<第1書架>

読んだ本を思いつくまま
並べてみました・・・!

「半村良コレクション」(ハヤカワ文庫 1995年)
長く生きていると人の訃報によけいに接することになる。

作家・半村良。
2002年3月4日、肺炎にて死去。享年68歳。

 僕が氏の作品にふれたのは、1971年の「石の血脈」が最初だった。それ以前にも何かしら読んだ作品があったハズなのだが、記憶としてはソレが最初である。福岡市の紀伊国屋書店で、分厚いハード・カバー本を買い求め夢中になって読んだ。価格は1000円。今では信じられない価格であるが、当時の僕の財力ではかなりの出費だった。
 そういえば、高校の図書館に早川の「世界SF全集」があり、半村良さんの処女作である「収穫」を知ったのもその時である。短編であるが、どういうワケか、大のお気に入りとなり何回となく読みかえした。そして「黄金伝説」を始めとする「伝説シリーズ」「嘘部」「産霊山秘録」「妖星伝」「岬一郎の抵抗」「太陽の世界」等々・・・。半村さんの作品は、読めば判ってもらえると思うが、世界的に雄大なスケールな展開がある一方、その根底には平凡にいきる人々への愛情が溢れていたとおもう。
  氏の作品が大勢の人を惹きつけた所以である。すこし大げさに云えば、もし半村良さんの存在がなかったら、僕の人生がいかに味気ないものとなっていたことか。その意味で彼にはほんとに感謝している。また、かっての未完の作品で、次々と完結編が出されていたこともある。
 そんな矢先の死であった。
 昔からの半村ファンには本書はなによりのプレゼントであろう。1963年「SFマガジン」デビュー以来の32編もの中・短編を収録。日下三蔵氏による繊細な解説と著作リストが附いた優れもの。
名作「石の血脈」の原型ともいえる「赤い酒場を訪れたまえ」、「魔女伝説」へと結実したと思われる「亜矢子」、「嘘部」シリーズとも見紛う諸短編など興味つきない作品ばかり。
  本書を読みかえしていくうち、遙かな昔、マジメな「SFマガジン」の購読者だった頃のことを思い出した。著作リストのうち、
1971年の「SFマガジン」の掲載作品。

「およね平吉時穴道行」(2月)
「組曲・北珊瑚礁」(4月)
「農閑期大作戦」(8月)
「戦国自衛隊」(9〜10月)
「わがふるさとは黄泉の国」(11月)  

1972年では、

「誕生」(1月)
「散歩道の記憶」(2月)
「産霊山秘録」(4月以降連載) (以上、上記日下氏解説より)

と、こうしてふり返っただけでも半村良さんの作品の質の高さには驚かざるをえない。「戦国自衛隊」など映画化されただけに知られた作品だと思うが、「産霊山秘録」にも共通したことだけど、「本能寺」における光秀の謀反の真相・・・信長が天皇制を否定しようとし、光秀がそれを阻んだ・・・いかにもありそうな話ではないか?
「Kの流儀」(中島望 講談社ノベルス)
 作者が極真空手の有段者ということもあって、異色の作品にしあがっている。
 主人公の逢川総二は一見おとなしい高校生。昔、いじめに遭い、克服する意味からも極真に入会、精進をかさね、いまや黒帯。
 そんな彼が、東京より転校してきたのは、教師、生徒共々じつに荒廃した地方の高校であった。
教育に情熱をうしなった教師たち。惰性で授業をうける生徒たち。クラスが成り立っていないどころか、学校そのものが崩壊しきっているのである。でもって、校内暴力は日常茶飯事のありさま。
 
 そんな中、「七人衆」と呼ばれる生徒たちがいる。体育会系の生徒、柔道、相撲、ボクシング、空手、剣道、そして中国拳法の使い手たちである。応援団をふくめた彼らが、学校を牛耳っていて、一般生徒はおろか教師たちも口をだせない。そんな状況の中、転校してきた逢川。よくいえば独立独歩、わるく云えば唯我独尊の逢川が、そんな彼らと折り合っていけるハズもなく、双方は激突することになる。
 主人公の逢川、その性格孤高ぶりが、昔デビューしたころの少年・犬神明(平井和正)に似ていなくもない。「俺には関係ない」と言い放っていた頃の犬神明と、逢川。重なり合う部分はたしかにある。よくもわるくも、孤高にして高潔、そしてゴーイング・マイ・ウェイ、てな処。そして、いくところ、常に嵐がまきおこる、そんな点も共通している。してみると、逢川は時を隔てて、誕生した「狼」の末裔なのかもしれない。
 このシリーズ、2巻まででている。
新たなお話を読みたいと思っているのだが、さてどうだろう?なお、同作者にはサイボーグを主人公にしたシリーズものもあるのだが、コレは僕には性に合ってないようである。
「たたかう!ニュースキャスター」(夏見正隆  ソノラマノベルス)
 このタイトルの作品だが、おなじくソノラマ社から出されていても文庫版と、あらたに刊行されたノベルス版のふたつがある。
 (1)文庫版  1996年11月30日
 (2)ノベルス版2001年11月30日
 
 五年の歳月を隔てて再生されたこの作品、ひょんなことから異星人イグニスに融合された女子アナウンサー桜庭よしみの、スーパーガールとしての活躍を描く・・・という大まかなストーリーは変わっていない。ノベルス版では「第三章エースはここにいる」が追加され、文庫バージョンに対するいわば解決編ともいえる内容となった。(その意味では、それぞれ独立した作品として読んでもいいと思う)水無月美帆と俳優・橋本克則との関係、「熱血ニューズ」採用試験の内幕、山梨涼子がよしみに辛くあたったワケ・・・等々、「謎」は一応の解決をみた。
 
