<第1書架>

読んだ本を思いつくまま
並べてみました・・・!

吉田直「FIGHTER」(角川スニーカー文庫)
吉田 直(よしだ すなお)
1969年生まれ。

 大学時代の専攻は中国史。
処女作「ジェノサイド・エンジェル 叛逆の神々」とおなじく、第二作も人類の運命をかけて争闘する超越者たちの物語となった。

 人類の歴史の裏面で争闘をくりかえす二つの超越者。
ひとつはメディア、リリス、キルケー、モルガン・ル・フェイ、イザナミ、そしてテスカトリポカ等々の名をもつ存在。そして、今ひとつは、ミカエル、プロメテウス、ヨハネ、太公望、マーリン、オデュッセウス、イザナギ、ケツァルコアトル等々、の名で知られた者。
 読者の多くは、これらの名をもつ存在について、特異な存在として、そして人類の歴史に欠かすことのない存在として記憶しているハズである。
この両者はじつは同胞なのであるが、人類の進化について意見がくいちがったために死闘をくりかえすハメになってしまう。まきこまれた形の人類こそ、いいい迷惑であろう。

 本巻にて演じられるその死闘の場は、幕末から明治10年の西南戦争にかけての日本、である。
しかし、その神々といってもいい二人の超越者に翻弄される人間たちが、よりにもよって、なぜ新撰組、ことに沖田総司、土方歳三の二人なのか。
司馬遼太郎、栗本薫、川原正敏らの異才が彼ら沖田、土方をそれぞれに魅力あるイメージとして描きあげたのは周知のとおり。
 本巻がそれら先達の作品に伍するものかどうかは、読者がきめることだろうがぼくは十分に楽しめた。
 心中に秘めた女性を守るために死地におもむく沖田、そしてあくまで戦いをもとめてやまない闘鬼としての土方。どちらも、先行作品の彼らに劣るものではない魅力をもった存在にしあがっている。そうぼくは思うのだ。
 そして、今、ひとり。見せ場はあまりないが、時の内務卿、大久保利通。彼にも惹かれる。
テロの魔手に迫られながらも、実務の処理に不動の姿勢をくずさなかった男。
そして、明治国家の安寧のため、沖田を抹殺するのについに軍艦の艦砲をもって遇した男。とんでもない冷酷男のようだが、沖田を抹殺する直前、「今一度彼の名前を聞いておきたかった」とつぶやくシーンに、大久保の心情がのぞいた気がする。もっと活躍する場を与えてもよかったキャラではなかったか、そんな気もするが、さてどんなものだろう。      (1998,7/5)

<追記>
 吉田直氏は、2004年7月15日に死去された。
佳境にはいりつつあった「トリニティ・ブラッド」シリーズは未完となった。
惜しまれる死であった。享年34歳。  
石川英輔 「泉光院旅日記」 講談社
 本書の主人公は野田成亮。宮崎は日向・佐土原の出身。高位の山伏で泉光院は院号。島津家の家臣でもあり、19世紀初頭、六年以上をついやし、南は鹿児島から北は秋田まで行脚した老山伏です。ぼくが泉光院という人を知ったのは、石川英輔さんの「大江戸神仙伝」シリーズ、その第二巻、たしか『大江戸仙境録』の中でのことだったと思います。作中、主人公が全国行脚中の泉光院と対し、会話をかわすシーンがあるのです。

 泉光院が残した日記は正確には「日本九峰修行日記」というそうです。本書は著者である石川英輔さんが泉光院がのこした日記をどう読んだのか、そこからどんな江戸時代のイメージをとりだしたのか、そういう記録としても読めるのではないかと思います。
泉光院の旅は江戸時代のことですから、とうぜん殆どが徒歩によるもの。しかも托鉢しながらの旅ということで旅館など決まっている訳じゃなく、毎晩泊めてくれる家を探しての旅程です。無銭旅行の一種と云えないこともない。旅行代理店によるパック旅行に慣れきっている我々現代人にはとうてい想像しきれない話だといえます。

 ところが本書を読んでいくと、これが不思議なことに六年以上にわたる泉光院の旅はこれでスムーズにいっているのですね。どこへいこうと泉光院を泊めて世話をしてくれる人にことかかない有り様です。当時の庶民にとって泉光院みたいな偉い山伏はごく自然に畏敬の対象となったせいかもしれないし、また遠い「異国」のニュースをもたらしてくれる旅人は歓迎される存在だったのかもしれません。 それに驚くのは、泉光院がめぐりあった庶民たち(大体、中流からそれ以下の階層)は俳句に興じたり、旺盛な学習意欲をみせ泉光院に講話を頼んだりしているのです。従来の江戸時代の民衆像とはちがったものがそこにありはしないでしょうか。

