2003/~中学校2年目1学期〜病休の夏休み

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2003/4/13(日):春の混沌

今年は2年生の担任になった。中学校勤務2年目突入。
「学校嫌い」の私が、なんとか規則だらけの中学校生活を1年過ごせたって言うだけでも、すこおしはオトナになったってことか?
それにしても、利己主義功利主義に支配された人間のぞろぞろ生きてるこの世の中で、学校くらいは綺麗事を通せなくてどうする?理想を振りかざせなくってどうする?って思うのだが、中学校ってとこは、恐ろしいくらいに現実的。罪と罰とシステムによってのみ人が動くといっても過言でない。あああ、ほんとに。

今年もクラスの中でいくつかの「学年統一事項」を無視してスタートしたのだが、さてどうなることやら。お願いだから、どうでもいい事はなしにしようよ。あんまりがんじがらめにするのはやめて欲しい。ただでさえ、つまんないとこなんだからさ。学校に来てるだけで、えらいじゃん、子どもたち。

私が今このままの人格で中学生になったら、やっぱりガラスの2,3枚は壊すかもね。

なのに、不思議。私は今年も中学校教師。


2003/4/17(木):少年のいる教室で

今日、1つの行動を見た。教室。

原因。ふざけていた男子が話しのついでに、笑いながら、隣に座っていた男子の頬をぴしゃっと叩いた。結果。その男子はそばにあった雑誌を掴み、全力で相手の頭に叩きつけた。

「ズバン!!」

と、厳しい音がした。私の視界のはじっこに、素晴らしく長いストロークで振り下ろされる腕が映った。派手な音に思わず振り向いた。叩き終えた雑誌はその勢いで中身がすっ飛んでいる。表紙だけ鷲掴みにして、彼は目を見開き、硬直してわなわなと震えていた。

「どうしたんだい。何があったの」
「僕が先に手で叩いたんです。それで…」
「それにしちゃあ、過大な仕返しじゃあなかったかい?」

小さく頷く彼。自分の行動に自分自身が驚いているようだ。紅潮した頬。

「今、叩き返したくらいに叩かれたと思う?」
少し首をかしげる。ああ、この子は大丈夫だ、と思った。
「君はどう、こんな風に叩き返されるくらいに叩いたのかな」
「はい…」
「そっか。じゃ、お互い様だって思えるのかな」
二人とも深くうなずいた。

二人とも妙に素直だった。もともと気心の知れた仲、穏やかな性格の二人だ。まさかこんな展開になってしまうとは、お互い思っていなかったのだろう。とんとん、と軽く背を叩いた。彼の背は、ぴん、と緊張していた。

「大丈夫?もう、落ち着いていられるかな」
「ハイ…」
小さな声で答えた。…こいつ、頑張ったなあ、と思った。

少しずつ大人になる心。傷つきやすいプライド。中学生だなあ、と実感した。今日の事はじっくり考えてもらおう、と思った。その振り下ろした腕の意味を。とても大切な成長の一場面なのだと思う。

掃除のあと、彼にちょっとした仕事を頼んだ。さっと引き受けてくれた。ああ、本当に、いい子なんだなあと、つくづく感じた。


2003/4/29(火):遅い春の景色

部屋の中が何だか蒸し暑く感じられる。私の苦手な冷たさに肩をいからせる季節はもうすっかりさよなら?何だかそう考えると嬉しい。

ここんとこ仕事上では他学年の生徒の荒れ放題な態度にちょっとイライラしてたけど、(しかもどんなことになるか想像もできずに問題のある集団を押しつけるという、学年の無責任さにはあきれたけど)まあ、やっぱり結局は自分にできることの最善を日々尽くすのみ、ということなのだと思う。私は私なんだ。そのままの自分をしっかりと表現して、あとは子どもたちを信じようと思う。それでうまくいかなければ、私には中学校教師の資格がないんだと割り切って転任希望を出そう。うん。それでいいや。だからもうくよくよしない。選択教科の教室に反社会的なやんちゃどもが10人いようが11人いようが、そいつらの態度がどうであれ、彼らの提示してくる問題に素直に向き合いながら、私は一人一人を尊重し、美術を、国語指導を、ごく誠実にやっていこう。それでいいと思った。結局。

今日は赤城の大沼へのドライブに連れてってもらった。そうしたら山の斜面の所々に、ほっこりと淡いピンクの彩りが、可憐な綿帽子のようのようにぽつん、ぽつん…。ようやく春がやってきたんだなあ。
こんな山の中、誰も訪れない斜面。花たちは誰にも気付かれなくたって、誰にも褒められなくたって、静かに黙って美しさを身にまとっている。春の喜びを、ひっそりとたたえている。
木々の新芽も、薄緑にそれぞれに柔らかく、煙るようにふわりと濃淡をつけている。私はそんな雛鳥のうぶ毛のようにいたいけな新芽の山々が大好き。春の色。

くねくねと続く山道のせいか、急な気圧の変化のためか、やがてきりきりと頭痛に悩まされたけれど、でも、今の私にとってあの自然の誠実な美しさにはすごく戒められた気持ち。行って良かった。私もあんな風に、誰にも気付かれなくてもいい、ひたすらに、喜びを忘れず、美しく生きていきたい。


2003/5/4(日):東山小学校への手紙

はじめまして。5月3日、そちら、東山小学校の牛太郎の健闘ぶりを見させて頂きました。

 先日、HPの食情報のサイトを何気なく覗いていたところ、「へぎそば」という「ふのり」を入れたお蕎麦が小千谷市にあると偶然に情報を得ました。

そこで、連休中に友と食べに行ってみよう、と、3日、関越を飛ばして小千谷市に向かいました。
噂のお蕎麦屋さんにようやく到着し、店内に入ると、偶然にもそちらの地域での伝統文化、「牛の角突き」が見られるというポスターに出会いました。そこで、食後に、ぜひにと初めての「角突き」を見に出かけました。

 人対牛の闘牛ではなく、牛対牛の正面からのぶつかり合い
どの牛たちも精一杯の力で真っ向勝負に挑んでいるところ
勢子たちのいなせな身のこなしと掛け声
そして何よりも誰もが牛たちを愛して どの健闘も暖かくたたえている雰囲気に、心を打たれました。
とりわけ、東山小学校の牛太郎が入場したときの観客のみなさんの声援と
子どもたちの姿には胸が熱くなり、総合の学習の時間に牛太郎と関わりながら、この大きな仲間を愛し、郷土の文化を伝承している子どもたちの姿が目に浮かび、気がつくと涙がこぼれて止まりませんでした。

素晴らしい貴重な体験をしている子どもたちにも応援を送るとともに、こんな価値ある取り組みをなさっている地域と、学校の皆さまに本当に心からの敬意を表します。
その感動を分けていただくことができ、心からこの日の偶然の出会いと角突きに携わる皆さまに感謝いたしました。

 生まれて始めて見る角突きに、暑さも忘れて凝視し、中休みには 体に力が入って肩が張っていることに気づいて思わず大きくのびをしました。
戦いを終えてゆったりとつながれている牛たちの所まで行って

「ごくろうさん。ありがとう」
と声をかけて帰ってきました。

本当に素晴らしい1日となりました。
どうぞ、東山小学校のみなさん、これからもいい勉強を重ねて下さいね。 また、角突きを、地域の文化を守り続ける皆さまの今後ますますのご健闘をお祈り申し上げます。

機会を見て、またぜひ観戦に出かけたいと思います。本当に本当に、素晴らしい感動をありがとうございました。  


2003/5/8(木):いいとこあるじゃん

今年は教室と美術室という、やや離れた2カ所の清掃監督をしなくてはならないakyaなのだが、どうもなかなかその両方へ均等に参加できない。からだを二つに分けて、両方で子どもたちとワイワイ言いながら掃除したいんだけどな。う〜ん、どうしたものかなあ、と考えてた。
で、ついつい、汚れのひどい美術室へまず行くようになってしまい、教室へ戻るともう掃除は終わっているということがしばしば。ちゃんとやってんのか?やけに早いぞ。そして、やっと昨日、教室掃除だけを見ることができた。

