Part・8
『ラスベガスの裏事情』 2000年11月24日
ロサンゼルスにいた頃。私はひょんなことから、とある人達と知り合いになり、通訳を頼まれました。
彼らはブラジルから来た日系人と日本人の二人組みで、ロサンゼルスに来た目的は、彼らがブラジルのB市でオープンしようとしているカジノで使う、チップや道具類をロサンゼルスで買いつける事でした。そのために必要な通訳を、私にしないかと言ってきました。勿論彼らは情報ナシで来ていましたから、私は彼らのために色んな方面に電話をして、専門店を探すのにベストを尽くし、商談はうまく進みました。本来なら、私のアルバイトもここまでなのですが・・・。

商談がうまくいき、荷物の受け渡しの話もかたがつき、”ご苦労様でした。”というとこまでこぎつけた時、私はすっかり彼らに信用されたようで、彼らから
”仕事も片がついたので、これから我々はラスベガスに遊びに行く。どうだ、一緒に来ないか?”
”勿論タダじゃない。”
そう誘われました。ラスベガスに行くのにタダじゃない。こんなおいしい話しはありません、私は勿論快諾しました。そして、ここから凄い話しは始まります。


ラスベガス行きが決まると、まず彼らはバンク・オブ・アメリカに電話を入れました。ラスベガスで遊ぶためのお金は、すでにこの銀行に送られていたようです。ただ、その額が少々我々庶民の感覚とはかけ離れた額のようで、銀行側もすぐにはキャッシュで準備できないので、翌日の受け渡しを要求してきました。翌日、ラスベガスに向かう前、私は彼らとバンク・オブ・アメリカの地下室にある部屋に行き、現金がバックに詰め込まれるのをみましたが、日本円でゼロが七つ並ぶ額でした。いやはや、これだけのお金を遊びに使えるとは。

私が彼らと最初に入ったラスベガスのホテルは、ヒルトン系列のホテルで、普通にチェック・インしました。まず、このホテルで最初の勝負が始まるのです。私にとってはまったく見ず知らずの世界。さて、どういった勝負を彼らがするのか、大変見物でした。彼らは手持ちのキャッシュから必要な分だけを残し、あとはセーフティー・ボックスに預け、向かったのはルーレットでした。


ルーレットは単純なゲームですが、ディーラーの腕がものをいいます。良いディーラーは狙った数字を外さないといいます。だから、彼らがチップを置くのは、必ず玉がディーラーの手を離れてからでした。じっと見ていると、彼らの張り方には法則がありました。ルーレットには<1>から<36>までの数字がありますが、この数字は三つのブロックに分けてあります。確立三分の一で、ひとつのブロックに集中して張るのです。ただ、彼らの場合、テーブルが掛け金の高いテーブルで、十万、二十万円単位で張るのです。

世界の主だったカジノはどこも同じだと思いますが、大金を持って遊びに来る人ほど、特典があります。高い掛け金で勝負していると、必ずその店のマネージャーが挨拶に来ます。そして、宿泊している部屋番と、さしつかえなければ住所を聞いてきます。この時点でこのマネージャーがOKを出せば、そのホテルの全ての施設の利用、レストランでの食事がタダになります。お金がある人ほど、ラスベガスでは優遇されるのです。


この夜、彼らはルーレットだけで2万ドル勝ちました。それから、ホテル内では全てがタダになり、私達は最高級のレストランで食事をし、エステでマッサージを受け、ルーム・サービスで最高級の朝食を食べ、私にとっては多くの初めての経験をさせてもらいました。このホテルでは二晩遊びましたが、次の日のブラック・ジャックでも負けませんでした。ブラック・ジャックでは、テーブルの頭と尻に座った人の腕がものをいうそうです。ちなみに、カジノではドリンクはタダですが、興奮剤が入っていることがあるので、アルコール類、炭酸類などの味のわからないものは避けるようにと教えられました。

我々がこのホテルの次に向かったのは、アメリカ人以外で初めてラスベガスのカジノのオーナーとなった日本人、Y氏のホテルでした。前日に一度遊びに行き、二人はちゃんとここでも顔をうっていましたから、ホテルに入る早々、我々はここのオーナーであるY氏の部屋に通されました。通されたといっても、このホテルの最上階にある部屋までは、ガードマン付きの専用のエレベーターに乗って上がったのですが、大変丁重な扱いでした。

