Part・3
<エーゲ海のアツーイ夜から> 2000年8月16日
毎日蒸し暑い夜が続いています。こう暑いと寝るのも大変ですね。
こんな蒸し暑い夜と同じ夜。何故か、どうしても忘れない、鮮明に覚えている夜が一夜あります。今夜は、その夜から一つ引っ張り出してみましょう。


その島が、ギリシャのどの島だったのか、色んな方向から思いだそうとしたが、どうも解らない。ミコノスかな、って思って地図を調べると、どうも記憶と地形が違う。海沿いに町があって、海沿いの道に沿ってずっと歩いて行った所に、確かパッとしないユースかバックパッカーズ・ホステルがあった記憶があるのだが・・・。

まあ、島のことはどうでもいい。問題はそのホステルに泊まった夜の事。 その夜も、泊まったドミトリーの部屋は、暑くてあつくてたまらなかった。海側に一応小さな窓があって、外は良い風が吹いているので、そのうち入り込むかな、と期待したのだが、夜半を過ぎても、いっこうに状態は解消されなかった。見ていると、同室の連中も同じらしい。みんないつまでもゴソゴソ動いている。が、その内、一人ふたりと、スリーピング・バッグを持って、部屋から出ていくものがでてきた。 どこに行くのかな?って見ると。みなさん屋上に上がって行く。”ハッハー。”なるほど。私もさっそく見習って、部屋を出ることにした。


私が屋上に上がった時、程々の広さの屋上は、すでに三分の二がスリーピング・バッグでつぶれていた。あまり人様の間に割り込んで寝るのも申し訳ないので、私は残された階段の上がり口の近くに場所を取った。場所は良くないが、風だけは良く通った。これだけ涼しいと、さすがに良く寝られそうだった。


が、それからしばらくして私は、今度はとんでもない熱いため息に、眠気をそがれてしまったのである。 その英語を喋る私よりも若いカップルは、何かブツブツ言いながら、私からは死角になっている階段室の壁の裏側からやってきた。それも、こともあろうに二人ともスッポンポンの体に、スリーピング・バッグを巻き付けただけの格好でである。どうも壁の反対側はあまり風が通らないようで、寝る場所を変えたいようだった。 そして、二人は場所を物色したあげく、唯一余裕がある、階段室の上がり口そばの、私の隣に来てしまったのである。

この夜、私の記憶に何が鮮明に残ったか。感の良い人はお分かりだろう。 ああいったものは、人に見せたり聞かせたりするものではないと、私はそれまで思っていた。それなのに、どうしてこうもオープンになれるのか。 ・・・・私は感心した。 そして、耐えがたきを耐え。忍びがたきを忍んだ。・・・つもりだった。



欧米で長く暮らしていて受けるカルチャー・ショックのひとつに、「性」がある。 日本のような保守的な社会で生きてきた人間が、いっぺんにこんなオープンな環境に飛び込んで行くと、まず、面食らってしまう。たぶん海外で暮らし始めた多くの人が、同じ経験をしたことがあるのではないだろうか。

私も例外にもれず、まったくそうして成長させられた。長期の旅にでて、一番最初に泊まったオーストラリアのバックパッカーズ・ホステルのシャワー室が男女共同で、シャワーを使っていると、いつの間にか、隣に女の子が入ってシャワーをあびてた。仕切がスリガラスとはいえ、相手のボディーラインはしっかり見えてしまうもので。(内心喜びながらも)どうしたかというと。しっかり自分の前を隠していたものだった。

そういえばシドニーでは、好奇心半分、スケベ心半分で、ヌーディスト・ビーチを見学に行ったことがある。その当時の私に、彼らと一緒に裸でビーチに寝そべれと言われても、たぶん百パーセント無理だったが、健康なぶん、好奇心が一番先にたった。シドニー湾の入り口にワトソンズ・ベイという、地元っ子がよく行くビーチがあるが、その先を回り込んだ所にヌーディスト・ビーチはあった。

そして、そこで私は、何とも間の抜けた男を目撃した。ここのヌーディスト・ビーチは、岬のでっぱりの崖下にあった。崖の上には遊歩道があり、観光客も多く行き来しているが、裸でお歩きになっている人達はみなさんお構いなしで、ビーチに寝っころがったり散歩されていた。そのヌーディスト・ビーチの崖の上で、その男は夏なのにコートを着て立っていた。へんな奴だなと思って見ていると。その男は、若い女の子が通る度に、コートの前をはだけて見せているのだ。さよう、たまに日本でもお出ましになる、あのヘンタイ君だった。
だが、想像してみてもらいたい。その滑稽さを。いったい誰がそんな場所で、つまらん物を見たいと思うのか。見たければ、ちょっと視線を下に落とせば済むのである。さすがに女の子達も、その男を見て、クスクス笑うのが関の山だった。しかし、こういった場所に、こんな人間がいると、かえって崖下で堂々と裸体をさらしている人達が、至極自然に映るもので、私には、それが一番の発見だった。



あの北欧のフリー・セックスといわれるもの。あれにしても、”自由な、誰とでもチョメチョメ。”というものとは、だいぶかけ離れたものだということは、誰でも想像がつく(?)のではないだろうか。
私はノルウェーで数ヶ月間、ノルウェー人の奥さんとアメリカ人の旦那というカップルに大変お世話になった。奥さんはカトリーヌ・ドヌーブ調のたいへんな素晴らしい美人で、旦那の方は弁護士のブラック・アメリカンである。(ノルウェーでは、この夫婦の周りの人達のことで、色んな新しい世界をかいま見た。そのことはいずれまた。)

その彼女がある日、アルバムを見せてくれたのだが、私はその時、本人を前にして、なんともドギマギしてしまった。アルバムのあちこちに、ビーチで日光浴をしている、オール・ヌードの彼女の写真が沢山あったのである。その美しい女性のオール・ヌードは、十分私には刺激的だった。だが、彼女にしてみれば、自分がそこにオール・ヌードで登場していても、それは服を着ているのと同じくらい、自然なことのようだった。観念と意識の違いを、私はまざまざと感じた。北欧では、結婚を決めると、その一ヶ月前から同棲を始める。その一ヶ月の間に、お互いの性格の相性と性の相性を確かめ合うのが普通だが、それだけみても、北欧の人達の意識が、進歩的で大人に思えるのは、海外を長く経験した私だけだろうか。



ギリシャからイスラエルに向かう船のデッキで、アメリカの女の子、カナダの女の子、スイスの女の子、イギリスの二人の男、ドイツの男、そして、国連軍のメンバーとしてイスラエルに行くという、二人のフランスの若い兵士が加わって、みんなで貧しいパーティーを開いたことがある。

そのパーティーが落ち着いた頃、話が何故かピル、避妊の話になっていた。 ”セックスが、うんぬん・・・。” ”ピルを使えば、うんぬん・・・。” ”私はまだ処女で、うんぬん・・・。” と、ここに集まった若者達は、実にオープンに意見交換をしていた。その実直さが日本の若者には足らないと、つくづく思ったことがある。アメリカでは、ポルノ解禁をして、国民の感心がそちらに向いたのは、わずか二、三年で、その後、国民の関心は政治に移っていった。この国で性の開放が叫ばれて久しい。インター・ネット上では、すでにポルノ解禁に近い状態になっている。日本のみなさん。あんな物慣れればどうってことないのにね。