箒で掃きながら速さの秘密がわかった。彼ら彼女らの掃除は、まあ、豪快。
女子たちが雑巾を持つと
「はやく掃いてー掃いてー」
と男子に向かってはやし立て、男子は追われるようにせっせと箒を動かしてる。
それからtomo・aya・saki・azu・momiの女子ばかり5名のずらりと並んだ「雑巾暴走族」が、教室の床をびゅ――――――ん!びゅ――――――ん!びゅ――――――ん!びゅ――――――ん!と一気に駆け抜けてあっという間に水ぶき完了!はやっ!!雑っ! ビックリ。

「いつもみんなで雑巾がけ?」
「ハイ!」

「雑巾がけ好きなの?」
「まあね!」

にこにこうなずく「族」の面々。あらまあそうですか。教室掃除の“ちょっぱや”な理由がよお〜〜〜くわかったさ。まあ、女子の勢いがあるって、いいことだ。これからも頼んだぞ!雑巾暴走族!でもさ、もうすこ〜し丁寧にしてよね…。


2003/5/9(金):いいとこあるじゃん・その2

「先生、あじさいの枯れた花、もう切った方がいいですかぁ?」
kuriちゃんがあじさいの水やりをしながら質問してきた。
「そうだね、じゃあお願い」
「はーい!」
うちのクラスの男子3名。めちゃ働き者。掲示物も植物の世話も、彼らに任せっきりで今年は大丈夫。ありがたいことだ。

てなワケでこの日はささっと剪定もしてくれた。で、matsuが切った枝を持って来て、
「あ、先生、この枯れた花、どうしたらいい?」
「仕方ないよね、捨てて下さい」
するとmatsuが上目遣いにややテレ気味に小声で
「んー…Present for you ?」
…ん?彼のギャグを初めて聞いた。割と引っ込み思案な彼、こんな風に関わってくる子だったんだあ…。そこでちょいとぞんざいに返した。だってさ、嬉しくなっちゃた。
「なんだよ、枯れた花だからワタシにぴったりってことか?ああん!?」
「あ、イエイエ…え〜…ハイ、すてます…」
可愛いヤツだ。う〜ん。やられた。


2003/5/12(月):家庭訪問

また家庭訪問の時期が来た。正直、苦手だ。話をするのも聞くのも好きなんだけど、露骨に前担任の悪口をまくし立てるお母さんや、部活顧問への批判をぶつけてくるお父さんなどもいて。それも、わりとたくさん…。
私にも愚痴を言いまくったら、それですっきりするってことはたくさんある。とりわけ、相手が親しく心を許している人であれば、単なるわがままに近いようなぶーぶーも、話してうなずいてもらえればそれだけで辛さも半減する。
だから、保護者の皆さまのそんな言葉を聞くにつけ、私はまあいわば言葉のゴミ箱みたいなもので、そこに吐き捨てたら、それですっきり満足するということのお役に立てればいいんだよなって思うのだが…。続くとこれがけっこう痛い。精神的に。

さらにそのせいで、計画通りに家庭をまわれなくなると憂鬱になる。今日も一生懸命時間を意識していたが、またいつもの学校批判、前担任批判、部活批判が始まった。それもフルコースで。ああ、こりゃダメだ。上手く切り抜けないと…。
で、遅れてしまう。ああ、急がなきゃあ、と、アクセルの踏み込みが深めになってどきりとする。いけないいけない!安全運転で行かなくちゃあ…。

そして、また予定より20分遅れてしまった…。待っていて下さったのはお父さん。申し訳なくて、いきなり平謝り。そうしたらお父さんは穏やかに
「いや、いいんです。ただ、この後また仕事に行かなくちゃあならないので、時間があんまりなくって。すいませんね…」
ああ、なんてことだ…申し訳ない…

そのお父さんは朝早くから夜遅くまでの仕事をしているんだって言う。さらにその後もう一つアルバイトだって。こんなに重労働をされている方もいるんだ。そんな風に身を削るようにして働くご両親が、やっと得たお金で、一生懸命子どもたちを育てていらっしゃるんだ。何かと反発ばかりしてしまう今の時期の子どもたちだけれど、両親の思いをわかってほしいな。

庭のお花が素晴らしく素敵なご家庭や、通された和室から小さな裏庭がまるで京都の庭園のように美しくしつらえてあるご家庭がたくさんある。一方で、小さなワンルームアパートの一室に家族6人が暮らしている家庭やお母さんとたった二人暮らしの家庭もある。
環境はさまざまだ。でも、どこの家庭からもひしひしと伝わってくるのは、どの親にとっても子どもというのは一様に貴重な存在なんだなあということ。

ただね、その貴重な物への思いに、親がどうしても陥りがちなエゴが絡んでいる家庭がちょっぴり増えているようにも思うなあ。勿論、素晴らしい方もたくさんいらっしゃるけれど。

うん。こんなにたくさんの人生をちょっとづつ覗き見る家庭訪問。1日に7本立てのドラマを観るような一週間だ。


2003/5/17(土):はっしゃ〜♪

♪豊橋発三河川合行き〜♪はっしゃ〜♪

合唱団では今、来年5月29日の公演へ向けて、鋭意特訓中!
作品名は「合唱組曲 カネト」。アイヌ人の測量技手(そくりょうぎと読むらしい。なんでだろ?)「カネト」という実在の人物の業績を合唱劇に仕立てた作品。カネトは天竜峡の難所を命がけで測量し工事に取り組んで、現在の飯田線をその地に開通させた人。難所続きの工事は困難を極め、人里離れた土地のため食料も底をつき、飢えと闘いながらの仕事を強いられた。さらに、アイヌ人であることで、不当な差別に苦しめられる。
今回の作品は、人間のたくましさ、等しく尊い命の素晴らしさがテーマ。鉄道工事が中心のお話しだから男声の出演者の演劇がメインになるので、私たちはそのお芝居を支えるChorus隊ってことかなあ?こうお芝居のたくさん入ってくる作品になると、欲張りなakyaはやっぱり歌だけでなくお芝居もしたくなっちゃうんだな。かつての演劇少女魂(?)が疼く。うん。でも残念なことに、今回の作品の出演者は男の人と子どもばかり。女性もおばあちゃんとカネトの奥さんの役があるけれど、この二人は歌わないからなあ〜。

練習の方は、楽しくっていつも時間を忘れてる。曲数がやたら多くて、なかなか歌詞が覚えられない(いつものこと…だけど…)けど、ストーリーを追って変化のある構成なので、何度歌っても飽きない。今日の練習もあっという間に終わっちゃった。ただ、やっぱり立ち通しだと腰が痛かったり膝が痛かったりと、根性無しのakyaにはしんどいんだなあ。
本番に向けて、真面目にスリムダウンして持久力もつけないといけないかしら…。ああ、誰かトレーニング方法を教えて下さい〜。膝を痛めていなければ、かつてのように毎朝ランニングに出て行くのになあ。ああ、このポンコツ膝め!

早く全曲を暗譜して鼻歌交じりに歌えるくらいに上達したいものだ。がんばるぞ!


2003/5/18(日):にちようびのすごしかた。

今日は高速をるるんと飛ばして沼田ICから玉原高原へ。道中のしりとり迷宮に手裏剣のトラップが待っていたが、(そしてみごとはまったが)そんなことはちょいとしたおつまみ程度のできごとさ。だって山の空気は薄緑の春の色をして私たちを待ってたんだから。

湿原に点在するミズバショウの白さ、コブシの可憐さブナ林の明るさに坂道も木道も素敵なリズムを奏でて足下で跳ねてた。ブナの根本には小さなうろがあって、小人が住んでた。お地蔵様も宿ってた。帰りのクマザサはぴんぴん跳ねて私の顔をぴしりと叩くし、「(有)それゆけ♪電ドラー」は設立されるしで、飽きることなく余すとこなく満点の日曜日。

