<第1書架>

読んだ本を思いつくまま
並べてみました・・・!

「アトムの子ら」(ウィルマー・H・シラス 早川書房)
 アメリカはヘリウム・シティ、その原子力研究所の大爆発により多数の犠牲者をだした大惨事。その生存者たちの子どもたちは、突然変異からか、異常なほどの高知能をもった存在へと成長していく。文筆、建築、科学、作曲等多方面にわたる分野で大人もおよばぬ優れた業績を上げていく子どもたちの一団。しかし周囲の大人たちに理解されるはずもなく、子どもたちはその知能をかくし世に隠れ住むのを余儀なくされる。
 大惨事より14年たった1972年。 カリフォルニア州の児童心理学者ウェルズは、近在の学校教師の依頼で一人の生徒を診察し、彼の異常なまでの高知能に驚嘆する。彼、ティモシー・ポールは弱冠十四歳の身でありながら超天才としか形容できない存在であった。そんな天才児発生の原因がかのヘリウム・シティの大爆発にあると知ったウェルズは、ティモシー・ポール少年と共に、他の天才児童の捜索にとりかかる・・・。
 
 高知能な少年少女たちと「人間社会」との相克、葛藤、苦悩、そして自我を目覚めさせていくプロセスを女性作家らしい情感にみちた麗筆で描いた作品と評価できる。
 本書の読者は少年少女たちに感情移入していくうちに、自分自身をふくめた大人たちのもつ愚劣さに嫌悪或いは恐怖さえ覚えるのではないだろうか?
彼ら天才児たちがよい子たちばかりだったのを感謝するべきだろう。超天才児たちが万一グレでもし、人間の敵となっていたら、それこそ人類存亡の危機が到来したハズである。事実、一部アブない子も一部いたのであるが・・・。
 本書が新人類テーマの最良の一冊というのはたしかなことだが、ないものねだり、或いは的外れとのそしりを承知で書いておくと、この作者、放射能障害や畸形の発生をどう考えていたのだろう?本書を初めて読んだのは、高校生の頃なのだが、被爆国の住民として気にかかったのを覚えている。
(ハヤカワSFシリーズ、1959年刊行)
「金星の尖兵」(エリック・F・ラッセル 創元推理文庫)
 物語の舞台は、1980年4月、アメリカ。
極秘裏に派遣されていた金星探検隊(三人)があろうことか、金星土着のヴィールス状生物に取り憑かれ地球へと帰ってくる。目的は仲間をふやし、最終的には人類そのものをのっとること!
宇宙船を秘匿し、ひそかにアメリカに上陸した三人は出逢った一人の娘に取り憑こうとして、現場をパトロール中の警官に見とがめられ、彼を射殺。娘は金星人の傀儡となり、そのままいくなら地球征服も夢ではなかったハズである。
 が、ここで想定外のファクターが登場する。ウェイド・ハーパー、本編の主人公。彼は他人の心を読みとることができるテレパシーの持ち主だったのだ。憑依された娘の心をよみ、地球外生物の存在を知ったウェイド・ハーパー。かくして順調にいくはずだった人類のっとりはとんでもない障害をうむことになる・・・。
ブラウン「73光年の妖怪」のときも思ったことだが、インベーダー方に感情移入できる物語もある。
本書もその一冊で、事実、作中で登場人物たちが「侵入してきた金星人たちは、彼らの方からみたら世界きっての英雄なのかも?」と語り合うシーンもあるくらい。
 むろん結局、人間は地球人類擁護の立場に与するしかないわけで、ハーパーたちが勝利するのを読んでホッとするワケなのだが。
 訳者によると、超能力テーマと侵掠テーマのコラボレーションとの評価がなされている。
ちなみに、この作者は「超生命ヴァイトン」の作者としてあまりにも有名。1905年イギリス生まれ(去年本国で生誕100年祭がおこなわれたかどうか?)「訳者あとがき」によると、クラーク、ウィンダム、バラードらと同期の作家。原著は1955年、訳書は65年の刊行。
「ネオ・マイス」(上杉光 角川スニーカー文庫)
 分類すると、超能力ものといえるだろう。

