすごいといって、古いのである。「レトロ遊園地ファン」(そんなのいるのか?)は絶対に行くべきだ。
 映画作家の吉雄孝紀さん(39歳)が幼少のみぎりあそんだころとほとんど変わっていないらしい。
 
 たとえば、この観覧車。
函館公園こどものくにの観覧車  やまびこ号

 ブース(人間が乗る箱)が8つしかない。
 ふつう観覧車のブースは、外部と遮断されているものだが、ここのは、吹きさらし状態である。
 写真を見ると分かるように、周囲の木より低いため、てっぺんまで上っても、海と、函館山の山頂がちょっと見えるぐらいで、眺望は良くない。orz
 人が乗り降りするとき、いちいち係の人が回転を止めることには、驚いた。

 回転木馬もなかなか古い。
 係の人がスイッチを操作してもなかなか速度が落ちず、最後は木の床を足で止めてストップさせるのである。
 ほかにも、フラワーカップやスカイチェア―、おそらく日本一遅い新幹線(豆汽車)などがあり、小さい子だからといって楽しめない乗り物は皆無である。すばらしい遊園地である。函館市の物持ちの良さには敬意を表したいと思う。

 この公園には動物園もある。
 オジロワシやヒグマ、クジャクといった、まあ日常生活では見かけない鳥や獣もいるが、中には箱館ハイカラごうアヒル、ウサギ、キタキツネの檻もある。
 筆者はなんだか、水族館でサバやサンマが数匹ずつ泳いでいる水槽を見たような気分になってしまった。
 入場は無料。ほのぼのした雰囲気を味わいたい人、旭山動物園のような混雑は絶対にごめんだという人にすすめたい。

 谷地頭から市電に乗る。
 運良く「箱館ハイカラ號」に乗れた。
 この車輌が谷地頭に現れるのは1日3回だけなのだ。
 1910年(明治43年)に初めて走った車体を1992年になって改造したという。ここでも、函館のモノが長持ちしていることにはびっくりである。
 地元の人は「ハイカラ號は揺れるからやめよう」とか言って、普通の車輌に乗っていた。まあ、観光用だからしかたない。
 4月15日から10月末までしか運行していないのは、運転席が吹きさらしで寒いからだろう。この電車は雨天は運行しないという。
 この電車は、乗ると車掌さんが、どこで下りるかを聞いてくる。下りる電停によって運賃が変わるからである。かつてはどのバスでも見られた光景であるが、ワンマンが一般的になった現在では、めずらしいと思う。
 さすがに速度は遅い。しかし、昭和橋の信号で、運転手は赤信号で突っ込んでいた。

 30分ちかくかかって五稜郭公園前へ。
 以下、あーとだいありーに舞台を移します


 10月7日(金)

 良い写真を撮る若手のA君が、掲示板に書き込んだ文章を読んだのがきっかけで、ちいさいころに住んでいた札幌・琴似のことをなつかしく思い出した。
 筆者は、1969年まで、琴似の、発寒川のそばに住んでいた。

 なお、この川の現在の正式名称は「琴似発寒川」という。新琴似町(札幌市北区)と石狩市の境界にある小さな川「発寒川」と区別するため改称したのだろう。もともと、このふたつはひとつづきの川だったが、明治期に新川を掘削して琴似発寒川の水がすべて流れ込むようになったため、中流域がぶった切られてしまった。上流からの水がほとんど絶たれ、衰微した下流域が現在の「発寒川」である。

 川では夜になるとカエルが鳴いた。
 それにあわせて「カエルの歌」を輪唱したことを、おぼえている。

 国鉄の線路はまだ高架になっていなかった。琴似駅がいまより札幌駅寄りにあったこともあり、駅前道路はしょっちゅう踏切が閉まっていた。貨物列車が長くて遅かったから、よけいにそう感じられたのだろう。
 蒸気機関車(SL)がよく走っていた。琴似駅に止まっていたSLが汽笛をそばで鳴らすと、耳がつぶれるかと思うくらいやかましかった。
 駅の近くには石炭置き場があった。工場も多かった。八軒の線路沿いには、石鹸の工場もあった。
 いま団地や公園になっているあたりには、農業試験場があった。
 なぜか、国鉄で札幌の中心部に出るということはあまりなくて、たいがい市営バスの「9番 琴似線」などに乗っていた。この路線は、地下鉄東西線が開通して、廃止になっている。
 そのころはバスの初乗りは大人30円、子ども15円だった。ロングシートで、乗車も下車も中央のドアからだった。まだ路線バスがワンマンになる前の話だ。
 琴似から八軒をへて新琴似に至る路線には、マイクロバスが走っていた。

 掲示板に書いたことを正確に補うと、当時の琴似の舗道は3本だった。
 国道5号と、駅前道路と、そこから中央卸売市場の方に行く道路。
 それ以外は砂利道か土の道だった。
 いま東西線がその下を通っている道路も、あんなに広くなくて、舗装もしてなかった。そもそも、琴似発寒川にかかる橋が、その道路の先にまだなかった。
 駅前道路は当時から商店が並んでいた。ただ、あのころの建物は、屯田兵舎や神社を例外とすれば、まったくといっていいほどのこっていない。「リビングのごとう」はまだ駅前にあるだろうか。

(追記。Mさんからメール。「リビングのごとう」は健在だそうです)


 世の中ぜんたいがいまより、文字通りの意味で不潔で、ほこりっぽかったような記憶があるが、それでもべつにみな文句を言わずに暮らしていたような気がする。
 テレビで消臭剤の広告などを見るにつけ、どうも清潔な社会というのは、裏を返せば神経質な社会であるような気がしてならないのだ。

車に乗ったらバッタがいた
 話を変えよう。

 10日ほど前のこと。
 社用で乗っている車のドアを開けると、助手席にお客さんがいた。

 樹脂製の透明な虫かご(かご、という表現が適切かどうかわからないけれど)に入れた。
 よく見ると、後ろ足が1本欠けている。
 でも、いまも元気にうごきまわっている。

 10月3日(月)

 熊石に行ってきた。
 峠はまだ紅葉していない。

 10月2日(日)

 午前は、「親子の自然体験教室」だかなんだかで、せがれを連れて、町内を流れる遊楽部(ゆうらっぷ)川をカヌーで下る。
 まだ遡上している鮭は少ない。
 橋の上から見てる人間のほうが多かった。
 もう、どこまで仕事なんだかそうでないのか、わけわからん状態。

 夕方から爆睡。
 あした出す原稿にまったく手をつけてない。どうしよう。

 きのうせっかくこのファイルをつくったのに、目次からリンク貼るのをわすれていた。


 10月1日(土) 

 筆者の住む山越郡八雲町が、爾志(にし)郡熊石町と本日合併し、二海(ふたみ)郡八雲町として発足した。
 あたらしい八雲町は人口2万人あまり。国内で唯一、日本海と太平洋に面した市町村である(だからどうした、と言わないように)。

 今月23日には、町長と町議の選挙もある。

 というわけで、筆者は、かけずりまわっている。
 更新がすくないとか、そういうことは言わないように。

 とりあえず、食事と睡眠は削っていないので、安心されたし。
 筆者の場合、通勤時間がゼロなのが、いいんだかわるいんだか。

  

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