帰りにはエルベ川から沼田へ続くパスタの謎に胃を直撃されつつ、おみやげいっぱいのラシーンと帰宅。夕食はきのこ三昧でビールもごくごく。

ふうう。今夜は上機嫌。酔っぱらってたってお仕事だってしちゃったもんね。日記も書いたしさ。さあて、もう寝るぞぉ。明日はもうすぐそこまで来ているし。


2003/6/1(日):オバケちゃん≠オバちゃん

正直に告白すると私は最近疲れやすくなっている。やっぱりそりゃあ30代ももうじき終わりに近づいてるんだしさ、いつまでも何しても元気いっぱいって方がおかしくないかい?
それでも、多分、私は同じ年代の人たちよりもやっぱり若く見えるんだろうな。先日も
「あなたは、ある意味オバケだよね、ほんと、いくつ歳ごまかしてる?」
と、まじまじと聞かれて困った。いまだに独身で通ってしまうこの現状はやや納得がいかないが、まあ、どう見ても童顔だし。でもさ、だからって本当に若いワケじゃあないんだよ。肉体的に疲れを非常に感じやすくなった。
しかもここ1年以上、まともにスポーツをしていない。走れなくなった。膝がぶっ壊れたから。泳げなくなった。プールに通うお金と時間がなくなったから。そして体育の授業がなくなった。こりゃイタイ。
さらに毎日仕事のストレス続き。この1年、ああ明日は仕事だ、嬉しい!と思ったことは一度もない。大嫌いな規則にがんじがらめの中学校。それでも行かなきゃあと思うのは、教師の私よりも我慢している中学生に申し訳が立たないと思うから。私にできる何かを求めてくれる彼らがいると思えばこそ、また今日も下がりっぱなしの血圧に頭痛を抱える体をベッドから引きはがし、パジャマから着替えカバンを持って出勤しなきゃあという気持ちになるのだ。
てなわけで、できることなら休日は全てを忘れてのんびりと、家でごろんとしていたい。少しくらいなら太ったっていい。もうスレンダーなお嬢さんじゃないんだし。何しろ最近ちょっと痩せると一気に老けた表情になってしまう。むしろ、両頬に疲れたヘコミと目の下にたるんとしたクマをつくるくらいなら、すこおしぽちゃっと丸くったっていい。そう、お日様みたいに笑える顔なら美人だって思ってもらわなくていい。私らしさ。
だからってぐうたらしてるわけじゃあない…。時には時間をかけてwalkingに出てみたり、部屋でゆっくり手足を伸ばしてストレッチしてみたり。ウエスト60cmだけは維持したい。ズボンのサイズは絶対に上げない。そういうとこにはあがきたいのが女心ってモノさ。

あ、!そういうのっておばちゃん化っていうの?ん?

ま、そうやって過ごしてきたんだけどさ、ここんとこの多忙から、どっちかっていうと机に向かって活動する時間が長くなる傾向。ほらほら、体がなまったこと!もう大変だよホント。


2003/6/8(日):本気のアソビ

今日は苗場へ。スキーの苗場。そしてFuji Rockの。

目的はIndependence Board Walkの制作ボランティアに参加すること。詳しくはここね。近頃の私にしては珍しく、本気のアソビ。

私なんかにもそりゃあ何かしらできる事はあるんだっていうことの、
みんなでやろう、って声をかけてくれる人がいることの、
一人一人がそれぞれの力に見合った肉体労働に向かえる事の、
同じ目的のために集まった人たちのうっすらとした連帯感の、
素晴らしさ有り難さ心地よさ暖かさ。

いろんな発見があった。

トンカチで、こつん、こつん、って8cmくらいの釘を打つ。その手応えと肩へ背中へとどく響き。釘の一本一本はゆっくりと板の間に潜ってゆくのだが、それらがこれから苗場の夏と冬をさらにどれくらいゆっくりと、じいっと過ごしてくれるのかを思って、多くの人の重みを支えつつ過ぎてゆくその長い未来に続くこつんこつんの作業が愛おしかった。

今日の空気、空の色、木のにおい、仲間の声…決して忘れない。

7月にFuji Rockに行けば、私と今日の仲間の共有した手のひらの仕事にまた会える。
あの日、みんなで笑いながら手を出し合って、へましながら小気味よく打ち付けた板の道。
材木を運ぶトラックの、砂利道に飛び跳ねながら走る荷台に腰掛けて、振り落とされないようにしがみついた。そのうえ寝転がってトラックのジャンプと一緒、頭をごつんごつんいわせて涙こぼして喜んでたあの子のむちゃくちゃな笑顔。きゃあきゃあと叫びながら一緒に風を感じた。
好き勝手にしゃべって、失敗した釘をみんなで抜いて、もう一度支えて打って、またしゃべって、笑って、打って、打って、笑って、打って、打って、打って、真面目に真面目にアソんで少しずつのびたBoard Walk。
そんな思いに浸れるお祭り騒ぎの夏が来るんだなあ。ああ、待ち遠しいなあ。あ、でも、あんまりすぐに来ないといいなあ。

 

 

こんなラクガキをしてきた。誰か見つけてね。

〈今日、みんなと創ったこの道へ____☆ 決して忘れずまた来るゼ☆〉



2003/6/14(土):ho‥ho‥hotaru

仕事帰りの帰り道、「ほたる祭り」のポスターを見かけた。走る車中からさっと日付だけを読み取ると6月14日15日だって。え!今日だ。もうそんな季節かあ…。
私の住んでいるとこの隣の地区にはホタル街道ってのがあって、ホタルをたくさん見ることができる。毎年、ホタルの飛び交うピークの土日がほたる祭り。去年は仲間みんなでワイワイ行ったなあ。

ところで、私の家から散歩10分くらいの所、小さな丘の麓の流れに「愛螢会」という看板が立っている。地域の人々がそのほんの80mくらいの流れを整備して、ホタルを育てているらしい。ホタル街道には遠く及ばないけど、数少なくふうっと息をつくように明滅するつめたい光が、ちらりと木陰に点ったり、道を挟んで反対側の田んぼの畦までゆらりと飛び交ったりする様が、寂しくて切なくて、私は好き。

合唱練習を終えて帰宅し、夕食を食べてもうじき23時。すっかり眠くなっちゃったけど、ゲンジホタルの命はほんの1〜2週間、この時期を逃すともう来年まで会うことができない。えい、行ってみよっか、と、散歩がてら「愛螢会」のみなさんの愛螢(まなほたる?)を見に行くことに。

今日は昼過ぎからこの時期のお手本のようなしとしと雨。何かやる気のないような、めんどくさいけどまあついでに降ってみるよ、てな雨。で、夜空は星一つ見えない。田植えの済んだばかりの田から吹く風も、水気を含んでぺたりと肌に張り付くようだ。でも、雨蛙の大合唱に合わせて、おともの老犬Luckyの足取りはすこぶる快調。午前中に一度o-taniさんが散歩に連れてったって事なのに、綱をぐいぐい引っ張って、まるで警察犬気取りの道案内。全然役に立たないけど。

ようやく川辺に近づくと、遠くに小さな光がふわっと浮かんだ。いたいた。
ホタルは日没後2〜3時間くらいに一番光を放つそうだから、もう本日は消灯(?)かなと思いきや、やっぱりホタルにも夜遊び好きはいると見えて、木陰に、川辺に、畦道に、弱く眠たそうな薄緑の光がゆらゆらっと光っている。素敵だな。草陰のホタルを手のひらにそっとうつして間近からのぞいたら、ホタルの細長いおなかの先っちょから、小さなネオンが灯るように薄く蒼い光が放たれていた。思ったよりもたくましい輝きだった。

うっとりとその様を眺めながら時を忘れていた。蛙の鳴き声はますます高まって闇に溶けた。


2003/6/21(土):はみんぐ

ここのとこ声楽の練習にかよっている。私は大きな声で歌うのは好きだけど、ちゃんと勉強したことがないからきれいな発声で歌うのってどういう事かよく分かってない。なのにコンサートではお客さんにソロを聴いてもらっちゃったりして、よく考えると冷や汗ものだよなあ。しかもCDまで出しちゃってて…う〜ん。今さらだけど、考えてみると恐ろしい…。
で、ちゃんと勉強しなくちゃあなあ…と、学先生にレッスンしてもらうことになった。基本的な発声から練習中。でもなかなか柔らかい美しい音色で歌うのって難しい。それでハミングで喉の奥をしっかり開けて自然な声で歌う練習をしている。正直言ってイライラするくらい難しい。
ハミングって、う〜…とかむ〜…とか口を閉じて鼻の奥に声を響かせて歌うアレ。すごく苦手。なんか、奥の方でひくぅく響く音って自分の声なのに聞こえないんだもん。

