<第1書架>

読んだ本を思いつくまま
並べてみました・・・!

「魔大陸の鷹・完全版」(赤城毅 祥伝社)
 本シリーズの冒頭シーン。
知られざる大谷探検隊が持ち帰ったもの。
義経の遺言。
南海の孤島に残された超古代の秘宝。
不死者と思われる謎の怪人。
絶世の美女。
狷介な天才科学者。

 とまぁ、本書にはかって子どものころ、夢中になってよみふけった秘境冒険小説の黄金パターンがぶちこまれている。これで面白くないハズがないではないか!とくに脇役陣が光っているというか、主役のはずのキャラを時には喰っているのがまたいい。
主人公をとりあう美女ふたり。彼女らの毒舌合戦がいいし、また安藤某なる執事がカッコいいのである。それにひきかえ、主役であったハズの伊集院従吾、である。名家・伊集院子爵家の御曹司、第1次世界大戦でフランス航空隊に所属しエースの称号を獲得、薩摩示現流の達人、等々、ヒーローの資格十分だったのにどこでどうまちがったのか(笑)奇人変人の同類である大木戸博士にはふりまわされ、女性軍には頭を抱え込み・・・むろん、決めるときにはきめる、そんなキャラであるのはたしかなのだけども。
 そんなヒーローの仇役、むろん尋常な存在であるはずもない。通称を「暗闇公爵」。全世界の闇に生き謀略の影にかの男ありと囁かれる怪人物で、かのカール・ハウスホーファーを畏怖させ、ヒットラーやスターリンをも影から操る恐るべき存在。伊集院とその仲間たちは、義経が遺した超古代の秘宝獲得を、この暗闇公爵と競うことになる。絶海の孤島、そして南極の地下大陸へ、そしてその最終の決着地として日本本土がその舞台となる。はたして誰が真の勝利をつかむのか?

 全3巻だったのを一冊にまとめ、改訂をほどこした「完全版」が2005年上梓された。なお、その続編「熱砂奇巌城」も2006年2月刊行。現在、もっとも注目されるエンターテイメント作家の一人である。
「さなぎ」(ジョン・ウィンダム ハヤカワSF文庫)
 核戦争ののち、文明崩壊した世界の中で、成立した中世的暗黒時代。かっての核戦争への嫌悪と恐怖からか、その世界の人々は、ことにミュータントに対して極度に排他的な態度をとっている。
 主人公のディビットはそんな世界の中に生まれたテレパシストであり、自分の特異性を少しずつ自覚しつつ、少年から青年へと成長していく。やがてミュータントであることが露見しかかり、かっての同胞たちに逐われ数名の仲間たちとともに、自分たちの真のはらからたちのもとへ旅立っていくのである。主人公には年の離れたペトラなるまだ幼い妹がいて、この子もやはり生まれながらのテレパシスト。ハキハキした元気のよい子で、物語の後半、重要な役割を果たすことになる。
 
 SFとしても名作であることはいうまでもないが、それ以上に文学書としてもすぐれた完成度をもった作品である。そのことは、読みなおすたびに実感できる。
最初に本作品を読んでから30年余。いま改めて読んで思ったこと。ひとつは作品中で展開されているミュータントたちのテレパシー・コミュニケーションは、現在ではインターネットという形で、ある程度、「旧人類」のなかでも実現されているのでは、ということ。今ひとつは、この作品では「旧人類」と「新人類」とのあいだには絶対的な隔たりがあるように表現されているが、現在ではもっとべつのストーリー展開が可能なのではないか。そんな気もしている。
 未読の方には、ぜひお薦めの一冊である。現在は入手困難なハヤカワSFシリーズ版の他に、ハヤカワSF文庫版もあったりする。
「闇につげる声」(筒井康隆 出版芸術社)
 かって、学習雑誌に連載されたSFジュヴィナイル。エスパー・テーマの作品で、のちの「七瀬シリーズ」の原型となったと評されている。
 テレパシー、透視、テレポートなどいろんな超能力をもった中学生たち。平穏無事な彼らの毎日も、仲間の一人が、とある外国の諜報機関に誘拐されたことから、一転波乱含みなものとなっていく。仲間の救出にむかった彼らだったが・・・というストーリー。
 その昔、中学生のころ読んだとき、作者である筒井康隆氏の名前まで意識していなかった。そのせいで、のちにこの作品を再読したいと思っても、著者名が不明なためその希望がかなうことはなかった。まさにぼくにとっては「幻の名作」であったワケである。
 新潮社から刊行された筒井康隆全集の一冊を手にとった時、この作品に「再会」できた喜びはじつに大きいものがあった。現在、読みなおしてみると、書かれた「時代」を反映させるものが散見されて、なかなか面白いものがある。
 それに、結末のこと。主人公たち、エスパーたちはついにその正体がバレてしまい、日本にいられなくなり、新天地を求めてアメリカへと旅立つ。「人類など滅ぼしたって、自分たちは生きのびてみせる!」と豪語する竜堂兄弟と比較するとき、なんとこの作品のエスパーたちはつつましいことか!この作品の末尾に、「アメリカに行ってからのぼくたちのこと、それはまた、いずれ、別の機会にお話しすることにしようと思う」と、ある。ぜひ、その後のお話を読んでみたい気がするワケだが、これはまず(筒井康隆さんによっては)書かれることはないだろうなぁ。。だったら、いっそのこと自分で書いてみようか、などとも考えるのだが。さてさて、いつのことになるのやら。それはともかく、この作品がぼくにとって「SF原風景」のひとつ、と云ってもいいことは確かである。
 
