2002/4~8 中学校に勤務して

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7/4(木):スペリングコンテスト必勝大作戦始動!

 どうしてだろう、我が1年4組は4月の学力テストからして異様に学力が低い。なんてったって他のクラスに対して偏差値にして5点近く低い。これって結構ずばぬけた低さだ。一体どういう学級編成してくれたんだとちょいと文句のひとつも言いたくなる。しかし…こういうのって蓋を開けてみないと分かんないものなんだよね、まあ、しゃあないか。
 でも、これがもしも小学校の我がクラスなら徹底的に鍛えながら子どもの良さをほめたり励ましたりして補っていこうものだけれど、中学校では担任としてどんな手出しができたものか、途方に暮れてしまう・・・。
 何しろ担任と言えど、圧倒的に自分のクラスとのふれあいの時間が少ない。私の専門教科は美術。自分のクラスの子どもたちと毎日お会いできるような国語や英語とは訳が違うのだ。給食の時間と掃除の時間、そして朝・帰りのわずかな短学活の時間。その中で子どもたちにどこまで迫れるか、この1学期は悩み通しだった。

 それにしても、この子どもたち、一体どんな小学校生活を送ってきたのやら、ヤケに人を馬鹿にして楽しむ雰囲気が強い。いつも、「そんなんもわかんねん?」「ばかじゃねぇ〜ん」という茶化しが蔓延している。また、「○○の好きなやつはさぁ〜♪」という、好きな子暴露のニヤニヤ話で楽しくってしょうがないような子たち。
 「低俗」「うすっぺら」「自己中心的」…この子らを見ていると、表情に豊かなあったかさをいつも見ていたつい数ヶ月前の日々が無性に懐かしい…。でも、これが今の私の子どもたちの現実。過去を懐かしんでいたって、何にも始まらない。とりあえず、努力することの良さ、ただげらげらとオモシロがることでなく、なにかを真剣にやり抜いて達成した時のよろこびを感じ取れるような経験を何とかさせたい。それも、一部の子どもだけでなく、クラス全体が共有できるような、「なにか」はないだろうか。

 そんな時、「計算/スペリングコンテスト」の企画が提案された。どちらも50問、全問正解答できたら賞状がもらえる。賞状でツルなんてのは私の最も嫌いなテだけれど、でも、今回はこれで何とかクラスを盛り上げたいと思った。「オレたちだって、やればできるんじゃん」
何とかしてその言葉を引き出したい。
 やってみよう。小学校勤務時代、ダテに勉強の鬼で通ってきた私じゃあないゾ。中学校だってやりようだ!

 かくして「必勝!スペコン!!」の特訓の日々が始まったのだ。さてさて。


7/15(月):スペリングコンテスト必勝大作戦・・・結果

 スペコンと計算コンテストでは、やっぱり即効性があるのは暗記物。そうだよなあって思った。だから、今回はもう思い切って、スペコンだけに焦点を当てて特訓することに決めた。だけど・・・第1回目の豆テスト10問の結果はもう悲惨の一言・・・。
 「baseball」の書けない野球部員、「basketball」の書けないバスケットボール部員は当たり前。「Hello」も「Thank you」も書けない子がクラスの7〜8割を占めていた。10問全正答は、クラスにたったの3人・・・。
 一体、1学期のあいだ、こいつらは何やってたんだ?

「せんせえ〜、いいよ、こんなの、めんどくせえだけじゃん」
「何言ってんの、期末テスト勉強の時に本当はこれくらい書けなきゃいけなかった筈でしょ?」
「オレたちバカなんだからさ、しょうがねえじゃん」
ふん、そんな言葉にめげてたまるか。全50問中、覚えにくそうな単語から10問ずつを毎日黒板に書き出し、日々10問ずつプラスしてテストさせることにする。だから、一番スペルの長い単語は、最終日までに少なくとも6回の豆テストをうけることになる計画だ。そして、結果の思わしくなかった子は毎日「お残り特訓」!・・・なんてやっかいなクラスに来ちゃったんだろうと、ゲンナリの子どももいたようだけど、でも、日を追うごとに、子どもたちは少しずつ、ほんの少しずつ、(あれ?書けるかも?)のヨロコビを感じ始めたようだ。

 一番嬉しかったのは、K君が、
「先生、見る?」
と、えらそうな上目遣いしながら、体は斜向かいに、ノートを机にぽん、とカッコつけて置いた瞬間。見たら、単語練習がびっしり書いてあった。
「スゴイ!がんばったね!昨日どれくらい勉強した?」
「1時間半・・・2時間くらいかな、わかんねえ、もっとかも。」
 お世辞にも勉強家とはいえない彼がこんなに頑張ったのはなぜだろう。勉強したらできるようになる、できたら嬉しい、そういう経験って、彼らには今まで不足していたのかもしれない。回を追うごとに、(あれ、できたじゃん)という小さなヨロコビが、子どもたちをすこおしづつ、後押ししたみたいだ。

 20問、30問くらいから、満点が増えだした。40問に数を増やしたら、半数近い子が満点を取りだした。これはイケル!と確信した。○つけする自分がワクワクしてくる。やったぜ!担任の醍醐味!!
 テストを返された時の子どもたちも、たった1問のミスに悔しそうな表情を見せるように変わってきた。
「ああ、ちくしょぉ〜、こんなとこまちがってるんかよぉ〜」
「あ、そうだった、やべえ、やっとかなきゃ」
「あ!できてた!すごおい、私!」
「ねえ、何点だった?わぁ、よかったねえ!」
 子どもたちの一喜一憂。点取り虫万歳だ!たかがテスト、でも、されどテスト・・・今はこの子たちにとにかく「やる気」をつかませたい。

 コンテスト当日。給食前の最終チェックテスト。いつも小さな声で自信なさげに話すばかりのAちゃんも、悪さばかりしてるTも、後一歩で完璧!この子たちがこんなに勉強したんだ・・・。こいつらみんなやればできるんじゃん!