今日、合唱団の練習にウラジミール・ジバエードフさんが来てくれて私たちの前で歌ってくれた。2曲目は以前私たちの合唱団のコンサートの時も歌ってくれた「鶴」という曲。この曲は広島の平和記念公園に掛けられているたくさんの折り鶴に感銘を受けたロシアの作曲家の方が平和への祈りを込めた兵士の心情を歌った曲なのだとか。今まで何度か聴かせて頂くチャンスはあったけれど、そんなテーマの歌とは知らなかった。
その歌の中で、ハミングの部分がある。けっこう長い。今までなんと言うことなくいい曲だなあって聴いていたジバエードフさんの歌なんだけど、今日はもう、私の目も耳も、もう全神経がジバエードフさんに釘付け。ハミングなのに、何であんなに美しく良く響くんだろう。

ジバエードフさんはロシアの功労芸術家。国立ハバロフスク交響楽団のバリトンソリストで俳優でもある。素晴らしい声と表現力のある本物の歌手。すごい人なのに、私たちのとこみたいな小さな合唱団に親しくして下さって、優しい笑顔でいつも私たちを励ましてくれる。そう言えば以前、私のCDレコーディングの時ちょうど日本に来ていて、学先生のとこにいらっしゃった。なぜかおみやげが温泉まんじゅうだったなあ…。

今日は一生懸命聞き入っていて、それだけでぐったり疲れてしまった。ジバエードフさんの歌声は今までになく私には大きな衝撃だった。あのハミング…スゴかったなあ…。
まあ、疲れは暑さのせいもあるかもしれないし、ここんとこの仕事の多さにバテ気味であったことも事実だけれど。ううう。へとへとへとへと。。。


2003/6/22(日):久々にのんびり

今日は久々に何にも予定のない日曜日だった。夏休みまで後1ヶ月で、通知票書きの恐怖も目の前にあるにはあるのだけれど、まあ、嵐の前の静けさ?

午前中は背中と腰と肩にここのとこの仕事の疲労がたまってたかのような激痛が走っていてノビてたけど、朝方の仕事を一通り終えたので1時間くらい眠ったら、少し回復していた。で、ひとりで買い物に出た。
明日がやすちょの誕生日なのでケーキも買った。ケーキって、上にこってりとのっかてる生クリームが苦手なんだなあ。けど、やっぱりあの白いデコレーションを見ると何だか心が華やぐのね。ふしぎ。

梅雨も中休みで今日も暑い。おとといは伊勢崎市で日本一の暑さを記録した。今年もまた殺人的な暑さの日々がやってくるわけだけど、それでも私は夏が好き。暑いの大好き。プールに行きたいなあ…海に行きたいなあ…なんてぼんやり考えてる。

今日はいいカンジ。こんな風にからっぽの自分になれる日も必要だよね。


2003/6/30(月):お返事from新潟県小千谷市東山小学校

嬉しいmailが届いていた。東山小学校の6年生9名と担任の先生から。
2ヶ月近く前、この日記にも書いた。牛の角突きの感激を、牛太郎の「同級生」と、そのまわりで地域の伝統を継承しようとなさっている方々に伝えたくて送ったmail。そのお返事を下さったのだ。忙しい校務の合間に、担任の先生に御迷惑をお掛けしちゃったかなって思う。でも、返事を欲しいとは思っていなかったのに、やっぱり、気持ちが伝わって、通い合う心があったって事に感激。

土地は離れていても、私の知っている6年生とおんなじように子どもたちは子どもたちなんだな、嬉しいな、と思った。以下は、今日いただいたmailの抜粋。


いただいたメールを6年生9名で読ませていただきました。
自分たちががんばっている姿を見ていただいたり自分たちの自慢の角突きのよさを感じていただいたりして子どもたちと喜んでいます。
以下は、子どもたちが書いたものです。これからも引き続き子どもたちとメール等を通してやりとりをしていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

こんにちは。闘牛を見に来ていただきありがとうございました。
小千谷市には、闘牛のほかに、錦鯉もさかんです。今度いらっしゃる機会がありましたら、東山小学校にもぜひ来てください。

こんにちは。闘牛を見に来てくださり、ありがとうございました。
今度来る時は、ぜひぼく達に声をかけてください。

はじめまして。
牛の角突きを見て、感激してくださってありがとうございました。
僕達は、5年生の頃から角突きを見ていますが、 総合で勉強したのは今年からです。
牛太郎は、まだ年でいうと、4才なのに、がんばっているなぁと思いました。
また、闘牛を見に来てください。
次の闘牛は、7月6日です。
是非来てください。 メールありがとうございました。

闘牛をみている時
「よしたぁーい」と言うのは聞こえましたか?「がんばれ」という意味です。
そうすると、闘牛は目を真っ赤にして 「勝つぞ」という気持ちになります。
まだまだいっぱいやっていることがあります。
また、新潟県小千谷市に 闘牛や錦鯉を見に来てください!!

こんにちは。メールをくださりありがとうございました。
東山では、闘牛の他に錦鯉がさかんです。とてもきれいなもようや色をしています。また東山に来た時は、錦鯉も見てください。

こんにちは。5月に熱い声援をありがとうございました。ぼくたちは、総合では、今はあんまり闘牛のことを勉強してません。なので、闘牛のことをあんまり知りません。だけど闘牛の時に学ぶこともあります。これからも、熱い声援よろしくお願いします。

はじめまして。
先月の闘牛を見て、メールをくださって ありがとうございました。私達の活動を見てくださったり
闘牛の良さを知ってくださって、とても嬉しいです。
私達も、分からないことがたくさんあるのでこれからも学んでいきたいです。
ぜひ、また、ご家族やご友人と一緒に闘牛を見に来てください。
お待ちしています。

はじめまして。お手紙ありがとうございます。ぼくは、闘牛を大勢の人に知ってもらって 大勢の人に見に来てもらえるようにがんばっています。これからも応援してください。

はじめまして。メールをありがとうございました。こんなに感激してもらってうれしかったです。今、総合で地域のことを考えています。東山地域では、牛の角突きと錦鯉が有名です。今度またくる時は、錦鯉も見ていってください。僕は、もっと大勢の人に牛の角突きのことを、知ってもらいたいです。さようなら。


2003/7/ 1(火):チャレンジウィークのパンフレット

実は先週の日曜日から首の痛みがひどく、ここんとこホント、我慢の日々だった。明日はMRIで頸椎の状態を調べに行く。ここ1.2年は体のあっちこっちの不調がずっと続いている。自分ではそんなに何かが変わったという実感はないのに、あっちが壊れ、こっちが壊れ…自分の体に対する思いやりのなさが形となって表れてきたのか?
そもそも体のために何かをするなんて事は、今まで考えもしなかった私。結局痛い思いをするのは自分なのだが、まあ、そんなことは自業自得なので仕方ないにせよ、仕事を休んだりすることで人に迷惑をかけるのが実に苦痛だ。少しは自己管理しなきゃあね…。

で、だましだましを叱られつつも、やらなきゃあならないことはたくさんあるので、じっとしていてできる仕事ばかりすることになる。つまり、PCと向き合う時間が増える増える。

この1週間は、ずっとうちの学校で実施することになったチャレンジウィーク関連の仕事ばかりしている。パンフづくり。

やってみて、つくづく、グラフィックデザイナーの方ってすごいなあと思う。けっこうな手間だ。最初は楽しいんだけど、すぐにあっちが少し、こっちが微妙に、と気になってくるともう大変。はまりこんじゃうと時間はすぐ経つし、メモリ不足からPCの動きはどんどん鈍くなる。私はイライラしてくる。あ〜★

せっかくだからできたのをここで公開しちゃおうかな。でも個人的な作品じゃあないからまずいんだろうなあ…。え〜ん、どなたかご批評を下さい。
自分一人でやってるとね、何かもうどうでも良くなってきちゃうのね。

