[7]「日本無条件降伏」
 日本の無条件降伏・終戦を聞いたのはそれから1年余りが経過した昭和20(1945)年8月。敵機がばら撒いた日本語で書かれたビラを見たときじゃった。もっともその時は「大日本帝国が敗れるはずはない。これは敵の謀略だ。」と言って誰も信じてはおらんかったんじゃが。
 それから半年余りはニューブリテン島で過ごして日本からの迎えが来るのを待った。もう戦わなくてもいい。わしらは島の原住民である「カナカ族」と仲良くなり、タピオカという芋を栽培して食べたり、木登りを教わったりして自活生活を過ごした。
 そして昭和21(1946)年3月に祖国・日本へ帰還したんじゃが、わしの部隊の戦友も多くが戦死してしもうた。後で分かったことじゃが、わしは1000人に1人の生き残りだったそうじゃ。本当に奇跡としか言いようがないわい。