 努力の末の成果。その感動をきちんと感じることってその先の人生にとっても大事な原動力になると思う。

そして結果・・・
    

             100点    20/38名
             90点台   12/38名
             平均点     92.9点 

やった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!4組!えらいぞ!!!!!!
よかった。ようやく、いい夏が来そうだな・・・。


7/20(土):千葉へ

 今日は、千葉へ合唱のコンクールに出かける。ほんとうはここのところの体調の悪さから半分あきらめかけてたんだけど、「いつも悔いのない生き方」にこだわるakyaとしては、そんなことにめげたくない。
 でも、実は昨夜全然眠れなかった。どうしてだろう・・・。みんなに迷惑かけたくないし、心配されるのは嫌い。なのに・・・。自分でもこれにはほとほと困ってる。何で眠れないんだろうね?決して今日のコンクールが心配、とか、遠足前の子どもみたいにウキウキして、というわけではないのだけど・・・へんなの。
 だいたいにおいて、私はたいていの夜眠くならないし、眠りたいと思わない。不眠症・・・?こんなことしてるから病気になるんだろうな。でも、自分でもビックリするくらい、眠気がやってこない。特に仕事もないのに、昨夜はカンテツしてしまった・・・!少し復調したらまたランニングや水泳をして、体を肉体的に疲れさせてあげないとダメなんだろうな。

 ま、それはそれとして、今日はコンクール。舞台に立つのは小さな頃から大好き。絶対緊張しない。アガらない。人に注目されるのが好きとか目立ちたがり、ということでは決してないんだと思うんだけど、広いホールでのびのび自分を表現することってほんとうに快感!
 私はほとんど記憶していないんだけど、まだ3つくらいの幼き頃、祖父母と一緒に行ったレジャーセンターのステージで、たった一人で唄って踊って、あまりのかわいさに(・・・今の私を知る人、まあ許せ!!、子どもの頃はたいていみんなかわいいんだからサ)段ボール箱一杯のおひねりが飛んできた、という過去があるそうで、この舞台根性は生まれつき・・・?

 「表現する」、ということに関しては、私の専門の絵画も、趣味の歌も、演劇も、みんな共通することなんだろうな。とにかく、今日も楽しんでこようと思います。合唱団のみんなと、良い演奏ができたらいいな!
 曲は「僕たちのオペラハウス」「命のコスモス」「利根川の歌」「折り鶴」の4曲。もし、金賞を取れたら次は全国大会で福岡へ!(でも、お金がないから行けないかも・・・) 

 ・・・あ、今朝の空、きれい!さあて、楽しんでこよう!


7/21(日):定期演奏会リハーサル

 昨日の千葉では一気に冷却水フリーク。おいしく器にのせられた子豚とはいえ3匹もいればそりゃあキツイ・・・って言ったって、勿論中途リタイア。重い胃にふらふらになって、街へ出ればドネルサンドのいかがわしさ。包丁を研ぐしゅっしゅっしゅっという音と、祭りの雑踏と、お兄さんの素敵に乱暴なわしづかみの手と。合唱コンクールの感動もさることながら、夏休み突入そのとたんのこの夏祭りラッシュはいったい何なのでしょう。夏万歳です。否、お手上げです。

 さて、一転、翌日の今日はお仕事お仕事。
 I市文化会館にて、部活の定期演奏会のリハーサルでした。私にとっては初めてのことだらけ。意味不明な慣習やお決まりごとにややとまどいつつも、ひとつひとつの課題をこなしました。
 私の指揮の危なっかしさったら、それこそ朽ちてほころびた吊り橋を渡るようなもんでしたが、さすが、生徒たちはダテに鍛えられてはおらず、ちゃんとついてきてくれました。エライエライ。

 それにしても、この1日はホント疲れた。今まで、いくつもの舞台に立ってきましたが、裏方ってのは、大変なんだなあと、つくづく思いました。
 進行のチェックや出演する方々への気遣い、段取りひとつひとつが(まあ、去年のストックがなきに等しいという悪条件もあったにはあったが)・・・これは結構、つかれる。絶対に舞台に立って演奏してた方が楽だ。今までの私はなんて楽をし続けてきたんだ、と、合唱団事務局の皆様には感謝・感謝・・・。

 本番は29日午後5時開演。素敵な演奏を頼んだよ、部員たち。私も、きちんと段取り通り動けるように、頑張らねば!・・・楽しみなのはまたチーフことU氏に会えることかな。たくさんのアーティストとの舞台づくりを経験されてる方だから、彼の会話はこなれたもんです。うまい具合にオンナ心をくすぐりつつ、励ましつつ、言うべきことはさらりチクリと提案する。さすがはプロ!
 チーフ!!当日もヨロシクね!!