ふうう…。まずは、学校に持って行ってだな。うん♪


2003/7/11(金):頸椎間板ヘルニア

↑…っていうヤツだった。MRIの結果は。
第5頸椎の上と下両方の椎間板がしっかりはみ出てせき髄の神経の束を押しつけるようにしてた。よこ断層写真で見たら、他のところでは丸い断面の神経束なのに椎間板ヘルニアのある周辺はぐにゃっとへこんだ形。たて断層写真では第4/5と第5/6と第6/7の3枚の椎間板が骨の間から後ろへずれている様子が映ってる。上の2枚が特に派手に神経へめりこんで突っ込んでた。こんな風になってたのかぁ。へええええ…。と妙に感心したのが7月2日。そこから1週間が経過したけど、状態は良くなったり悪くなったり。痛みとの果てしなき戦いだ…。困るのは右肩右腕右手に走る痛みと激しい痺れ。時にはメソメソしたくなるくらい痛い。まったく困ったもんだ。しかもこの忙しいときに。通知票はどうなるのさ。所見はまあ、このらびちゃんにお世話になってぽちぽち打ち込みながら書くとして…。う〜む。 仕方がないからぱそと遊ぶ時間が増える。この間、チャレンジウィークのリーフレットの仕事もなんとか仕上がった。こんなことばかりしてるから、首に過度な負担がかかったのかなあ?
ま、そんなわけで、できたパンフはざっとこんな。あはは、個人写真が多すぎてこれ以上鮮明に見せらんないのね。でも、「痛みに耐えつつ作成された記念の作」ってことでここに公開。これを手にする学校区のみなさん約1500名は、このリーフレットがベッド上で作られたものとはつゆ知らず…だよね。もちろん。

ふうううう。しかし、いくら脳天気なakyaも、少しくらい滅入ってるかなあ。こんなことではせっかく大好きな夏が来るってのに、お気楽元気に遊べなくなっちゃうじゃあないかぁ。

しかし、なんでまたこんなことになったのか。やれやれ。

とりあえず、寝る。それしかできない。


2003/7/22(火):Long Vacation

ああ、おそろしいかな。夏休み。
今日から1ヶ月の診断書が出た。もうこの夏はべったりと夏休みだ。しかもベッド上だ。あらら。

優しい大島整形外科のお医者様の紹介で、高崎市にある某脊椎専門病院へ。

今日の医師はやたら手荒だった。ただでさえ痛む首筋から肩胛骨のあたりに激痛走りまくり。…あのさあ、午前の診療を早く終わらせたいのはわかるけど、そんな雑な扱いするの?私は故障中の機械じゃあないのよ!…ったくぅ!う゛ぁ〜!!!もうごめんだぜこんな医者はぁ!
ってなわけで、
「継続して1ヶ月は入院の必要があるので…」
のお言葉を聞き終わらぬうちに即
「少し家で頑張ってみます!」
と、そりゃもうきっぱりと断言。やだよあんなとこ。
だから私は今日から自宅静養。この夏が涼しい日々であることを祈る。農家のみなさんごめんなさい。


2003/7/27(日):下ソデ裏にて

私にとって2度目のギター・マンドリン部定期演奏会。今回私のできることは限られてる。重い物は持てないし、腕が自由にならないから指揮もできない。でも、昨年の経験を生かして、演奏会がスムーズに進行できるよう、裏で指示を出すことはできるはず。だから入念にタイムテーブルを組んで、頭にたたき込んだ。これは前日までの仕事。

舞台監督は昨年もお世話になった文化会館の”Chief”ことT.U氏。昨年お世話になってから、会って話すのはまだ数回のChief。なのに、顔を合わせると一瞬で他人行儀の壁を乗り越えちゃうカッコいい「あにぃ」って感じの人。私のような素人の要求に応えて、進行や照明や音響までを丁寧に演出してくれる。そしてもっとこうしたらよくなるってとこは的確にアドバイスしてくれるし、一見無愛想だけど実はすごく親切。そして皮肉たっぷりのギャグを飛ばしつつ、優しすぎない(コレPoint高い)ねぎらいの言葉をかけてくれる。しかも、実はツッコまれ好き。ヤツは女のあしらいが上手いぜ、ホント。
Chiefとおしゃべりしてると、舞台作りの楽しさを実感できる。ことしもありがと。Chief!

演奏のデキはまずまず。かな。忙しい準備期間だったにもかかわらず、顧問Tunaちゃんの音楽指導が立派だったから、曲数のわりにどの作品もまとまりよく仕上がった。次はコンクールかぁ。あの子達、もう少し演奏に表情が欲しいんだけど、なかなか素直に向上していかないのはなぜか…。それとコントラバスの象のいななきのような轟き(!)とギターの極端な音量差を改善して…。指揮者の手腕次第かな。TBSコンクールまであと1週間だ。がんばれ!Tunaちゃん!!!

開演前、焼きたてのコッペパンみたいににこにこと、N先生が私とTunaちゃんに花束を持ってきてくれた。いつも睨みをきかせた生徒指導で、生徒からは恐れられる存在の彼。実は愛想のいい照れ屋って一面もある事、みんな知らないのね。で、花束贈呈のとこで、今年も強引に「職員ギタマンファンクラブ様」からの花束贈呈ってことにして、彼を舞台に上げちゃった。あはは。裏方の特権ってヤツさ。
「だって、俺今日ヒゲ面だし、靴なんかサンダルっすよぉ…」
ふだんはかっこよくトランペット奏者で舞台に上がるN先生の、メチャメチャ照れてた表情に大満足。来年もよろしくぅ♪

時間もほぼ予定通りに、そして何のアクシデントもなく無事終了。かなり首と腕と肩は痛んだけど、1日頑張ってよかったなぁ。舞台っていいよね。私もまた舞台に立ちたいな。クラブでも、ホールでもいい。とにかく思い切り歌いたい。…この首、はやく良くならないかなあ…。


2003/7/31(木):夏休み

今日は久し振りに太陽が顔を出して暑くなった。オイオイ夏よどうしたってのさ。あいさつが遅すぎやしないかい?まったくぅ。今年はいまだ梅雨明けせず…。

下の方に、今年の夏は涼しいといいな…なんて書いときながら何だが、こうパッとしない天気が続くと気分イマイチ。曇り空の嫌いなakyaとしては、やはり暑くても良いから青空を眺めたい。だから今日は何だか嬉しい蒸し暑さ。家中の窓をえいやっと開け、風通し良くして、カランカランと氷をグラスに入れコーヒーを落としてごくごく。お花の水を換え、フロアに掃除機をかけてお洗濯。ふううっ。久し振りにのんびりと家事。

お昼はそうめん。ああ、夏だなあ!あいすこーひーにはちみついれてまたごくごく。真っ赤なソルダムと冷やしたトマト。ん〜。ようやく夏休み気分。

午後から久し振りにTVで映画を見た。Michael DouglasとDemi Mooreの「Disclosure」。内容は女性としてちょいとカンに触る設定ではあるけれど、まあ、面白かった。

そしてお洗濯を取り込みたたんでフローリングに寝ころんだ。冷たくって気持ちいい〜。久し振りに動いて、そりゃ体は痛むけど、やっぱ、気分いいな。

網戸の向こうからヒグラシの声がするよ…。


2003/7/31(木・夜中に):君がいた夏

夕暮れの遅い夏。バイトに出かけたやすちょの帰りを待ちながら、ゆっくりと夕食の準備。彼の帰りは21:30の予定。焦ることもなし、ときおり手を休めては静かに夜の気配を感じていた。
あかりは流し台の上の蛍光灯とガスコンロの上のきいろい電球の光だけにして足下に寝そべる猫のawabiとおしゃべりしながら。もうこんな時間だもん、夕食前だけどいいや、ってビールの缶を開けてawabiと乾杯。

ふしぎ、今夜はたくさんの夏がよみがえってくる。
古い下宿の3階で、初めて一緒に夕食を共にした人のこと。素麺茹でるの上手いんだぜって、プラスチックの薄いピンクのボールとざるを得意げに見せびらかしてた。
大学生協組織部室のかびくさいソファーに沈み込んで、よたよたの二人、背中合わせで支え合ってた夜。コンパで飲みすぎたビールを忘れるまで…と、結局一晩中語り明かした。
雨にけぶる遠花火を見ながらデッキによりかかって少し悲しい話をしたこと。みんな一人一人違う夏を抱えてた。私の作ったカルパチョを長ーい竹串でかわりばんこにつっついた。
鹿児島商工2年生キャッチャーの田村恵君。試合後の一点を見つめる眼差し。「僕たちは、まだここにふさわしくなかったんです。来年、必ずまた、ここに来ます。」
クルマの向こうで心を決めかねて自分の指先ばかり見つめながらいつまでもしゃべり続けてた人のこと。あれ、らあめんやさんの駐車場だったなあ…。ちっともロマンチックじゃないところがその人らしくて。
大輪のスターマインを見ながらこちらを振り返って、娘のようにはしゃいでた母。カンナの花がじゃまだなあってしきりと笑ってた。

