<第1書架>

読んだ本を思いつくまま
並べてみました・・・!

「でたまか 人類戦記5」(鷹見一幸 角川スニーカー文庫)
 あしかけ6年にわたって語られてきた物語も、ここでついに完結!です。
当初、すこしも英雄らしくないマイド・ガーナッシュという青年が、やがて星間帝国をゆるがす存在へと成長していくストーリー・・・と思っていたら、「人類戦記」と題された第三部になると物語は、意外な方向へと転回!ザナックスと名付けられた異種知性体とのコンタクトにより、人類そのものの存亡を賭けてのストーリーとなっていきました。
 いやそれどころか鷹見氏の他のシリーズ、「時空のクロス・ロード」も「ネオ・クーロン」も「大日本第七艦隊」をもおなじ時空系列にある物語であり、人類戦記は、その最終局面を描いた作品であったことが判明。ですから、他のシリーズのキャラが、或いは扱われた概念が、はたまた誕生したファクターの後身がカオをのぞかせたりしており、楽しさ倍増といったところでしょうか。
 「戦記」とついている以上、戦争と英雄たちの活躍を描いているのは当然ですが、同時にマイド・ガーナッシュとその仲間たち、いわば人類の代表選手の姿だけでなく、「人類戦記第4巻」では「その他名もない人々」の物語ともなっています。
 マイド・ガーナッシュたちの戦う理由というか、まもるべき世界を描いた一編といえるでしょう。学徒動員を後世に伝えている歴史書を想起させる内容でした。(第5巻、119ページ。「奇跡的に救助されたパイロット」というのが、「彼」だとしたら、うれしいですけどネ)
 そして、最終巻。<長嶺来光篇>と銘打たれた本編は、総557ページのうち、200ページをザナックスとの争闘にあてたまさに最終決戦ストーリー!無限の物量をほこるザナックスを相手にマイド・ガーナッシュという青年の知略がはたして通用するのか?最期にくりだす「でたまか戦法」とはどんなものなのか?まさに息をもつかせぬ展開となっています。
 個人的におもしろいと思ったのは、最終巻各章のタイトルが、名作SFのソレより採ってあるという事実。一部、アレンジしてありますが、その出典を考えるのも一興か、と。
「天才はつくられる」(眉村卓 角川文庫)
 初めて読んだのは、中学生の学習雑誌に連載された時である。
 松山史郎。中学校の図書委員の彼は、書籍整理のさなか、「学習教程」というリストにない本を偶然みつける。なじみの本屋さんがまちがって置いていったらしい。その中身は、超能力を開発するためのテキストだった。半信半疑ながら読み、指示されたトレーニングをした史郎は驚くべきことに超能力を発揮しだす。あのテキストは、本物だったのだ!
 しかしそれは、異常な事件の幕明きであり、史郎は異様な体験をすることになる・・・。

 内向的で本好き、という点で松山史郎は「ジャンパー」のディヴットと共通点がある。が、史郎に欠点があるとすると、それは真面目すぎる(笑)ということだ。とにかく、生真面目すぎて面白みがないのだ。あの年頃で超能力を獲得したら、やりたいことはいろいろあってもいいはずなんだけど。超能力に目覚めた東丈のごとく権力者志向に奔るわけでもなく、とにかく何がナンでも「正義の味方」でよい子すぎる。すこしは「悪の魅力」をも持ってた方が女性にもてるのだゾ!
 当時、本作品を連載していたのが、中学生も読む学習雑誌という制約があったためか、色っぽいシーンなど、これまたまったくないのだな。年頃の女の子もたしかひとりふたりでてたハズなのだけどネ。
 ラスト・シーン、事件の黒幕の老人がたおされて、このお話は完結しているのだが、「続編」があっても面白いとはおもう。「・・・コレはほんの始まりにすぎなかった」といヤツ。思いきって自分で書いてみてもいいな?
「星魔バスター 全10巻」(丘野ゆうじ スーパーファンタジー文庫)
 ご存じのように、<スーパーファンタジー文庫>は現在廃刊されている。だから未知の読者は図書館もしくは古書店にでむくしかない。であるが、本作品にはそれだけの価値は十分にある(と、ぼくは信じている。)
 処女作には、その作家のすべてがあるとはよく云われることであるが、その言は正しい。その後生み出された諸作のルーツがこのシリーズにはあった。