7/26(金):全校登校日

 夏休み中、何がムダかって、全校登校日くらい訳の分かんないムダな時間はないとずっと思ってる。夏休み中、子どもを集めておきまりの話して、気を引き締めて生活させようとか、毎朝、だらだらとした生活になっているだろうからそれへのカンフル剤としての役割とか、まあ、いくらでも価値は見いだせようと言うものだけれど、でもね、それをなが〜い40日のあいだにたった2日やったからって、いったい何?しかもその日は「出席日」の扱いではないのだから、欠席したってかまわない日の筈なのに、その日に大事なプリント配ったりしちゃう横暴。学校ってほんと、わがままなとこだよなあって思う。

 まあ、それはそれなんだけど、私は今日、すっごくたのしかった。やっぱり、クラスっていいなあ。子どもたちがみんなで教室に来て、それぞれの表情でこちらを向いてるって言うだけで、いいなあ、いいなあ、って思う。
 今日は除草作業をやった。あちいなあ、やだなあ、という思いもあったけど、子どもたちとべらべら無駄話なんかしながら、さぼってる子を適当にいじめながら(?)わいわいケラケラと、草をぶちぶち引き抜くことがこんなに楽しいとは思わなかった。

「せんせい〜くさかりきってないのぉ〜?やってらんねえよぉ」「せんせい〜目の前を走馬燈がよぎってますぅ〜」「せんせえ・・・この草食って生きたら、健康な貧乏生活おくれますかね?」

 いろんな声があっちからこっちからかかる。それにいちいち、真面目に答えながら、ふざけてかわしながら、どんどん自分が笑顔になっていくのが分かる。たくさんの個性の中に自分がいることの幸せ。人間として、人と関わるってことは根元的な部分でヨロコビなんだと実感する。

 そして、いつの間にか、時間は過ぎる。K先生の
「あらっ!4組のところが一番きれいじゃない?すごいわねえ!!」
 お世辞とも本気ともつかない声をきっかけに終わりにしてみた。うん、まあまあ、よく働いたぞ、子どもたち。私もいつもの大げさな感動詞付きの声で子どもたちに投げかける。
「わ!すごい、ここの植え込みのとこなんて、サイコーにびゅーちふる!!すんばらしいわぁ!みんなってスゴイじゃん!」
すかさず、はじっこの方にいた男子が
「何だよ、先生、わかってねえなあ、こっちみてよ」
「お!、そこも素晴らしい!そんな堅い土のとこ、よく頑張ったねえ!さっすが男子!!」
 その声に満足げな自慢げな笑顔。かわいいなあ、男の子。

 そして、片づけ。重たい袋をえいやっと担ぐ男の子。
「俺が持つよ」「俺に持たせろ」
 満足の後はみんな働き者に仕上がってる。汗びっしょり。いい顔だな。

 全校登校日はこんな風に過ぎてった。やっぱりあってよかった日じゃない?そう思う?フッフッフ♪・・・どうでしょうね?


7/30(火):夏休み

 今日はこの夏初めての休日だった。
所属している部の定期演奏会があったため、土日も返上して部活をしていたので7月30日にしてようやく初の1日まるまるの休み。何かもう疲れてて、今日は何にもやる気が出なかった。食事を食べる時以外部屋から出ず、エアコン効かせた部屋で、1日中読書してNetしてパズル解いてmail書いて・・・「ひきこもり」状態。う〜ん、よくないナ。
 でも、こういった頭を空っぽにする日もまあ、必要といえば必要なんじゃあないかと・・・。

やらなくてはいけないことはそりゃあるんだけど、でも、正直に今日は何にもしたくなかった。

 定期演奏会は生徒が本当に楽しんで演奏していて、大成功だったと思う。指揮をしながら私も楽しめた。舞台裏のしきりも完璧にできたと思うし、まあ、充実してたんじゃないかな。終演したら達成感はあったにはあった。
 打ち上げの時の子どもたちの顔、みんな輝いてた。中学生活にこんな貴重な経験ができるなんて恵まれた子どもたち。

 でも、この夏休み、私はこの先が気になる。こうやって流れに押し流されながら自分の意図した方へでなく、用意された研修日程をこなしたり、強制された課題をこなしながら過ごす夏季休業って、教師としてというより、人間としての創造力を殺ぐよなあ・・・。もっと主体的に自己をふくらませ、感性を鍛えるような経験を積むのが私たち教職に就く者の夏の過ごし方だと思うのだけれど。
 今年からは自宅研修も簡単にはとれない仕組みとなって、ホント、お仕着せの研修と部活に追われる苦痛な日々。やだな、こういうの。

 しばらくぶりに、心底「・・・疲れた」って口にしてしまった。今日の一日、やすちょが帰ってくるまで部屋にいた独りぼっちの夕刻までに、しゃべったのはこの独り言だけ。

 もっと自分らしく時間を使いたい。「創意工夫」ってやつが必要ですね。でも、明日も出勤せねばなりません。学校に、何はともあれ行かなきゃぁいけないのです。「先生はさぼってる」って言わせないために?・・・くだらん。


8/6(火):世田谷美術館とBUNKAMURAザ・ミュージアムへ

 久しぶりに電車に乗って美術館へ。今日のメニューはミロ展マグリット展のはしご。ゼイタクです。どちらも20世紀前期のシュールレアリスト。どちらかといえば私はミロの独特の曲線が描く平面的で図形的な美しさに興味がある。
 前から思っていたことなんだけれど、たとえば自由なカーブで落書きをしていくと、不思議なことに、人には一人一人“自前の曲線”とでもいったらいいのか、それぞれが特異な曲線の「癖」をもっている。大学時代、友だちがノートの端にスイスイと描くイラストを見て、不思議に洒落た角度を持ってる人だなあと見入ってしまったことがある。同じようなバランスで私が描こうとしても、どうしても同じものにならない。個々の「アク」とでも言うか、まあ平たく言えば個性というか…。
 ミロの描く曲線はすごくセンスがいい。きっと絵筆を持って画面に向かった時、彼の絵は既に完成しているのだろうと思った。ミロが作品に真向かう時、画家の身体の内に、すでに美はあるのだろう。
 色と形の洗練。修練による職人の美ではなく、即興性の中に既に存在する芸術家の造形美の結実を見せつけられる思いがした。それを、心ゆくまで楽しんできた。純粋にリラックスできたし、衝撃的でもあった。一方ですごく疲れたけれど、見ている自分が作品一枚一枚ごとににまにまと笑ってしまっていることにも気付いた。洒落て魅力的な色と形。すごく幸せな時間と空間の中にいた。