 ご存知のように「大江戸神仙伝」は、一方で現代歴史学の成果に対する批判を内包した作品となっています。やや的外れという気味もしなくない批判ではあるのですが(ぼくが学生やってた頃だったら十分に首肯できたのですが)、そうした着想の一つがこの泉光院の日記からえられたというのは頷ける話です。著者にとって本書が「異色の本」(「あとがき」より)となるのは確かなことですが、この本から何をくみとれるのか、それは読者一人一人の問題であるだろうと思うのです。
みなさんも本書のページをめくることで、泉光院という名の老山伏とともに江戸時代の日本をめぐる旅にでかけてみませんか?ちょっとしんどいかも知れませんが、きっとなにか得られる旅となることでしょう。
宮本昌孝「もしかして時代劇」(ハヤカワ文庫)
 本作品は、芳紀17歳、タレント志望の美少女・美雪がヒロイン。彼女は「ミス花らっきょう」(どんなコンテストだ!)の選考会場のまっただ中から、突如、戦国時代、それも秀吉VS柴田勝家の最終局面、落城寸前の越前北の荘城へとタイムスリップしていたのである。
 かくして右も左もわからぬ美少女、美雪の冒険が始まったのであるが・・・
 このヒロイン、タイム・リーパーとしてははっきり云って「失格」である。
なにしろ歴史に無関心、無知ときている。だから、たとえ歴史上の人物に遭遇してもなんの関心も、あるいは感銘も覚えないのだ。なにしろ、

織田信長を、小田信長!
豊臣秀吉を、豊富英吉!
徳川家康を、得川家安!

として、記憶している娘なのだ。他のタイムトラベル小説の、黄金パターンともいうべき、記憶している歴史の知識を利用して大活躍する主人公たちと比較して、なんという違いがあることか!
 なんでこんなパープリン娘がヒロインで、よりによってタイムトラベラーなんぞになってしまうンだ(絶叫!)というのが正直な感想である。

 ただし、こんな異常な環境にほうりこまれてもしぶとく生き抜く生命力と、運は大したもので、この辺が作者が彼女を見込んだ点なのだと思う。
 それに物語が進むにつれ、このパープリン娘、けっこう成長していくのだ。で、この物語を読み始めた当初はそうでもなかったのだが、こんなタイムトラベラーが一人くらいいてもいいか、そんな風に思えてきたものであった。
 未読の方、一読をお薦めする。 
典廐五郎「ロマノフ王朝の秘宝」ハヤカワ文庫
 昔からそうなのだが、ぼくはロマノフ王朝というものに関心をいだきつづけていた。それは、今世紀初頭、あたかもかっての恐竜のごとく滅び去っていった王朝への憐憫であるかもしれないし、また最後の皇帝となったニコライが日本と少なからぬ縁があったからかもしれない。
 歴史家の保田孝一さんが「ニコライ二世の日記」(朝日選書)という本をだされていて、ニコライ個人の人柄に親しく接することができたというのも一因しているとも思う。

 それはそれとして、本書のストーリーである。ロシアに社会主義革命が勃発して幽閉中のニコライ二世とその一家を救出しようとする日本とイギリス。救出したニコライを擁してシベリア政権を樹立させようというのが日本の思惑らしいのだが、さすがにそうした秘密作戦に正規軍はうごかせない。
そこで登場したのが軍の不良軍人などをあつめてつくったという「陸軍懲治隊」なるしろもの。主人公の陸軍中尉・志摩薩之介は、彼らはみだし連をひきつれてシベリアへ、ニコライ二世一家救出にむかうことになる。

 こうした物語の構成上、歴史上の人物が続々と顔をだす。そうしたキャラたちと出逢うのも、読者の楽しみのひとつだろう。
ニコライ二世一家が惨殺されたのは歴史上の定説だが、それにはいろんな謎も多い。一般に知られた「事実」の間隙をぬって、いかに「ありえたかもしれぬ事実」をつくりあげ、読者をうならせるか。そこが作者の技量というものであろうが、本書は立派にその重責をはたしていると僕は思う。
 志摩中尉とその一党は、困難な作戦 を遂行していく中、シベリアの原野の中で次々と犠牲者をだしていく。その果てに、いかなる運命が彼らを待っていたのか。それは読者諸氏が見いだされたい。 
狩野あざみ「亜州黄龍伝奇」シリーズ トクマノベルス
 4年にわたって、読者を香港の地に遊ばせてくれた「亜州黄龍伝奇」もついに 「乾坤大戦記」をもってフィナーレを迎えることになりました。
                                  
 工藤秋生とビンセント・青を初めとする「四聖獣」は、CIAにその存在を知 られ、その異能力ゆえに狙われることになったのです。ま、原発のメルトダウ ン事件、ゲリラのビル占拠事件、チベットの独立騒動など、各地でああもトラ ブルをおこしてりゃ諜報機関に目をつけられても当然ですね(笑)

 最終話は「西蔵大脱走」とおなじく、上・下の二巻となっています。ビンセン トたちとは別の「目覚めを司る四聖獣」が登場させたのは、今にしてみるとこ ういうラスト・シーンのための伏線だったのでしょう。 

 工藤秋生の争奪戦と同時進行で、かっての「湾岸戦争」に酷似した状況の中、 ついに核兵器が使用され、世界は最終戦争へと突き進んでいくのです。この世 界が秋生の「夢」だとするなら、まさにこれは「悪夢」というしかない。どん な解決がなされたのか。未読の方のためにこれ以上は書きませんが・・・なか なかイキなエンディングだとは言えると思うのです。物語のラストで、工藤秋 生くんが美少女と知り合う場面なんか、いいですねぇ。これって、神の役得っ ていうのでしょうか(笑) 

 でもこれで魅力的な登場人物たちともお別れかと思うと少し寂しくなります。 この「亜州黄龍伝奇」を手に、香港の地を旅された人たちがいらっしゃるとの ことですが、その気持ちわかる気がします。 
ぼくもいく機会があったら、その地で秋生やビンセントたちのありし日の姿を しのびたいと思うのですが・・・。                                       

正伝6巻、プラス秋生の過去世を描いた外伝「隋唐陽炎賦」が刊行。


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