din ROMANIA 〜ルーマニアからコンニチハ

13.Nov

たった7時間の友達フレッドとの出逢い(ちょっと長文だよ)

朝ペンションの管理人に起こされる 「何時にチェックアウトする?」
12時かなと答えておいた。そもそも、これが原因となって後で・・・

朝食に買っておいたバニーツァ(南瓜のパイ)を食べ、ボザ(麦の発酵飲料)を飲む。
オエ〜・・・思わず眉間にシワが寄る。

健康にいいとガイドブックに書いてあったけどゴマ豆腐を麦茶で溶いたような味。
ん〜どちらも好きな食べ物だけど混ぜると別ものだよ。

卵と酢と油どれも嫌いじゃないけどマヨネーズが嫌いといってた誰かさんを思い出した。
(ヒコスケあなたです)

ドロドロと飲んでみたけど250mlが限界。ご馳走さま。

伝えておいたより早く10時にチェックアウトしようと思って管理人室にいくと誰もいない。
次の客を探しに駅へいったのか?本当に誰もいないのかな困ったな。しばらくウロウロして待ってたけど時間が経つばかり。

隣りの部屋に電気がついている。ドアに宿泊施設認可証のプレートが張ってある。ここもオフィスだろうか?ベルを押してみた。眼鏡をかけた中年男性がドアを開けた。

チェックアウトしたいんだけどオフィスに誰もいないの。いつ戻ってくるんでしょう?
「上階や庭も探してごらん」 私が使った部屋に戻ってみると掃除が終っていた。どこで行き違ったのか庭にもいないし車もない。早く街へ出たいんだけど。

「私も客だよ。さっきブカレストからソフィアに着いたばかりでさ。よかったら入って待ってなよ」 まさか客とは知らなかった。失礼を詫びる。

でも知らない人の部屋に入るのは・・・
「どうぞ、遠慮しないで。話しながら管理人が戻るを待ちなさい。さあ入って。貴女を食べたりしないから」・・・戻る部屋も無いし中へ入る。

私も昨日来たばかりだよ「昨日か・・・」そう呟いてビートルズのイエスタディを口ずさんだ。
「この歌を知ってるかい」知ってるよ名曲だもの。おそらくこの質問から推測すると私の年齢を誤解しているのだろう。若く見えるけれど、もう三十路。

彼の名前はフレッド、43歳のアメリカ人。 建築デザイナーで、中欧・東欧ヨーロッパ、ロシア、バルカン半島の建築物を見るために2ヶ月半かけて旅している。

「ブカレストは最悪の街だったよ」彼はブカレストの地図をテーブルへ放った。

たった2日の滞在で何がわかるの?独特の建築物を見るならトランシルバニアに行かなくちゃ。ブカレストは一つの街であってルーマニアは各地独特の都市で形成されているのだから誤解しないで。

「だってブカレストは首都だろう?首都を見ればその国がわかるよ」

何と短絡的な発想だろうか。移民の開拓で計画的に作られたアメリカの国民にはヨーロッパ諸国に見られる歴史的背景に揉まれた挙句の観念を理解するすべがないのだろうか。私は少数派であろうとルーマニアに魅力を感じて滞在している一人だ、ほんの一側面に触れただけで最悪と評するのは残念だと反論した。

「あの国の人間は横柄だよ。ホテルのレセプションくらいは旅行者を相手に商売しているんだから英語を話すべきだ。それに国境越えでコントロールが、荷物が多いから超過料金8ドルよこせって。まったくバカらしい・・・ブカレストではどこもかしこも頭が痛かったよ」

国境越えでやられたか。
実際、被害にあったなら・・・それ以上言うのは止めた。

「よかったら見て」 到着したてで開けたばかりのバッグの中から丸めた設計図の束を取り出した。「ドバイへ行ったことはあるかい?ドバイの空港ターミナルは私が手がけたんだよ」
ドバイは知らないが図面を見ると鉄骨だった。私は以前、鉄骨施工の会社で設計部に属しアシスタントで図面引きをしていたから分かる。日本とヨーロッパはセンチメートル表記なのに対してアメリカはフィート表記だった。