 マグリットの作品を見ようとした時、きっぱりと私の中にあった思いは「仕事に生かそう」。
 美術の教科書や資料集で、空想画と来れば間違いなくマグリットを扱うことになる。大抵の子どもたちもマグリットやダリの超現実主義の絵画には一通りの興味を示すし、授業では鑑賞の好材料となる。イヤだけど今回ばかりは「職業意識」に徹して見てこようと思った。
 だからかもしれないけれど、あまり感動はなかった。正直に言って、現代の作家の中にマグリットよりも奇抜なアイディアを持つ人は数多いし、描写力の点でも彼の技量を上回る画家はざらにいると思う。マグリットはある意味、先駆者としての美術史的な価値の画家といえるのではないかと思った。私にとっては、ミロの作品のように理屈抜きに美を感じるものは少なく、むしろシニカルで饒舌な比喩を読むような面白さを感じた。勿論、本物の作品にしかない生々しさは充分に感じ取れたので、収穫は多かった。両方とも図録を買ってきたのでまた授業で紹介しよう!2学期への楽しみの種を手に入れた…!

 それにしても、やはり本物を見る体験って大事だなと思った。素敵な時を本当にありがとう、Otaniさん。チケット手配やらその他得意のツアコン手腕の発揮に感動しました。すっごく貴重な1日だった!

 おまけ…人体エコアイス体験発汗冷却現象まずうまスパイスcha


8/8(木):旅の予習

昨夜半から突然の震え…きっと呪をかけられたに違いない★
体が震え続けて寝返りを打っても布団にくるまっても寒いのか痛いのか
よく分からない全身の異常事態・・・なんだこれ?
うとうと眠ったり目覚めたりそのたびに汗びっしょりの気持ち悪さに悩まされた。
暑い=汗をかく≠体が震える=寒い?
へんな夜がようやく終わって朝が来た。そうしてようやく熱?と気付いた。
38.7℃…いくら鈍感な私でも、これはまあまあ重症の部類だ。
多分医者に行けば「夏風邪」と言われるんだろうなとぼんやり考えながら
仕方なく汗まみれのベッドパッドをはがし、階下に降りて薬を飲む。
あああ、またムダな1日が始まろうとしている…。

ただ寝ているだけの時間の過ごし方の下手な私。で、朝からずっとnet三昧。
今日は8月下旬に訪れようと予定している花巻市と賢治ゆかりの地について。
羅須地人会・花巻農業学校・賢治記念館・童話館などの見学予定スポットを巡った後で
関連サイトで賢治の生涯や童謡や詩や童話を読んだ。
教師から転じて一人の農業人として生きようと志した賢治。
37才と11ヶ月の生涯だったんだ…私はもうじきその終点に追いつき、追い越してしまいそうなところにいる。

生きるっていうのは誰もがたどる営みだけれど
可能性が燃え立つように命を全うした賢治に魅力を感じる。
私は私の歩幅で歩いていくけれど
どれだけかの人生のうちに納得のいく何かに結びついてみたい。

花巻を訪れた旅の記録を綴ったbubukaさんのサイトにこんな文を見つけた。

>旅の時間のほとんどは、目的のスポットではなく行き帰りの長くて退屈な風景で占められる。
>その長い時間を自分らしく楽しめるかどうかで、旅の価値は決まるのだと思う。
>旅と言う言葉を「愛」や「友情」に置き換えても同じだ。

「旅」という言葉を「人生」に置き換えても全く同じだと思った。
道中の日常風景を私らしく味わいながら生きてみたい。

賢治に出会う旅…楽しみだな。


8/10(土):光跡の種そらにばらまかれた

「プール行って来る」
やすちょの言葉に、
「え?そう?ついでに花火を見に行って来たら?今日、熊谷の花火大会だよ」
そう応えた瞬間に私の中に何かがぱちっと火花を散らした。
花火。空一面の大騒ぎ。身体の芯まで響く爆裂音…宝石箱をひっくり返した光の饗宴…ゆっくり消えていく光跡…
ああ、見に行きたい。行きたいな…いや、行こう!
合唱の日だけど…ゴメン!今日はさぼらせて…
一人だっていいや。熊谷なら車できっと行ける。地図を見て…。誰にも言わないで行って来ちゃおうかな…。

そして決行。私にとって今年初めての花火。そしてちゃんと同行してくれる人がいて大感謝!その理由がたとえ
「来る者は拒まず、去る者は追わず」
なんていうイカサマCoolな理想論に片づけられたとしても今日はいつまでも拗ねたりなんかしない。
だって、花火だよ!!
夏!夏!夏!夏!もう、誰がなんて言ったって夏なんだから!

