レトロな町並み98−盛岡


 岩手県の県庁所在地の盛岡市は、盛岡藩南部氏の盛岡城を中心に栄えた城下町です。1982年に東北新幹線が開業し、今では東京から2時間10分で訪れることができます。盛岡城址公園にも近い紺屋町周辺は、江戸時代に盛岡のメインストリートとして栄え、洋風建築や町家等、昔ながらの街並みが残っています。

 紺屋町番屋 旧盛岡貯蓄銀行  紺屋町町家 岩手銀行赤レンガ館 旧宣教師館
もりおか啄木・賢治青春館  盛岡城址公園 彦御蔵  賢治清水

【紺屋町番屋】
 1891年に盛岡消防よ組番屋として建てられた建物を1913年に改築したものと言われています。木造洋風建築で、望楼と赤色の屋根、淡いグレーの外壁と白い窓枠が特徴です。2015年に盛岡市に寄付され、市の景観重要建造物に指定されています。交流体験施設としてリニューアルオープンし、カフェや展示販売コーナーがあります。

【旧盛岡貯蓄銀行】
 紺屋町にあり、盛岡盛岡信用金庫本店として使用されている建物は1927年に建てられた鉄筋コンクリート2階建です。新古典様式と言われており、市の景観重要建造物に指定されています。

【岩手銀行赤レンガ館】
 紺屋町にある岩手銀行赤レンガ館は、1911年(明治44年)に建てられた旧盛岡銀行旧本店本館です。赤いレンガと白い花崗岩の帯のコントラストが特徴の盛岡を代表する歴史的建造物です。国の重要文化財に指定されています。

【もりおか啄木・賢治青春館】
 赤レンガ館や盛岡城址公園から近い場所にある啄木・賢治青春館は、1910年(明治43年)に建てられた旧第九十銀行本店本館を保存活用して、石川啄木と宮沢賢治の青春時代と盛岡の街を紹介しています。1階2階の展示室の他、1階にはカフェがあります。国の重要文化財に指定されています。

【盛岡城址公園】
 盛岡城は、16世紀末に盛岡藩主南部氏により築城が始まったとされています。17世紀から盛岡藩主南部氏の居城とされ、明治維新後に建物の大半が取り壊されましたが、明治時代後半に岩手公園として整備され、市民の憩いの場となっています。城内に残る唯一の江戸時代建築物、彦御蔵(ひこおくら)は、19世紀前半の再建で、諸道具類を納めていたと言われており、木造総2階建ての土蔵造りです。

【賢治清水】
 盛岡城址公園・彦御蔵に近い場所にある賢治清水は、宮沢賢治が大正時代、盛岡高等農林学校在学中に、弟や従兄と下宿していた当時使用していた共同井戸です。現在も自由に利用できます。

【旧宣教師館】
 宣教師シングレーの在任中、1920年に建設されたと言われています。2階建に屋根裏部屋を有する当時の米国生活様式を伝える住宅建築とされています。

→レトロな列車旅・町並み・食事処 INDEXへ

→「信州の温泉案内/レトロ旅行倶楽部」トップページへ戻る

→レトロな日本旅館のある温泉 INDEXへ