帰りに一人で通りを歩いているとジプシーの子供が寄って来た。いつの間に近づいてきたのかまったく気付かなかったのでビクッとする。「お金ちょうだい」。
私のわき腹くらいまでの背の高さの女の子だ。眼を見てしまったが最後、要求がかなりしつこくなり手にしがみつく。私の手を自分の頬に擦り付けながら「お願いマダム。ねぇお願い」とせがむ。
小銭をあげればサッサと何処かへ行ってくれるのかもしれないが、この問題はルーマニアの友人達によるとルーマニアの人たちなりの考えがあるらしく、「貧しいものには与えなさい」という考えと「働かず恵んでくれというのは恥だ。拒否すべき」という両端の声を聞く。
小さくて柔らかな手で私の腕をギュッと掴んでいる・・・振り払おうか?・・・。どうしたものかと困ってしまい少し離れた場所を歩いているご婦人方に声を掛けたけれど知らぬ顔して行ってしまった。
家族はいないのかと訊くと「家族のためにお金がいる。お腹が空いている。10,000レイちょうだい」と言う。日本円に換算すると約40円。この額はちょうどバスの往復料金、ジャガイモやトマトなら約1キロ分、パン丸ごと1個と2リトルのミネラルウォーターに相当する値段だ。事情の判らぬ外国人ならすぐにくれるだろう。日が暮れるまで声をかけ続ければかなりの額になるかもしれない。実際一日に二人が10,000レイずつくれたら飢え死にすることはないはず。そのとき夕方4時ごろだった。この子の昨日の稼ぎで親は今ごろ夕食の準備をしているかもしれない。そうも考えた。
「ねぇお願ぁい・・・」鼻にかかった猫なで声でお金が欲しい理由を話している。一言目で私が拒否すると「プロスタ!(馬鹿な女)」と叫んでおきながら、あの手この手で交渉してくる。私もルーマニア語は分からないと言っておきながら、この子の口から次々と出る言葉に思わず顔が歪んでしまう。ついに、「この腕時計ちょうだい」と言い出した。ダイソーで買った100円のデジタル時計だから惜しいシロモノではないけど無くては私が困るじゃないか!いや、そういう問題ではなくて身包み剥いでまでこの子を助ける必要が私にあるのか。たかが100円均一ショップの腕時計でもこちらでは同額で売れても25,000レイ、ひょっとすると中古屋で2ドルくらいで引取ってくれるかもしれない。
この子は離れる気がない・・・私からなら必ず貰えると既に確信しているようだった。5分以上が経ち300メートルくらい歩いたところで一度くらいあげてもいいかと思い始めた。この子のためというより自分の精神が疲れてきて煩わしさから開放されたい気持ちが優先だったかもしれない。よく使う額の小銭はポケットに入れているのだけど、このときたまたま全額をサイフにしまいバッグに入れていた。取り出そうにもサイフの在り処をピンポイントでこの子に知られたくなかった。ここは私のアパートの近所だし、この子はまた私を見かけたらきっと物乞いに来るだろう。この子に限らず離れたところで見ているストリートチルドレンまたは大人の物乞いもいるはずだ。ブラショフは街並み美しく人はやさしくて親切で、ここに住む人たちはこの街が一番だと言うのはうなずけるが一方、ルーマニア全体の悩みである貧しい生活者がやはりここにもいる。
与えることと拒否することの意義をもう少し考えたかった。
一人の男性が通りかかったので、この子を諦めさせるよう頼んだら、すぐには離れなかったものの、もうついて来ることは無かった。仲介が入って交渉決裂。わずか身長120センチくらいの子供だけど生きるためのビジネス手腕がもう身についているんだな。生死がかかっているんだから真剣だよね。