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馬籠宿。

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妻籠宿から馬籠宿まで二十歳の頃は歩いたものでしたが、そこには感動のステージが用意されていた、それに比べると今の自身には感動そのものが枯れてしまっているようにも思える、私利私欲的なもの様々なものを多く見過ぎてしまい、ある意味では気持ちも汚染されている、純粋に受け入れられるそんな感動の前に疑るフィルターのようなものがいつの間にか目立つようになり、醜い人間に変身しているようにも思える、それを現在では大人というのだと思う。

救われるのは経過の中に生きているという意識を持てること、即ちこれからの未来にあきらめていない心があること、自分を変えてゆけるという情熱が多少でもみえること、なによりも大切にしたいと思える精神をもてること、その精神を持って戦える勇気を持てること、ある意味では理想といえますがその人なりの精神は人生によって授かるものなのだと思う、それは最高の境涯になってゆくと信じたい、そうゆう意味での日々努力でなければ今を語ることも無いと思う。

少なくても作品制作のとり組む気持ちにはそういった心でいたいと思う、そこに自身の価値を見る、だいぶ大げさな話しですがこんな気持ちであっていても良いと思う。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~arteye/

雪の馬籠宿でパチリ。

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