 光と闇との永劫の死闘をえがく物語。デーヴァ一族という次元間を移動しつつ世界を滅亡させてきた異形の魔性たち。この地球でも太古の時代よりデーヴァの脅威にさらされてきた。むろん侵掠者たちより人界を守護する存在もまたいるワケで、「光の賢者」とよばれる。
 デーヴァを撃退するため「光の賢者」によっていろんな異世界から勇者、超人があつめられたが、本書の主人公、八神和生もその一人。かってデーヴァ一族の精鋭、「黒霊騎士団」と互角以上に戦い、仲間の殆どを失いながらもついに敗退させたというキャリアをもつ。
 本篇の直前に転生した中世ヨーロッパと思われる世界でのデーヴァとの戦いで、自分以外の仲間がすべて戦死するという悲惨な体験が八神和生の心理に深刻な影をおとし、のちに戦いへの忌避を誘発するという遠因となった。これはシリーズの「夢幻炎上」で語られている。

 この作品の特長として(作者の他の作品でもみられるが)主人公たち以外の、一般人たちへの丁寧な書き込みがあげられるとおもう。強大な「敵」に立ち向かう力はなくとも、なけなしの勇気をふりしぼろうとする人々。まさに、「地の塩」とでも評すべき人たち。そんな人々と彼らが生きていく世界こそ、主人公たちが生死をかけて闘うに足りる「理由」である。
 このシリーズ、「闘竜伝説」で一応の完結していたが、のちにいわば後日談ともいうべき一篇が刊行された。「破界戦士」(1994/11)がそれである。
「ジャンパー 跳ぶ少年」(スティーヴン・グールド ハヤカワ文庫 上・下 2巻)
 ふとしたことから自分のテレポーティション能力にめざめた少年の冒険物語・・・、一言で本書を要約するとそんな感じになる。
 正直いって、いまどきこんな設定で物語をつくり、そして読ませることができる作家がいるとはうれしい驚きである。ジャンルでいえば、超能力テーマなんだろうが、語り尽くされた感じのものに読者をひっぱっていく力量たるや、凄いと思う。
 主人公のディヴッド・ライスという少年、酒乱の父親に虐待され、ついに家出してニューヨークへとやってくる。ぐうぜん自覚したテレポートの力を武器に、いろんな試練にも耐えて、力強く生き抜いていく。本作品は、そんな少年のビルディングス・ロマンとも読める。
 にしても、テレポートという超絶的な能力に目覚めたディヴット少年がつつましい性格のキャラで本当によかったと思う。人知れず銀行内へテレポートし、日本円でおよそ1億円近い現金をぶんどった少年のどこが「つつましい」というのか、というツッコミがはいるかもしれない。が、僕は彼がその超絶的な力をつかうにあたっての節度というか、自制心というか、それを云っている。でなかったら、ディヴット少年は世界にとって最悪、最凶のモンスターとしてしか存在しなかったろう。
 それにそもそも、あの現金強奪の一件は、ある意味、少年の緊急避難とう側面をもってたしネ。
 アパートの隣室の女性がその主人に暴行されるのを見るにみかね、ディビットが助けようとし、かえってトラブルをよびこんでしまう。その結果、警察にあらぬ疑いをかけられた少年が、巨額の現金をもつにかかわらず、数百冊の蔵書を官憲の手にわたすまいと苦労するシーンがある。
 こういうとぼけた処を垣間みせる主人公がぼくは好きである。
 S・グールド、日本におけるデビュー第一作。
「超能力エージェント」(ウィルスン・タッカー ハヤカワSFシリーズ)
 これまた超能力テーマの古典的作品といっていいだろう。1954年刊行。
一読すると分かることだけども、作品の時代設定が刊行時とほぼ同時期。すなわち本書は「現代小説」として書かれたことになる。作者自身の職業体験も、その一部が主人公に投影されているのも面白いことである。
主人公ポール・ブリーンは生まれながらのエスパーであり、少年時代から正義感のつよい人物であった。その正義感が彼をして、危険な立場へと導いたといえる。他者の心をよみ、時には操ることもできる。そして一度逢った人間は、遠く離れても追跡しその考えを探知できる!ポール・ブリーンのその能力をしった米国政府の諜報関係者が、彼を「超能力スパイ」として利用しようとしたのも当然であったろう。かくして、ポール・ブリーンを中心とした全世界にまたがる空前のスパイ網がつくられていき、米国は諜報活動において他国の追随をゆるさない状況となる。
 が、一方で彼の能力を危険視する立場の要人もおり、ポール・ブリーンの暗殺が実行されたりもする。そしてやがて・・・。
 人類に比較して傑出した超能力をもつミュータントが、その能力ゆえに迫害されるというパターンがココにある。ソレをスパイものとして良質のエンターテイメントに仕上げたのは作者の力量というものだろう。からくも死地を逃れ姿を消した主人公。その後の消息は、おなじ作者の「明日プラスX」(創元推理文庫)にあるとおり、一切不明。が、後年、海をへだてた異国のSF作家の筆により甦ることになった。小松左京「エスパイ」がソレである。


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