なう゛ぃのプロに導かれて会場に着いたら、もう河川敷には色とりどりのシート。
発電機のごおごお唸る側にはおきまりのいかがわしい屋台たち。テントのデザインの下品なことと言ったらもう!色遣いの破廉恥さといったらもう!!ああ、すてきすてき!花火だ!花火だ!
顔に荒川河川敷を渡る生ぬるい風。背中から首筋にかけては、夏のしつこい西日がジリジリとまとわりついてくる。

19時。河川敷にならず者が進入したとかで(まったくもう、おバカ)打ち上げ開始はちょい足踏みしたものの、一発目の十号玉がしゅっと光の粉を曳いて空へ空へ…ぐんぐんのびて光跡が一瞬途絶えた刹那
光線の束が一気に広がっていく。
「ばちん!」
胸を突き抜けて背中にぶち当たる大音響!空気のゆがみ。
やったあ!
河川敷中を「おお」と低く「わああ」と甲高く、その人波の厚みの形のどよめきがひとつにふくらんですぐに散らばっていく。拍手喝采。

花火の音って、私の中のゴミみたいなつまらんモノを一気に粉みじんにぶち割ってふっ飛ばす。
空を好き勝手に使い放題の豪快さ。光跡が背中をつたう指みたいにもったいつけて…かすかに揺れ…三次元の風をはらみながら…名残惜しんで…消えていく。…ecstasy…

 

素敵な時は、終わってしまうといつもあっけらかんとしてる。でも、花火を楽しんでそれから夜店をひやかして、混雑が通り過ぎるまで夜風に吹かれているのって、これはこれでやっぱりゼイタク…!第一、ラーメン屋のおじちゃんは私のいつものカワイコ仕立ての声ににんまりしてくれるし、かき氷屋のお兄ちゃんは黙ってシャイに笑いながら1000−600=700のカッコ良さ。缶ビール屋のお兄ちゃんはざくざくと氷水の中で何度も腕をかき上げてたった1本残ったオレンジジュースを探り当ててくれる。花火の夜は人の笑顔も粋!

でも、喧噪の人いきれの中から抜け出すと、寂しがり屋の心は急に寒くて風邪をひいちゃう。
そのまま甘えていたかったけど…帰宅して一人の部屋。
眠れないから今、日記書いてるの。4時43分…。
荒川の河川敷…空にばらまかれた種は朝になったらただの紙くず…?

…あ、朝焼けが始まる!よかった。夏はまだ続くんだ!


8/14(水):六合ふるさと祭り

私の嫌いな…というか苦手な表現のひとつに「○○祭り」とか「○○フェアー」というのがある。たとえば
「秋の味覚祭り」  「サンマ祭り」  「行楽まつり」  「新作おにぎりまつり」
なんてよくスーパーの店先やらコンビニの垂れ幕なんかに臆面もなく書いてあるけど、あれって一体どんな「祭り」なんだろう?「サンマ祭り」って、やっぱりサンマみこしとかがでちゃったりするのか!?サンマ囃子とか奏でる山車が出て…「まつり」っていうくらいだからサンマの神様をお祀りして、オキアミかなんかなんかお供えするとか?そいで櫓組んでサンマ踊りとかあったりしてみんなで輪になって…。ああ、妄想は果てしなく広がる…見てみたい…。否、カンベンだ。

さらに、
「みんなのふれあい祭り」
なんてかかれたチラシなんかもらっちゃった日には薄気味悪くて仕方ない。大勢の善男善女がひととこに集って、にこにこしながら「ふれあい」まくってる図がすぐに脳裏をよぎる。うぎゃあ〜、やめてくれぇ〜〜〜〜!!!なんだよその「祭り」って!

スーパーとかの「○○祭り」「○○フェアー」なんてのはまあ、その商品をお祭りのたたき売りみたいにおまけして重点的に品揃えもし、安売りしますよぉ。ってなカンジでかるぅく使われる表現方法なんだろうな。でもさ、「祭り」ってそういうもんかなあ…。どうも素直に飲み込めないワタシ。しかも、じゃあ、なにさ、「ふれあい祭り」って?!ふれあいを重点的に大放出?・・・やぁ〜ん、やっぱり気持ち悪いぃ〜!

てなわけで、「祭り」が苦手な私がなぜ「ふるさと祭り」に興味を持ったかというと、もちろんあの直球暴投型好青年H氏がこの春から六合村で仕事してて、彼の地域密着型生活をひやかしたい♪(おっ)応援したいという思いからだったのです。だって、彼は和太鼓を叩くらしい!どっちかというとS字に身体くねらせて「スミマセ〜ン」なんて猫かぶってた印象の消えないH氏が、凛々しく和太鼓!スゴイ!!カッコいい!!もう、即座に行きたくなっちゃったのだ。なんて仲間思いのワタシ☆そもそも全国和太鼓愛好会うさぎ野分会とどろき支部会計のワタシ(全嘘)としては、和太鼓って言ったらどこでも見に行きたくなっちゃう太鼓好き(ほんと)。

で、出かけました。六合村までるるんとらし〜んはひた走る♪運転手はあきゃだ。車掌はお−たに。
山道をくねくね。坂道をぐいぐい。夕刻の六合村にはもう陽が差さない。噂通りの半日村だあ。道中、
「ここが最後の本屋で〜す」
「ここが最後のコンビニで〜す」
車掌のガイドを聞きながらコーフンは高まる。コンビニからH氏に連絡。
「AUだから、この先、もうつながんないから」
うわあ。山間の村はドコモ天下だったのか!