「建築は美しい芸術だ。仕事に誇りと喜びを感じているよ。私は美しいものが大好なんだ」
フレッドはお喋りだ。

「日本のどこに住んでいるのかい?」どう反応するか見たいと少し期待しつつナガサキだよと答えると「ナガサーキ、ヒロシーマ。原爆・・・」と呟いた。

私の母は11歳の時、山の上から原爆の様子を見たそうだ。強烈なまぶしい光、炸裂時の轟音、キノコの形の煙、同級生の女の子が死んでしまったことなど生の体験談を私は直接聞いている。放射能の影響なのか母の顔面は若い頃からシミが異常に多くなった。被爆者も高齢になり日々亡くなっていくので生の体験談を聞く機会はどんどん失われている。アメリカ人のフレッドにとって家族が原爆を体験した話しなど、この先滅多に聞けるものじゃないだろう。

「君の名前は何だっけ」
もう2回も言ったのにぃ。じゃあヒロって呼んでよ、ヒロシマのヒロなら覚えやすいでしょ?

「日本人は2人知り合いがいたよ。一人は学生時代の私のガールフレンドでヨーコという名前だった。美しい人だったよ、長い黒髪にパーマをかけて、教養があり上品で金持ちの娘でね・・・私は美しいものが好きなんだ。でも現築が私の中で最も美しい」 ふうん。

そんな会話の途中、ペンションの管理人が戻ってきた。

「まあどこにいたの?」・・・隣りの部屋で喋って待ってた
「ダメよ、あそこはゲストルームなのよ」・・・もう友達になったから問題ない

清算を済ませ、街へ出るよとフレッドに言ったら、「両替まだなんだ。よかったら街まで案内してくれないか。一緒にランチを食べよう」と言って私に付いてきた。昨日歩き回ったコースを案内する。フレッドは教会とカテドラルの違いや石の材質など専門分野を話してくれた。また、ブルガリア正教会や寺院をまわりゴシック様式かトルコまたはロシアの影響かなどを知りたがるのでガイドブックを見て説明してあげると大いに喜んだ。

「その本いいね」・・・アメリカ人も絶賛、『地球の歩き方』。実は借り物なのだ。

「建築物にしか興味ないよ。買い物なんか必要ない」とはいえ見るだけでもショッピングデパートのセントラル・ハリに行こうと誘った。中へ入ると鉄骨むき出しの造りになっていて、フレッドは見るなり「おおよそ80年前のスタイルだな」と見当をつけた。ガイドブックに1910年の建設と記載がある。そう違わない。「私はスペシャリストだからね」とフレッドは得意げ。

フレッドは私の後を付いて歩く。困ったな生理用ナプキンを買いたいのに。薬局に行ってくるからと言うと具合が悪いのかと逆に心配して付いてきた。事情に気付いたフレッドは少し距離を置いて立った。

お腹がすいた私たちはブルガリアの伝統料理を食べようとレストランへ。メニューが豊富で迷ってしまう。「頭が混乱しちまうよ」お店の人も覚えきれないのか料理に通し番号が打ってある。私は314番のトマトと豆のスープ、アーモンドとオリーブとレーズンのチキンソテー。フレッドは351番のヨーグルトとキュウリの冷静スープ、サンマのグリルを注文。まずはブルガリアビールで乾杯。

ウエイターがサービスしているとき、あろうことか、さっき買ったナプキンがテーブルの下にコロリと落ちた。しかもフレッドの足元に。さすがに私も恥ずかしい。拾ってくれたのでテーブルの下から渡してくれと頼む。「遠慮しないで行っておいで」と言うので私は席を立った。

数分後テーブルに戻るとスープが運ばれていて、フレッドが私のぶんまでセサミ入りのカイザーセンメルを二つに割りパテを塗ってくれていた。

クラシックなインテリア、窓際の席、シャーデーの曲が僅かなボリュームで流れる静かなレストラン。フレッドは静かに熱く建築について語る。

「建築デザインは芸術であり、物を生むには考える時間が要るんだよ、静かにね。自分もリラックスできなければ人の気の休まる空間など創造できるはず無いだろう?」

物造り屋がインスピレーションを得る場はいろいろ、恐らく趣向による。以前一緒に仕事をしたゲイのオランダ人はホモバーが心休まる場所だったなぁ。ホモバーだろうと風俗店だろうと心と体が活性化されるという人たち(客)がいる。需要があるから供給がある。

