[6]「敵とて同じ人間」
 さて、年が明けて昭和19(1944)年3月、わしらはマーカス岬の任務を解かれて再びラバウルへ。今度はラバウル近くで日本軍の拠点を警備するよう命じられたんじゃ。
 そこではこんなエピソードがある。オーストラリア軍の偵察兵がわしのところに迷い込んできたんじゃが、足を負傷していて動けない様子じゃった。よく見ると18歳くらいの少年じゃ。敵とはいえ同じ人間。どちらもお国のために駆り出されて来ておる身であり、怪我しているのを放ってはおけんかった。わしは持っていた布を裂き患部に巻いて止血して固定し、「帰ったら日本軍はいなかったと報告してくれ。(敵にとってみれば日本軍がいないところを攻撃する必要はないため)」と片言の英語で頼んだのじゃ。彼は「OK,Japanese Boy.Thank You.」と涙を流しながら答え、帰っていった。その後敵がこちらを攻撃してくることはなかった。
ニューブリテン島
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