「孤独」の否定。

よく「自分がひとりぼっちだ」と言う人がいる。とんでもない思い上がりだと思う。
精神的にも物質的にも人とのかかわりを否定しては生活できない。

無人島で暮らす事を考えるまでも無く今の社会を考えると孤独にくらすというのは現代では不可能だ。

現代社会に生きる私を含めて全ての人がお互いの努力で暮らしている。

それが社会だしいまさらココで声高に言う事ではない

しかし、最近の生活はそうだろうか?個の生活を大切にするあまり他人の事はどうでも良いと考えていないだろうか。

「クウガ」では個の尊重と他との調和についても描いている。
特撮ものに多いヒーローが単身戦い、一般の人はあくまでも「他力本願」で戦いは任せているような作品とはちがうのだ。降りかかる災厄に立ち向かうのは「じかに戦う」ことだけではないと作品では描いているのだ。

15話「装甲」16話「信条」では一条刑事の母との関係が描かれる。
「警察官だから」ではなく己の信念で倒れたと聞かされた母のもとに連絡すらとらない一条の行動を憧れていたはずの女性警察官望見すら理解できない。
同じ警察官で殉職した父から、「中途半端はするな。」と教えられた彼は母の容態より自分の職務を優先する。
そして母もそれでいいと考えているのだ。

46話「不屈」では科警研(特殊武器の開発チーム)の榎田とその一人息子との話が出てくる。
仕事に没頭するあまり家庭を顧みず、離婚して祖母と息子とで暮らしている彼女には息子の気持ちさえ届かなくなってしまう。
これまで何度も約束を破ってきた彼女に息子は部屋を荒らし、学校へ行かず閉じこもってしまうのだ。
落ち込む榎田にジャンはこう言う。
「お母さんきらいっていいましたか?自分に出来る少しだけの無理をしてがんばればいい。」と。
そしてうちに帰った彼女は閉じこもる息子に「お母さんにしか出来ない事を一生懸命探して、一生懸命やるから!」と呼びかけるのだ。

未確認生命体の出現によってそれぞれの立場で戦うため個の生活に歪が生じる。
しかし、ここで描かれているのは相手の事を忘れているわけでなければ、ないがしろにしている事とは違うのだということなのだろう。

ここには「クウガ」の戦いとは違う「戦い」がある。

孤独に戦うヒーローはたしかにかっこいい。しかしここでは「クウガ」単身ではない戦いを描く事で人々の結びつきの強さと大切さを見事に描いているのだ。

「暴力」の否定。

「クウガ」では徹底的に暴力に対する「否定」が貫かれている。
特撮アクションものでこれをやるのはかなりの危険な橋だ。ヒーローを否定するのだから。
しかし放映当初からその姿勢は最後まで貫かれた。

35話「戦慄」36話「愛憎」では最悪の敵が現れる。未確認生命体は単なる「ゲーム」のために殺人を繰り返していると以前の物語で判明していたのだが、そのゲームに独特のルールを決めて行う連中が来た。

ある高校の二年生の全てを脳に金属片を気づかないうちにいれ、四日後に自動的に殺すと言う方法で一人ずつ追い詰めていくのだ。

その最後になった少年は両親とともに別荘に逃げ込み立てこもるのだが敵はそこにも追ってくる。

何のために殺すのか?と言う問いに敵は「楽しいから。」と答えるのだ。

その同じ頃五代雄介の妹の勤める保育園でも小さな園児同士のいさかいがおきる。

雄介は「分かり合えるはずだ、まず勇気をもって話す事だ。」とやさしく諭す。

その誤解を解くための言葉をなかなかいえない園児。

卑劣な未確認生命体に憎悪を燃やすクウガ。

敵はクウガの怒りにわれを忘れた鬼神のような攻撃(血しぶき!)で倒され、園児は仲直りの糸口をみつける。

怒りに拳をふるった後変身を解いた五代は呆然と立ち尽くす。
まるで戦いを後悔するように。勝利したというのに。

40話「衝動」41話「抑制」では暴力に対する否定のメッセージがさらに明確となる。

女優を目指してがんばる奈々がいきなりバイト先の「ポレポレ」にもどるなり「誰かを殺してやりたいと思った事ある?」と口走る。

彼女はかつて未確認に恩師を殺されていたのだが、女優のオーディションの最終選考に「大事な人を未確認に殺された演技」を求められた。
ライバルの娘に「先生が殺されたのが役にたちそうだね。」と言われて殺意を持ったと言うのだ。

そう思うことは変じゃないよね、と雄介に泣きながら訴える奈々に雄介は怒りを拳や衝動ではなく話して伝える事を求める。
拳を使えば拳がかえってきてその応酬にしかならないと。

そんな事は奇麗事だとさらに詰め寄る奈々に雄介は「そう、だから現実にしたいじゃない。ほんとは奇麗事がいいんだもん。」とあっさりと、さわやかに答えるのだ。

自分も傷つき、相手の痛さも理解したうえで戦い、未確認を倒してきた雄介。(クウガ)

ヒーローとして戦うクウガが暴力を否定する。

戦闘シーンが激しくなればなるほどその仮面の下で苦しんで戦う雄介の顔が視聴者には見えてくるのだ。