夏の夜。


2003/8/3(日):合唱のお誘い

嬉しいことに合唱に助っ人参加して下さいというお誘いを沢山いただく。今日は大胡から。この間は伊勢崎の合唱団から、先週は聞いたこともない埼玉県内の合唱団から、CDのソロを聴いて、ぜひうちのソロで参加して欲しいと連絡があった。その前は藤岡の人とか言うことだけど、
「『ぞうつかいの娘』役を見たのですが、一緒にミュージカルでやってみませんか」
というお誘いが。本庄市内でやってるとか。夏休みに入ってから全部で4件の連絡をいただいた。すごく嬉しいし、すぐにでも「ハイ」とお返事したいのは山々だったのだけれど…。

でもねえ…。そもそも知らない人たちとやっていくのは自信ない上に今年はこんな風に仕事まで休んでおきながら、たとえ数時間でも舞台に参加するってのはどうかと。体調が万全じゃないからきっとまた迷惑もかけることになっちゃうだろうし。せめて秋になってからなら…。

というわけで、みなさんごめんなさい。もう少し、akyaは活動休止しております。ぅぅぅ…せっかくのチャンスなのにね。


2003/8/5(火):HP

今日はiroiroぎゃらりの写真ページのレイアウトをいじってあそんでた。
やってみるといろんなアイディアが浮かんで来るもので…うん、なかなか楽しかった。
こんなことが出来るのも長いオヤスミと、じっとしていなきゃあいけないっていう行動制限のおかげかな?何だって見方を変えりゃあ、楽しさが見えて来るもんだなと実感。

この日記のBackNumberページも少しいじってみた。コレもやり出すときりがないなあ!HTMLってスバラシイ!!


2003/8/10(日):高校時代さいこおです

Sappyにご招待を戴いてK高校の吹奏楽部定期演奏会に行ってきた。
正確には「吹奏楽委員会定期演奏会」です。部じゃなく、委員会組織なのね。学校の必需品ということだね。なるほど。

先日の県内高校の吹奏楽コンクールの日、
「第2位の金賞だった!初出場で!」
とSappyから興奮気味の電話をもらい、私まで自分のことのように嬉しかったし、今日の演奏会だけはどんなに具合が悪かろうと行くぞ!と決意していたのだった。そして、いやあ!もう!今日は感動!キミらに脱帽!!

のっけから金賞受賞曲「マーチ『ベスト フレンド』」を聴き、滑り出しの1音でもう鳥肌。音色がもうそりゃばつぐんにいい。
ここ1年ほどは音楽コンクールに参加することの多いakyaなので、全国レベルの吹奏楽団の演奏を聴く機会が多い。でも、こんなになめらかでバランスのいいハーモニーの吹奏楽を久し振りに聴いた。マーチのリズムにぱりっと歯切れのいいパーカッション、グラマラスなベース、艶っぽいハイトーン!それぞれの音が素晴らしく厚みもってうねり迫ってくる。ゴージャスな響きの大津波がきらきら光りながらクライマックスへとおしあげる。のぼりつめる。

すっごい感動だった。いい演奏って、そこにいる自分を忘れさせる。

2部には、ああ、男の子、おまえらはそういうヤツだよな、よしよし、ってカンジの、なまっちろい筋肉の躍動とおきまりの女装とドスのきいたShoutのジュディ・オング。オクターブの階段を一足とびに跳び上がる落っこちる。
お芝居のギャグはすべりまくりで痛々しい笑いを誘う。ああ、高校生はこうでなくっちゃ。ハズカシイことこそが美しいのサ。キメが「元気ダマ」かよ、ヲイ!

最後の「テキーラ!」掛け声なら負けないakyaだが、胸がつまって声にならない。
ああ、いいなあ高校時代。君たちはまだまだそのまんま怖い物知らずでいきなよ。もう、全然、とにかく、そのまんまでいいからさ。


2003/8/12(火):私は考える患者さん

今日もお医者さんに。麻痺や激しい痛みの症状が退けたので、私としてはもういい加減仕事に戻りたい気分。
「仕事に出たいのですが…」と言うと、
「う〜ん、もうここまで来ると、ご自分がこれで頑張れるかどうかって事だけですね。痛みなんか、本当言うと雑魚みたいなモンなんです。問題は神経の束へここまで椎間板が何枚もめり込んでしまっているこの状態で、全身へのもっと大きな問題が出て来ないかと言うことですから。どうしても仕事したいというのなら定期的に経過を観察させて下さい。右手右足の麻痺はまだ残っていますし。」
とのお話しだった。
私くらいの年齢で何枚もの椎間板が出てしまっているという例はあまり無い(医師は、「色々な症例を見てますが、ほとんどの場合、老人ですね」とのたまった。なにぃ?老人だってぇ?うむむ…)のだそうで、
「何か特に首に負担のかかるスポーツとか首使うお仕事とかなさってます?」と聞かれた。
あのお…首に負担のかかるスポーツって、何?柔道とか相撲とかレスリングとか?それに首使うお仕事って?…上海雑伎団とか?…ねえねえ、質問する前にさ、ワタシ、そういうのやってそうに見える??え゛〜。

お医者さんって、時々おそろしい質問してくれるよなあ。以前、風邪を引いて頭痛がひどく通院したときは
「頭のどこが痛いんですか?」
と聞かれてびっくりしたことがある。え?どこったって頭は頭じゃないの?
さらに
「前の方ですか横ですか上ですか後ろの方ですか?」
と聞かれ、
「え?今痛いのどこ?どこ?どこ???」ってただでさえ痛む頭を自己の内から探るように考えてるうちに余計痛みがひどくなってしまった。
もう我慢してるのも辛いから、その場しのぎに
「多分後ろの方です」
と答えたら、お医者さんはの〜んびりとこちらを振り返って
「た〜ぶ〜ん?後ろが痛いってココに書いちゃいますよ〜。い〜いんですね〜?」
ああ、お医者さんのいじわるぅ。。。。内心、「どこかなんてわかんねーぞ!あたまはあたまだよ!つまらん事にこだわってないでとっとと診断して薬くれえええ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」って、実際もうぶちギレたいのに、あたま痛くてその気合いが入んないもんだから
「あ、え〜と、後ろに近いななめ横です…」
……。あん?!ほんとかよ。

それとは別の時に他の病院では
「あたま痛いの?どんな風な痛み?」
「え?どんなって…」
「ガンガン痛いの?ずきずき痛いの?きりきり痛い?締め付けられるような感じ?ずーんと重い感じ?後ろから覆い被さってくるような感じ?」
「?」

その他にもメニエール病で初めて通院してたときも
「耳鳴りはしますか」
「はい、時々」
「どんな音ですか?」
…ええっ!?どんなって…
「ゴーってカンジですか?ピーって感じ?それともきーんとひびくような?」
「ぇ……。」
「どっちの耳で鳴りますか?」
!?どっちの耳!?頭ん中だと思うけど…。
さらに
「何秒間鳴ってましたか?」
…もう絶句。そんなの数えてる人いるの?しかし、負けず嫌いのakyaは、その後耳鳴りがするたびに指折り数えることにしたさ。音だってどんな音かよ〜く耳をすまして(?)聴いているのさ。ふんっ。医者なんか嫌いだぁ。

ちなみにその後の入院中、彼は私の主治医になった。回診の際にはどの患者にも
「ま、余計なこと考えないでゆっくりしてくださ〜い」
って言ってた。余計なこと考えさせるのはおまえだよ!まったくぅ。ちっ。


2003/8/16(土):ふたたび六合祭り

今年もhayashiさんの太鼓とあののどかな祭りの雰囲気を味わいに六合へ。
会場に入ってのんびりとお祭り広場を見回すと、ああ、1年ぶりの六合祭りだ。去年と同じ、ゆったりくつろいだ人々の雰囲気。大人も子どもも老人も若者も年代にかかわらずみんな和やかな表情のお祭り。

さて、太鼓にも花火にもまだ時間があるし、ココはやっぱり腹ごしらえ。迷わず足を運んだのは並ぶ屋台テントの一番右端。そう、「グレ−トリッチーズ」でしょう!
去年、私の名前を絶対に忘れないって約束してくれたあのお兄さんと、もう一人、何となくシャイなスポーツ刈りのお兄さんと二人、すぐに見つけた!今年もやっぱりココで串焼きやさんをやってる。