 ただし「クロスファイア」みたいな深刻なお話じゃないので、気楽に楽しむことが出来る。でてくるキャラたちそのものが、いい加減な連中ばかり(一部に例外もある!)なのも一因しているだろうけど・・・「サイキック・コメディ・アクション」なんてコピーがついていた!
ただし、彼ら主人公たちが駆使する能力たるや、通常知られている「超能力」のレベルそして性質からも大きく逸脱している。
 メンバーが人間以上の身体能力をもつのは当然のお約束として、空間そのものを切り貼りすわ、超小型の台風をまきおこすわ、シールドをはるわ、「土鬼」と称する怪物を呼びだすわ、火柱をおったてるわ・・・ともかく、「魔法」と呼んだ方がいいレベルの力を発揮する。彼らの力のレベル、その異様さからしてとても人間のものとも思えない。
 元来、京都に拠を構えていた一族だったらしいのだが、時代が下るにつれ、いくつもの「家」に分かれ、日本全国にちらばっていった。現代では、「光華」「空知」「火車」「地維」「水代」「月影」の六家が知られている。
 千年以上昔から日本に住み着いていた一族らしいが、その出自は作品中にも明記されておらず、読者としては想像の翼を羽ばたかせる余地があるというもの。僕の考えでは、彼らの祖は、異次元世界からの来訪者ではなかったかと思う。自発的にやってきたか、それとも避難してきたか(後者の方がおもしろい!)異次元世界からの、いわば「ボート・ピープル」は日本だけではなく、全世界にまたがっていたのではないだろうか?
 世界各地にのこる「魔法」伝説は、そうした彼らの先祖が発祥となったのかもしれない。となると、「ネオ・マイス」は4巻でおわっているけど、続編を構想する余裕はまだまだある。日本における「六家」と、全世界に散らばった同族との交流、もしくは対立の物語とかネ。
「タイムスリップ森鴎外」(鯨統一郎 講談社)
 この作者らしい奇想天外な作品というべきか。

 大正十一年七月八日の夜。
毒殺されかかったのを確信した森鴎外は、姿なき殺人者から逃れるべく自宅を出、渋谷道玄坂にさしかかった時、何者かに崖から突き落とされる。が、どういうわけか、森鴎外は現代へとタイムスリップしていた。
21世紀の街を闊歩する鴎外・・・!

 これだけでも奇天烈な展開なのに、知り合った女子高生と共に元の世界へ戻る方法を探っていた鴎外は、「近代日本文学史」なる本の記述に不可解な謎をみいだす。昭和初期に活躍した作家の多くが若くして死んでいる。その点に自分をも襲った姿なき殺人者の影を見てとった鴎外は、その正体をあばくべく調査を開始する・・・。

 昭和二年の芥川龍之介から昭和二十三年の太宰治まで十六名が三十代から四十代の若さで死亡しているという(ま、ホントなんだろうけどさ)
誰もそれを不自然とは思わなかった(というか、どう思えと言うのだ?)これらの文学者が、全員誰かに殺されたなど、想像を絶している(筒井康隆「大いなる助走」じゃあるまいし!)
 ノベルス本のオビに、「誰も指摘すらしなかった歴史上の大疑問」とあるが、十六人もの文学者がじつは連続作人の犠牲者だった、などと誰が指摘できるというのだろうか?
 しかもその殺人者の正体が、「彼」だったとは!思いつかないよ、ふつー。

 2004年、講談社ノベルス版により刊行。のち文庫バージョンにて再刊。
「魔軍襲来 アルスラーン戦記11」(田中芳樹 カッパノベルス)
 何年ぶりになるのか、数える気にもならないくらい間があいてしまったシリーズ新刊(笑)
46ページ下段。ファランギースたちを援護するため軍を率いてやってきたパラザータ!
が、最初に読んだとき、「え?いったい、誰だっけ、こいつ?」とクビをひねったものだ。むろん、3ページ後で人物紹介の描写があったので、その疑問は氷解したのだが。

 作品世界、パルスをはじめとしてマルヤム、ミスル、シンドゥラ等各地で同時に重大事件が勃発しているので、どういう風に物語りが収斂していくのやら・・・?
パルス国内でもアルスラーンとその臣下たちがあちこちで苦労をかさねている。彼らの相手はザッハーク一党なので、その苦労もひとしおなのだが、なにしろ魔王でさえ政争の一ファクターとして考慮するというナルサスの存在がある。どうにでも出来るのではないか。
 僕が気にしているのは、むしろ人間の方である。マルヤムを制したギスカールは新王朝の開祖となるようだし、ヒルメスもミスル国を簒奪する勢い!人と妖魔が手を結ぶことはないが、人と人ならば大いにありうる。ギスカールとヒルメスが同盟し、パルス国を攻略にかかる・・・そういう可能性もでてくる気もするのだ。
 人間の成長は、ナルサスの知略をも越えるケースもありうる。ついにそろった「三人の運命の女」の存在もあるし、今後の展開が楽しみである。
 次巻は「蛇王再臨」だろうが、そのアトは「翼将集結」かなぁ?


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