話は飛躍するけれど、そこで出稼ぎルーマニア人女性に考えが及んだ。

ルーマニア女性がイタリアやスペインに出稼ぎに行くのを売春婦呼ばわりする吹聴があるが、それには社会主義崩壊で国に補償された生活が根底から倒れた背景を無視できない。極めて美しいルーマニア女性が唯一身体という資産を生かし国境を越えて日銭を稼いでも批難する気にならない。たとえばポルセレイン工場でルーマニア伝統の美しい絵付けを施していた女性が工場の閉鎖によって職を失い泣く泣く髪を金色に染めてホステスとして海外へ渡るケースなど、事情は個々さまざま。売春などせず任期を終えれたあと本当の自分に戻って元の生活を営むのが普通。一方、たがが外れて金欲一直線の成金になり下がり、男を騙してまでも取れるだけの金を集める強欲なオンナに変身する者もいる。そんな輩は根っからの素質だろう。

インスピレーションと趣向、そう聞いてブッ飛んだ自分の意識をテーブルに戻す。

欧米人は家族の話をするものだかフレッドの口からは出ない。 ご家族は?「娘が二人。妻とは離婚したよ。何度も言うけど私は美しいものだ好きだ。とっても美人だったよ妻は。」それがどうして離婚したの? 「美しい妻は好きだったけど一番愛しているのは仕事なんだ。大事な仕事をやっているとき電話をかけてきて私の集中力をブチ壊す。仕事が深夜に及ぶと浮気を疑う。たまらんよ」わからなくもない。私も最中に手を止めるのは嫌だ。

嫉妬から心配が浮かび余計な言葉まで発してしまう。関係のもつれの始まりだ。仕事は嫉妬しないし赤ちゃんやペットと同じで腹の立つ言葉は返さないし無償の愛が注げるのだろう。それどころか仕事には報酬まで付いてくる。

でも家族は一生自分のものだけど仕事はクライアントに渡したら終りじゃないの?

「さら地の何も無い場所に巨大なビルディングを構築する創造の喜び、街で誰もが私の手がけた成果を見ることが出来る完成後の満足感。私は仕事を一番愛している」仕事の成果は家族の愛をも越える大きな喜びだという。

どうしても、愛が優先するルーマニアと比較してしまう。全力を注いだ巨大なビルを一人で眺めて心が温かいか?と尋ねたかったけど私は言葉を慎んだ。

「ジョンレノンの妻を知っているか」オノ・ヨーコ「偉大な作家の妻は日本人の場合が多いんだ。何でかな」さあ何でだろう。フランスの巨匠・故バルテュスの妻も日本人だね「そうか・・・バルテュスもか・・・」

食事はフレッドが奢ってくれた。

「出発まで時間があるね。部屋で飲まないか、ヴォッカは好きかい?」ジンがいいな。キオスクでジンを頼むフレッドは相手になかなか英語が通じないで悪戦苦闘している。私の英語がヘタクソで通じなかったんじゃないんだワと少し安心した。フレッドは私に通訳してと頼む。私だってブルガリア語は喋れないのに。地球の歩き方の便利会話集から使えそうな単語を拾い、本にない言葉はルーマニア語で話すと通じた。ジンは置いてないというのでブルガリア産のヴォッカを買い部屋で飲みながら30分ほど話した。また昔のガールフレンド、ヨーコの話題で、お喋りフレッドの口は止まらない。そろそろ行かなきゃ。

フレッドが見送りに来てくれると言う。通りでタクシーをつかまえた。

お決まり英語、プリーズ・ゴー・トゥー・ステーションすら通じない。トレインと言ってもダメ。 ルーマニア語で言ったら「ああ、駅か。列車に乗るんだね」と、あっさり通じた。ボルのが常識とまでいわれるソフィアのタクシーだけど料金は100円だった。ルーマニアもそうだけど意思の疎通が取れる相手のことは騙さない。

出発時刻5分前。
余ったレヴァを売店で使い切る暇もなく列車に乗らなければいけなかった。

フレッドにお別れを言う。見送りに来てくれてありがとう。そう言って左右のホッペにお決まりのキス。口にもチュ。あれ?と思っていると、もう一回、口にチュ。どーゆーこと?

「気違いフレッドを忘れるな」そう言った。

昔の恋人ヨーコを思い出したんだろうか?それとも・・・

『BULGARIA EXPRESS』はモスクワへ向けて走り出した。

フレッドは英語の通じないブルガリアでどんな日々を過ごすだろうか。それが心配