「らっしゃい!買ってって買ってって!もうね、イキがいいからウマイよ。なんつったってこれ、昨日まで、『ふえぇ〜ん』って泳いでたやつだからね」
両手をなびかせて実演付き(?)のお兄さん。もうお酒が入ってる。見れば今年の焼きものはイカ焼きと焼き鳥。もう、こういうお店に来たら遊んじゃうに限るのがakyaの性分なのサ。
「え!?このトリ、泳いでたんですか?すごぉ〜い!」
「あ?あっはっは…ちがうよイカイカイカ!」
ん〜なわかりきったボケでもちゃんとウケがとれるのが田舎のお祭りのいいところ。
「なんだあ〜。じゃあトリは?」
「え?ええと、トリはねえ、こう…庭でコッコッコッコッコ…(実演付き☆)てなカンジだったのを、オレがね、ちょいっとこうぶんなぐってシメて」「そうそう、コイツがちょいっとこう、首かっさばいてね」
「え〜可哀想…でもまあイキがいいということですね」
「そ!うまいよ!でもまだできてないから、名前教えてくれれば叫びますよ」
(でた!去年も聞いたセリフ!)
「そう?じゃ、私の名前は去年お教えしましたからそれで」
「え!?そうなの?やっばいなあオレ、酒入っちゃったから全然覚えてないよお。そう言えばそんなこと言いましたっけねぇ…」
なんて事でその後おしゃべりして結局サービスするよおもお、って焼き鳥1本おまけしてもらった。また来ますね、今度は忘れないでね、って、絶対来てよ、今度は忘れないからさって、話してきた。ふふふ今から来年の六合祭りが楽しみだ♪

その後は六合村のマスコット、「くにっこちゃん」と記念撮影して上機嫌。村長さんから直々にビンゴカードをもらって恐縮し、hayashiさんの太鼓を聞いて、ウン、カッコいい男になったなあと満足しつつ霧雨の中の花火。
6号玉が最大のささやかな花火大会だけれど、なんと言っても打ち上げ地点が間近なのとまわり中が山に囲まれた小さな広場の花火は爆裂音と残響が迫力満点で素敵。
今年はしとしと降りしきる雨に無風状態と悪条件が重なり、空中に開いた花火の煙がそのまま消えず、次々上がる花火の光彩は煙に潜ってほとんど見えない。花火が打ち上がる毎に、まるで雷雲があやしく蒼く紅く光を蓄えるかのように鈍く光って爆音が轟く。山々に囲まれた小さな空いっぱいにため込まれた硝煙に乱反射する輝き。不思議な胸の疼きを感じる。

それはそれでいいっていう気がする。六合村だから。

帰り際、近くにいた20代くらいの若い子が
「ああ!やっぱり六合村の花火がさいこーだよ。他じゃあ1万発だの2万発だの言ってるけどさ、花火は量じゃあねえよ、量じゃあ」
と言いながら帰っていった。
そんなふうに自分のふるさとを認められると言うことが何より素敵なことだと思う。

六合村のお祭り。私もそう思うよ。お祭りは量や規模や数じゃあねえよ!って。


2003/8/18(月):探検隊がゆく

私の夏休みも残りわずかになってきた。この夏休み中にやりたかったことのリストを振り返ってみる。う〜ん。家にじっとしていながら…という条件付きなのにけっこうまだまだ残っていることに気付く。で、今日はHPの作成途中のページ作りに1日を費やしてしまった。

本日作成のContentsは「探検隊がゆく!」。築地市場の探検記をどうしても仕上げたかった。

中学2年生の総合の時間に行う「東京探索活動」の下見として、3月に私は築地市場にでかけたのだけれど、もう、どうしてこんなスゴイ日本の姿を知らなかったんだろう、と、ものすごいショックをうけたのだった。食文化の原点を見るような、人が生きることの熱っぽさを感じるような、築地のあの空気に触れて、頭の奥深くが揺すぶられるようなふるえを感じた。

その上、おじゃました際に、この築地市場がなくなってしまう、ということを案内して下さった秋山さんから教えて頂き愕然とした。移転は決定事項のようだが、なかなかの議論が展開されているようだ。建物が、とか、この地域の人々の暮らしが、とか、ほんの少しを覗き見ただけの私にそれを理解だなんておこがましい、できっこないけれど、でも、ごく控えめに言っても、あの場はそこの空気や人々の営み全てをひっくるめて一つの貴重な文化であり、歴史そのものだ。移転に賛成とか、反対とか、そんなことを言える立場の私ではないけれど、そこに行けばそのあまりにも貴重な存在感を肌で感じることが出来ると思う。少しでもいいから、この感動を表現したい!ずっとそう思い続けてた。

と、そんな想いを抱えつつ、なるべく明るく溌剌とした印象になるように、あの日の私の感動とはしゃぎっぷりを再現できるように作ってみた。う〜ん…ちゃんと伝わるかな。


2003/8/21(木):人間だあ。

久し振りに「登校」した。「出勤」とはちょっと言えない時間に出かけていって少し仕事して沢山おしゃべりして帰ってきた。久し振りに職場のみんなと話が出来た。

考えてみれば大学生の時以来だからもう15年以上もこんなに長ぁ〜く家にいたことはないわけで、本当に久々のLongVacationだったわけだ。ちっとも楽しくはなかったけど。

職場に行って、仕事しているみんなを見てほっとした。あ、日常だ。まっとうな空気の中にまっとうに働いている人がいる。人間だ人間だ人間だぁ。
今の私はとにかく生理的に人間を求めている。さらに双方向の関係があればもう最高。別にうんと親しくなくてもいいの。見知らぬおばあちゃんとだって話が弾んじゃいそうな勢いだよ。実際のところ。
それにしても、人と話をするということはこんなにも自分を解き放つ心地いいことだったんだなあ。世の中の引きこもり君たちは本当に気の毒だ。どんなくだらないことでもお互いに話して思いを感じあうっていうのはすごく気持ちのいいことなのに。やっぱり、人間だよねえ。猫や犬じゃこうはいかない。


2003/8/23(土)その1:決断

「一生のことですから、決断なさって下さい。今しかないと思うのですが」

右足に及び始めた麻痺の影響を懸念して今日、とうとう、手術の予約を取るよう勧められた。手術の時期はこのままの状態で推移したら11月下旬頃になるとか。
今の体の状況は、薬を飲むとか、そんなことではこれ以上良くなることはないし、むしろ、進行するのが一般的だから、ということだ。頸椎の手術。世の中にあるいろんな病気から考えたら、なんて事はないとも思うし、手術なんか全然怖くない。痛みだって、やがては消えるものなら半年くらい我慢してみせるさ。…別に強がりではなく。

でも、イマイチ、信じられない。本当に手術しなくては、このままどんどん体が麻痺していくのだろうか?あのMRIの写真は、本当に私のモノなんだろうか。今のこの足と肩と腕と胸の痺れや痛みは、内臓に影響が出ているという検査のDataは、現実のモノなんだろうか。どうも自分のこととして飲み込めない。

私がいなくたって、家のことはあれでなかなか生活能力のある息子がなんとかやり抜くだろう。40万以上するっていう入院費用と手術費用は我が家のどこをひっくり返したって出てこないが、それははまあ、借金するとかナントカできるかもしれない。う〜ん、医療保険って何か入ってたっけか?入ってなかったような…。
それにしても、入院している間、一体誰が私の洗濯物を片づけるんだろう。入院中、必要な物があっても、どうやって取り寄せたらいいんだろ?病院は家からめちゃ遠いし。だいたい、車の運転できる家族ってモノが私の近くには一人もいないんだなぁ。それちょっとイタイ。
そして何より、ここで失う時間がもったいなくて仕方がない。仕事、休みたくないなぁ。ここで休んだら、来年はもう担任させてもらえないだろうなぁ。入院時期が中途半端だから転任も出来ないかな。第一、手術までの3ヶ月、仕事に行けるのかなぁ。
ま、本当に症状が進行してしまえば、それどころじゃあなくなるんだけどね。どうも実感が…。

いいや。とりあえず、これに関しては少しの間、考えないでおこっと。そうやって、なんも考えずにぽけーっとしてると、いずれ開き直れたり、前向きになれたりするはずだ。私って不思議といろんな事をそうやって乗り越えてきたように思う。さてさて。


