din ROMANIA 〜ルーマニアからコンニチハ

11.Aug

今日は教会巡り。

午前中、中心街を散歩しているとパブテスト教会の入り口が開いていた。今日は土曜日、10時のミサか。教会に集まっている人たちは皆オシャレをしていて年配の方が多い。続々と人が入っていくので私も入ってみた。指を聖水につけて額から十字を切り、膝を追って深々とお辞儀をして席に着く。腰の曲がったお婆さんは辛そうだが壁に手をついて器用にお辞儀を済ませる。チン、とベルの合図でミサが始まった。大きくて立派な教会の内部、ここにいる人たちの顔から察するにドイツ系が多いようだ。信者でない私は何だか場違いな感じがして教会を出た。

そこから歩くこと5分。
オルトドックス教会『SFINTA TOREIM』へ。 ここは1787年の設立で、こじんまりしている。11時。教会の内部に入りきれないほど人が集まっていて、ブドウの樹が取り囲むコの字型をした中庭のテラスには、日本では皇族にしか見られないような気取った帽子を被ったご婦人や花を手にした人の姿が見られる。自分の最高のファッションに身を包んで参拝し、神に敬意を表すようだ。テラスにもスピーカーで賛美歌と司祭の声が届く。興味がなさそうに独り言をブツブツ話す子供。風が強い。祭壇の儀式からチリンチリンという鐘の音が鳴り続く。
教会の内部には信者が入れ替わり訪れて出入りが途絶えない。
何度も十字を切って頭を下げて出たり入ったり。それは働き蟻の巣の出入りに似ていた。自分に課せられた義務に忠実な蟻はルールに従って必要なものを巣に貯えて狭い出入り口で仲間と身を交し出てき、また貢物を抱えて巣に戻って来る。女王蟻というシンボルのため自分達の行ないを信じて日々を送るのだ。小さな蟻も終結すると強くて、大きな虫も敵わないほどパワフルだ。なるほど、宗教という掟で団結すると人間も相当な力を発揮するんだな。

車椅子で連れてこられたお婆さんは家族は内部に入ったままらしく中庭に置き去りにされ直射が当たっていた。黒いスカーフを被った花売りのお婆さんがそれに気付いて日陰に移動させる。次々とやってくる信者たち。一人のご婦人が立ち止まりバッグからスカーフを取り出して頭に被り、ササッと十字を切って教会に入っていった。
11時50分。
かつてドイツ統治の時代にルーマニア人居住地として壁で囲われていたスケイ地区の聖ニコライ教会へ。

壁には1495〜1995年と記されている。エントランスホールはオルトドックス正教ではフレスコ画が描かれているのが普通なのだけど、ここでは聖書の一場面らしい絵画があった。作者名や年代は記されていないがチェコの画家アルフォンス・ミュシャに似たタッチで中欧の雰囲気だ。時代や国の近さを考えれば画家の間で作風に共通した流行があったことも想像される。

祭壇は修復中で足場が組んであり、床に伏せて祈る人、イコンにキスする人、1時近くになってもミサは終る気配がない。

聖ニコライ教会敷地内の墓地へ。白い十字架には故人の写真が付いていて、そこにどんな人が葬られているのか顔がわかるのが興味深い。花でいっぱいに飾られた墓はオドロオドロした様子はなく、むしろ公園のようだ。

そういえば私の地元の長崎でも墓に絶やさず花を供えるのだが、東京の友人が遊びに来たときそれを見て「長崎ではお墓に花を飾るの?」と驚いていたのを思い出した。そういえば東京で墓地を見かけたとき墓石に花は無かったなぁ。私の地元の長崎は隠れキリシタンの歴史で知られるが今もキリスト教信者が多く小さな教会が点在する。墓に花を供えるのはカトリックの習慣が影響したのかもしれない。

なぜ私はオルトドックス教会に来ると気持ちが落ち着くのだろうか?と考えた。

教会のこじんまりした雰囲気に長崎のそれと共通するものを感じて親しみが湧くのだろう。私の家柄は浄土真宗だか子供の頃はカトリック系の幼稚園に通い、食前に祈りを捧げ、聖母行列に参加し、首にマリアのメダルを下げていた。私が4歳のある日、風邪をひいて小児科へ連れて行かれ「注射はしないでってお医者さんにお願いして」と母に頼み「ちゃんとお願いしたから大丈夫よ」という言葉を信じて安心しきっていたのに大きな注射器をお尻にグサッとやられたショックで大泣きして止まらなかった。

帰り道、泣き止まない私に困った母は苦し紛れに山の上の教会を指差して「あそこに行こう」と寄り道をした。初めて行ったその教会は装飾的な特徴もない真っ白な建物だったのだけど屋根の白い十字架を見て静かな内部に入った途端に泣き止んだことを覚えている。なんて言うと神秘的だけど今思うと本音は今度こそ約束を守った母に対して怒りが治まっただけだったのかもしれない。

子供のころ根ざしたものは、オルトドックス教と信仰の違いはあるけれど心の中では同じく絶対的な存在なのだろうと思う。

午後から通称『軍人会館』というところでブラショフ市主催の蔵野市交流10周年記念パーティが行われた。武蔵野市の交流団はみなさん浴衣姿で参加。ルーマニア民族ダンスをピョンピョン跳ねながら踊る武蔵野市長の姿は広報の許可を得ていないので非公開。