アパートの前の公園には珍しく誰もいない。ブランコの溶接部が取れて片方にダラリとたれているのが、なお寂しい。
そうか、子供達は今日から新学期だ。公園の横のゴミ捨て場ではお婆さんが棒でゴミを突付いている。
日が差せば温かい。ポジが仕上がっているはずなので、それを取りにチェントラルへ行く。ネガ現像は1本25、000レイ(約100円)、それに比べてポジはなんと240、000(約960円)日本並みの価格。しかも1週間かかる(おそらく首都ブカレストのプロラボに運ばれるのだろう)そのうえ前金払い。後で仕上がりのまずさに文句を言っても金は戻らないだろう。リスキーだぁ。
どれどれ、仕上がりは・・・カーリングがキツイな。。
帰り道をブラブラ歩いているとムレシェニロール通りのムゼウル・ジュデツィアン・BV(ブラショフ市民美術館)で絵画展があっていたので覗いてみた。油や水彩、ドローイングでブラショフや田舎の風景と人物を描いてあり、ヨーロッパ印象派の画家それぞれのタッチを実践したような混ぜこぜな作風だったので複数の作家の合同展かと思ったら、『ニコラエ・バルブとその息子』と記してあった。売約済みの張り紙もあるし、お客様の多様なニーズにお応えするための品揃えかぁ。ひとつ気に入った絵があった。縦構図で描かれたセピア色の樅の木の林。これは幾らだろう?訊ねようとしたけど作家は来客人とお話中だったので、また今度。
絵画展に触発されて絵を描いてみたくなった。色鉛筆とスケッチブックは持ってきているけれど水彩絵の具と筆がないので買おうとリブラリエに入る。本のコーナーはガランとしているのに文具には人が、うじゃうじゃ。あぁ、そうか今日から新学期なので子供達に必要な教材を買いにきたんだな・・・日頃こんな光景は見ないもの。
6色絵の具と筆6本。パッケージにはパンダと笹の絵がプリントしてあり『学生徒用水彩』と漢字で記されている。メイドイン中国・天津。筆の毛が抜けなければいいけど。ドローイング専用紙のような上質の紙はなかった。美術用具専門店も探せばどこかにあるのかもしれないけれど。それからルーマニアの地図型のテンプレートを見つけた。ルーマニアの国土はエンジェルフィッシュが左を向いた形をしている。その板には都市部に穴が開いていて名前が記されてあり、ためになりそうなので購入。
果物を買いにピアッツァに寄ろう。用はないけど百貨店スター・デパートの1階を通り抜けると「クリスマスの買い物をしましょう」
という女の子2人連れの会話が耳に入った。やっぱりもうクリスマスの準備にかかりはじめる頃か。
「梨を1キロちょうだいな」「おっ、ルーマニア語が喋れるのかい?」「ほんのちょっとだけ」「どこの国から?」「日本だよ」そんな会話を店のオジサンとしていると息子が出てきて「オレの姉貴は日本でダンサーをやっているんだ」と売台の端の棒につかまりセクシーショーの振り付けみたいな格好をして見せた。横で見切り品の梨を選んでいたお婆ちゃんが、その息子に「この娘と結婚しなよ」と真顔で言う。かなり名案という風に。なんという唐突な発想だろうか。「いや〜オレ結婚しちゃってるもんな〜」。こっちこそ冗談じゃないよ、梨を買って身を売るわけにはいかない。
そもそも日本人というだけの理由で見初められるのが気に食わない。個人のキャラクターも頭も顔も関係なく『日本人だから』、それだけが好まれる理由なんて人間として悲しい。
アパートの前で誰か車の下に潜って修理をしていた。ヒョイと顔を出すと近所のオジサンだった。白髪交じりだけど眉毛は真っ黒で太い。このオジサンいつも道で会って挨拶をすると手の甲にキスをくれる。ルーマニアの紳士が女性に送る丁寧な挨拶だ。
日本にも丁寧で美しい挨拶の仕方があるのと同様、ルーマニアにもいろいろある。『ちゃん、さん、様、殿』にあたる尊称代名詞も男女別にあるし、ほかにも、会ったときや別れ際に女性だけに送られる「サルムナ」という言葉がある。ルーマニアはほかのヨーロッパ諸国に比べると東側の週間が混じっているせいか男性優位の社会だけれど、女性を敬うマナーはラテン系らしくマメなのだ。
オジサンは車の修理でお取り込み中なので「お元気ですか?寒いですね。お大事に」そんな会話で別れた。
アパートのエレベーターは故障中。歩いて登った。