ふるさと祭りのイベント:風船ふくらまし競争・パチンコまと当て・mini電車・線香花火大会・みんなでビンゴ大会…。どの人の表情も和やか。でもやっぱりお祭りならではの不思議な熱っぽさ。せっせとポンプで風船をふくらませる小学生・お父さん・お母さん。バン!とはねた風船に泣き出す子。線香花火をただ燃やすだけのタイムトライアルにみんな真剣。まだ線香花火には明るすぎる夕方の微動だにしない輪。背中丸めて缶の上で。大まじめに笛を吹く役場のおじさん。ルール説明にも威厳を感じる。mini電車のレールに沿ってなんだか恥ずかしげに間延びした大人達のはにかみ笑いがゆっくりと円を描いていく…。
H氏によれば、
「こんなたくさんの人、六合で初めて見た」
との人出。うっすらと「夏祭りってこういうののコト言うんだよなあ」となぜか郷愁にも似た切なさを感じる。人々の表情の自然なまあるさに感動する。

商工会青年部の方々?村の観光組合の方々?の出店がずらっと並んで、おきまりの焼きそばやら生ビールやら焼き鳥やら…みんな商売よりも顔なじみの人とのあいさつが忙しくて、どの人も笑顔笑顔。
「グレートリッチーズ」という超すてきなお名前を冠したテントの下では、元気な好青年の皆様がなんと「浜焼き」をしてる。日本一海から遠い浜焼きだろうな…と感激しながらモチロン戴きに行く。
「こんにちは。ええと、それ、ホタテと…ツブ貝ですか?」
「そ、ツブ貝ね。…う〜ん、でもまだ焼けてなくて…とっときますよ。焼けたらお名前呼ぶから教えてもらえます?それと住所と電話番号と…」
(あはは)「電話はAUだからつながらないの。準備が悪くてゴメンナサイ。名前は・・・」
「よし、覚えた。美人は特にちゃんと覚えてるから。叫ぶからね、その辺いてね」
とっても気さくな、笑顔の素敵なお兄さん。冗談言いながらもちょっと照れながらの応対に、女の子をからかうなんて慣れてない人だなって分かる。ビールの勢いでお店やってるんだなぁ。ああ、みんな楽しそう。
天然岩魚の炭火焼きもあった。ほろ苦い身をかじって、てくてくあるく。お祭りの味覚。特別なごちそうだな。
食べ終わった岩魚の骨つきの串を缶に戻しに行くと、ほっぺを赤くてかてかさせてるお兄さんが
「それ!それをそこの炭であぶっていってよ。うまいんだからさそれが。火はただだからさ、ね、お嬢ちゃん」
「(お嬢ちゃん!?)ええ?いいんですか?ほんとに?」
「ああ、モチロン。おい、これあぶってやって。通だねえお客さん」
通って…困ったけど、まあいいや、お祭りだから、っとお言葉に甘えてみる。真っ赤な火のそばは熱いけど、不思議とそれが気持ちいい、山あいの19時の涼しさ。
途中からややご年輩のおじさんが見えて
「はぁ、10年以上も焼いてるけどさ、骨まで焼かしてくれってゆうお客さんは初めてだよぉ」
と笑いながら串を火に近づけてくれた。働き者のおじさんの節くれだった指が赤く炭火に照って光っている。
「おまけ。これがまたうんまいからさ、持ってって」
トウモロコシを炙ったのを一緒に手渡してくれた。訳の分からない物好きな娘(?)に、男の人たち、みんな優しい。

お目当てのH氏の太鼓はなかなかカッコよかった。なんか腕が逞しくなったみたい。
でも、お師匠さんに「ハイ。」ってちょっとくにゃっと返事するとこ、相変わらずだなぁ。いいぞHayashiさん!六合村の3年間でオトコを磨いて来ぉ〜い!

8時からは花火。最大8号の花火も、間近に見るとその迫力ったら!運動公園にゆったりと腰を据えた誰にも均等に頭上の空から光のしぶきがさあぁっ!と降ってくる。ぐるりと巡る山々にどおぉぉんん…という轟きが一周して帰ってくる。六合村の人々の等身大の祭典の清々しさ、潔さと、花火の爽やかな勢いがぴったりと響き合っていた。

帰り道、頼みの車掌はあるこおる漬けのオヤスミナサイ…。くねくねを、またハンドルきりながら下って帰る。22時を過ぎるとお腹がぐうぐう鳴ってたけど心の中はすごくあったかく、いつまでもふくらんでいた。

本物の「ふるさと祭り」を味わってきた。今年一番のお祭り日。六合村のみなさん、ありがとうございました。来年もきっと行きます。あのお兄さん、ワタシの名前、覚えてるかな…?


8/24(土)リズム構成と合唱と

 ここ何年か、私の夏の終わりは藤岡市で、と決まっていた。運動会の表現種目、リズム構成を作る会に参加するから。そこで得た創造の種を、どう育てようかと悩みながら資料を集め、CDを探し、表現の作戦を立てながら、もう心は夏休みの開放感よりも2学期への意欲でうずうずしてる。早く子どもたちの顔が見たくて、一緒に悩みたくて…。
 でも、今年は中学に転任して、2学期への楽しみも期待もほとんど感じないという、(イカンナァ)仕事上ではあんまりさっぱりしない夏の終わりを迎えている。
 でも、いつも思うのは、自分の心のエアコンを
ONにできるのは自分以外の誰でもないってこと。2学期、また訳の分からない規則で生徒を縛らなきゃあならないんだなあ…と湿りがちな心を、除湿除湿!…ってなわけで、まずはリズム構成を作る会。運動会づくりにはもう参加できないけれど、自分自身のために、今年は行って来た。

 今日、1日だけの参加で、多くの先生の熱意と子どもへの願いを、久々に肌に感じてきた。作品は「宮沢賢治」。賢治の物語世界を横糸に、東北の農民の生きる戦いを縦糸に、石塚先生らしい人間賛歌として織り上げられた作品だと感じた。ただ、これを小学校で演ずるなら…私ならグスコーブドリの物語をメインに、物語世界をとおして賢治の生き方をあぶり出すような構成に作り替えてしまうかな…と考えながら体を動かす。曲も差し替えて、少なくとも一曲はアップテンポに、子どもたちがワクワクして躍動したくなるような場面が欲しい。子どものしなやかな手足の、背中の美しさをもっと生かした振り付けにしたい…。
 石塚先生のイメージ世界は年を追うごとに抽象化しているような気がする。くっきりとした振りで主張する動きから、心の内面を身体で自由表現するような動きへと、変わりつつあるのかと思う。それとも、賢治の幻想世界がそうさせるのだろうか。わからない。でも、明らかに思ったのは、今回の作品を小学校でそのままは使えないと思った。少なくとも、「運動会の表現種目」というより、「演劇」の領域に入ってしまったと思った。
 う〜ん、南小の先生たち、どうするのかな…。これは難しいぞ…と、私だったらどうするか?の構想を練りつつ帰路に就く。イメージすることに夢中になっていて関越道に乗りそびれそうになる。おお。アブナイアブナイ☆

