ハリマオの設立話 第1話

【小島との再会】
 昭和45年の春、小牧からひとりで名古屋にも行けない紅顔可憐な15才の少年がいた。彼の名は林周治。この話しの主人公である。彼はまだ自分の居場所を見つけられずオドオドと名古屋西高校1年J組の教室に座っていた。その姿は、『♪風に戸惑う弱気なぼく』そのものだった。
 そのクラスメートだった小島徳康(小島)が唐突に声を掛けてきた。
 『君ラグビーやらない?』 名古屋の中学出身の彼は、長髪でなぜかまぶしくみえた。そのせいかどうか分からないが「いいよ〜」と答えてしまった。今思えば一生の不覚だったかもしれない。「いや〜」と答えていれば、その後の人生は大きく変わっていたかもしれない。その時は知るよしもなかったが、生涯の友との出会いであった。

 高校を卒業し、大学は別々だったがお互い東京にいたので、彼の富士見が丘のアパートを訪れよく飲んだ。そのころのぼくは、友人宅をお泊りグッズ(歯ブラシ、電気かみそり、外書)を持って泊まり歩いていた。外泊2〜3日、自分のアパートで風呂屋に行き下着を変え休養の1泊をするペースを守っていた。
〔戸越の廣瀬恵紀(廣瀬さん)宅、のちにチームに加わる加藤武志(加藤先生)宅(東府中)にも泊まりに行った。〕
 ただし、小島宅が最もきれいでなぜは予備の布団も備わっていた。その布団はいい匂いがした。(ウソです。そんな気がしたが正しい表現です。)
 社会人になっても磯子のマンションを訪れ飲んだ。そのころ彼は新婚だったのでさすがに泊まらなっかたと思う。

 そんな彼と昭和60年31才の夏、小牧で再会した。名古屋出身の彼も引っ越して、今では小牧人。お互い会社をやめ、再出発する時だった。何処で飲んだかは記憶が定かでないが、仕事の事、家族の事、そしてラグビーの話しとよく語った。彼は大学でもラグビーを続けていただけにラグビーの話しになると熱い。そして酔いが回ったころ、何気なく口走ってしまった。
 「ところで、まだ現役(高校生)に勝てるよな」
 (このひとことからハリマオは始まっている。)
 小島はあきれた顔で、いつもの口調で言った。
 『バ〜カ、勝てるはずね〜じゃん』『おまえは、自分を知らなすぎる』
 高校卒業でジャージを脱いでいた自分にはどうも納得できないでいたが、またジャージを着るとはその時思ってもいなかった。ただラグビー部のみんなに会いたいと思った。小島も同じ思いのようで『そろそろ会いたいな』と言っている。
 「そうだな」と答えるが次ぎの言葉はお互い発しない。次ぎの言葉は決まっているからだ。(ラグビー部の同窓会をやろう。)であるがお互い、生来のめんどくさがりな事は充分知っているからだ。(言い出した方が企画担当になるからだ。)
 しばしの沈黙の後、小島が名案を出す。
 『井原(名西ラグビー部キャプテン)に集めさせよう』 『井原には、おれが連絡する』
 すかさず「賛成」 その場は丸く治まる。
 この展開は高校時代の人間関係に由来する。
 当時から、まじめな井原がキャプテンであったがその井原を影で糸を引いていたのが小島であり「それがいい、いい」と言っていたのが自分だったような気がする。
 そんなこんなでお開きとなるが、ちょっと惑々する展開になってきた。


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