カジノ・ホテルのセキュリティー・システムがどんなものか?、普通ではあまり知られていません。このY氏はその分野の仕事も日本でされているようで、そちら方面の話しもしてもらい、私は興味深々でしたが、特に凄いと思ったシステムは、プロのギャンブラーに対するものでした。通常ホテル内には300以上の監視カメラが設置されているそうですが、このホテルではコンピューターに世界中のプロのギャンブラー達の顔が記憶させてあり、もしカメラがその内の誰かを見つけると、すぐに警報で教えてくれるようになっているそうです。出入り禁止の人物の場合はそこでお帰りになってもらえば済みますが、もしそうでない場合はホテル側も対処が必要です。

そういった場合どうするか?そのホテルの一番腕の良いディーラーをぶっつけるしかありません。ラスベガスにはディーラーを養成する学校があり、大変な人気になっています。この学校を出てカジノのディーラーになれれば、大変な収入が得られます。見ていると客から貰えるチップだけでも結構なものです。ただ、やはり人間ですから、個々の能力には違いがあります。先ほど書いたルーレットのディーラーのように、腕と感と運の強い者は、どこのホテルからも引っ張りだこになるのです。

カジノで勝負をしていると、ディーラーは小刻みに変わっていきますが、あれは一人のディーラーをそのテーブルに馴染ませない意味もありますが、長くひとつのテーブルで客と向かわせて、プロなどに癖などを読まれないようにという配慮もあるようです。いずれにしても、世界には超一流のプロのギャンブラーがいて、カジノには彼らに対抗するために、超一流のプロのディーラーが待ちうけているということです。そして、相手が強ければ強いなりに、カジノ側も強いディーラー、強いディーラーと相手にぶつけていくのです。それにしてもこれだけのセキュリティー・システムがあるとは驚きでした。


このホテルでの彼らに対する扱いはのっけから大変なものでした。与えられた部屋は超最高級の部屋で(勿論タダ)、内部が二階建てになっているスイート・ルーム。メイド付きでした。その上、暇を持て余している私に対してもY氏は、”ヘリを飛ばしてあげるから、グランドキャニオンでも見てきなさい。”と言ってくれました。

しかし、残念ながら、私はこのホテルに泊まることはやめました。あまりにも感覚がかけ離れていて、その時の自分にはよくないと判断したからです。私はこの二人を置いて、一人でロサンゼルスに帰りました。長い旅の中で、この滞在が一番リッチだったことはいうまでもありません。

このお二人のその後について少し触れておきますが。B市においてカジノはオープンされたそうです。しかし、私が翌年ブラジルに入った時、日系人の方は亡くなっていました。どうも殺害されたようでした。それもマシンガンで蜂の巣にされて・・・。実は、ブラジルという国は、カジノを認めていません。ですから、彼らは、政、財界の実力者、役人、警察幹部を抱きこみ、ユダヤ人やマフィアと手を組み客を集め、門番には現役の警官にマシンガンを持たせてガードさせるという、ものものしい状態でカジノを開いていたようです。ですから、何か利害関係でトラブルがあり、消されたという話しをブラジルで耳にしました。



ラスベガスといえば、アメリカの日系人のおじいさんから、こんなことを教えられました。

フェラデル・エックスプレスという世界最大の宅配の会社がアメリカにあるのをご存知ですか?今でこそ宅配の会社は世界中に沢山ありますが、始めてこの会社の社長がこの商売をアメリカで始めた時、全く商売にならなくて、最初の月の給料を、従業員に払える見とおしが立たなかったそうです。

大変困った社長は、いちかばちか有り金全部集めて、ラスベガスに勝負に行ったそうです。その結果がどうだったかは、今のあの会社を見れば分るでしょう。現在では世界最大の宅配会社で、専用ジェット機だけでも数十機の大会社です。世の中どう転ぶか、本当に解りません。

『私がアメリカで学んだ事。金が金を生む。』 悲しいことですが、ギャンブルの世界もビジネスの世界も、この定義は一緒でした。