 高速をびゅびゅんと飛ばして、18:30からは合唱練習。8/10に花火見たさの欠席を決め込み、17日はキャンプで練習無しだったので、前回から中3週間も空いてしまった。ああ、久しぶりの練習室!
 玄関の靴箱に、今脱いだ靴をねじ込んで、スリッパを引き出し、床にポン、と落とす。お腹の底からゆらゆらと、
「歌いたい!」
という思いがじんわりと立ちのぼってくる。階段下に練習前の子どもたちの、がらくたオモチャみたいな笑い声が降ってくる。いつもの場所に帰ってきた嬉しさで顔中の筋肉がゆるんだ。
「はぁーい、始めるよぉー」
いつものように学先生がとことことピアノに向かっていって、曲を奏でる。さ、っと背中に電気が走った。わお!気持ちいい音!学先生のピアノは何でこんなに気持ちいいのかな。
 人権合唱団の練習時間は約2時間。でも、今日も遅刻者多く、開始は30分ほど遅れた。いつも遅刻ギリまたはアウトの私なのだけれど、今日実感したことは、ほとんどタダみたいな団費で、こんないい指導を受けて、さらにその時間をムダにして…これはいかん!ということ。
 それにしても、ここにいる時間はいつもあっという間に過ぎる。もう、休みなく、ずっと歌いつづけたいくらい。歌い続けても辛くならない。どうしてだろう…?
 この夏、他の合唱団におじゃまして3回ほど一緒に練習した。指導される方は小学校の先生で笑顔の素敵な熱心な方だった。でも、なぜか、すごく疲れる。ピアノの歯切れが?曲の切り方が?よくわからないけど、何かが決定的に私を疲れさせていた。歌う時、自分の声に鉛のカタマリをぶら下げてるようなカンジがしちゃうのだ。練習の流れというかリズムというか、指導者の運び方ひとつで同じ曲を同じ時間歌っても、こんなに違うんだなあ…。

 学先生のピアノがすごく魅力的なこと。学先生の、指導者の存在がどかんと歌い手の中心にあって、集団をくまなく貫いて行ってるという感覚。なんと言っても、練習時間の流れが、なんか生理的にいいリズムで運んでるっていう心地よさ。今日の練習で、人権合唱団の「素敵のモト」をつくづく感じた。学先生って、歌ってる側のど真ん中で集団の雰囲気を非常に敏感に感じながら(意図的に?無意識に?)練習を組み立てているんだなあ、と思う。
 急に振り向いたかと思うと、
「今日は、ちっちゃい子が多いんだね、なんかさぁ、ああ、かわいい〜。これはこれで、なんかいいねぇ〜」
なんて、両目を三日月型に、にたぁ〜♪と笑って、またピアノに向き直る。学先生の言葉に、部屋中がにんまりとした笑顔の空気に染まっていくのが分かる。両頬の筋肉がヨロコブこの感覚。そのまま歌う。歌う!
 人が人を指導するからこその、ヨロコビがそこにある。ああ、もうだめだ、もうさぼれないや。♪≡≡降〜参≡≡♪

さあ、夏休みはもう終わる。仕事人akyaのrefresh完了!


8/31@(土)!!!!!!!!!!

おめでとう――――――――!!!

県優勝!!

東南小少年野球部

6年生の素敵な11人 

その瞬間、キミ達は全員最高の選手だったよ!素敵な少年達…!
この夏、最大級の感激を 心からありがとう!!!ありがとうみんな!!!

〜高崎市貝沢球場にて ☆合唱に行く前に喉が完全につぶれた☆ 


8/31A(土)通し稽古

 合唱練習。今年は無料コンサートツアーに出る計画。10月19日の初日まで後6回しか練習が無く、その後は高崎、伊勢崎、東村、片品村、吾妻と5カ所の公演が予定されている。私にとってコンサートって、そりゃあやっぱり特別なイベントなのだけれども、ここ数年の演奏会の経験から、もう全く舞台への不安もなく、自然体で歌える自分になっている。緊張は、なぜか(?)いつも全くしない私。
 でも、今回のように、無料で1時間以上もの合唱を聴かせるということの意味を考えると、正直に言って疑問や不安もつきまとう。…そもそも、無料のコンサートを聴きに行くというのはどういうこと?
 おつきあいでタダ券をもらって行く?学校など教育的行事としてのコンサート?何かの集いのアトラクションとしてついでに観る?…自分のお金でチケットを買う、という行為には、既に音楽を前向きに楽しみたい、という明確な意志が存在するわけで、それ無しにわざわざ出向くという状況は私にはあまり考えにくい。他の人はそうでもないのかな?でも、個人による多少の意識の差はあるにしろ、お金を払わずコンサートに行くというのはモチベーションとしては低い状態だと思う。
 なのにあえて無料でコンサートを実施しようと考えた事務局の皆さんの意図はどこに?より多くの人に聴いてもらいたいから?お金を払わなくて良ければ日頃合唱にかかわりのない雑多な想いの皆さんが集まるから?…そうかもしれない。
 で、そのように構え無しに、いわば聞き流しに来ようとして集まった人たちが、やっぱり聞き流して帰っちゃったら、今回のコンサートの意味はないと思う。その人たちに、「あれ、なかなかスゴいぞ」とか「へええ、けっこういい歌うたってるなあ」とか、「ふうん、今日は来る価値があったなあ」とちらりとでも思わせたい。否、心から「ああ、楽しかった」と思わせたい。そうでなかったらなんのための無料コンサート?と思う。

