山形市の12kmほど東北部に行ったところに、35万坪を有する山寺とも呼ばれる立石寺があります。
正式には宝珠山阿所川院立石寺といわれています。
貞観2年(860年)第56代清和天皇の勅願によって慈覚大師円仁が開山したと伝えられています。
立石寺は、天台の教学道場として開かれ、「奇岩怪石」の霊窟として広く知られるところです。
1000を越す階段を登っていると、両側には幽境の聖域といった感じを岩肌から感じ取ることができます。
昔は人間の「邪念」を取払う修行の一環として、この山寺に登ったとのことです。
もちろん、現在でも観光名所ということだけではなく、真の目的を持って登っていっらしゃる方も多いです。

ちなみに、黙々と登って降りれば早くてだいたい二時間弱。
でも、それでは山寺にきた意味がありません。
ゆっくり時間をかけて登ってみると色々考えさせられるかも・・・・・
(注意!:運動不足の方は筋肉痛になります)






       
 山寺立石寺案内図  登山口入口  芭蕉像と句碑  立石寺石碑


「登山口からいざ出発」
登山口から登山口山門までの間は上部写真の他に「根本中堂」「日枝神社」「秘宝館」「登山口山門」があります。
この段階ではまだまだスタートしたばかりなので、結構元気!

●根本中堂
   最初・慈覚大師が立派な人間を養成するために建立。(今の学校と同)
   その後、山形の初代城主欺波兼頼が再建(600年前)し、明治41年重要文化財に指定された。
   現在、堂内には建立当時比叡山中堂より移された法澄が千百余年の間一度もきえたことのない不滅の灯りが安置されている。

●日枝神社
   山寺の守り神とし、大宮山王権現を慈覚大師がおまつりした。

●秘宝館
   山寺の歴史を物語る多くの文化財を展示している。

●登山口山門
   鎌倉時代(約700年前)の建物で、側に立石寺の事務所がある。





         
 四寸道手前  仁王門  性相院  開山堂  奥の院大仏殿


「山門をくぐって奥の院大仏殿まで」
登山口山門をくぐって奥の院大仏殿までは、けっこうな段数あります。
両側にいろいろとお堂が建てられているのですが、奥の院までは進行方向右側に立ち寄り、折り返したら逆側に立ち寄るのがよいと思われます。
写真の「仁王門」「奥の院」他に「姥堂」「せみ塚」「胎内堂」があります。
途中、だんだん元気がなくなってきました・・・・・汗もでてきました・・・・喉もかわいたし・・・

●姥堂
   ここから上が極楽浄土で、清水で心身を清めて登っていくところ。

●せみ塚
   今から約300年前に奥の細道を訪ねられた俳聖芭蕉が山寺を訪れ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ翁の供養碑。

●仁王門
   仁王尊をおまつりした山門で、今から約140年前に再建された。

●胎内くぐり
   あらゆる罪を捨て、もう一度生まれかわって立派な人間になるという意味をあらわし、岩登りとしては代表的なところ。
   岩上に釈迦堂が建っており、修行の場でもある。

●奥の院
   お山の一番奥の建物で、先祖の供養を行うお堂。





「五大堂」からの景色
奥の院で折り返したら、一部を除いてあとはほとんど下りです。
写真は「五大堂」からのすばらしい、雄大な景色です。
でも、下を見ると結構こわいです。高いし、建物古いし・・・・・
そのまわりには「多聖場」「開山堂」「入定窟」「天華岩」があり、下山口まで降りると「立石寺本坊」があります。
●多聖場
   塔婆をおさめる場所で、塔婆が土になるまで建てておく、全国で一番塔婆の多い霊場。

●開山堂
   慈覚大師の御廟で大師のお像をおまつりしている。

●入定窟
   慈覚大師の御遺骨が金棺におさめられ、千百余年間今日もなお最も危険な所に安置されている。

●五大堂
   お山で一番眺めのよいところ。五大尊をおまつりしている舞台式の建物。

●天華岩
   山寺第一の名岩でテングの面に似ているところから、別名天狗岩とも呼ばれている。

●立石寺本坊
   来賓を通す客殿。現在は、お山全体の管理事務所となっている。

(参考文献:「名勝 山寺のしおり」)



〔山形TOP〕 〔御蕎麦〕 〔銀山温泉〕