 本作品には、「闇につげる声」の他、以下の四編が収録されている。
    細菌人間
    10万光年の追跡者
    四枚のジャック
    W世界の少年
「果しなき旅路」(ゼナ・ヘンダースン ハヤカワ文庫)
 SFとしてはすでに古典にはいる作品であるが、今なお多くのファンをもつ。
ゼナ・ヘンダースンといったらピープル・シリーズ!そう連想が自然にはたらく。
宇宙を旅する<同胞>一族。その旅の途中、母船が故障し、たまたま近くの星・地球への不時着を余儀なくされてしまう。地球人そっくりな外見を幸い、人間たちにまぎれて暮らすことになった同胞たち。異種族との交流、軋轢を女性らしいこまやかな筆致で描いた連作ストーリー。
 ハヤカワ文庫より、次の二冊が刊行されている。
 
 「果てしなき旅路」PILGRIMAGE〈ハヤカワSF300〉
 「血は異ならず」THE PEOPLE : NO DIFFERENT FLESH〈ハヤカワSF500〉

 僕が<ピープル・シリーズ>を知ったのは、「SFマガジン」1970年9月号に掲載された「ヤコブのポタージュ」を読んだのがキッカケだった。従来の超能力ものとひと味ちがう描写、たとえばピープルたちが超能力を発揮するシーンで「太陽のひかりをつかむ」だの、「闇の力をつかう」だの、或いは「分類者」「感応者」とかいう語彙等が非常に新鮮だったのを覚えている。
 作品の記述から察すると、ピープルが遭難したのは1900年前後だったと思われる。欧米を中心にちらばった彼らであるが、日本に避難所を求めてきたピープルだっていたかもしれず、それはそれでお話をつくれるかもしれない。<空閑渓谷物語>とか、なんとか。
作品中、教師が主人公というケースが多いけども、これは作者自身が教師だったことが一因していると思われる。
 米国の公式サイトがあり、興味深い内容となっている。

 河出書房新社より、2006年2月、ピープル・シリーズをふくめたゼナ・ヘンダースンの新刊が刊行される予定。
「鋏の記憶」(今邑彩 角川書店)
 サイコメトリーとよばれる超感覚をもつ女子高校生の物語である。
桐生紫、という女の子、名前は、ゆかり、とよむそうであるが、彼女がその超感覚ゆえに遭遇せざるをえなかった事件を、彼女の同居人である従兄弟の警視庁刑事、桐生進介や新進漫画家の二瓶乃梨子などとの交流もからめて描いている。雑誌「小説王」に93年から94年にかけて隔月で掲載されたらしく、本書には以下の4篇が収録されている。

「三時十分の死」
「鋏の記憶」
「弁当箱は知っている」
「猫の恩返し」

 本書を一言でいうならば、サイコメトリーをもつ女子高校生が遭遇した奇妙な事件簿ということになろうか。SFでいうならエスパー・テーマに分類されるのであろうが、作者はおそらくそんなことはあまり意識していないと思われる。ここには迫害される超能力者や、某秘密機関との戦いのシーンもない。サイキックがごく自然にあるものとして受容された社会が、ここには描かれている。こういう小説が非・SF作家の手によって書かれるようになったということ。ここに、現代における「SF」のポジションが暗示されているのではないだろうか。                
PS・
 再読して改めて思ったことだが、本作品のヒロインである桐生紫嬢の学校生活がどんなありさまなのか、まったく不明なママなのである。従兄弟である桐生進介氏の捜査に協力するのもいいが、たまにはそんなプライベートな事柄も披露してもらいたい。一読者として今後、シリーズの新作が書かれるのならばそんなストーリーを読んでみたいものだ。1996年2月刊行。


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