 その後、同シリーズ第二巻「B型暗殺教団事件」(2003年11月)、第三巻「嵐を呼ぶ整形魔人」(2005年4月)が刊行されている。
 にしても、同シリーズを読みなおして思ったことがある。
よしみのように職業人として自己を確立している人間が、スーパーガールとして活躍することはとんでもない犠牲をともなうということ、これである。
くわえて自分のやったことが他人に認めてもらえないのなら、尚更である。他者が認識してくれることで、自己のやったことの意味が再確認できる・・・そんな一面はたしかにある。
よくいうけども、「他人がどう思おうとも、自分は・・・」という言い方があるが、しかしそれはよほどの克己心の持ち主でないとできないワザなのではあるまいか?
 「たまらないよ。あたし認められたいよ。誰でもいいから、褒めてほしいよう」
よしみが親友の美帆に訴えるシーンがある。この悩み、彼女がスーパーガールとして活動を続けるかぎり、つきまとう悩みのハズである。が、どうやらすこしではあるが、よしみを理解してくれる人がでてきたり、友もできたようだ。よしみの活躍に正当な評価がなされる日が来ることを祈りたい。
「クレオパトラの葬送」(田中芳樹 講談社ノベルス)
 田中芳樹さんの人気シリーズ、「薬師寺涼子の怪奇事件簿」の第四巻。
破壊の女神<ドラよけお涼>航海記・・・とでも称すべき一編。
 
 特別任務、南米ラ・パルマ共和国の元大統領で日本に政治亡命してきたホセ・モリタの豪華客船による香港行きの護衛を命じられた「ドラよけお涼」こと薬師寺涼子と、その一党。横浜港から香港への四日間のクルーズが始まる。一行の前途にはいかなる怪事件が勃発するのか?
いや、そもそも無事に目的地につけるのか?
いやいや、「クレオパトラ八世号」なる豪華客船、海の藻屑となりはしないのか?!
 最後の懸念は、幸い杞憂に終わったようである。その意味では「ドラよけお涼」が関わった事件としては地味(?)だったかも。が、しかし通常の人間からしてみると、とんでもない航海の日々といえる。誰が何人も死者がでて、わけのわからん化け物が出没するクルーズを楽しめるだろうか?
なんでもいいから降ろしてくれ!と騒ぎ立てた女の子たちの気持ちがよくわかる。というか、それが正常な人間の反応だろう。薬師寺涼子という女性とつきあっていると、その辺の機微がわからなくなる懸念がある。注意しなければ(笑)
 お涼サマに関する疑惑に、なんでこうも彼女に行く先々に怪物、妖魔、正体不明の化け物が出没するのか?というのがある。一部の趣向をのぞけば健全な常識人と思われる岸本明警部補の指摘(本書52ページ)はある程度の説得力を有している。が、お涼その人が「混乱の大元締め」であることは間違いないとして、かくいう岸本、室町、そして我らが(?)泉田準一郎警部補どのが加わることで更にパワー・アップしているのではないだろうか?
 そして今回、あらたな一党のキャラとしてマリちゃんこと、阿部真理夫巡査、そして呂芳春(ルイ・ファンチュン)こと貝塚さとみ巡査が登場。ユニークかつ特異な人材であり、このメンツでよく豪華客船が沈没しなかったものである!
 
 そしてラスト近く、衝撃の事実が明らかとなる。
乗客に高齢者がほとんどいないという貝塚さとみの指摘に関連してのことなのだが・・・。これは未読の方のためにもその真相はいましばらく伏せておくべきだろう。し、しかし、これが推理小説だったら、究極のアン・フェアーだろうなぁ。
 神は恐れなくても、あたしを恐れなさい!が、お涼サマの今回の「名言」としてノベルス版のオビに紹介してある。が、それより僕は、「あたしとアメリカ軍のやることに、証拠なんていらないわ」(72ページ)を推奨する。如何?   
「ノルマルク戦記」(赤城 毅 スーパーダッシュ文庫)
 かって中央公論社よりノベルス版で5巻まで刊行されていたシリーズの文庫化・・・ではない。
第一巻の著者あとがきに記されているように、ある事情からシリーズを一端中断し、再スタートをきったという方がより事実に近いだろう。全面的に加筆・改稿をくわえているため、一部のキャラの消息にかなりの変更もされている。たとえば、ジュブカ少年。元の設定では、第二巻にて戦死していたのだが、生きのびることになった。今後の活躍が期待できる。そして戦略や戦術、あるいは物語世界についての歴史的省察の数々。物語に厚みをくわえる結果となった。
 英雄が歴史をつくる。同時に、歴史が英雄をうみだす。よく云われる箴言でもある。
本書の主人公、ユリアス・スウェンは、まさに歴史の胎動がうみだした英雄そのものであろう。
強固に存在していた身分制社会が自ら生みだした矛盾により崩壊し始め、次代の社会構造を模索し始めたとき、その実現を体現した人間を選びだす。
 ユリアスが騎遊民とともにその実現をめざそうとする社会体制は、既存の支配層より忌避され、圧殺されるべきシロモノである。よって「叛逆の大罪人」として弾劾される運命にある。が、後世の史家からは「人民平等思想の先駆者」として讃えられる存在となりうる。
そういう両極端の評価をうけた英雄・ユリアスの実像にせまる物語が本書、ということになろうか。
ユリウスの来歴、その戦術は我が国の源義経を想起させるものがある。だとしたら、彼とその一党の戦いの行く末は、あまり幸福なものではあるまい。
が、大事なのはユリウスたちが精一杯生きたと云うことであり、その夢に殉じたことである。読者は彼らの運命を見守るだけでいい。全7巻にて、完結予定。


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