 そして、今年は練習に行くたびに、ちょっぴり不安になるのが男の人のパートを聴く時。みんなすごく頑張っているのが分かるし、自分にはどうしようもないことなので(だって、男の人のような声で助っ人することもできない)、余計に心配になる。男声の美しさというのは本当に貴重なんだなあと、つくづく思う。男の人の声無しに合唱することだってそりゃあ、美しいものができるでしょうが、(別段女声合唱を卑下するつもりは毛頭無い)でも、せっかく親子が共に歌う合唱団にあって、男の人の声が頼りないというのは、悲しい。とってもイヤな言い方だけど「所詮はおんなこどものやることさ」みたいな薄っぺらさを感じてしまう。
「カレー粉の入ってないカレーみたい」
学先生のたとえには、うんうんとうなずいてしまった。当然、それは男の人の歌声にだけ問題があるということでなく、全体の表現についてのことなのだと思うけど、歌には曲が求める願いというものがやはり、間違いなく存在すると思う。なんか、すごく、さみしい気がした。

 無料コンサート。うまくいくのかな。イヤ、勿論成功させなくてはならないと思うのだけれど、不安だ…。
 ついでに今日は久しぶりにソロを歌った。途中声が引っかかって穴が空いてしまったので、うむむ…。野球の応援(しかも半端じゃない)で喉が痛かったが、明らかな努力不足に反省。他のパートのことを云々言う前に、自分がまずしっかりやらなくちゃあ、だよね。そりゃそうだ。

 さあて、本番初日まであと6回の練習。頑張るぞぉ!!


9/1(日)東京で

朝早くに家を出てYasの下宿へ。8月半ばに渋谷の下宿に引っ越した息子。高崎線→埼京線→大江戸線と乗り継ぎながら、ああ、やっぱりけっこう遠いなあ、と実感する。駅に着くたびに、「ああ、まだここかあ」とうんざりしてしまう。良くもまあ、4、5、6、7月の間、通学し通せたものだ。好きな勉強をするとはいえ、これは結構きつかったろうになぁと思う。

予想したよりきれいな部屋。おしゃべりにキャハハ…と笑い転げると
「ぁ、それ隣のおばあちゃんに響くから」
とYasに注意されてしまった。さて、出かけるか、と、ちょっと強く足をついて立ち上がると
「あ、その音、下のおじさんとこに響くから」
…結構気を遣って暮らしてるんだなあ、コイツ。ストレスたまってるんじゃなかろうか。いつもmailでは
「大丈夫、元気元気」
「なんにもいらないよ〜。間に合ってるから平気平気」
と、脳天気な言葉が並んでいたのだけど。

バイトの話で盛り上がる。いや、盛り下がる、かな?
「レジの計算が合わなかった時、おばちゃんから、あんたが盗ったんでしょ。ってしつこく言われて、俺もう最後には『俺じゃねえよ!』って怒鳴っちゃったよ。店長がおばちゃんに、『人のせいにするんじゃないよ!』って怒ってくれたけど。俺まだ、レジに入ってもいなかったのに。」
「店長の親子、毎日客の前でも普通に怒鳴りあってケンカしてる。あれじゃぁ、やってけねえとおもうけど、普通…」
 東京にいると、誰かが相手を見る目がいつも差別化を図ってるように見える、と彼は言う。
「東京の人間なんかみんな暗い顔してるし、創造性なんか感じらんないよ。みんな出来合いの枠の中に収まって、一生懸命、まねごとの中で生活してるんだ」
そんなことはないと思うけど、生活の中で彼なりにそんな一面も感じたのかな。まあ、少なくとも、バイト先のおばちゃんには、「学生=レジの金を盗む」という図式が出来上がってるようだ。過去の経験がそのおばちゃんの概念を作ったということは否めないとは思うけど、まあ、ちょっと、嫌んなるかな、私も。

「学校が早く始まんないかな。夜、将来のこととか色々考えちゃって眠れなくって…」
と、やや滅入ってきてるYas。一人暮らしにあこがれてはいたもののまだペースを作れず、不安の方が大きいのだろう。約2週間過ぎた今は、楽しさよりも現実面の大変さが身に染みつつあるところらしい。ここを乗り越えたらもうじき、親の事なんか忘れて気楽に楽しめるようになってくるんだろうけどね。まあ、がんばれよぉ。いい勉強じゃあないか。親として心配はつきないけれど、私は君を信じて応援します。

お互いに一人暮らしになってから、家ではろくなものを食べていないことが(!?)確認され、昼は新宿の紀伊国屋の近くの天ぷらやさんに入った。久しぶりの炊きたてのご飯と、シジミのいい香りのおみそ汁。揚げたての天ぷらが次々出されてみんなおいしい。
「ああ、久しぶりにうまいもの食ったなあ。でも、もうムリ。胃が小さくなっちゃったよ」

じゃ、と店の前で別れた。私は紀伊国屋に恩師の個展を見に行き、彼は写真展を渋谷に見に行った。しばらくして携帯がなってmail着信。
「お疲れさま。テンプラ旨かった。気をつけてお帰り下さい。またネ〜ン」
ニヤニヤしながらちょっと胸が熱くなった。