2003/8/23(土)その2:うたったうたったうたった♪

今日は下の日記を書いてから医者のはしご。夕方は泌尿器科のお医者さんのところへ。脊髄の病院からの紹介状持って行って、神経の損傷による異常が出てないかどうかの検査。笑っちゃうようなフツーの部屋で、女性看護士さんとカーテン一つ隔てた状態で、検査器具に腰掛けて「おといれたいむ」しなきゃあいけないのよ♪う〜ん☆さいてー。もう、落ち着かないよお、あれ。夢に出てきそう。
その後は腹部のエコーでお腹の中を覗いた。ぐにゅっぐにゅって。不思議な機械が世の中にはあるもんだね。あれで自分の臓器がつぶれたゴムボールの輪切りみたいにスイスイ見えちゃうんだから。お腹に赤ちゃんがいる人もあの機械で子宮のなかみを見るんだね。で、これはきっと男の子ですね、とか、わかっちゃったりするんだろうな。スゴイや。検査中も相変わらず自分のこの現状が不思議でならない私。
結果、明らかな異常が認められるのでこれ飲んで下さいってまた薬が増えた。そして、脊髄の病院への返事のお手紙持たされた。やれやれ。観念して次回病院に行ったら、手術受けますって言うしかないのか。なんか悔しいぞ。ちぇ。

ま、今日みたいに悩んじゃうときはもう守りに入っちゃあダメダメ。もう開き直ってセメで行こうゼ☆ってなわけで、もう一気に合唱にも行って来た。いやあすっきりすっきり♪

久し振りに歌ったら、案外高音域の声が良く出て自分でも自分の声が気持ちよく聞こえる。しかし、しばらく行かないうちにソプラノパートのみなさんがずいぶんたくましくなってて驚き。ちょっぴりみんながんばり過ぎじゃあないの?ってなくらい声張り上げちゃって。多分初めて自分の声が埋没する快感を覚えた。でも、あれじゃぁ、男の人の声もアルトの声もかき消しちゃうよねえ。なんか…合唱的にはマズイんだろうけど、今日はみんなのPowerが愉快愉快。
最後の「命のコスモス」では高音部の響きが脳をくすぐって、なんかむずがゆかった。めっちゃくちゃ腕も肩も痛かったけど、そんなのもうどうだっていい。うたったうたったうたった♪

さて、明日から真剣に今後のことを考えるぞ。今日はさらなる成長のために、学ぶべき事が持ち込まれた日なんだ。きっと。   ありがたや。って思おう。


2003/8/25(月):22:15

虫の声がにぎやかなakyaの家。もう秋だなあ。今日は夕方から雷。轟音と光のセッションを何か不思議にわくわくとして聴いていた。日中はawabiが熱中症気味で帰ってきたくらいの暑さだったけど、雷の去ったあとは、田んぼから渡ってくるひやりとした風に部屋中が清められてる。

静かにCDを聴きながら、まだ眠れない夜。CDはね、Jake Shimabukuroのウクレレ。この夏一番のお気に入りです。音が、風の匂いを変える。きもちいいな。


2003/8/28(木):新しいことはまだまだこれからも

さて、夏休み第2Stageが始まった。今年のオヤスミはどうやら10月15日まで延びたらしい。ん?
ははは。学校嫌いのみなさんごめんなさいね。akyaはまだ当分オヤスミしちゃいます。羨ましい?ふっふー♪…うー…。

9月16日入院、18日手術。椎間板の3枚飛び出たところが頸椎の神経を圧迫しているために、右足や内臓まで神経的な麻痺や障害が出ているので、首の後ろを縦に切って背骨の一部を切り開くんだって。そうやって脊髄への圧迫を解いてやるんだってさ。いたそー。

入院は1ヶ月。その後のリハビリも含め、職場復帰は11月かな…。
実はかなりめげてもいるけど、がんばる。これも新しい挑戦の一つ、と、まあ考えるさ。
病室にデジカメ持って行って、出来るだけ記録を残そうと思ってる。私と同じような痛みを抱える人もいるかもしれないから、これからの経過をなるべく詳しく記録してみようと思って。両手が自在に使えるようになったら、ここのサイトにのっけちゃおうかな。でもどのContents?「探検隊がゆく!」かなあ…。ん?不謹慎?さてどんなことになるのやら。

9月1日からはこのdiaryも当分はakyaの闘病日記になるのかな?なるべく私らしく好奇心いっぱいにあっけらかんと闘病できるように頑張ってみるからね〜。乞うご期待!(?)


2003/8/30(土):ドラマを通して歌う

今日は月末の合唱練習日で「カネト」の通し稽古。フロアの前方に背の高いスタンドがにょきっと立っていてマイクがセットされてる。通し稽古の度に録音してCDに焼いているのだって。ほおお。私にはいまだにメロディのきちんと取れていない部分が残っている。今日のCDが出来上がったら入院中に繰り返し繰り返し聴いて暗記しよう。

プロローグは学先生の静かなイントロのあと「oh―oh――oh―oh――oh―oh―…」と男声のscatから入る。ん?なんかピアノより遅れ気味な歌声。ぅぅぅ…合ってないよ…のっけからちょっとキモチワルイぞぉ。男の人は相変わらず人数が少ない。一人一人の存在感が大きくて、影響力もお互いに大きい。その中でしっかりと正確なリードのできる人がいればもう少し雰囲気も変わってくるのでは?といつも思うのだが実際はなかなか難しそう。人数が少ないから、その分一人一人がすごく頑張ってる。けれど、少ないからこそ頑張りすぎたらそれこそ一人がくっきりと浮いちゃうものね。男声パートには、私なんかより音楽に関わってこられた経験の長い方が多い。きっとこれからだよね。

女声はそれにかぶせて「その昔、空と陸のつながる北海道は…」の歌い出し。さっと眼前に景色がよぎる。果てしない地平線の向こうまで続く北海道の広大な大地。旅行の経験が少ないakyaには見たこと一度もない景色なのだけれど、歌って不思議。詞とピアノとが私を色々な世界に連れて行ってくれる。

その昔 空と陸のつながる北海道は 命あふれる大地でした
けものも鳥も虫も 山も川も海も 雨も風も雲も 水も火も土も
そして人間も みんなみんないのちあるもの
網の目のようにつながり 支え合う 
いのちの大地でした

網の目のようにいのちが繋がり合い支え合う大地 地球。そしてテーマは銀河に繋がり宇宙へと思いをはせ、その命のつながりの中の小さな一員としての人間を見つめる。
アイヌの測量技手川村カネトの生き様を通して、小さな人間ゆえのあさましや哀しさと、人間ゆえの心の偉大さたくましさをともに寄り添わせ、命の存在の等しい尊さを語ろうとしている。この作品は歌うほどにきりきりと心に響く。

私も含めて、おそらくこういうドラマにのめり込みすぎる嫌いは歌い手それぞれの中にあるんじゃあないかなと思った。ついつい情景にひたりこんでしまって勝手な思い入れが歌を支配してしまう。
私は演劇部の部長なんかやっていて、自分が役にとけ込んでしまう変身の心地よさのようなものに満足していた時期があった。中学生の頃の話。いくらでも演技してやる、そんな意気込みを持ってセリフを語っていた。
ある日、私はNHKの加賀美アナウンサーの短い朗読を聴いた。おおげさな声の抑揚はなく、淡々と正確な発音の朗読。けれど時折こちらの心が静かに震えるように、わずか声に力が宿る。気がつくとすっかりその表現にのめり込んでいる自分がいた。衝撃を受けた。本当の表現とはそういった、静かな、内に響く力なんだと思った。
先週と今日、歌いながらずっとそんなことを思っていた。気をつけてなるべく抑えて歌う。学先生も時折、「そこは強く押しすぎ」「そこでそんなに気持ちよくなってしまわないで」と私たちを笑わせながら指摘してくれる。ああ、そうだよな、私たちが客になってどうする、と自分に言い聞かせる。

で、最後の「命のコスモス」のフィナーレに向かう高音域のメロディが、そこまで抑え続けている私の気持ちを解き放ってくれる。去年はまだ(うひゃあ、ここ高いワ…きつぅ…)って思ってたのに、今はすうっと声が滑り出るような感じ。練習を重ねた成果とも言えるだろうけど、一方で、通して歌うことの成果なのだろうな、という気もする。この物語をくぐり抜けてようやくこの曲にたどり着くからこそ歌えるのではないかって。

入院まであと2回しか練習に参加できない。沢山のことをこの2回から学びとりたい。


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