ルーマニアに住んで7年という50歳代の男性Mさんが、その店のオーナー。
出店の構想から実現するまでの苦労のエピソードを聞かせてもらった。Nちゃんいわく来る人全てに同じ話をするらしい。良く言うとおおらか、悪く言うと変わった人だ。完全に騙されてるとわかっていても平気なようで、もってけドロボーと散財してる。それを恥じないどころか自慢のようだった。
Nちゃんは何度も同じ話を聞いているにもかかわらず「あ、それ聞きました」と言わずに相槌を打っている。ダメよNちゃん。痴呆症の初期症状の一つに同じ話を繰り返すというのがあるけれど、聞き手がまともな返答をしないのも進行を早める原因だとか。「それ聞いた」「あっそうだっけ?」とか「これ話したっけ?」と記憶を辿ることをおろそかにしたツケが痴呆症になって表れる。話が脱線したけれどMさんは痴呆症と無関係。
Mさんいわく、「これまでルーマニアの汚い部分をたくさん見てきた。利権が絡めばトコトン汚い。物や金をくすねる、人の親切に対してお礼の言葉もない、我々日本人の常識では考えられない」。ウソのルールをでっち上げて何度も金を要求し結果を尋ねると明日だと答えるが、その後も同じで、いつもその調子なのだそうだ。
しかし、あなたも少しは学習しなきゃ・・・という言葉はグッと飲み込んで話の続きを聞いた。
Mさんの周りには若いルーマニア人が男も女も彼を頼りに集まってくるらしかった。あるときは「女友達が妊娠したので中絶費用を出してくれ。あなたが払ってくれなければ、まだ十代なのに彼女の人生は滅茶苦茶になる。あの子が嫌いか?不幸せになってもいいのか」といわれ、Mさんは会ったこともない女の子のために何で自分がと思いながらも、しつこく食い下がられると本来の面倒見のよさから支払ってしまったそうだ。
そんなことまでするものだから我も我もとドンドン寄って来る。それはまるでジューシーな美味しい食べ物を舐めに集るハエだ。
Mさんは物の管理に無頓着のようで服の試着をするときも携帯電話を置きっぱなしにするらしかった。戻ってみると無い。そんな調子で5台を失ったという。他人に言わせると、ご自身が苦労のタネをまいているのだった。
そんなMさんの周りには常に甘い汁を吸おうと狙う若者がつきまとう。一人の青年が携帯電話のカタログを見せながらコネックス社のがいいコレは高性能だと(決して買ってくれとは言わず)2週間も通ってこられたのにキレて「欲しいなら最初から頂戴と言いなさいっ!」と金をあげてしまったそうだ。まんまと思うツボにはまっている。
ルーマニアを貧しい国と呼ぶ人がいるけれど、私はこの国に来てから物乞いは別として分別の判る年齢の人からモノを頂戴と頼まれたり盗まれたことはないし金の無心をされた経験も無い。それどころか私が知らずに無駄な出費をしないように安い方法を調べてくれたり教えてくれるのだ。もちろん全て善意で金の要求などされない。だからMさんのように顔見知りの人たちからヤラレルというのが信じられない。ルーマニア人を意地汚いと呼ぶ前に、エサをチラつかせて彼らの『欲』を刺激した自分は誇らしげに語るほど善人だろうか?
日本人のほうが利口で常識的だという言いっぷりなのだけど、日本にだって『しない、させない、与えない』という標語を掲げて社会に徹底を訴えなければ守られないような節操の無い部分だってあるじゃないかと思うのだけれど。
勝手の違う海外で暮らせば不満も溜まるようで、その場は、だんだん愚痴り話になった。
Nちゃんは小柄で垂れ目、化粧をしていなければ子供に見えるだろう。そのせいか道でからかわれたりするらしかった。ジプシーの女の子に金をせびられ断ると顔めがけて手を上げられたこともあるし、ジプシーの男の子に親指で地面を差す『地獄へ落ちろ』のジェスチャーを向けられたときは温厚な彼女も、さすがに嫌悪感を覚えたという。私は強面のせいか、そのようなナメられた経験は無い。背は小さいけど顔はキツイ。防犯に役立つなら、こんな顔でよかったよ。
もしかするとNちゃんは日本人と思われていないのかもしれない、そういえば彼女と一緒に歩くと普段以上に「ニーハオ」と声を掛けられる。中国人は大変嫌われている。中国からの輸入製品を重宝して使っているくせに馬鹿にしている。それは『やっかみ』である。自分の国に来て商売上手で儲けている中国人の商魂に対する妬み。
生活習慣の違いからエレガントに見えない部分があるのだろうけれど、私が思うにルーマニアと中国は食を大切にするという国民性に大きく共通するところを感じる。中国で昼に交わす挨拶は「ご飯食べた?」だそうで、まだならテーブルに誘うのだと友達から聞いた。ルーマニア人も、お腹がすいたと口にしようものなら、すぐさま山ほど食事を出される。その後も空腹の自覚症状が起こる前に「お腹は空いていないか」と訊かれるのだ。ルーマニアの宗教観では空腹(胃も懐も)は辛く悲しいことなので皆で補うべきであるという考え方があるけれど、その宗教的発想を除いても元社会主義のルーマニアは現社会主義の中国に共通する『国民は一つの家族である』という横並びに助け合って生きてきた歴史の名残りがあるのではないか。
ルーマニアに仕事で滞在している人の多くが、中国人と言われてムカッとするらしい。私は訂正はするけれども嫌な気はしない。街で見かける割合からしても当てずっぽうに中国人かと訊いたほうが的中率が高い。ムキになっても、しょうがない。Nちゃんとバスに座っていると「アンニョーハセヨ」と小学生くらいの男の子に言われた。Nちゃんは「ヌー!スンテム・ジャポネーザ!」と言い返した。
相手の国の言葉で挨拶しようというのは好意的なことなのかな?と私は善意に解釈していたら前の席に座っていたご婦人が「恥ずかしいことはおよしなさい!」とたしなめた。
あ、なぁ〜んだ。やっぱり、からかわれてたんだ。次は「ルシーネ!(恥よ)」って叱ってやろうっと。